● 唐紅の記憶  ●




ある時は魅惑の笑みを浮かべるほど美しく
ある時は自身の身長を優に超す大男を叱り飛ばす豪胆な者であり


そして、途方に暮れている子供に手を差し伸べる、女性であった





第12話 『オカンと頭領は紙一重』





「ただいま戻りましたっす、頭領!!」
「今帰った、シェンリィ」

不気味なほど薄暗い木々の間から突然現れた女、シェンリィはうっすら笑う。手元にある、
先ほどシリュウに投げつけた型と同じナイフをくるくると回しながら、無駄のない動きで
松明の灯りがある場所にまで歩み出す。

「よく帰ってきたね、あんた達。怪我はないかい?」
「もっちろん!俺たちが身回りくらいで魔物に倒されるわけないっすよ!!」
「ま、そんなことで掠り傷でも負おうものなら、
『フィライン』のメンバーから、この私が直々に追い出すところだったさ」

薄紫の髪に癖は見当たらない。揉み上げの部分のみが長くなっており、長髪か短髪なのか
判断しかねるところではあるが、頭部を覆う濃緑のバンダナは、まるでここ一帯と同化し
ているかのような色合いだ。白くも黒くもない、至って健康的な、陶磁のような肌という
よりも、小麦色に近い肌を惜しみなく露出している服装は大胆なもの。剥き出しの肩に
腹部、そしてちらりと覗くふくらはぎは、彼女の年相応の女らしさが伺えた。一見細身で
あるものの、よく目を凝らすと、腕やら足に程よい筋肉がついている。少女のような柔な
肉体ではなく、鍛えられたそれに思わず息を呑まずにはいられない。均等についた筋肉は、
まさに女性の憧れだ。加えてエリーナよりも頭一つ分は高い長身であるのだから、どこへ
行っても彼女は注目の的だろう。髪の間から見えるコバルトブルーの流し目に視線が合え
ば、男は勿論のこと、女も確実に落ちるだろう。

「フィ、フィラインだとぉ!?」
「…なるほど、ようやく謎が解けましたよ。何故貴方たちがシリュウ君を知っているのか」
「え、え?どういうことなの、カイン」

各々異なった反応を見せる姿に、シェンリィは僅かに苦笑を漏らす。草木を掻き分ける姿
さえ、優雅に見えるそれは精錬されたものだ。彼女もグランやダイオンと同じ、隙のない
動きと気配を日常の中で使っている人物だ。流石、頭領と呼ばれているだけのことはある。
微塵も尻尾を掴ませない。

驚愕の色を隠せないでいるヒューガと、合点がいったように頷くカイン。そして、この状
況でも何が何だか、全く追いついていないエリーナ。そして心なしか顔色が悪いシリュウ。
相変わらずグランとシスアに挟まれているせいで身動きが取れないが。

「し、師匠…」
「一年ぶりだね、シリュウ」

思わず後退りしたくなったシリュウだが、前と後ろから抱き込まれているせいで身動きが
取れない。こめかみ辺りから頬に、顎に、冷たい汗が流れた。じりじりと迫ってくる
シェンリィは終始笑顔であるが、腹の底は何を考えているか分からない。母親のように
優しくもまた厳しい人物であることをシリュウは勿論のこと、彼女の手下である仲間は
知っている。それは決して彼女が頭領であるから、というわけではなく、彼女自身の性質
が全て兼ね備わっているからこそ発揮されるものであろう。

「ふふふ、この一年大変だったさ。そりゃあもう、フィライン中が喚いたね」
「う、あ、あの…し、師匠」
「いいかいよーくお聞きシリュウ」

目前まで迫ってきた瞬間、タイミングよくシスアが離れた。そして何故か後ろからの拘束
が強くなった気がした。今頃グランはにまにまと笑っているに違いない。グランは二つほ
ど年上なのだが、こういう時だけ年上っぷりを発揮するから気に食わない。見た目がこん
なにひょろりとしているくせに、力だけはシリュウよりもあるのだ。実に気に食わない。
たった二年の差。されど二年。どんなに修業を積んでも、年数だけはどうしても勝てない。

「グラ、ン!!」
「はいはい、大人しく叱られような」
「大人しく叱られちゃってくださいです〜」
「そうだぜ、大人しく叱られた方が身のためだ」
「ちょっ…!三人とも!?」

グランの言葉に便乗するように、シスアもダイオンもにこにこと笑っている。他人事だと
思って!と叫ぶと、そりゃあ他人事だから、と見事に返ってくるものだから何とも虚しい
ものだ。無駄だというのにじたばたと暴れるが、身長の差といつの間にかだらん、と猫の
ように持ち上げられていては全く意味を成さない。精々やんちゃな子供が地団太を踏んで
いるように見える程度であろう。見ている側は微笑ましい光景だが、やられている側と
してはそんなお気楽に構えられない。何が何でも逃げ出したいのが今の心情だ。

