● 唐紅の記憶  ●



「シ、シリュウどこ!?」
「どこに隠れたんですかシリュウ君。三秒以内に出てこない場合は八つ裂きですよ」
「シリュウ!生きてるんだろうな!死んでたら、承知しねぇぞ!!」


生きてる、生きてるからそんな切羽詰ったような声を出すなよヒューガ。それよりも俺は
カインの台詞が怖い。三秒以内なんて無理に決まっている。カインの場合、あれが本気な
のか冗談なのか判断できないから性質が悪い。けれど三人の焦りを隠しきれない声は本物
だ。早く、早く皆のもとに行かなくちゃならないってのに…。







第10話 『黒い糸を紡ぎましょう』







「―――っ!!―――!」


大きな手に口元を押さえつけられた状態ではくぐもった声しか出せない。じたばたと暴れ
てはみるが、何者かの体格がよほど良いせいかビクともしない。押さえられている部分は
口だけなので鼻で息をすることが可能だ。気になることと言えば、クロロホルムといった
睡眠薬を嗅がせようとしないことだ。標的がシリュウならば、暴れられる可能性が十分に
あるのだから、眠らせるか、筋弛緩剤でも投入してとにかく動けなくすることが前提で
あるはずなのに、先ほどからこの大柄な男は害するどころか、こちらが下手に怪我をしな
いように押さえ込むだけだ。殺気など皆無。聴覚だけが異様にはっきりとしている。今も
仲間の叫び声が痛いほど響いている。

(こいつ、何て馬鹿力だ!!)

渾身の力を込めるが、左右に僅かに動く程度で男はその場から一歩も動く気配はない。
確かにまだまだ未熟であることは承知の上だが、そう簡単に押さえつけられない程度の
体力はあるつもりだ。ただの盗賊ならば抜け出せる自信があったと言うのに、今まさに
押さえつけられている、という事実に己の体力と筋肉のなさに泣きそうになった。おまけ
に敵の気配は一つではない。シリュウを拘束している男が一人。その隣にもう一人分の
気配があるが、この体勢では視界に捉えることが出来ない。がっちりと囲まれた状況で
逃げ出すことなど不可能だ。

「―――おい、あんま暴れてると怪我が悪化するぞ。坊主」
「ていうかこの暴れっぷりって…元気なのはいいけど、俺、泣きそうっす」
「!?」

耳元で囁かれた言葉に瞠目する。いつの間にか緩くなった拘束など、気付いちゃいない。
恐る恐る首をずらすと、薄れた霧の中にある二つの顔。それは予想通りどちらも男であっ
たのだが、シリュウが思わず声を失ったのは決してそのせいではない。


「シリュウ!おいマジでどこ行ったんだあいつは!!」


時が止まったように動かなくなったシリュウだったが、罵声にも似たヒューガの声に
ハッと我に返る。しかしその前に動いたのは、シリュウの身動きを封じている男ではなく、
その隣に控えていた、先ほどの軽そうな口調の男の方だ。

「――――!!!」

大きな手に覆われたまま叫ぶが、勿論ちゃんとした音になるはずもなく。

「待ってろよー、悪い奴らは俺が片してやっからな」

にこり、とシリュウに笑いかける男はえらくご機嫌だ。がしがしとシリュウの頭を撫で回
した後に両手に白く細い糸を垂らしながら、ヒューガたちのいる場所へ歩みだす。太陽の
光にきらりと光るそれと、服の裾から覗いていた赤黒い糸を見た瞬間、シリュウの背から
冷たい汗が流れ落ちた。これでもかと言わんばかりに大きく目を見開き、信じられないも
のを見るかのように真っ青になった顔面はサッと血の気が引いている。

「―――!!――っ!――――!!!」
「お、おいおい何だ?」

大人しくなったかと思ったら再び暴れ始めたシリュウに驚いた男は、どうしたものだ、と
首を傾げるが先に行った男の背を視線で追うだけで、やはりシリュウを解放しようとしな
い。しかし尋常でない暴れ方に流石に心配になる。自分がこの腕を捻るか、最悪折って
しまうのではないかと。

