薄暗いテントの中で、すやすやと穏やかな寝息を立てる者が一人。 「………」 すぐ隣に立っているというのに、気付かないとは。眠っている少年の髪を数回撫でた女、 フィラインの若き頭領、シェンリィは苦笑にも似た表情を浮かべた。けれどその眼差しは 少年を慈しんでいる色が溢れんばかりだ。惜しみない愛情を、他のフィラインの仲間たち と変わらないくらい注いできていた。血が繋がっていなくとも、少年はシェンリィにとっ てなくてはならないほど、大切なものなのだ。 まだ宵の口ではあるが、シリュウやエリーナ達は旅の疲れを取るため、早々に就寝した。 シェンリィとの会話も終わりテントを出ると、シリュウはまるで有名人のように扱われた。 嬉々として出迎えてくれたフィラインの仲間たちに、常日頃から表情の薄かった少年の頬 が緩くなる。それから老若男女関係なく、シリュウはあちこちのテントに引っ張りダコで あった。揉みくちゃにされながらも、その時浮かべていた笑顔は、シリュウの裏表のない 本心からのものだった。大声で笑ったり、悪戯をしてきた仲間を怒鳴ったり。それはもう シリュウの年頃の少年たちと何ら変わらない、本来あるべき姿だった。 「やあ、確かあんたは…」 「ヒューガだ」 シリュウの眠るテントから出てきたシェンリィは、テントの出入り口で突っ立っていた男 に一瞬目を瞠った。今日、シリュウから紹介された、旅の仲間の一人。青色の髪にそれに よく似た衣装を身にまとっている。すらりとした長身ではあるが、筋肉も程よく、武器を 扱う分においては十分付いている。引き締まった体躯に無駄な贅肉など一つもありはしな い。かなりの剣の使い手であることは重々承知であるが、年下である分、シェンリィに とってはまだまだ経験の浅い小童同然である。 「安心しな、ちゃんと寝てる。…と言っても、無防備すぎるけどね」 「今のあいつには無防備くらいが丁度いい。気を詰めすぎなんだ」 安堵の笑みを浮かべたヒューガは、胸の前で組んでいた手を解くと、持たれていた部分か ら背中を浮かせた。姿勢を正し、女にしては長身であるシェンリィを見下ろす。余裕なの か、それとも最初から警戒などしていないのか。どちらにせよ、食えない人物であること は第一印象で確定している。今もまさに、腹の奥底の探り合いだ。 「へぇ、あんたよく見ているじゃないか。どうだい、うちの子は」 ヒューガの観察力に感嘆の息を漏らしたシェンリィは、少し首を傾かせて問いかける。 その仕草さえ妖艶と感じてしまうのだ、本気を出せば簡単に男を落とせるだろう。 「剣の腕は基礎と我流がいい具合に組み合わさっている。一撃で仕留められずとも、 あいつの俊敏性の高さでそれが補えているんだから、チームに一人は欲しい人材だな」 「そうだろうさ。あの子の良さを最大限に活かした動きを、私が教え込んだんだからね」 双方がにこりと貼り付けたような笑みを見せた。ここに勘の良いものが一人でもいたと すれば、見えない吹雪に身の毛がよだつ感覚に陥るに違いない。もしかすると、この空気 の悪さに便乗する人物もいるかもしれないが。 「…さて、いい加減そっちの機嫌を伺うのも疲れてきたんだけど」 「それは助かる。俺もそこまで器用な人間じゃなくてな」 がらりと漂わせていた雰囲気が変わったのは、刺々しいシェンリィの声だった。シリュウ やグラン達に向けるようなものとは程遠い、疑念を抱いて不信感を露にしたそれ。普通の 人間ならばシェンリィの台詞で頭にくるのだが、ヒューガは違った。シェンリィがこう 出てくることを最初から分かっていたように、ぴくりとも動じず落ち着いている。 剣呑に目を細め、頭の上から爪先まで食い入るように見据えていたシェンリィは、一つ 息を吐いた。浮かべている表情は、非常に複雑なものだ。 「単刀直入に言うよ。…あんた、昔に何をやっていた?」 推測ではない。断定だ。 「さあ、何だろうなあ」 へらりと笑って見せたヒューガは余裕綽々だ。動揺するわけでもなく、はたまた憤慨する わけでもなく。こういう相手は性質が悪いことをシェンリィは知っている。