● 唐紅の記憶  ●





「よし、これで大丈夫よね」

カインに催促され逃げ惑う人々を誘導し終えたエリーナは、肺が空になるほど大きな溜息
を一つ零した。ハーティス港の入口に逃げ込んだ者が溢れ返っており、逆に収集がつかな
い状態であるが、待機していたフィラインが混乱する人々を安心させるよう、笑顔を浮か
べながら懸命に宥めている。それに加わろうかと思うが、自分の体力のなさに思わず肩を
落としたくなったエリーナは力なくその場に座り込む。

(あとはカインたちの帰りを待てばいいのよね。シリュウ、無事だといいんだけど)

慌ただしい人の動きをぼんやりと目で追いかけていたエリーナの姿を、町の人を鎮めさせ
ることで必死なフィラインたちは気付いていない。その姿を目にとめようにも、座り込ん
でいるせいで少女の体は完全に消えている。

だから誰も気づかなかった。その背後に誰かが立っていたなんて。







第16話 『男の名はシークエンド』






二本のサーベルと細身の長剣が交差する。

「腕を上げたな、シェンリィ」

黒髪に揺れる間から伺うことができる新緑に胸が躍る。にたり、と形容したくなるような
笑みを湛えたシェンリィの心境は、恋するときめきとは程遠い、好戦的な眼差しであった。
助走をつけて段差からシークエンドの頭上へと飛び降りると、胸の前で交差させていた
サーベルを交互に振り下ろす。双方似たような笑みを浮かべた刹那、金属の交りあった高
い音が耳朶に響く。この音を聞いていると、闘志を燃やしていると感じる一方、生きてい
る心地に浸るのだ。殺し合いは好まない。けれど、この殺伐とした空気は全身が痺れそう
なほどの、言いようのない快感に心が躍り出す。

「あんたこそ、長い間頭領やってるだけはあるじゃないか」

相手の腕力に抗おうと全身の筋肉が震えだす。剣と剣の間だけの距離でシェンリィを見つ
め続けるシークエンドは、相手が敵であるにも関わらずどこか楽しげな雰囲気を醸し出し
ていた。それとは対照的に、シェンリィは苦虫を噛み潰したようなひどく不愉快そうな顔
つきだ。挑戦的な目付きは相変わらずだが、眉間には数本の皺が寄っている。

「もう一度言う。俺の妻になれ、シェンリィ」
「御免、被るね!!」

ぴくり、とこめかみ部分が動いたシェンリィは頬を引き攣らせながら渾身の一撃をシーク
エンドが構えている剣に叩き込む。女の力とは思えないそれに少しよろめいたシークエン
ドであったが、隙を与えぬようにそのままの流れで後ろへ退避する。今にも襲いかかって
きそうなシェンリィを見て、やれやれと大袈裟に肩を竦めたシークエンドは、混雑する港
を他人事のように見回した。

「あっちゃー…思っていた以上にやられるのが早いな」

空いていた左手で頭を掻いたと思いきや、突然盛大な溜息を吐く。突然削がれた戦意に驚
きを隠せないでいるシェンリィは、怪訝そうに目を細めた。その視線は腹の奥底まで探る
ような、抜かりのないものだ。

「…あんた、港を襲ったのは金品強奪や私が目的じゃあないね?」

確信に似た問いにシークエンドが口の端を意味深につり上げる。その不可解な行動にます
ます警戒心を強めた。

「半分当たっちゃあいるが、半分は不正解、だな」
「何を……」

何を言っているのだ、と更に問いただそうとした瞬間。




「薄汚れた手で触るんじゃないよ!この化け物!!」




何かに怯えた老婆の声。弾かれたように声のした方向を視線で追いかければ、慌ただしく
避難する人々の間にポツン、と存在する不自然に目立つ二つの影。

背骨が曲がった年老いた老婆。それを支えようとしていたのか、腕を伸ばしているが嫌悪
感を露にした老婆までたどり着いていない。敵意剥き出しで少年を睨みつけ、距離を取ろ
うと必死に後ずさりしている姿はまるで、老婆が叫んだように、化け物に襲われているか
のよう。叫ばれた少年は唖然と立ち竦んでおり、瞠目して老婆を見下ろしていた。

