09. 困らせてみる






振り回すというのは、これがなかなか、面白い。




「………アヤ?」




両手を宙に上げたまま呆然と立ち尽くしている男は、
見た目そのままぽかんとした様子ですぐ目下にいる少女を見下ろした。

あ、つむじが見える。


「ぎゅーっ!」


何がぎゅーっだ。何が。

言葉通りぎゅーっと小さな体いっぱいを使ってケイに抱きついているアヤは、
何だかとっても可愛らしいことを繰り返し言い続けているが、
この小さなものは一向に離れる様子がなかった。


「……あの、」


あの、だなんて。
あのケイが戸惑ったように、あの、と言葉を詰まらせている。

ケイの追っかけ、もといファンクラブがこれを目撃しようものならば、
シャッターチャンスならぬ動画チャンスと懐から最新の映像記録装置を取りだすだろう。

本人に迷惑がられたり訴えられない限り、
レジェネイトの中では多少ストーカー紛いの行為も許されている。
それも相手はほとんど機械なのだから、滅多なことでは法に触れない。
特にケイは女性たちの熱い視線には鈍感で、女性の視線を殺気か何かと勘違いするほどだ。
仕事を邪魔するわけでもなく、ただ遠目から(睨むように)ジッと見つめられ
多少不審に感じながらも、実際の被害がないので放っておいているのが実情である。


「あの、アヤ?」

「ぎゅーーっ!」

「いやそうではなくて、」

「ぎゅーーーっ!」


だから、これは一体何なのだ。

傍から見ればオロオロ。
本人はそんな気はないがほんの少し眉を下げて辺りを見回す。
何故かこういう時に限って誰もいない。

ああ、どうすればこの状況を打破できるのだろう。

途方に暮れたケイは、未だ抱きついているアヤのつむじを再び見下ろす。
相変わらず癖の少ない真っ直ぐな髪だとか、今日も綺麗に艶が出ていて健康だとか、
本当にどうでも良いことを考えながら。


「ぎゅーーっ………あれ?全然変化ないなあ」

「気は済んだか?」

「んー、済んだって言えば済んだ。済んでないって言えば済んでない」

(どっちだ…)


久方ぶりに顔を上げたアヤは、キョトンとした様子でケイを見上げる。
それからうーん、と唸りながらどこか不満そうにそっぽを向いた。
それを微笑ましく感じながらも、こちらの欲しい回答をするりとかわした挙句、
アヤは飽きることなくまたしてもケイの胸に飛び込んだ。
平均的な青年男子ならば受け止めるかどうか微妙なところだが、
急な突撃でもケイは決して倒れたりしない。
たとえそれが彼女の不注意だとしても、怪我をさせるなんて許せないからだ。

黙り込んでしまったケイは、電脳の中でひたすらこの状況を分析していた。
まず、何故アヤはいきなり自分に抱きついているのか。その必要があるのか。

こんな状況になったのは、ほんの数分前。
大きな仕事を終え次のミッションに移行しようとしていたケイの前に、
こちらも仕事が終わったアヤが、元気よく駆けてきたのだ。
つい先日までレジェネイトを開けていたので、
久方の再会だったせいか、アヤの笑顔が眩しく見えたが。

そう、それならばいつものことなのだ。
数日互いに会わないこともこれまで何度かあった。
帰ってくるたびに嬉しそうに話すアヤの相手をするのが、
ケイの役目であり心安らぐ一時の憩いの場所であった。
言葉を交わし、またね、とアヤが手を振ってこちらも手を振り返す。
それがケイの中に組み込まれている、最近のアヤとの日常だ。



「うー……おかしいなぁ」



ムスッとして片頬を膨らませたアヤは、膨らませていない頬をケイの胸に押し付けた。
無意識なのか、計画的なのか分からぬアヤの行動に更に困った様子を見せるケイだが、
あらぬ方向を向いているアヤにはそんな小さな変化に気付くはずもない。