自分自身も また、決して表の社会で胸を張って生きていけるほど純粋ではないからだ。似たような、 けれど質の違うものを互いに持っている。それは目の前のヒューガも感じているだろう。 「あのカインって男も、ただ者じゃあないじゃないか」 「それは何とも言えねえな。だがよ、ただの偶然だぜ?」 「地方じゃ有名だよ、彼。何だか随分と大人しくなってるけど」 まるで全てを知っているかのように語り出したシェンリィに気を害したわけでもなく、 ヒューガは同じ表情を浮かべたまま相槌を打ち続ける。この様子だと、自身のことは 欠片も話す気はないのだろう。人のことを言えるわけではないのだが、よくもまあ、 シリュウは胡散臭い男達と旅を続けているな、と違う意味で自分の弟子を褒めたくなった。 あの身なりで、良くも悪くも目立ってしまうシリュウは、貶されるか賞賛されるかの どちらかであった。この世で最も負と謳われる色を同時に持っている少年。真紅の目、 混じり気のない漆黒の髪。これまで共に生活をしてきた中で、一般人のシリュウに対する 評価はすこぶる悪かった。 (だからと言って良い仲間に出逢った、とぬか喜びには浸れないけど、ね) 気づかれないように、一つ鼻で笑う。それは嘲笑っているようにも見えなくはない。 「あんたはあの子の色を見て、何を思ったんだい?」 手塩にかけて育ててきたのだ。無自覚なお人好しである弟子は、鋭いかと思えばとことん 鈍い一面も持っている。自身に対して頓着がない、と言えばそれでおしまいなのだが、 それでは寂しすぎるではないか。フィラインのメンバーと打ち解け、ようやく腹の底から 笑った姿を見た時は、涙が溢れるのではないか、と懸念してしまったほど感極まったのだ。 フィラインの皆は、全員家族であるとシェンリィは宣言している。血や家名など関係ない。 共存しあえることに価値があるのだ。赤の他人であろうがなかろうが、義に反することは 正し、賞賛することがあれば皆で共に称えるのだ。シリュウもまた、その一人なのである。 家族が罵倒されでもすれば、総員が憤り、総員が相手のもとにまで走り向かうだろう。 だからもし、この男がシリュウの内側を見ていないのならば。 (悪いけど、無理やりにでもシリュウはここに置いて行ってもらう) 威嚇するかのように一つ、睨みをきかせる。けれどやはりヒューガの態度は変わる気配が 感じられない。 「赤い眼は宝石をはめ込んだみたいに澄んでいて綺麗だな。 黒い髪も何色にも染まることのない深い色合いじゃないか。俺は好きだぜ?」 人の良さそうな、貼り付けた笑顔が変わった瞬間をシェンリィは息を呑みながら間近で 垣間見た。 第13話 『水面下での攻防』 「おっはよー!さあ起きた起きたシリュウー!!」 けたたましい声に叩き起こされたシリュウは、寝ぼけ眼でテントの入口に視線を向けた。 未だ思考がぼんやりとしたままなのだが、この煩い声の主は既に理解している。 「ああ、おはようグラン」 「ほら、お前のいつもの仕事が待ってるぜ?」 「いつもの仕事って…」 「とにかく早く炊事場に来いよ。皆お前の手料理に飢えてんだかんな!」 それだけを言うと、疾風の如くグランはテントから出て行った。嵐のような奴だな、と 呑気に耽っていたシリュウだったのだが、その場で大きく伸びをして布団を捲り上げる。 まだ夜明け前のせいか、外はうっすらと明るくなっているものの、空は白み始めた頃合い だ。隣のテントにいるエリーナ達はまだ起きていないだろう。 冷たい風が頬を掠める。一瞬にして目を覚ましたシリュウは欠伸を噛み殺す。申し訳ない 程度の松明が揺らめいていた。舟を漕いでいる見張り番を見つけて、思わず苦笑が漏れる。 シスアとシェンリィの強力な幻術により、徒人から見ればこの空間はそこらと何ら変わら ない山岳の一帯なのだろうが、まさかこんな所にかの有名な盗賊フィラインがいるとは、 誰も思うまい。ギルドにでも赴けば、賞金首のリストに並べられているのだから、そう 表立った真似が出来ないといことが不便ではある。 