「………まさか…勘違い、か?」

何を、と問う前にシリュウが何度も大きく頷く。それにギョッとした大柄の男は、知らず
知らずのうちに押さえていた力を緩めてしまう。その小さなタイミングを逃すはずもなく、
火事場の馬鹿力よろしく肘を曲げ、遠心力を利用してそれを男のちょうど鳩尾部分に命中
させた。鈍い音とともに男のくぐもった声が漏れたが、倒れない。シリュウは分かってい
た。これしきの攻撃で相手が倒れないということを。だが一瞬の隙を突くことは可能だと
いうことも、同時に知っていた。

「坊主!」

完全に緩んだ拘束を力づくで押し退け、猫のように丸くなりながら太い腕から脱出する。
少年を捕まえようと男が手を伸ばすが、ギリギリの所で届かない。まだ晴れ切っていない
霧の中に身を投じた少年に、大柄の男は気苦労を感じさせるような溜息を大きく吐いた。




「っくそ、こいつが切れねーんじゃ話になんねえっての!」

細いだけの糸かと思いきや、ピアノ線以上に強硬なそれに相変わらず身動きが取れない
三人は、ただただ下唇を噛む思いに打ちひしがれるしかなかった。…と、そんな大人しく
しているわけがない人物が一人。力任せに糸を切ろうとしているせいか、特に剥き出しに
なった皮膚からは、絡んだ糸の部分からはじわりと鮮血が流れている。躊躇う素振りも見
せず、それどころか更に力を入れるのだから、いつ肉が切れそうになってもおかしくはな
い状況だ。

「貴方の筋肉馬鹿を駆使しても歯が立たないということは、下手に動かない方が良いです
ね。お嬢様、危険ですから下手に動かないでそのままでいてください。ああ、お前はそ
のまま肉と骨が切断されるまで永遠に抵抗し続けてくれて結構。その方が環境に良い。」
「手前は現状を理解したうえで毒を吐け!!」

今にも大噴火してしまいそうなほど声を荒げたヒューガは苛立ちを隠すことなく、寧ろ
カインの要らぬ煽りのせいで更に冷静さを失う。重力によって下に落ちる血は、ポツポツ
と疎らに広がる。もしかすると傷跡が残るかもしれないが、そんなことを悠長に考えてい
る時間はなかった。仲間を一人見失ってから数分しか経っていないはずなのに、まるで
数時間この場に放置された気分に陥る。どんなに呼びかけても、声が枯れそうなほど大声
を出しても、望む相手の声は決して戻ってくることはない。叫べば叫ぶほど、虚しく自分
の声が木霊となって返って来るだけだ。

「少しは冷静になったらどうですか」
「うっせぇ!!」
「あまり吼えない方がいい。今ここに魔物でも出てくれば、全員死にます」
「んなことは分かってる!だから足掻いてんだろーが!!」
「別にお前が食い殺されることは一向に構わない。だがお嬢様に何かあっては困る」

言葉は淡々としていて温かみはないが、カインの表情は険しいものだった。よほどの
強度があるのか、糸はびくともしない。何度も力を入れて切ろうと試みるが、逆にこちら
の体力を根こそぎ奪われそうなほど体力を要する。今は必死の形相でこの状況を打破しよ
うと抵抗しているヒューガの後ろ姿をただただ見守るだけだ。今のところ魔物の気配は感
じられない。しかしこのままでは魔物がどうこう、という以前に餓死して呆気なくこの世
からお陀仏という最悪の結果に終わってしまう。エリーナの父から彼女を預かっているよ
うなものなのだから、何に代えてもエリーナだけは守り抜かなければならない。

さてどうしようかと考えあぐねいていると、ガサリと背の高い草を掻き分け、踏みつけ
ている小さな音が耳を過ぎる。散々騒いでいたヒューガもピタリと動きを止め、物音の
した方向を同じく睨みつける。

「誰かいるのですか」

剣呑に目を細め、腹の底から出てきたような抑揚の欠けた低い声は容赦がない。そんなカ
インに肩を震わせたエリーナも、恐る恐る物音の強くなった方向へと目を向けた。

「無駄なことしてんね、そこの兄さん。その糸はそう易々と切れる代物じゃあないっす」

薄い霧の中から出てきたものは魔物ではなかった。長身とは言えないが、平均的な身長
を持っている男に三人は固唾を飲む。にへら、と形容するとしっくりくるような締まりの
ない笑顔は緊張感が抜けるが、一人を除いて二人は相変わらず怪訝そうに眉をひそめるだ
けだ。褐色の肌に銀色の短髪の男はヒューガの前に立つと、食えない笑みで顔を覗き込む。

