● 唐紅の記憶  ●




第2話 『トレジャーハンターの男』


 念のため町で一泊したシリュウは、日が昇る前に枯れ果てた町ロザンタを後にし、急ぎ足で目的地クロスピル遺跡へ向かっていた。相棒ともいえる剣の手入れは昨日の夜のうちに十分に済ませたため、不備はない。朝食も適当に取ったので腹具合もちょうど良かった。

「うわ、あ」

 小高い丘を登りきった瞬間に見えたのは、東の地平線から覗く朝焼け。赤と青を帯びた絶妙な色合いが幻想的で、思わず感嘆が漏れたシリュウは懐かしそうに目を細める。
 幼い頃に見慣れていた風景だったはずなのに、今では思い出の中でしか残っていない。時が止まったかのように、シリュウの中では全てが硬直していた。それがいつの日にか色鮮やかに変化するだろうと、まだ幼かった無知の頃は手の平に満ちないほどの可能性を信じていたのだ。

「……行こう」

 誰かがいるわけでもないのに、ぽつりと呟き踵を返す。またいつもと変わらぬ一日が、今日も始まるのだ。

 
 ロザンタの町からクロスピル遺跡までそう時間はかからない。それ故に魔物が生息しやすい遺跡の近くは、一般的な町よりも警戒が強かった。紛争が起きたことが直接の原因なのであろうが、それ全てが砂漠化につながるわけではないのだろう。
 遺跡の周囲を確認したシリュウは、入口へと足を進ませる。だが白い大きな岩がごろごろと転がっているため、なかなか奥に進むことが出来ない。まるで行く手を阻むかのような圧迫感に、一瞬気押しされそうになる。
 その岩を上手く掻い潜り、時には狭い道を挟まれないようにしてようやく辿り着いた時には、言いようのない疲労感がドッと溢れ出た。放置されている場所とは聞いていたが、ここまで荒れているとなると、確かに人など寄るはずがないと頷ける。
 閑散とした遺跡の周辺に気を配りながら、シリュウは足元にある歪な物を見つけた。色は白い。少し前の自分ならば、これは何だろうと拾い上げていたが、今はそれさえも無視して脇目も振らず目的地へ黙々と歩き続ける。
 あれは骨だ。大多数が魔物なのだろうが、それに紛れて人骨まで存在していたのをシリュウは視界の端で確認した。ならば、ここはやはり危険なのだろう。未熟な者が魔物の餌食になることは、この世界では何一つおかしくないことだ。弱きものは強きものに食われる。それが世の常なのだから。

 細い入り口を屈んで潜り、いよいよ遺跡の内部へと進入する。最初はその狭さに思わず眉をひそめたが、少し歩くと辺りは一変し、広々とした空間がシリュウを待っていた。外気に触れていないせいか、遺跡の中は凍えるほど寒い。無意識に腕をさすったシリュウは、ふと目の前に広がる光景に息を呑んだ。
 神に祈りを捧げる形の天使の彫刻が、四方に鎮座している。数百年の時を経ているのか、その色はどこかくすんでいるが考古学に関してど素人であるシリュウでさえも、それがどれほど価値のあるものかは一見して判断することが出来た。
 中央の土台に威圧感を漂わせながら剣を高々と掲げ上げている彫刻は、恐らく歴史に残る英雄か何かなのだろう。だが如何せん、そういった知識が乏しいシリュウには、価値の判断がある程度出来てもこれが誰だったのか、一体いつの時代のものなのかはさっぱりであった。
 シリュウの頭の中にある学といえば、自然の中で生きる力、共存していくための方法。あとは、どうやったら草笛が吹けるとか、野菜の一番美味い食べ方とか。正直旅にはどうでも良い知識ぐらいが無駄に豊富に詰め込まれている。

「それにしても、随分と荒れてるな」
 
 素人から見ても見事な彫刻であることは変わりないのだが、翼をもぎ取られた物もあれば半壊しているのもある。勇猛果敢に武器を掲げている英雄の武器さえも、無残に折られていた。とても穏やかな空気とは言えない。
 一体誰が、と逡巡するが、最近入った盗賊だろうと一人で勝手に納得する。