「おはようございます〜」 生活感が漂う炊事場に足を運んだシリュウは、側面のない天井と足だけがあるテントに ある椅子に腰かけていたシスアに微笑む。ここは食事をしたり、談笑する場だ。夜中に 酒を飲み交わしていた痕跡が残っている。透明のグラスの底に、薄らと茶色い液体が はびこっていた。鼻を近づけると、思わず顔を背けたくなるような強烈な臭いが襲う。 「おはよう、早いねシスア」 「はい〜。昨日から今日にかけて幻術の当番はシスアでしたから〜」 「それは…お疲れ様、すぐにあったかいご飯を作るよ」 フィラインには是が非でも幻術使いが必要なのである。しかし、高度な技術と精神力を 必要とするそれを巧みに操ろうと思うには、類まれな天性と才能と血が滲むような努力を 要する。シスアの亡き母も、幻術の使い手の一人であった。その才を受け継いだのが、 娘のシスアである。時期頭領、と期待されているのだが、まだ年端も行かぬ少女には 荷が重すぎるだろう。 「シリュウちゃんのご飯、久しぶりです〜。楽しみです〜」 フィラインを出て行く一年前まで、特に料理の担当はシリュウに任せっきりだった。黙々 と作業をこなす上に、時間があれば料理本を片手に研究を続けていたシリュウの姿は、 もはやフィラインの中では常識の中の一つに加わっている。シェンリィがシリュウをフィ ラインに歓迎してきた頃から、シリュウの家事の腕前は舌を巻くほどであった。いつから か、あらゆる家事の面をシリュウが担当するようになったのだが、縁の下の力持ちでも あるシリュウがいなくなった途端、フィライン中はうろたえた。それはもう、火を見るよ り明らかなほどの慌てっぷりで。 「ったく、グランはこのためだけにあれだけ騒いだのか」 水場で顔を洗うとはっきりと覚醒する。まだ日も昇るか否かの時間帯のせいか、身を震わ せるほどそれは冷たかった。一つ溜息を吐くと今頃武器の手入れをしているであろう男の 姿を思い浮かべる。見かけに反してグランは朝が早い。日が昇る一時間前には必ず起床し、 見回りに出たり食料を調達しに行ったりと、何かと役に立っている。だが、毎度あのよう な起こし方をされると癪に触るものだ。やってきたかと思えば、すぐに立ち去ってしまう。 奇麗に手を洗うと、並べられていた野菜を一つ一つ手で掴み、腰に手を当てて暫し唸る。 割烹着に似た前掛けを装備し、必要なものをまな板の上に置けば準備万端だ。火種を利用 し、消えかかっていた釜戸の火を慎重に吹き起こす。あまり強く息を吹き込むと煙や炭化 したものが舞ってしまうからだ。 リズムよく野菜や肉を切り分ける。沸騰した湯に均等に切り揃えた食材を流し込み、灰汁 を掬っては火加減に注意しながら、特に芋が煮崩れしないようにかき混ぜる。時々味見を しながら塩を加え、最後に細かく切った羊の肉を少しだけ炙り、湯気が立ち込める鍋の中 へ投入する。旨味を最大限に引き出すために、鍋に蓋をして暫く放置。空いている時間で 主食のパンを焼かねばならない。本来発酵させなければならないのだが、簡易なものなの で、小麦に水を加え、適量の塩を加えて練りこめば生地は完成だ。鉄板ではないが、火傷 するほど熱くなった石の上に、小さく丸めた生地を並べる。それを釜戸の中へ暫く置いて おけば、簡単で熱々のパンが出来上がる。 「ま、こんなものかな」 満足そうに頷いたシリュウは前掛けを外す。膨らみ始めたパンを釜戸から出し、これから 起きてくるであろう者達のために大皿を広げてシスアがいる簡易テントへそれを運ぶ。 「お手伝いします〜」 「ありがとう。それじゃあ、スープを入れる皿を取ってくれる?」 太陽が昇り、野鳥たちが活発化する頃に住居用のテントが慌ただしくなり始めた。大きく 欠伸をし、眠い目を擦って水場に集まる者たちが後を絶たない。 「おはようございます」 せっせと出来上がった料理を並べ始めている二人の次に現れたのは、こんな早朝でも一つ も着崩していないカインであった。既に顔は洗ったのか、前髪が少しだけ湿っている。 「おはようカイン。よく眠れた?」 「ええ。予想以上に深く眠ることが出来ましたよ」 「そう?