「あんま知られてないんだろーけど、これは糸使いのやつっす」
「…何者だ」
「白い糸は獲物を確実に捕縛して動きを完全に止める。ああ、糸使いの糸ってのは
色ごとに獲物に対しての作用が異なるんすよ。これ知ってましたかー?」

へらへらと笑う顔を凝視すれば、シリュウとさほど変わらないような幼さを持っていた。
シリュウより身長は高いが、ひょろりとした体つきは些か不健康にも見える。少々長すぎ
る前髪の間から覗く青い瞳は、実に愉快そうだ。

「もう一度言う、お前は何者だ。俺たちにとって味方か、それとも…敵か?」

視線だけで殺せそうなほどの眼力で男を睨みつけたヒューガは、知らぬ内に後ずさろうと
していた。糸に絡まっている時点でそれは不可能だというのに、本能が告げるのだ。
逃げろ、と。この男に近づくな、と。

「…もしあんた等があるものを持ってないただの旅人だったら、敵でも味方でもない
 傍観者であったということは間違いないっすね。ま、所詮それは仮定の話っすけど」

はっ、と鼻で笑った男は一度髪を掻き揚げた。その一瞬に見えた、右の額に浮かんでいる
一線の傷をヒューガは見逃さなかった。完全に塞がっている傷だが、一生消えぬ傷として
その男の前髪に隠れている。患部の広さや傷跡から見ると、恐らく致死に至る重度であっ
たことに間違いないだろう。

「”紡ぎ姫”が唄うフレーズ、知ってますか?」
「紡ぎ、姫…それって童話だよね」
「あ、ご存じっすかお嬢さん。あれ、結構有名な童話っすよね」

くるくる回して糸を紡ぎましょう
朝も昼も夜も、私は唄うの、糸を紡ぐために

突然歌いだした男に三人は息を呑む。低すぎず高すぎない声は心地よく耳に入ってくる。
音程のとれたズレのないそれは見事としか言いようがなかった。


白い糸を紡ぎましょう、ただただ、時が止まれば良いと願いながら
赤い糸を紡ぎましょう、はらはら、命の水を滴り落として
青い糸を紡ぎましょう、ひたひた、彼に少しでも近づきたくて

黒い糸を紡ぎましょう、がらがら、貴方を壊すために

くるくる回して糸を紡ぎましょう
朝も昼も夜も、私は唄うの、糸を紡ぐために


「…しら、ない。そんな歌詞じゃないわ。もっと優しいものだったはずよ」

身を震わせて、か細い声で喋るエリーナに歌い終えた男はにこりと振り向いた。

「そうっす。表向きは子供向けの歌詞。そんでもって、今のが本当の歌詞っすよ」

綺麗でしたか、と尋ねる男にエリーナは何も言えないでいた。綺麗なのかもしれない。
だが、歌詞をもう一度復唱してみると、決してその一言では片付けられないだろう。

「お上手な歌をどうも。それで、あなたの目的は一体何なのですか?」

眉間にしわを寄せたままカインは男の視線をこちらに向かせた。ヒューガ同様、カインも
この男の様子にただならぬ警戒心を抱いていた。パッと見た感じは人懐っこそうに見える。
恐らくそれが男の技の一つなのであろうが、生憎カインにはそれが全く効かない。何故な
ら彼もまた、銀髪の男と同じものを腹の底に持っているのだ。口元だけに浮かべた笑み。
探るような視線。年下であろうその男からは、言いようのない気配が漂っていた。

「目的?そりゃあ勿論、あんた等にここで死んでもらうためっすよ?」

ピン、と張り詰めた空気を余所に、男は懐から黒い糸を取り出した。

「黒い糸を紡ぎましょう、がらがら、貴方を壊すために」

先ほどの一つのフレーズを歌いだした男は、カインに向けていた視線をエリーナへと戻す。
ヒッ、と引き攣った声を上げたエリーナは黒い糸を垂らせて近寄ってくる男の気配に、
思わず涙を浮かべた。