「シリュウ…っ」

それが家族同然の、長い年月を共に過ごしてきた者だと確認すれば、次に襲いかかるのは
恐怖。だって化け物呼ばわりされたシリュウには、ここに来る際ダイオンが厳重に頭に巻
いた長布がそこにないから。その長布はどうしてなのか老婆が握っている。露になった黒
髪が潮風に揺らめく。この世で忌み嫌われ、その存在さえも疎まれる色がシークエンドと
同じだということに今更気づいたシェンリィは、すぐ傍で剣呑に目を細めて老婆とシリュ
ウを見ていたなんて、微塵も気付かなかった。



左頬がジン、と痛む。熱を持ち始めてようやく打たれたことに気づいたシリュウは、伸ば
していた手を一度見下ろし、静かに頬に手を添えた。

何故こんなことになったのだろうと、ぼんやり考える。見下ろす先にいる者は、恐怖で身
を竦めながらも不愉快だ、と言わんばかりに眉をひそめている。頬に当てていた手をそっ
と、長布が取れてしまった頭に移動させる。一房髪を掴めば、太陽の光に当てられている
というのに変化しない黒髪がそこにあった。

確か、逃げ惑う人々に指示を仰ぎ、避難させていたはずだ。遅れて駆けつけてくれたフィ
ラインの仲間たちに彼らを任せ、他に逃げ遅れた人がいないか散策していた時に、波止場
付近で立ち往生していたお婆さんを見つけて、それで…。
ああそうだ、我を失ったお婆さんが必死に腕を掴んできて、丁度その辺りに長布の先があ
ったから勢いよく引っ張っちゃって。だから、バレてしまったのだ。

「あ、アンタがこいつらを手引きしたんだね!ああ気味が悪い、近づかないでおくれ!」
「ちがっ…!」

ハッと我に返ったシリュウは、委縮しながらも強気に牙をむき続ける老婆へと歩もうとす
る。けれどそれが逆効果であるということを冷静な判断を失ったシリュウはすっかり忘れ
てしまっていた。

「ひ、ヒィ!近づくんじゃないよっ!」

ぎくりと身を震わせた老婆が咄嗟に取った行動は、その年齢と思わせないほど機敏であっ
た。足元にあった小さな石ころを掴んだ老婆は、何の躊躇いもなくそれをシリュウへと投
げつける。それが凶器になるということなど、シリュウを化け物と勝手に解釈してしまっ
た老婆には我が身を守ることが必死で、どうでも良いことであったのだ。

「――――っ!」

避けることなど、簡単であったというのに。

ガツン、と左側の額に直撃したそれに喉を詰まらせるような声を上げる。思いの外衝撃が
強くて片膝をついたシリュウは、一つ瞬きをした瞬間瞼の上から頬へかけてどろりとした
何かが伝うのを直で感じ取った。恐る恐る手を当てれば付着する赤いそれ。まるで己の双
方の目と同じではないかと嘲笑いたくなる。こんな事態になったというのに、頭の中は驚
くほど冴えていて、片隅では余裕さえ感じられるほどであった。

「ばけ、もの…」

傷は深くないだろう、と踏んでいたのだが出血が酷い。止血しなければと思うのだが身体
が完全に硬直していたシリュウは、膝をついたまま視界がぼんやりと滲み始めることにふ
と気づく。何だろう、と首を傾げるが視界がどんどん歪んでいる原因が全く分からない。

「この町から出ておいきっ!」

ふと顔を持ち上げれば、いつの間にかもう一つ石を掴んで再びシリュウに投げつけようと
する老婆の姿が映り込む。シリュウが座り込んでしまったことで威勢を取り戻したのか、
掴んでいる石は先ほどのものよりも少し大きい。それが直撃でもすればもしかすると縫わ
なければならないかもしれない、と再び視線を石造りの道に目を落とし目を伏せたシリュ
ウは、その時に血とは違う生温かいものが零れ落ちたことに気づいていなかった。


「さて、そこまでにしてもらおうか婆さん」


いつまで経っても来ない衝撃を不思議に思い、その隙に攻撃される可能性があるにも関わ
らず伏せていた顔を上げる。雲一つない青空の世界から太陽の日差しが容赦なく降り注ぐ。
あまりの眩しさに目が眩んだシリュウは、色彩こそはっきりしないものの、視界に広がる
人影に瞠目した。