なら良かった」 鍋の前に付きっ切りなシリュウはにこりと微笑む。随分とご機嫌のようだ。 「おはようございます〜カインさん〜」 「…ええ、おはようございますシスアさん」 双方がにこりと微笑む姿に別段変わった雰囲気はない。けれどどちらも何を考えているか、 さっぱりである。昨日から胸にわだかまりを覚えていたカインは、すぐさま視線を逸らさ れたシスアを再びジッと見据えていた。 「ところでシリュウちゃん〜、お怪我は大丈夫なんですか〜」 我に返ったのは、シスアが心配そうな声を上げてからだ。 「そうですよ。まだ完治していないのにこんな作業など、他の者にやらせるべきです」 すっかりと忘れていたが、シリュウは全身に大小の傷を負っていたはずだ。特に手首が 危ない。養生しなければならないというのに、この少年は何故軽快に調理していたので あろうか。 「あ、大丈夫。昨日寝る前に師匠に治癒術をかけてもらったから」 ひらひらと右手を振ったシリュウの表情は実にあっけらかんとしていた。腕にある掠り傷 等はカサブタが出来ているので心配はないだろう。 「治癒術…。彼女は幻術の他にそんなものまで習得しているのですか?」 思わず感嘆したカインは、シェンリィ専用のテントに目を向けた。ぞろぞろと炊事場に人 が集まってきてはいるが、ここの頭領はまだお目覚めではないようだ。 「うん。師匠の父親の方が力は強いんだけどね」 全ての配膳が終わったシリュウは、カインを椅子に座るよう勧めた。いつの間にか食事が 並べられた机には、多くのフィラインのメンバーが席についていた。その中には昨日知り 合ったグランやダイオンも含まれている。どうやら各々が好きな時に食事をするのでは なく、ある程度の人数が揃わない限り食べ始めないらしい。空腹を訴えている者達の表情 は必死だ。 「いただきます」 にこにこと終始笑顔なシリュウの合図とともに、テントにいる者達の大合唱が始まる。思 わず目を見開いたカインは、シリュウの隣で暫し茫然としていた。 「うっめぇ!あー久しぶりの味だー」 「かっはー、やっぱシリュウの飯が最高だよな!」 「もう戻っておいでよシリュウー」 四方八方から飛び交う賞賛の声にシリュウが照れ隠しに頬を掻く。これもまた、カイン達 の旅の中ではそうそうお目にかかれない表情だ。その間にも食事をする音は鳴り止まない。 がちゃがちゃと勢いよくスープをかき込む音にカインは少し嫌そうな顔を見せる。けれど そんな不快感を吹き飛ばすほど、彼らの食事の仕方は豪快で見事なものだった。これほど 喜んでいる姿を見ていると、文句など言えるはずがない。 「おはようさん、シリュウ」 「お、おはよう…」 皆がほぼ間食し終わる頃、いつもと変わらずとも一際目立つ衣装を身に纏っているシェン リィと、何故かその横で居心地悪そうにしているエリーナが食事場へ現れた。その瞬間、 またしても大合唱が始まる。あまりの大音量に思わず耳を塞いだエリーナは迷惑そうでは あるが、それをすぐ傍で目にしたシェンリィは可笑しそうに笑うだけだ。 「おはようございます、エリーナ様」 「二人ともおはよう。はい、朝ごはん」 「ありがとう。うわー、あったかーい」 まだたくさん残っているスープを手渡す。鍋の蓋をしていたのでまだ湯気がほこほこと 宙に浮いては消えていく。パンは少しだけ冷めてしまっているが、十分に温かさを感じら れるほどである。 「そうそうこの味だよ、懐かしいねぇ…。シリュウ、やっぱりここにいな」 「きっぱりと昨日お断りしたじゃないですか」 「全く。つれないねぇ」 男のようにがっつくわけでもなく、女のように品よく食べるわけでもなく。どちらの部分 も兼ね備えているような…。とにかく判断のつかない食べ方なのではあるが、決して粗相 をしているわけではない。しかしそれでも絵になるのは何故なのだろう。エリーナやカイ ンの食べ方が品がありすぎて逆に目立ってしまっているという滑稽な図が出来上がってし まった。 「あれ…ヒューガは?あいつがご飯を抜くなんてないのに」 あらかた配膳が終わったシリュウが一口スープを飲んだ途端、ふと何かが足りないと首を 傾げる。