「紡ぎ姫は一人の男を想っていた。けど、結末はバッドエンド。紡ぎ姫の想いは男に
 届かなかった。壊れた紡ぎ姫は、手に入らないのならばと、男を壊して、殺した」
「や、やめて、来ないで!!」
「金髪の兄さんはこの子のことが大切なんすよね?じゃあ特別に一番に殺してあげます」
「やめなさいっ!!」
「大丈夫、黒い糸は致死の毒だから。適当に縛って、ちょっと力入れたら、
悲鳴を上げている間にちゃんと死ねる。あ、ちょっと痛いかもしれないっすけど」

にこにこと他意のない笑顔にエリーナは凍りついた。頼みの綱であるカインも、苦手な
ヒューガでさえも、今は歯を食いしばってされるがままの状態だ。誰の助けもない。
迫り来る恐怖にがたがたと震えだす。見事に真黒な糸を目の前に突きつけられたエリーナ
は、意味がないと分かっていながらももがき出す。白い糸は動きを止めるものだと、この
男が言っていたが、力の入れ具合によっては皮膚だって裂ける。ピリ、とした痛みが走っ
たような気がした。けれど今は殺されるか否かの瀬戸際に立たされているのだ。実は二の
腕辺りから血が滲んでいたのだが、全く気付く気配はない。

「い、いや…シリュウ、助けてシリュウっ」
「……人攫いが、よく言う」

一瞬苦虫を噛み潰したような表情を見せたが、それもほんの数秒のこと。切羽詰まった
エリーナには男の声は届かなかったが、代わりにヒューガが拾い上げる。男の台詞に瞠目
したヒューガは、人攫いの意味が分からない、といった様子で困惑の色を浮かべた。
しかし同時に浮かんだ疑問は、何故男がシリュウのことをあたかも知っているのか、
ということだ。

「死体はきっちり証拠隠滅するんで安心してください」

気を取り直したかのように笑みを浮かべた男は、ついにその黒い糸をエリーナの首に
一周巻いた。がちがちに固まったエリーナは溜まった涙が頬を伝い、重力に逆らうこと
なく地面に、あるいは服に吸い込まれていく。そう、これで男がほんの少し力を入れれば
猛毒が糸からエリーナの皮膚から体内に回り、数秒のうちにあの世へと誘われる。

「い、や…やめ、てっ」
「さようなら、憐れで無知なお嬢さん」

男の片腕がゆっくり動く。弛んでいた糸が、ゆっくりとエリーナの首を締め付ける。

「い、いやあぁぁぁあ!シリュウ、カイン!!!」

悲痛な叫びにカインが何かを叫んだ。それが何だったのか、分からない。





――――ゴッ





「…………いってぇぇえええ!!!」

恐怖のあまり硬く目を閉じていたエリーナは、来るであろう痛みに構えていたのだが、
一向にその兆しはない。首に巻かれた糸も心なしか緩くなっている。恐る恐る目を開けれ
ば、先ほど鈍い音の後に大絶叫した男が後頭部を押さえて、その場にうずくまっている姿
がそこにはあった。よほど痛いのか、後頭部を押さえたままのたうちまわっている。

視線を男の真後ろに動かす。そこに転がっているものは、見慣れた剣。今はここにいない
あの少年の持ち物だ。十中八九これが男の頭を直撃したのだろうが、何故こんなものが
今ここにあるのか全く見当がつかない。同じく唖然としてるヒューガとカインは、あんぐ
りと口を開けて固まっていた。


「――――いい加減にしろよグラン!!この、勘違い馬鹿!!」


最も欲しかった声が霧の奥から聞こえる。求めていた相手の声に、エリーナはぼろぼろと
涙を零す。先ほどまでの緊迫感をぶち壊した怒り声はどこまでも木霊する。どこかで鳥が
羽ばたいたような音が聞こえた。それまで必死の形相だったヒューガもカインも、この雰
囲気をガラリと変えてしまった声の主の登場で、ホッと安堵の表情を浮かべる。

「いっ、てぇぇぇぇ」
「うわ、グラン何してるんだって!黒い糸使うのは最終手段だろ!?」
「だ、だってさー、お前怪我だらけだし、こいつら人攫いだし…」
「人攫い?何それ。とにかく三人を解放するんだ。言い訳は後で聞く」

ぎろり、と有無を言わさぬ視線にグランと呼ばれた男はたじろいだ。相変わらず後頭部が
ずきずきと痛むが、ご立腹なシリュウをこれ以上待たせでもすれば、再び彼の剣の柄で
殴られることは間違いない。そうなってしまった自分を想像したグランは、ザッと顔色を
変えて二の腕を摩った。寒気がしたのだ。

