● 唐紅の記憶  ●



砂漠面積が五割近く有しているこの大陸には、東西南北合わせて十数か所港が存在してい
る。主に鉱山や紡績工業、その他諸々私生活に必要なものから戦争に必要なもの、ありと
あらゆる物資を集めた地点があちこちに分布していた。砂漠地帯でしか生産されないもの
も多く、こぞって商人たち、あるいは裕福な観光客が足を運ぶのも珍しくはない。

中でも南に面する港町ハーティスは、食料品は勿論のこと、すぐ背中には銀を採掘出来る
アリオル山岳がそびえたっている。ここを越えなければ他の町には行き来が出来ないのが
難点ではあるが、周辺一帯の領土を支配する地主がわざわざ大金をはたいてアリオル山岳
に商人用の道を整備させたのだ。魔物が度々出るものの、そこそこ腕に自信がある人物
ならば簡単に撃退出来るほど、危険性を持った魔物はここには生息していない。素人では
流石に無傷で登って下りられないだろうが、命を落としたという例はほとんど耳にした
ことがないほどである。

金持ちからは罵られている庶民の英雄フィラインがここ最近アリオル山岳に居座っている
ことは、ハーティス港の間では当たり前のように知れ渡っている。彼らのおかげで不必要
に搾取されていた税金を支払わなくて済んだのだから、巷で有名になるもの何らおかしく
はない。制裁したその後も、富豪者には相変わらず低い評価を延々とご丁寧に頂いている
わけなのだが、港で商売をすることが生きがいとも言える商人たちからの反発がなくなっ
ているので、無駄に弾圧する必要がなくなったことには安堵しているらしい。フィライン
が現れるまでは小規模な抵抗が見られたわけだが、つい最近まで港の者たちが集まり、港
中がストライキを起こすという情報が流れていただけに、ことが丸くおさまってホッとし
ているのが領主たちの心情であろう。


「どこのどいつだい、その命知らずは」


シリュウとヒューガが戻ってきたのを確認したシェンリィは、血相を抱えたもう一人の男
の報告を聞いた途端、般若のように一度表情を落とした。よほど憤慨しているのか、その
後の目つきは鋭く、今にも射殺されるのではないかと懸念しそうな迫力である。

「か、海山賊です。ここ最近、大陸や海で頻繁に見かけると噂は耳にしてたんですが」
「……ほーう。あんの野郎どもか」

海山賊。その名の通り海でも陸でも盗賊を行う者の集まりだ。編成している者が海でも
活躍できるなど、滅多に存在しない。確かに盗みを行う上ならば海にも陸にも適している
方が有利だろう。陸で金銀財宝をたらふく盗んだ後、海に逃げればそう簡単に捕まえる
ことは出来ない。盗むものは金や銀、衣料品ばかりではない。金目になるものならば男女
関係なしに攫っていく。それも見事な手腕でやってのけるのだ。理念が根本的に異なって
いても、その俊敏な行動力はシェンリィさえも舌を巻くほど。しかしながら、やることな
すことが極悪非道なのは変わらない真実だ。許すべき行いではない。

「………下衆どもが。私の管轄下を襲ったこと、後悔させてやる」

ダン、と今にも木製のテーブルがシェンリィの握りこぶしによって破壊されそうになる。
亀裂の入ったような音がしたような、とその場で身を小さくしている罪のないフィライン
の仲間達は、固唾を飲み込み被害がこちらに出ないよう細心の注意を払っていた。運悪く
怒り心頭したシェンリィの隣にいたエリーナはもう泣きそうだった。

(あの時の屈辱、今度こそ晴らしてやるわ)

かつて海山賊に攫われた経験のあるシェンリィは、その時勇敢に立ち向かってきた父と母、
その曾祖父の背中を、そして浅黒い肌にこの世で不吉と謳われる漆黒の髪を持つ男の姿を、
一度たりとも忘れたことなどなかった。




第14話 『因縁の男』




そう、それはうら若き乙女時代。もとい青春時代真っ只中の頃の話である。フィラインが
発足されて代々その家系のものが後を継いできたのだが、フィラインの歴史上例のない
事件が起こった。今から十七年前、シェンリィが十五歳の初夏の出来事であった。