「とはいうものの、酷いなこれ」

 荒れているものは彫刻だけではなかった。所々に飛び散っている赤い点の数々に、眉間に皺を寄せる。既に酸化しているせいで酷く黒味を帯びているが、それが何だったのかなど容易に思いつく。しかしこれら全てが魔物のものなのか、それとも人間のものであるのかは判別しにくかった。
 こればかりは盗賊の仕業とは言い切れない。何故なら無残に骨が転がっているのは決して人骨ばかりではないからだ。
 腐敗している死骸の鼻につくような臭いに、シリュウは鼻を押さえて顔をしかめた。恐る恐る異臭を放つ魔物の死骸に近づく。まさかこの状態で生きているとは思えないが、腰に下げている剣に手を触れたまま、決して離そうとしなかった。

(剣の傷じゃない。これは……)

「斧?」
 
 死骸に群がっていたハエを素手で適当に追いやり、傷口をジッと観察する。どうやら魔物同士の殺し合いではなかったようだが、退治とは到底思えないほどの残虐さに吐き気を覚えずにはいられない。切り刻まれている傷の数は軽く十を超えていた。
 相手をいたぶることに執着しているのか、傷の多さに対して致命傷と言える傷がない。獲物が斧ということにも興味を寄せられるが、斧使いとなれば扱える人物はかなり絞ることが出来る。重量にもよるが、女子供が斧を愛用するケースは極めて少ない。そんな獲物を使おうものならそれ相応の筋肉を必要とするからだ。
 凝固した血液がシリュウの手に付着する。一瞬嫌そうに顔を歪めてみせたシリュウは、黙ってそれを剥がす。そしてそろそろ奥に行こうか、と腰を上げた瞬間に、背中に感じる殺気に一瞬肩を震わせた。

「くそっ、こんな場所で!」
 
 まさかこんな所で襲われるとは思っても見なかったシリュウは、即座に剣を抜き殺気のする方向へ向き直る。気配は人のものではない。ここに生息している、後ろにいる腐敗した魔物と同じものだ。
 暗闇の中に覗くぎらぎらとした赤い瞳が二つ伺える。それも一匹や二匹程度ではない。囲まれたら終わりだと言わんばかりの数がそこに群がっていた。

「タイミング、悪すぎだろ?」

 ひくり、と頬をひきつらせたシリュウは、嫌な予感がして後ろで腐敗している魔物にそろりと振り返る。背には死骸。目前には同じ種類の魔物。
 要するに、今殺気を向けている魔物は、シリュウが後ろで死んでいる魔物を殺したと思っているのだ。沸々と弁解したい気持ちが込み上がってくるが、魔物に人間の言葉など通用するはずがない。理不尽だ、と腹の底で叫ぶが意味がないことだった。

(数は五匹。俺より小さい背丈だけど、多分ドラゴンの一種だよな?)

 こんなことになるのならもっと魔物について調べておけば良かった、と後悔するが既に後の祭り。大きさが微妙なので、ドラゴンの子供なのか、はたまた巨大トカゲの一種なのか見当がつかない。しかし、もしドラゴンだとすれば、奴らが火を吐く可能性は十分に考えられる。それが一匹ずつであるのなら何とかかわすことは可能だろうが、一斉放火された時には死を覚悟したほうが良いかもしれない。
知らず、ごくりと固唾を呑み込んだ。

「……って、俺はまだ死ねないんだよ!!」

 こんな薄暗い所で死ぬのは御免だ。そう叫び、先手必勝と言わんばかりに勢いよくシリュウは駆け出した。見事に手入れの行き届いている剣を持つ手を代え、切り込む形に変える。

「―――はぁっ!!」

 先頭を切って歩いていた魔物に、まず横一線。耳障りな悲鳴と共に、噴出した血飛沫がシリュウの腕を汚す。そのまま二、三歩下がり、瞬時に体勢を整え再び斬りかかる。仲間の悲鳴に怒りを見せた魔物が、大きく唸り声を上げる。シリュウより明らかに重いその体を利用して、捨て身と言わんばかりの勢いで体当たりを試みる。慌ててそれをかわすが、思いのほか素早い次の一手に反応し損ね、直に魔物の攻撃を食らった。

「ぐあっ!」

 どこにそんな力があるのだ、と言いたくなるような馬鹿力で吹き飛ばされたシリュウは壁に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まった感覚を味わう。次に襲ってきたのは呼吸さえ難しくなるほどのむせ返り。
 咄嗟に受身を取っていたおかげで大事に至らなかったが、背中に受けた衝撃は想像以上に大きかった。上手く呼吸が出来るので肺に異常はないだろうが、俊敏に起き上がることが出来ない。それでも、この状況で剣を落とさなかった自分を褒めてやりたくなった。