「そんなにこの私から逃げたいかい?何なら、今から命がけの鬼ごっこでもしようか?」

にやり、と形容したくなるような邪悪な笑みを浮かべたシェンリィは両手の親指と人指し
指でシリュウの両頬を抓り始める。予想通りの仕打ちに、シリュウが思いきり眉間にしわ
を寄せる。

「い、いひゃいいひゃいっ!!」
「フィラインの掟その一、勝手な行動を起こした者は頭領自ら制裁を下す」

涙目になりながら抗議をするシリュウを軽く一瞥するが、手を離す気は更々ないのか、
肉付きの悪い頬を更に伸ばそうとする。そのうちに引き千切られるのではないか、と錯覚
しそうになってきたシリュウはあまりの痛さに声を荒げるが、何を言っているのか全く
理解することが出来ない。それを見てはらはらしているのは、フィラインのメンバー以外
の残された仲間だけだ。が、その中でカインだけは感心したようにきらりと目を輝かせている。

「ちょっと、シリュウが痛がってるんだから離しなさいよ!」

我が道まっしぐらのシェンリィに楯突く者が一人。勇敢なのか無謀なのか、取り方は人に
よって異なるが、シリュウには神に見えただろう。

「ん?ああ、もうちょい待ちな。あと三十秒は体罰続行だよ」
「いひゃひゃひゃっ!」
「反省しなシリュウ。許可も得ず勝手に抜け出して、皆心配したんだよ!」

この馬鹿、と一喝してようやく手を離す。グランの拘束もそこでやっと解けたが、両頬に
手を当てて擦ることで精一杯なシリュウは、その場に崩れ落ちる。見事に真っ赤になった
頬は痛々しい。普段泣かないような子が、あまりの痛みに涙目になっているのだから、
その制裁は、それはそれは大変恐ろしいものなのだろう。

「い、たた…」
「言うことは、痛い、だけかいシリュウ。もーっとお仕置きが必要なのかい?」
「す、す、すみま、せんでした…」

ぎくり、と肩を震わせ、反射的に正座したシリュウの顔色はすこぶる悪い。身を縮こまら
せ、視線を泳がせる姿はいつもの姿とはかけ離れたもの。困惑する仲間をよそに、シリュ
ウはバツの悪そうな顔でシェンリィの顔色をちらりと覗き見ている。そう、例えるならば
まさに母と子。今のシリュウの姿といえば、悪戯をして大層絞られ、しょぼくれている小
さな子供だ。普段の生活の中では絶対に垂れない眉も、今は見事にハの字になっており、
幼さを醸し出すが些か不憫にも見える。

「全く。見ないうちに背も伸びて、おまけにこんな怪我をして……本当に、馬鹿弟子だよ」

小さくなって沈んだ表情を見せているシリュウに、シェンリィはふわりと笑みを浮かべる。
座り込んでいるシリュウの髪をぐしゃぐしゃとまるで犬のように撫で回す。ひとしきり撫
でたところで同じ目線になるようにしゃがみ込むと、まるで壊れ物を扱うかのように
そっと抱きしめた。

「し、しょう…ごめんなさい」
「謝らなくちゃならない時に、ごめんなさいをちゃんと言える子に悪い子はいないさ。
 ……おかえりシリュウ。元気そうで本当に良かった。ずっとずっと、待っていたよ」

慈しむような穏やかな笑みにくしゃりと顔を歪めたシリュウは、ぎこちなくシェンリィの
背中に手を回す。一年前、フィラインから勝手に抜け出す以前も、情緒不安定だった頃に
このように包み込まれるように抱きしめられていた。母と子と言っても何らおかしくない
年の差であるが、彼らは血の繋がった者同士ではない。しかし、それに相応するような
安心感を常に得ていた。香水など何一つ付けていないというのに、鼻孔をくすぐる匂いに
ホッと安堵するのだ。加えて懐かしい人肌に、シリュウは思わず泣きそうになりながらも
グッと堪える。


「い、い、いつまで抱き合ってるのー!?」


暫くの間その状態でいたが、小刻みに肩を震わせ、顔を真っ赤にしたエリーナがついに
爆発する。シェンリィとシリュウは師匠と弟子の関係であるのだから恋人同士ではない。
恐らく何も知らない人間が見れば、姉と弟。場合によっては親と子にしか見えないだろう
に、シリュウに恋心を寄せているエリーナから見れば、それはまるで久方の逢瀬のように
映ってしまうのだろう。嫉妬心を剥き出しにする姿に目を細めたシェンリィは、ふと
にやりと薄く笑い、合点がいったように腕の中にいるシリュウと、立ちすくんでいる
エリーナを交互に見やった。