おかしい、と言いたいのはこちらの台詞だ。…とも言いだせず黙り込む。
しかも宙に浮いたこの手をどうすれば良いか判断もつかず、再び考え耽る。

もしこればバルトであったのならば。

十中八九、いやもう完璧に抱き返すだろう。それはそれは、締まりのない顔で。


「………………」


何故だろう、無性にあの男を殴りたくなる衝動に駆られた。


「ケイー?」


物騒なことをシミュレーションしているケイになど気付くはずもなく、
いつものように陽気な声色で呼んだアヤは、
所在なさげにボーッとしている男の頬をペシペシと軽く叩く。


「…何だ?」


眉一つひそめることなく、上目遣いにこちらを窺うアヤを真っ直ぐ見据えたケイは、
不思議そうに首を傾げた。いつの間にかもやもやした奇妙な感覚はなくなっていた。


「感想ちょーだい」

「…感想?」

「そう、感想」

「…すまない、一体何の感想だ?」


見当もつかない。
思わず頭上を仰ぎ見たケイは、疲れた様子でこめかみを押さえた。



「何って、この状況の感想」

「………は?」



とうとう、ケイの中にある完璧なマニュアルが壊される。
口から出てきた言葉は、あまりにも間抜けな一文字。

お前は馬鹿か、と言われたような気がしたアヤは、
ほんの少し顔を赤くして必死に弁解しようとする。


「ちょ、私だってまさかこんなことになるとは思わなかったわよ!?
 でもほら、ケイっていっつも平然としてるからどうすれば慌てるのかなーって……」

「つまり、クレージュ教授とフィオラに吹き込まれたと?」

「あ、あは、あはは〜」


今、盛大に溜息を吐きたい。
吐こうと思えば吐けるが、徹底的にマニュアルに倣っているケイには到底出来そうにない。

気難しげに眉を寄せたケイをどう捉えたのか、ひくりとアヤの頬が引き攣った。
滅多に機嫌を損ねることがないケイの逆鱗に触れたと思っているのか、
先ほどまでの無邪気さや余裕さは欠片も見当たらない。
怖いのならば逃げれば良いのに、ビクビクとこちらの様子を窺ったまま
相変わらず離れる気配を見せないアヤに、ケイは心の中でソッと微笑む。

(コロコロと、本当に良く表情が変わる)

それを妬ましいとは感じない。
寧ろそれとは全く逆の、温かいものが胸の奥に流れてくる。
もっと色んな表情を見てみたい。
笑った顔も、怒った顔も、全てを受け入れられる。


「け、ケイ?もしもしケイさーん?」


必死に笑顔を浮かべているがどこかビクついているアヤを無表情で見つめながら、
ふとケイは一つの考えを弾き出した。
それは、実行せずとも良い選択肢。
ほんの少し前の自分ならば、余計な選択肢として排除していただろう。

けれど。



「アヤ」

「は、はい!」



敬礼でもしそうなほどピン、と姿勢を正したアヤに苦笑が漏れそうになるが、堪える。

どうしよう、困った。
いつも振り回されているのはこちらであり、それを当然と思っていたというのに。



「返答出来なかった俺の代わりに、アヤの感想を聞かせてくれ」

「へ?」



ぽかん、と半開きになった口を閉ざすことも忘れ、
アヤはふわりと自分の体を包み込むがっしりとした何かに目を奪われる。



「ぎゅー」



耳元で囁かれた言葉は先ほどアヤが散々言っていた言葉だった。
けれど、全く感情が込められていない棒読みの、男の声。
とりあえず嵌めてみた。そんな笑いさえ込み上げてきそうな状況だというのに。

背中に回った、自分とは違う大きな腕。
それほど力が入っているわけではないのに、びくともしない。


「アヤ」


何が起こったのか思考が追い付かずぐるぐるとしていたアヤに再び囁かれたものは、
真面目なのかふざけているのか聞き分けることが困難な、いつもと変わらぬ声色。






「この状況の感想を、君に求める」






困らせてみる






普段振り回されてばかりな

機械人形のささやかな逆襲

(本人にその自覚はないけれど)







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