「は、誘拐?」

武器をしこたま隠し持ったシェンリィと、選びに選び抜かれたフィラインの戦闘要員は
アリオル山岳を険しい表情で下っていた。その中にシリュウ一行も加わっている。

「その時は丁度シェンリィの両親が頭領として取り仕切っていた頃なんだがな。
 偵察隊として単独で行動していたシェンリィが、運悪く海山賊と遭遇しちまって」

頭をガシガシと掻き、前方を無心に歩くシェンリィに気づかれないよう小さな声で話す大
柄な男はダイオンだ。熊のような長身と図体のでかさに、初見の者ならば度肝を抜かれて
思わず仰ぎ見たくなる人物だ。しかしその姿とは裏腹に、性格は至って温厚そのもの。
どちらかと言うと騒ぎ立てる連中を宥める苦労人である。

「海山賊の頭領の御目に適って連れ去られた、っていう伝説っすよね」

ダイオンのすぐ後ろを歩くひょろりとした青年の名はグラン。全体的に薄く貧弱に見える
が、侮ってはならない。糸使いという世間ではあまり知られていない技を駆使し、獰猛な
野獣は勿論のこと、彼より力の強い人間でさえ、グランの愛用する糸を持ってすれば、
一瞬のうちにあの世に導かれてしまうという、恐ろしい武器を自在に操る者なのである。

「伝説って…それ、師匠の耳に届いてたら殺されるんじゃないか?」

にへら、と緊張感のないグランを肘で小突いたのは目を据わらせているシリュウだ。こち
らもこそこそと、先ほどまで烈火の如く今にも爆発するのではないかと懸念しそうなほど
荒れていたシェンリィを気にして、時折目を配らせながらも会話に参加している。

「―――あんたたち聞こえてるよ!!」
「ひぃっ!す、すんません!!」

鬼のような形相で睨まれたグランは涙目になりつつも、背筋をしゃんと伸ばし、器用にも
歩きながら何度もシェンリィに頭を下げる。もうすぐ二十歳を迎えると言うのに、そんな
年を感じさせないほどの腰の低さに一同は同情の目を向けた。

「跡取りを取り返すために衝突したわけか」

察しの良いヒューガは大男さえも顎で使うあのシェンリィが誘拐された経験があるとは
にわかに信じられず、多少引くついている。

しかし、彼らの噂によれば近年の海山賊は美しいものを重点的に盗み、それ以外のものは
ほとんど手を出さないらしい。貴族であれ庶民であれ、美しいと感じたものは力づくでも
手に入れる。それが海山賊のモットーだ。そんなものを高々と主義にされても大変困るわ
けなのだが、過去に比べ庶民を襲う割合が大分減ってきた傾向があったにも関わらず、
こんな所で評価が再びがた落ちするとは。少し見直したと思ったのが間違いだった。

「誘拐されたことも耐えがたい屈辱なんだろうがなぁ…」

最後尾を歩いていた男が意味深な言葉を呟く。シェンリィと然程変わらぬ年の男は、苦笑
したまま、その時代にいなかったグランとシリュウを苦笑交じりで見下ろす。二人して
きょとん、と見上げる姿はまだまだ子供同然だ。

「そういや喚いてたな。確か、若頭領に求婚されたんだったか?」
「きゅ、求婚って、頭領がぁ!?そんなまさか…天変地異の前触れっすか!?」
「おい馬鹿、シェンリィに殴られんぞ」
「―――もう遅いよ」

素っ頓狂な声を上げたグランの真後ろには、口元だけうすら笑みを浮かべたシェンリィが
握りこぶしを作った状態で突っ立っていた。思わずヒィ、と悲鳴を上げたシリュウとエリ
ーナは、何故か二人ともカインの腕にしがみつく。エリーナはともかく、シリュウさえも
ここまで恐怖に陥れたシェンリィの気迫は、それはそれは言葉では言い表すことが出来な
いほど邪悪なものであった。今夜あたり、夢の中でうなされてもおかしくはないだろう。

「いっ、…でぇぇええ!!」
「無駄口叩いている暇があったらさっさと足を動かしな!
港が襲われてるってのに何だいその緊張感のなさは。それでもフィラインかい!?」

鈍器で殴ったような鈍い音が脳天を一撃。一瞬目の前がスパークした感覚に、グランは
一度よろめいたあと、涙声で叫びながらその場にうずくまる。頭領のご乱心にびくついて
いるのは子供だけではない。長年付き合いがある屈強の肉体を持つ男たちでさえ、顔面を
蒼白にして事の成り行きを見守ることしか出来ないでいた。