「ぅ、ぐ……こ、のっ!」

 何度も咳き込みながらようやく体を起こしたシリュウは、覚束ない足取りであるにも関わらず再び剣を構える。僅かに見せた怒りのせいか、独特の赤い瞳が更に深みを増す。目の前にいる魔物の赤の瞳となど比べ物にならないほど、それは鮮麗であった。
 一匹の魔物が爪を剥き出し、大きく振り上げようとする。背中には壁、目前には魔物。最悪な挟み撃ちに青褪めるどころか、シリュウは腰を下げ、魔物の懐に入ると剣先を腹に突き刺し、抉るように斜め横に引き裂いた。

「だぁぁぁあああっ!!」

 シリュウの叫び声と魔物の断末魔の叫び声が響いたのは、ほぼ同時だった。グッと力を入れれば、噴出する鮮血。切り込みから覗く臓器を薙ぎ払い、ようやく視界から消えた魔物に安堵しつつも、刺さったままの剣を引き抜く、血と脂にまみれたそれを一度大きく振り下ろし、邪魔なものを最低限飛ばす。
 顔や衣服にべっとりついた血は吐き気を覚えそうなほど生々しいが、それが鮮明に映し出されないのはシリュウが地味な色合いの服を着ているからだろう。
 仲間が一匹事切れたことに怒り狂ったのか、残りの四匹が一斉に雄叫びを上げ襲い掛かってくる。図体より小さい羽を動かし飛んでくるそれに、呆然と立ち尽くしたシリュウは一瞬我を忘れた。

「えー……空を飛べるなんて、反則だろ……」

 空からの攻撃が二匹。地上からの攻撃が二匹。あまりに分が悪すぎる状況だ。息を整える暇さえ与えられず、まず地上の魔物が一斉に爪を振り下ろした。あんなものに掠りでもしてしまえば、たちまち血飛沫が飛び大量の血が流れるだろう。おまけに得体の知れぬ魔物の爪なのだ。どんな細菌が含まれているのか定かではない。下手をすれば致死に至る場合だってある。何としてでもここから打破しなければ。
 魔物の一撃を逃れたシリュウはそのまま駆け出し、英雄の彫刻の後ろに身を潜ませる。ああなんて罰当たりな、と心の中で後悔の念に駆られていると、隠れている彫刻の両端からドッと炎が噴き出した。ギクリと身を硬くして縮まったシリュウは、予想していた範疇のことであったにもかかわらずギョッと目を剥く。

(何とか、せめてあと一匹でも倒せれば)

 攻めるとなれば無難に地上の魔物だろうが、予想以上に空の魔物の移動速度が速い。これでは、対峙して隙を見つけた瞬間に挟み撃ちにされてしまうのが落ちだろう。
 先ほど切り倒した魔物の血と脂が残っている剣の柄を握り直す。敵はすぐそこだと言うのに打破する策が見当たらない。

(くそっ、一体どうすれば……!)

 盛大に舌打ちをした刹那、ゴッという音が背中越しに響く。ビクリと肩を揺らしたシリュウは、背もたれとして利用していた英雄の彫刻が不自然に揺れているのに気づき、咄嗟に振り返る。

「―――なっ!」

 唖然としていると、彫刻の影がぐらぐらと傾きだした。何故こんなことになっている、と混乱する頭の中で、冷静なもう一人の自分が告げる。魔物が体当たりしているのだと。

 どこかで亀裂が入るような音が聞こえた。本能が逃げろと警鐘を鳴らしだす。

 影がこちらに倒れてきたのと同時に、小さな鞄と剣を抱え直し猫のように丸くなり飛び退く。ズン、と僅かに振動が伝わった瞬間、土埃が瞬く間に辺りに広がった。すかさず口元を手で覆ったシリュウは、しめたと言わんばかりに俊敏に動き出す。先ほどまでの追い込まれた様子が嘘のように、今のシリュウには迷いがない。

(闇に乗じて、ってわけじゃないけどね)