「ほらさっさとする!」
「わ、分かってるって!そう怒るなよ、シリュウ!!」

苛立ちを隠すことなく凄んでいるシリュウは、グランの想像を超えた行動に出た。柄で
再び殴ろうとした…のではなく、ついに鞘から剣を抜き出したのだ。銀色に輝く鋼を見た
瞬間、グランの表情が一気に引き攣る。まるで縋るような姿勢でシリュウの足を掴んだ
男の姿といえば、何と間抜けなことであろうか。先ほどまでの威厳は欠片も存在していな
い。がらりと豹変した男を、糸に捕らわれたままの三人は茫然と見守ることしか出来なか
った。…何というか、あまりに情けない姿に同情さえ浮かんでしまう。

「エリーナ、今これ外すから」
「シ、シリュウっ!!」
「動かないでね…よし、取れた」

グランの持っていた黒い糸から解放したシリュウは、再びグランを睨みつける。ぎくり、
と肩を震わせたグランは、白い糸を軽く握り、三人を拘束していたそれを緩める。

「ぅぅ、シリュウ…」
「よしよし、もう大丈夫。俺がいるから」

白い糸からの拘束がなくなった瞬間、腰を抜かしているのか全く力の入らないエリーナを
そっと抱きとめる。ぐずった子供をあやすようにゆっくりと頭を撫で、背中をリズム良く
叩く。その動作にホッと安堵したのか、一度泣きやんだはずの涙が再び零れ始める。自分
の服が濡れることも気にせず、シリュウは嗚咽を漏らし始めたエリーナの背を慣れた手つ
きで優しく撫で続けた。震える肩を少しでも落ち着かせるために。

「さて、説明してもらおうか」

暫くして漸く落ち着いたエリーナをカインに託し、完全に目が据わっているヒューガを
シリュウは他人事のように見ていた。結局説明するのは自分の役目なのだろうが、グラン
の言動から推測すると、自分だけの見解だけではどうも噛み合わない節がある。

「その前に…あ、来た来た」

もう一人いるから、と今にも暴れだしそうな雰囲気のヒューガを宥めると、ガサガサと
草木を掻き分けて現れた大柄な男にシリュウとグラン以外は反射的に警戒心を強くする。
この中でもカインが最も長身だというのに、それを優に超えている。例えるならそう、熊。
熊のように大柄な男の左頬には痛々しい傷跡が残っている。短く刈り揃えている髪は茶褐
色で、肌は健康的な小麦色だ。引き締まった逞しい筋肉は服越しからでも十二分に分かる
ほどがっしりしている。

「ダイオンさん!!」
「はっはっは、まーたやっちまったなぁグラン」
「へ?」

大きな手で頭二つ分は優に超えている男、ダイオンにがしがしと頭を強めに撫でられた
グランは目を白黒させるばかりだ。豪快に笑う男の方はと言えば、今度はシリュウの頭
まで撫でる始末。父親と同じくらいの年だと言っても過言ではなかろう貫禄を見せるダイ
オンの雰囲気は実に穏やかだった。初めの方こそ緊張の糸を張り巡らせていたヒューガも、
今は少し気を抜いている。エリーナが襲われたせいで全く隙を見せないカインは、無感情
にその光景を傍観していた。新しい顔ぶれであるダイオンにはそこまで警戒心はないのか、
カインの肩から覗きこんでいるエリーナだが、グランと目があった瞬間に露骨に目を逸ら
す。

「そっちのお嬢ちゃんにはすまねえことしたな。ほらグラン、お前も謝る」
「え、え?だってダイオンさんっ」
「今回は俺たちの勘違い。早とちりだったってわけさ」

マジっすか!と叫ぶグランを余所に、何故か更に苛立ったヒューガはずかずかとシリュウ
のもとまで近づいた。鬼のような形相のそれに流石のシリュウも飄々とはいられない。
じりじりと迫り来る、ある意味殺気よりも性質の悪い気配に呑み込まれまいと、シリュウ
も必死に微笑を浮かべる。だが肩を掴まれた瞬間、それまでの努力は水の泡になってしま
った。

「さて…お前に、説明してもらおうか。シリュウ」

その時のヒューガの笑顔が引き攣っていたことは言わずもがな。









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