「……素晴らしい鉄拳ですね」
「そうだろう。シェンリィの腕力は並大抵の力じゃあない。
 何たって、弱冠五歳にして実の親父さんを気絶させたほどの実力さ」

その中で毅然たる態度を失わなかったのは、両腕に子供を抱えたカインと、懐かしそうに
過去を語るダイオンだけである。ヒューガはと言うと顔色が悪い、というよりも何か見て
はいけなかったようなものを見てしまい、言葉を失っている状態である。

「ダイオン、あんたもべらべら喋るのはおよし」
「へいへい。とは言っても、港に行けばあいつがいると思うぜ?」
「だから抹殺しに行くんでしょう」
「おーおー、物騒だねぇ」

苦笑しながら肩をすくめたダイオンは十七年前の事件を思い出していた。少女時代のシェ
ンリィはさばさばした性格は今も昔も変わらず、勝気な母親によく似ておりお転婆同然だ
ったが、相貌も大変美しく両親の良いところを見事に受け継いでいた。

(年の割には小奇麗だったなぁ。あれじゃあ、あの若造が目をつけるのも頷ける)

可愛い境から綺麗に移り変わった今、あの若頭領は彼女の姿を見てどんな反応をするだろ
うか。シェンリィを取り返す際、ダイオンも部隊に編成されていたので当時の頭領の顔は
よく覚えている。頭領になるには随分と若かったが、一つ甘い言葉を囁けば女性を簡単に
口説き落とせるほど端正な顔立ちだった。年を重ねた今も、今度は以前になかった大人の
雰囲気を醸し出しているに違いない。

(……ん?そういやあいつ―――)

ふと頭のつむじが見えるほど身長差のあるシリュウを見下ろした。シェンリィの迫力に
押されながらも、やはり回復は誰よりも早く順応性が高い。

「シリュウ」
「へ、なに?」

ぽん、とさりげなくその肩に手を置く。驚いた様子で振り向いたシリュウは、僅かに首を
傾げこれでもかと言わんばかりにダイオンを仰ぎ見た。

「お前、これをちゃんと被っとけよ」
「わ、わ、わ」

ぽかんとしたままのシリュウの頭を何度も撫で、ダイオンはシリュウが首に巻いていた
長布をシリュウの顔が見えなくなるほど厳重に巻く。視界と酸素が確保出来る分は空間を
開けたが、誰かに引っ張られたりでもすれば簡単に取れていまうだろう。
きっちり黒髪が見えなくなったのを確認すると、ダイオンはシェンリィの後を追う。戸惑
いの声が後ろからかけられたような気がするが、敢えて聞こえないふりをした。

(俺の思い違いならいいんだが…)

十七年の襲撃の際、海山賊が目ざとく狙っていたものは金銀財宝以外にもう一つ、
変わったものを収集していたような記憶がダイオンにはあった。思い違いならばそれで良
い。しかしもしこれが事実ならば、シェンリィにも気を配り、更にはシリュウにも神経を
すり減らす必要がある。他のフィラインのメンバーはそんな些細なことなど覚えていない
のか、こちらの頭領と港の者を守ることで精一杯の様子だ。

漆黒の髪を持つ男が海山賊の頭領に就任してから、不自然なものを集めていると噂を耳に
した。それは、十七年前のあの事件でも確かに目撃している。偶然なのかはたまた意図的
なのか定かではないが、黒髪の男はある一つのものを異様な執着で探しまわっていた。

(―――黒髪の、人間―――)

まさにそう、シリュウのような人物のことである。






降り注ぐ太陽の恩恵を直に浴びている町の建物は自然と日焼けする。乾いた空気が流れる
と、穏やかな波もそれにならって海岸へと飛沫を上げていた。海鳥たちが自由気ままに空
を飛び交い、漁港からおこぼれをもらってはそれを咀嚼し、再び大海原へと飛び去る。


「まあまあ皆の衆、そんな怯えんなって。
俺はシェンリィ・ウォルガに用がある。そいつが来るまでは何もしねえよ」



港町ハーティスの中央に面する噴水広場に腰をおろしている男に、港の者たちは震えなが
らもその光景を見守るしかなかった。染み一つさえ見つけることなど出来ないであろう、
真黒なバンダナを頭に巻きつけている男の髪は、それと同じ闇の色。強い日差しに照らさ
れても透けることなどない。褐色の肌に新緑の瞳が二つ。魅惑的な雰囲気を漂わせている
のは、余裕から出るものなのか、それとも天性のものなのか。兎にも角にも女性が簡単に
落ちてしまいそうなほどの魅力を持っている男は、終始掴み所のない笑みを称えていた。