「な、なにするんだいっ!」

老婆の反抗する声、徐々に元に戻り始める色彩に目を細め、シリュウは老婆より遙かに背
の高い一人の男を凝視する。その瞬間に海から寄せてきた潮風が勢いよく襲いかかる。そ
の突風に思わず目を瞑ったシリュウは、次に目を開けた瞬間に広がった漆黒に茫然とした。

「よう。ボロボロになっちまったなぁ、兄弟」

にやり、と口端を持ち上げて目を細めている青年の姿にシリュウは一時思考が停止する。
棚引く漆黒のバンダナが風に遊ばれ、同じく色褪せないカラスに似た色の前髪がはらはら
と揺れ、その間から覗く生き生きとした新緑の瞳がシリュウを見据えていた。こんな晴天
だというのにシリュウと同じく、熱をもろに吸収しそうな黒い衣服を身に纏っているが、
双眸だけ鮮やかな色合いというのもなかなか滑稽である。まるで死神、と称しても何らお
かしくない色合いを占めてはいるが、エキゾチックな雰囲気が漂う男には何を身につけて
も様になっていた。そう、彼もまたシリュウと同じ恐れられている色を持つというのに。

「離せっ、離さないか!」
「うーん。どうするかねぇ」

骨と皮だけのような細い腕を掴まれ持ち上げられていた老婆は、爪先立ちになりながらも
懸命にもがく。当の本人がそう仕出かしているというのに、あたかも今気づいた、と言わ
んばかりに仰天して見せた男は、考える素振りを見せた後、近くでどう動こうか伺ってい
たフィラインの一人に、少々乱暴な扱いで暴れる老婆を引き渡した。一連の流れをぽかん、
と眺めていることしか出来なかったシリュウは、突然目の前にしゃがみこんでこちらの顔
を覗き込んできた男にびくりと過敏に反応する。

「あーあー。まったこれは酷いねぇ。平気か?」
「……あ、んたは」
「俺?海山賊の頭領もといシェンリィの未来の夫シークエンドだ。よろしく、兄弟」
「兄弟?」

未来の夫、という所にも突っ込みたかったのだが、先に疑問に感じるものにはて、と首を
傾げる。そういえば先ほども同じことを言われたような。しかし自分に兄弟がいないこと
などシリュウ自身がよく知っている。誰かと間違えているのではないかと困惑するが、そ
んなことなどお構いなしに、シークエンドはシリュウの黒髪をまるで愛犬を可愛がるかの
ように撫でまわした。動かす方向にぐるぐると揺れるシリュウはあまりの事態についてい
けていない。


「――――離れろ」


敵対同士であるはずなのに和やかな雰囲気さえ感じられていた空気が一瞬にして凍りつく。
ゆっくりとだが力強く撫でられていた手がぴたりと止まったその訳を、シリュウは理解し
た。恐らく無防備に背中を向けているシークエンドも、現れた男の気配はずっと前から気
付いていたのだろう。首筋に剣先を突き付けられているのに、一笑さえ見せる。どこから
湧いてくるのか分からない余裕に、シリュウは固唾を飲み込んだ。

「おっかないねぇ。俺は兄弟を助けただけだぜ?」
「こいつはお前の兄弟じゃない。いいから離れろ」

口答えをした瞬間に首筋にぴり、と痛みが走る。どうやらかなりご立腹の様子だ。腹の奥
底から絞り出したような低い声にシリュウは一度身震いする。駆けつけてきたヒューガの
姿に安堵したが、向けられていないその抑揚の欠けた声が自分に降りかかっているような
錯覚に陥る。シリュウの頭に手を乗せていたままであったシークエンドは、その反応にス
ッと目を細めた。

「……なあ兄弟よ、これはお前の仲間か?だったら趣味悪いぞ」
「は?え…」
「そいつの質問になんぞ答える義理なんかねぇよシリュウ。…おい、マジで斬るぞ」

二人の青年を交互に見やったシリュウは、港を占拠していた時とは違う禍々しい雰囲気に
どうすれば良いのか分からず黙り込む。漸くシリュウの頭から手を離したシークエンドは
ゆっくり立ち上がると、流れるような動きで後ろに振り返る。新緑の瞳が見止めた色は、
雲一つない青空に負けないくらい穏やかな色をした青であった。眉間に数本の皺を寄せて
いるのかと思いきや、その表情は限りなく無に近い。表情という表情が完全に抜け落ちた
ような男を見据え、シークエンドは怯むどころか楽しそうに喉で笑う。