「ははーん…」
「は?あの、どうしたのエリーナ」

つい先刻までの雰囲気ががらりと変わったシェンリィの態度に嫌な予感を覚えたシリュウ
は、抱きしめられたまま二人の女性を困惑した様子で見つめる。

「シリュウは怪我をしてるんだから、いい加減に離して!」
「そうだねぇ、そろそろ離してやろうか。それに、いつまでもここにいちゃ不味いし」
「今回はアリオル山岳にいたんですか…全く気配がしなかったです」
「そりゃそうさ。幻術の気配は毎回変えてるんだから、分かるはずがないよ」

目を細め、含んだ笑みを浮かべたままようやく身を離したシェンリィは一度辺りをぐるり
と見渡す。鬱蒼とする木々を掻い潜り、先ほどシェンリィが出現してきた場所に手をかざ
した。すると何もない空間に水の波紋のような歪みが現れた。驚きで息を呑む者もいれば、
然も当然としている者がいる。

「さ、おいで。――フィラインへようこそ、歓迎するよ」

そう言った瞬間、シェンリィを含む全てのフィラインが穏やかな笑みを浮かべた。



歪んだ空間、それを生み出すものを彼らは幻術使と呼ぶ。

先が見えない道に怯えていたエリーナだったが、徐々に薄暗い木々の間から灯りが見えて
くることを確認すると、ホッと安堵の溜息を吐く。一つ二つ、揺らめく松明の数が増える
につれて、それまで警戒心を露にしていたカインも、僅かに目つきを下げる。やはり腰に
下げている剣の柄部分に手を当てているが、今のところ抜く気はなさそうだ。

「すごーい、幻術って便利なのね。さっきいた場所とは考えられないわ」

思わず感嘆の息を漏らしたエリーナは、まるで田舎者のように忙しく辺りを見回す。そう
なってしまうのも仕方がないと言えば仕方がない。エリーナだけではなく、カインやヒュ
ーガも、目の前の光景に驚きを隠せないでいた。遊牧民が使用するような円の形をした
テントの色は全て灰色で統一されており、側面には猫のような絵柄が刺繍されている。
決して広範囲ではないが、まるで一つの村のような生活感のあるそれに、身構えていた
カインは、驚きを見せつつ脱力感を感じられずにはいられなかった。盗賊のアジト。それ
も、かの有名なフィラインの本拠地に身を投じるのだから、張り巡らせていた神経は、
まるで戦場に一人放り投げ出されたような鋭さと言っても過言ではなかろう。近くにいた
シリュウもただならぬ気配に気が気ではなかったのだが、フィラインのアジトに到着した
瞬間に、カインとは違う緊張感にやっと解放される。

「こ…ここがフィラインのアジト、ですか」
「何ていうか、想像していたものと、まるっきし違うな」

盗賊、と名乗っているほどなのだから、人物も居住地も荒んでいると踏んでいたのだが、
その予想は見事に裏切られる。遊牧民のような、と称するが、何も知らない者には遊牧民
にしか見えないだろう。フィラインのシンボルである猫の刺繍があるからこそ、彼らが
フィラインであると断言できる唯一の証拠だ。

「あんた等は一体どんな場所を想像していたんだい?
それにそこらにいる野蛮な盗賊たちと一緒にしないでおくれ。
私達は盗賊じゃあない。民間から不必要に搾取する貴族たちと敵対している義賊だよ」 

心底不愉快だ、と言いたげに眉をひそめた姿さえ美しいのだから、たとえ怒りに身を任せ
たとしてもやはり美しいのだろう。美人は何をしても似合うというのはどうやら事実の
ようだ。

「義賊?それは本当ですか、シリュウ君」

もとフィライン…いや、形上はそうかもしれないが、恐らく今も現役として扱われている
だろうシリュウを見やった。

「本当だよ。結構有名だと思ってたんだけどなぁ」
「そりゃ、フィラインっていう名は有名だが…」
「どうせ貴族どもの策略で悪党として名前が晒されているんだろよ。
 …そうだねぇ、ここから先のハーティス港にでも行ったらフィラインは英雄だよ」
「俺たちはこれからそこに向かう予定なんです」
「何だ、あんた等船を使って移動する気だったのかい?」