しかし、少しでも不審な行動を取れば男の周りに待機している薄手の服を身に纏った者
たちが一斉に襲い掛かるだろう。手に持っているものは銀色に輝く剣や、あまり広く使わ
れていない銃だ。中には改造して銃剣として使っている者もいるが、それはごく少数で
ある。

「兄貴ぃ、本当にフィラインが来るんすかねー」

腰をおろしている漆黒の男に気だるげに話しかけたのは、この中で最も服を乱しながらも
見事に着こなしている若い男だ。年は二十歳前後ほどであろうか。馴れ馴れしく呼ぶ割に、
特に気にした様子のない兄貴と呼ばれた男は、にたりと深く笑みを浮かべる。

「来るさ。ここで豪富どもから平民を救ったのに、今じゃああくどい海山賊に
占拠される始末。こりゃあ義賊フィラインの顔に泥を塗ったも同然よ」
「自分であくどいって言うのもどうかと思うんすけど。
ていうか、盗るもんさっさと盗ってからでもいいんじゃないんすか?」

面倒くさい、と言いたげに大きく欠伸をした男はじろりと辺りを見回す。ここにいる者は
住宅街の連中に過ぎない。バザーが開かれている道にも多くの者が身を寄せ合いながら
最悪な事態が早く経過することを祈っているだろう。

「俺は楽しみを先に頂く主義でな。それに、今回は盗みが目的じゃない」
「兄貴にとっては有益でも、俺たち船乗りにとっちゃあ無益ってことっすね」
「おおっと、いつにも増して手厳しいなあサルジュ」

サルジュと呼ばれた男は、呆れたように溜息を吐いた。彼もまた黒いバンダナを巻き、
後ろで緩く縛っている。髪の色は黒と言うよりも灰色に近く、日にかざすと少し輝いても
見えた。

「ん…?」

何やら港の入口がざわついている。それをいち早く感じ取ると、もとから細い目を更に
三日月のように狭め、訝しげに眉をひそめた。

「……来たようだな」

隣からクツクツと笑い声が漏れているのを、細目の男は耳にした。その途端、広場が
どよめき始める。

「フィラインだよ!フィラインが助けに来てくれたんだ!」
「助けてくれっ、俺たちは何もしていないじゃないか!!」

軽快に靴音を鳴らして現れた女に、港町の人間は泣き叫ぶ。一人が声を上げると、更に
一人二人と大勢の者が口々に叫び出す。収集のつかない状態にシェンリィは一度顔を
しかめる。町の者が言っていることは正しいのだが、如何せんやかましい。それに申し訳
ないが今は目の前で悠然と腰をおろしている男にしか注意はいっていない。猪のように
突進しそうになる衝動を何とか堪え、シェンリィは大きく息を吐いた。

「何をしにここに来たんだい、さっさと出ておいき」
「十七年ぶりか…いやー、別嬪さんになったなぁ」

苛立ちを隠し、無表情に見下ろしてきたシェンリィに全く違う反応を返し、男は再び笑い
出す。すると小さく舌打ちの音が響いた。

「二度と視界に入れたくなかったんだけどね」
「つれないねぇ。十七年前はもう少し可愛げがあったんじゃないか?」
「あんな小娘の時と一緒にしないでおくれ」

刺々しい言葉を返すのに、相手は一向に怯んだ様子も、あるいは怒りさえも見せない。
それを不審に感じたフィラインは、各々厳戒態勢を取る。シリュウやヒューガたちも、
手はず通りに動けるよう、神経を注いでいた。シリュウとカインの間にいるエリーナも
固唾を飲み、合図が出るのをジッと待つ。


「要求は何だい。町の皆に手を出したら承知しないよ……海山賊頭領、シークエンド」


サーベルに手をかけたシェンリィが、忌々しく男の名を初めて口にした瞬間、
シークエンドと呼ばれた男はこちらが見惚れるほど嬉しそうに破顔一笑した。






Copyright (c) 2008 rio All rights reserved.