どんなに遅くに眠ってもいつも同じ時間に目を覚まして、朝食の準備をする シリュウを手伝ったり、ただ雑談していた姿が見当たらない。朝食は一日の基本だ、と 熱く語っていた姿が妙に好印象であったのだが。 「ああ、あいつなら幻術のかかっている境目でうろうろしてたよ」 口の中に入れていたものを咀嚼して、ごくりと飲みほす。そういえば、とあらぬ方向を 見やったシェンリィは真剣な目をしていた。それを見てぱちくりと目を瞬かせたシリュウ は、シェンリィの思惑が分からず首を傾げるだけだった。 「じゃあ俺探してきます」 「幻術が張ってあるからって気を抜くんじゃないよ。 ああそうだ、食事が終った後にもう一度治癒術かけるから、テントにおいで」 「あ、はい。分かりました」 自分が朝食を食べる時はすっかりと冷めきっているだろう。パンはともかく、スープだけ でも温め直そう。椅子から立ち上がったシリュウは片手に持っていたスプーンを机に置く。 未だ食べ続けているフィラインの仲間たちに「食べすぎるなよ」と釘を刺しておくことを 忘れずに。頭領であるシェンリィがいるから恐らく大丈夫なのだろうが、一度何も言わず に炊事場を離れた時、見事に残っていたおかずを全て平らげてしまっていたのだ。そう言 えばフィラインに来て初めて激怒したのは、その時だったような気がする。 「え、シリュウ行っちゃうの…?」 温かいスープを息を吹きかけて冷ましていたエリーナが幾分拗ねたような顔つきになる。 昨日からシリュウと過ごしている時間が短いせいか、折角朝食の場で話に花を咲かせる ことが出来る、と踏んでいたのに、楽しみにしていた時は奪われてしまった。 「うん、ごめんね。カイン、エリーナをよろしく」 「ええ、シリュウ君も気をつけて。……団体行動を乱すとはいい度胸です。 いっそのこと縛りつけて魔物の巣窟にでも放り込んでやりましょうかねぇ」 最後にぼそりと呟いたカインの台詞に、シリュウは顔を引き攣らせた。早朝からこの毒舌 な姿をお目にかかれるとは…。何だかおみくじで大凶を引いてしまった気分だ。 明らかに引くついたままではあるが、何とか笑顔を浮かべてその場を去る。本日は雲が 多いせいか、太陽の姿を確認出来るものの、暖かさを求めるには光の強さが少し弱い。 炊事場を離れると、微風が吹いただけでも身震いを起こす。あの場所は一番火を使うから 暖かいのだが、一度その場を離れると現実に引き戻される。本来の気温は鳥肌が立つほど 冷え切っていた。 「ったく、どこをほっつき歩いてんだか」 両腕を擦りながら昨日、シスアと会った場所にまで近づく。ここまで来ると、幻術は 大分気配が弱くなっていた。微弱ではあるが、魔物の気配が感じられる。 「ヒューガ?どこにいるんだー?」 あまり大声を出してはうろついている魔物に不審がられ、人が歩くために整備された道を 徘徊されてしまう。正午になる前にはここを出発し、ハーティス港から船で次の大陸を 目指さなければ。定期船はそう何本もあるはずはないだろう。ならばさっさと準備を済ま せ、ここを発たなければ。 入口に到着したが、目当ての人物はいない。目を眇めて一度息を吐いた。とにかくこの 辺りを一周しよう。思い立ったら即行動。一応剣を下げているので、万が一幻術のかかっ ている範囲から出たとしても何とかなる。そう自分に言い聞かせ、シリュウは慣れた足取 りで欝蒼と茂る草木を掻き分け、辺りに神経を研ぎ澄ませながら歩みはじめた。人の気配 ならばすぐに感知出来るだろう。見ず知らずならばともかく、ヒューガの気配は独特なの だから、そう時間はかかるまい。もしかすると向こうがこちらの気配に気づくかもしれな い。 「ヒューガー。おーいどこだー?」 口元に片手を当て呼び続けるが、やはり応答はない。暫くそれを繰り返していたのだが、 こちらが虚しくなるほど、返ってくるものは何もなかった。本当に師匠はヒューガを見た のだろうか。いつもらしからぬパッとしない表情であったシェンリィの顔を思い出した シリュウは、一つ首を傾げる。 