「なぁーに、別に取って食おうってんじゃないんだ。そうカリカリすんな」
「あんたが相手だとカリカリしたくもなるだろうが」

返答は何故か後ろから。おや、と小首を傾げながら首だけを後ろに向けたシークエンドは
いつの間にか近距離までやってきたシェンリィの姿を捉える。その彼女は先ほどシークエ
ンドがしていたようにしゃがみこみ、シリュウの肩を抱いていた。

「師匠…」
「ごめんねシリュウ、もう大丈夫だから泣かないでおくれ」
「泣いてなんか、ないですよ。俺は平気です」

慣れてますから。
最後に呟いた言葉は風に掻き消される。けれど傍にいたシェンリィと、そして背を向けて
いたシークエンドはその言葉を聞き逃さなかった。

「シリュウっ!!」

泣き叫ぶような声に顔を上げたシリュウは、ヒューガが現れた方向から駆けてくるグラン
の姿に少し笑みを浮かべるがまだ表情は硬い。フィラインの間に挟まれたシークエンドは、
やれやれと大きく肩を竦めてみせると、未だ向けられたままの剣を見て溜息を吐いた。

「分が悪いなぁ。俺の部下たちはどうしたってんだ」
「あんな雑魚ども相手になんねぇよ。手前、何考えてやがる」

段々苛立ちを表に浮き上がらせてきたヒューガは、剣呑に目を細めほぼ同じ目線であるシ
ークエンドを睨みつける。後ろで控えているグランも二人の互いの牽制に息を呑む。機嫌
が悪いヒューガも、余裕綽々で笑みを称えているシークエンドもかなりの腕を持つ者だと
気配で感じ取る。嫌な汗が額から流れ落ちる。それを拭うが、高鳴った心臓が静まること
はない。

「そりゃあ海山賊としては不向きな連中が勢揃いだからな。武器を自在に操れなくても
仕方ないってものよ。それに、今回は金目のものが目的じゃあないからな」
「んだと…」
「ま、確かにかの有名な海山賊の暴れ方にしては静かな方だと思ったけど」

胡乱気にシークエンドを見据えるシェンリィは、先ほどまで剣を交えていた時のおかしな
感覚を今一度思い出す。手合わせは本当に久方ぶりだが、シークエンドが本気でかかれば
こちらを不利にさせることは造作もなかったはず。シェンリィを相手にしながらも何かを
探るその視線はとても盗賊とは思えない姿であった。金品が目的ならばこの港を占拠した
と同時に海山賊の船へと積み込むはずだ。わざわざフィラインの到着を待ってから盗みを
働こうとするなど、ありえない話である。

「俺がいい男だってことは分かっちゃあいるが、そこまで見つめられると照れるぜ」
「照れるな頬を染めるな。その頭かち割るよ」

へらり、と少年のようなあどけない笑みを見せるが、都合の良い解釈にシェンリィは頭を
抱えたくなる衝動に駆られた。そうだ、この男は良く言えばポジティブな思考であるが、
人の話を聞かないマイペースな人間なのだ。こんな胡散臭い男に捕まった過去を今すぐ抹
消したいとシェンリィは舌打ちをする。

「―――油断はしない方がいいんじゃないか?」

相変わらず終始笑顔であったシークエンドが、一つ意味ありげな言葉を発した瞬間に増え
る一つの気配。不審な言動にいち早く反応したシェンリィがシリュウを突き飛ばし、腰に
下げてあるサーベルを引き抜く。その直後金属がぶつかり合う音が一つ。腕にずしりと来
る重みに眉をひそめ、風の如く現れた新手にシェンリィはしゃがみこんでいる態勢にも関
わらず、不利である様子など微塵も見せないでいる。

「はっ、舐めたマネしてくれるじゃないか」

交差したままのそれを力の限り弾き返せば、襲いかかってきた者は自然と後ずさる。こち
らの様子を伺ってはいるが、隙のない相手の懐に入ろうとする愚かな行為をしてくる気配
はない。