 思いがけない幸運に頬が緩んだシリュウは、殺気を抑え視界が最悪な世界を掻い潜る。お粗末にも前方からはバタンバタン、と何かを叩きつけている音が何度も聞こえていた。あれは魔物の尻尾だろう。
 手を伸ばす距離ならば何とか見える。自分の背丈とそう変わらない魔物の後ろを取ったシリュウは、躊躇することなく剣を振り下ろす。そして、濁音の混じった叫び声がこの一帯を包み込む。仲間の異変に気付いた他の魔物が同じく咆哮をあげた。

「くっ、こ……のぉ!!」

 魔物の肉を切り裂く。が、どうも入った角度が悪かったのかなかなか抜けない。おまけに致命傷であるくせにまだ事切れないせいで、貫かれたままの魔物は尋常ではない力で暴れだす始末。今のシリュウはそれに振り落とされないことで必死であった。
 溢れ出す血飛沫がシリュウの目に襲いかかる。そうはさせまいと目を瞑るのだが、一瞬でも剣から目を離してしまったことに後で後悔することとなる。

「ぅ、え―――!?」

 気付いたときには、己の体は宙に浮いていた。いや、かなりの速度で飛ばされていた。先ほどまで握っていた武器は存在していない。魔物に突き刺さったまま吹き飛ばされたのだ。
 回る世界に悲鳴らしい悲鳴も上げられず、シリュウは咄嗟に身を固めた。次に来る衝撃を少しでも弱めるために。
 ああ、どうかぶつかった衝撃で骨が折れて肺に突き刺さりませんように。内臓があちこちに移動しているような浮遊感を味わいながら、シリュウは呑気に、だが切実に願っていた。


「――――まだまだ、だな。ギリで五十点ぐらいか」


 きっと痛いんだろうなぁ、またむせ返るんだろうなぁ、と、ネガティブになっていたシリュウに与えられたのは、冷たい壁の感触だとか、息が止まるほどの衝撃ではなかった。寧ろ壁だと信じていたはずのそれは温かく、しまいには動いてさえいるのだ。
 明らかにおかしいと気付いたのは、肩と腹の辺りにある何か。これは壁じゃない、と確信したのは、先ほどの声が頭上から降ってきた時だった。

「え……?」
「ったく。お前この遺跡を一人で攻略しようだなんて無謀だぞ、無謀!」
「え、いや」
「ま、最初の先制は良いと思うぜ?多少なりとも相手を怯ませたんだからな」
「あの」
「それにしちゃあ二回も吹き飛ばされてるなんておもしろ、いやいや詰めが甘いな。もしかして見かけ以上に体力ないとか……ああ実は博愛主義者だったりするのか?」
「い、いい加減に離せっ!!」

 恐る恐る見上げると、そこにあるのは見慣れぬ、だがあまりに気安く話しかける男の顔。しかも悠長に笑っているときた。何が面白いのかは全く理解出来ないのだが、この非常時にケラケラと笑える図太さはそれほど腕っぷしが良いのか、それともただ単に馬鹿であるかのどちらかだ。
 すっかり男のペースに嵌っていたシリュウはハッと我に返り、がっちり拘束されていた男の腕を振り落とす。いや、この場合この男が壁にぶつかる直前で受け止めてくれたのだから拘束と表現するにはあまりにも失礼なのだが、失礼なことを言っているような気がしていたのでそれはチャラだ。勿論感謝はしていること前提であるが、どうも気に障る。

「くくっ、威勢が良いねぇ」
「……助けてくれて、どうもありがとうございました」
「今度は素っ気ないときたか」

 にやにやと笑う男に警戒心を剥き出しにしているシリュウは、胡乱気に眉をひそめた。魔物と人間、どちらを信じるかと言えばやはり人間になるのだが、如何せん、この男が信用に値するかどうか分からない。あまりに判断材料が足りなさすぎる。

「警戒するなとは言わねえよ。けど、こいつら先に片付けてからってのも悪くないだろ?」
「……協力してくれますか?」
「任せときな。俺と一緒ならこんな雑魚あっという間だぜ」

 もっともらしいことを言っているが、先ほどシリュウが戦っていた時の状況を点数まで付けて解説していたのだ。ならば、その時からこの男はこの遺跡に身を潜ませていたということになる。

「孤高のトレジャーハンター、いざ参る!」

 自分のことを孤高と宣言する少々痛い男を前にして、もしかしたら協力するのは間違いだったのかもしれないと、心の中でシリュウは項垂れた。




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