あちこちで頭領の姿を見て会釈する者がいた。しかしその後必ずギョッと目を剥く者が
後を絶たない。シリュウの姿を見て指さす者もいれば、信じられないと言わんばかりに
何度も目を擦る者さえいる。まさに多種多様。中には笑顔で手を振ってくる者もいた。
そして、口々に言うのだ。「おかえり」と。それに涙ぐみそうになりながらも、シリュウは
一つ笑みを浮かべて「ただいま」と気恥ずかしげに答える。その姿を見て、ヒューガは
そっと目を細めた。とても、穏やかな視線でシリュウを、そしてフィラインのメンバーを
見つめる。

案内されたテントは一際大きなものだった。恐らく頭領、シェンリィが使用するための
ものなのだろう。オレンジ色の光に照らされる中にあるものといえば実に質素だ。無駄な
ものは一切存在しておらず、必要最低限のものしかない。中央にある簡易な机と椅子に皆
を案内すると、座るよう勧める。ダイオンとグランは外で待機していた。何故かシスアは
シェンリィとシリュウの間に座っている。

「そう、あんたまだカーマインを追ってんだね」
「……はい」
「別に責めちゃあいないよ。一年前より動きもよくなっているし、成長したってことは
 よく分かる。何せあんたにちゃんとした剣術を教えたのはこの私なんだから」
「あんたが、シリュウに?」

思わず目を見開いたヒューガはジッとシェンリィを見据える。それはまさに、品定め。

「そんなに意外かい?」
「いや、そういうわけじゃねえが」
「フィラインの奴らはね、各々が自分に合った武器を使うのは勿論のこと、
 それを悟られないようにもう一つ二つ、あるいは数十ぐらい他の戦術を持ってんだよ」

にやり、と白い歯を見せて余裕の笑みを見せるシェンリィにカインは眉間にしわを寄せた。

「いいんですか?それは、機密事項なのでは…」
「弱みになるんじゃないかって?はは、笑わせる。
それくらいで後ろを取られるようならそいつはその日からフィラインじゃなくなる。
ま、そんな奴は最初からここにはいないよ。そこにいる、シリュウもそうさ」

顎で自分の弟子を指すと、自然と皆の視線が集まる。反射的に顔を引くつかせたシリュウ
は愛想笑いを浮かべた。

「って言っても、お前剣しか使ってねえよな?」

訝しげに目を細めたヒューガはシリュウの腰にある剣を一度凝視する。ヒューガの意見に
同意するように、カインもエリーナも頷く。他に武器らしい武器も持っていないことは
仲間の全員が知っていた。双剣使いならばともかく、所持している武器の他に、また何か
を所持しようとすれば体力が無駄に削ぎ落とされる。失礼ではあるが、シリュウはそこま
で筋肉質ではない。適度に付いてはいるが、たとえば斧を振り回せそうか、と問われれば
一度悩んで「無理だろう」と答える。振り回すというよりも、斧に振り回されている図が
どうしても思い浮かぶのだ。

「うん。今のところ、使う必要がないから使ってないだけだけど」
「剣術はあんたの得意分野だからね。それで間に合っているってことは、
 あんた等の援護がちゃんとこの子にも行き届いているってことなのさ」

次に見せた微笑は、とても穏やかなものだった。まるで我が子の成長に眩しそうに目を
細めているその姿に、カインは悟る。ああこの子は、こんなにも愛されているのだと。
フィラインのアジトに来てから、シリュウの纏う空気が明らかに柔らかにになったことは
恐らくヒューガも気づいている。シリュウの変わりように驚きながらも、安堵しているに
違いない。

(やはり、子供なんですね)

どんなに大人の中で混じって生きていても、仲間という壁を越えた家族同然の中に戻ると
この少年は棘を落とす。安心しきった笑みがその証拠だ。この仲間の内でも、最近やっと
笑顔の数が増えてきていた。確か年齢は仕える人物、エリーナよりも一つ下だったはず。
年に似合わぬ言動にシリュウとエリーナを除く二人はずっと気がかりだった。近頃は、
シリュウが自虐的なことを言う度にヒューガが長時間説教し続けていたので減っているが。

(死に急ぐほどの行動ではない。けれど、自分のことを全く大切にしない子供)

死に急いでいないのは、彼に目的があるからだ。けれどもし、その目的が成されてしまっ
た時、この小さな子供はどうなるのだろう。生きるのだろうか、それとも…。

「カイン?どうかした?」

ハッと我に返り焦点を定めると、そこにはいつのまにか凝視していたシリュウが不思議そ
うに首を傾げていた。隣にいるエリーナも、心配そうに眉をひそめている。

「いいえ、何でもありませんよ」

取り繕ったような笑みに気づいたのは、ヒューガと侮れないシェンリィ、そして…。

「…………」

こちらをジッと見据える、小さな子供シスアだった。








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