「あーにきー。俺にフィラインの頭領は荷が重すぎますよー」
「遅かったなぁサルジュ」
「これでもそこそこ急いだんっす。少しは褒めてくださいよ」

海山賊のシンボルともいえようシークエンドと同じ漆黒のバンダナを頭に巻いた男、サル
ジュはもとから細い目を猫のように更に細め、剣を持っている右腕を擦り始める。どうや
ら先ほど弾き返された時の力が予想外に強かったせいか、痺れを感じているようだ。頭領
と言えど女であったことに過信し過ぎていた。

「捕縛された部下は手筈通り解放しましたよ、と」
「そうか、被害状況はどんなもんだ?」
「多少ぼこぼこにされている者もいますけど、死者はいませんねー」
「解放って…あんた、うちの仲間をどうしたんだい?」

既にフィラインが海山賊を抑えたはず。先ほどの老婆もろともハーティス港の入口に避難
させたが、彼らは無事なのだろうか。いやしかし、巨体な魔物が相手でもそう簡単に屈し
ないフィラインが十数人いるというのに、たった一人の男に負けるとは到底考えにくい。

「一人、随分と隙だらけな女を見つけましてね。脅す材料には持って来いっすよ」

助かりました、と微かに笑みを浮かべるサルジュにシリュウはぴくりとこめかみ部分を震
わせる。患部が脈打つ音を感じながらも、それを凌ぐ寒さに身体が硬直し始めた。フィラ
インにも女性は多く存在しているが、隙のある者など誰一人としていない。だとすれば彼
が言った女とは…。いや、もしかすると町の女性なのかもしれない。だから違うんだ。そ
う自分に言い聞かせたシリュウは、速まる鼓動を抑えようと左胸を服の上から掴む。心臓
の動きが掴んだ手にドクドクと伝わった。

「おーい、怪我させないように連れてきてー」

シェンリィに剣先をちらつかせながら海山賊の大船に声を張り上げたサルジュは、甲板か
ら出てきた仲間にニッと口端を上げる。皆がそれを見上げれば、その先にあるものは二つ
の影。大きな帆の影でくっきりと色合いは把握出来ないが、一人は線の細い女性の姿であ
る。


「――――助けて、シリュウっ!!」


見覚えのある姿、聞き馴染んだ声に脳に雷が落とされたような感覚が襲う。力なく膝をつ
いていたが、のろのろと立ち上がりこれでもかと瞠目すれば、視線を移動させて凝視する
先には漆黒のバンダナを巻く男が二人。双方をゆっくりと見比べ、最終的に止まった先は
首謀者であるシークエンドだった。

「エリーナに、何をした……!!」

殺気に似たような眼力で凄まれたシークエンドは、黒髪の間に見える真紅の瞳に喉を鳴ら
す。激情に似たそれは、本来の色より尚濃いようにも見えた。この世で最も忌み嫌われる
色を兼ね備えた少年の風貌は、先ほど老婆に酷い扱いを受け、今にも崩れ落ちそうなほど
揺れていたとは思わせないほど力強い。魔物よりも澄んでいて、額から流れる血よりも鮮
やかなそれに、シークエンドは一瞬見惚れたもののすぐさま食えぬ笑みを浮かべた。

「彼女には事を穏便に解決するための人質になってもらっただけさ」
「今すぐエリーナを離せ!!」
「おっと…。それは兄弟、お前の返答次第だ」

無駄のない動きでシリュウを指差したシークエンドは、その後ろで威嚇するシェンリィと
視線が合うと楽しそうにうっすらと目を細める。しかしそれは一瞬のことで、次に視線が
ぶつかったのは、頭一つ分は小さい痛手を負った少年であった。

「改めて自己紹介をしよう。俺は海山賊頭領、シークエンド・カルデス。
俺の目的は二つ。一つは勿論シェンリィを俺の妻にすること。そしてもう一つは……」

ヒューガが突き付けていた剣を跳ねのけ、シークエンドはシリュウへと近づく。ただそれ
だけだというのに、一歩近づかれるたびに後ずさりしてしまいそうになる衝動を堪え、シ
リュウは果敢に仰ぎ見た。

 
「兄弟、お前を海山賊に招待するためだ」


穏やかとも挑戦的とも言える新緑の瞳に捉われたシリュウは息を詰まらせる。映し出され
たその姿に、それまで浮かべられていた笑顔は一掃されていた。










 
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