「…もしかして、もう戻ってるとか、そういうオチはないよな」 ギュルル、と腹の虫が鳴った。朝起きてから家事をこなし、口に入れたものと言えば スープ一口のみ。下手に胃を刺激してしまったせいか、いつもより空腹の勢いが凄まじい。 (何で俺、こんなことしてんだろ) 未だに小さく鳴り続ける虫が、妙に切ない。乱暴に後頭部を掻いたシリュウは迷った結果、 一度フィラインのアジトへ戻ろうと決意する。ここまで探したのだ、いない方が悪い。 幻術の外にでも出れば、シスアかシェンリィが気付くはずだ。 そう思い、踵を返した瞬間だった。 「シリュウ…?」 戸惑いの含んだ声に勢いよく振り返る。木の幹に腰かけていた姿を確認すると、それは 紛れもなく今の今まで探していた人物だ。 「あーもう、やっと見つけた」 「見つけた?そりゃどういう…」 グゥゥゥウ 「………」 「………」 「………っぷ!」 「わ、笑うな!!それもこれも、ヒューガが朝ご飯を食べにこないからだろうが!」 顔を真っ赤にして叫ぶ姿が、更に笑いを誘う。頬に集まった熱が下がらないせいか、何度 も自らの手のひらで冷まそうとするが、なかなか引く気配はない。腹を抱えて笑われ、 ますます羞恥心が上昇する。 「くくっ、わ、悪かったって」 「…そう思ってるなら急に変な行動するなよ。全く」 僅かに唇を尖らせる様子は、至って普通の子供だ。こんな姿、全くと言っていいほど 今まで目にしていなかった。なるほど、フィラインの仲間と再会して、シリュウの中で 何かが少し外れたのだろう。幻術の中にいる、という安全性の面からだけではなく、心の 底から仲間を信頼している。それが少し妬けてしまった。出会って間もなくとも、シリュ ウのことは、少なからずエリーナよりは知っていると思っていたからだ。 「こんな所で何をしていたんだ?」 大分落ち着いたのか、朱が差した部分は相変わらずだが、平常心は保てるほど回復したら しい。粘っこく嫌味を言わないあっさりとしたシリュウの性格は、とても好感が持てる。 「ああ、ちょっと懐かしいものを見つけたんだ」 「懐かしいもの?」 よくよく見てみると、ヒューガの手には何か小さなものがある。近づいてそれが何なのか 確認するが、それを理解した途端、ますます眉間にしわを寄せなければならなくなった。 「……お前に花って…明日は槍でも降るかな?」 「おい、そりゃどういうことだ」 こめかみ部分がぴくりと動いたヒューガは、容赦のないシリュウの言葉に一瞬殴りたくな る衝動に駆られた。 「でも、お前の色に合ってるな」 ヒューガの手の中にあるもの、それは小さな白い花弁を持つ花だった。野草と間違えられ そうなほど、それは小さい。けれどシリュウは知っている、この花は薬草になるものだと。 穢れのない真っ白な花弁とヒューガの澄んだ青色がよく映えている。中身はともかく、 清純さを引き立たせるものだ。 「そう、か」 少し照れたように微笑んだヒューガは小さな花を愛おしげに優しく包み込む。 「昔、大切な人が教えてくれた。花冠の作り方。薬の煎じ方。 俺がガキの頃だったから、つい懐かしくてな。…悪かった」 あまりに穏やかな表情を浮かべるものだから、二の句が出てこない。常に飄々としている 姿とはかけ離れていて、驚きを隠せないでいた。 「あ、いや…」 「さて。俺も腹が鳴りはじめたし、そろそろ戻るとすっか。 早く行かねーとじゃじゃ馬や腹黒がうるせぇからな」 はらり、と花を落とす。二、三度手についた土を払うと、ヒューガはフィラインのアジト へ戻ろうと踵を返した。 「た、大変だシリュウ!!」 突然幻術の境目の景色が歪みはじめた。そう思った刹那、見覚えのあるフィラインの仲間 が幻術を掻い潜り、血相を変えてシリュウのもとへ飛び込んできた。 「ど、どうしたんだ?」 息を切らせた仲間の背を擦り、シリュウは男の言葉を懸命に待つ。戻ろうとしていたヒュ ーガもただ事ではない、と判断したのか、ジッと息を乱せた男の様子を伺っていた。 「ハ、ハーティス、港が……海山賊に襲われている!!」