● 唐紅の記憶  ●




「な、俺と一緒だとあっという間だろ?」



第3話 『自己紹介』



 両手で握っていた柄を右手で持ち直し、シリュウは呆れたように周辺を見回した。

「軽い準備運動程度だったなぁ。あー肩凝る」

 準備運動程度でどうして肩が凝るのかが分からない。思わずこめかみを押さえたシリュウは、目の前で肩をベキバキと鳴らしている男をギロリと見据えた。
 例えるなら猫。先ほどから警戒心を剥き出しているシリュウは、胡散臭そうに男の姿を追う。

「そっちは無事か…って聞くまででもないか」

 今度は腕を揉み解し始めた男は、不穏な空気を漂わせているシリュウとは違い爽やかだった。
 ずかずかと近寄ってくる男に、未だ警戒心が解けないシリュウはそのまま後ろへ下がる。それを見て首を傾げた男は、暫し瞬きをした後に困ったような笑みを浮かべて頬を掻いた。

「わりぃわりぃ。でもそう警戒すんなって」
「……助かりました。ありがとう」
「おお、ちゃんと礼が言えるってことは捻くれてるガキじゃないんだな。エライな坊主」
「それじゃあ、俺は先に行くんで」

 げんなりとした様子で荷物を肩に担いだシリュウは軽く会釈すると、腰に剣を携え、失った分の時間を取り戻そうと奥へと進む。正直これ以上この正体不明の男と関わりあいたくなかった。
 言葉遣いは丁寧であるが、シリュウの目は相手を探っていてどこか冷たい。そんなシリュウの言動に一瞬きょとんとした男は、慌てて駆け寄っていた。いきなり肩を掴まれて驚いたシリュウは、赤色の目を見開いて振り返る。

「………何ですか?」
「お前この奥行くんだろ?だったら一緒に行こうぜ。俺も行く途中だったんだ」
「何で、見ず知らずの貴方と…」

 あくまで単独行動を貫きたいのか、シリュウは訝しげに眉をひそめるだけだ。それでも諦めずに食いかかってくる男は肩を掴んだまま離そうとしない。身長差や体格差がある分、振り解こうにも振り解けない状態だった。
 どう対処して良いか分からず困惑しだしたシリュウは、ついに諦めたように投げやりな溜息を吐いた。

「あ、そう言えば自己紹介がまだだったな。俺はヒューガ。ヒューガ・ディスタンス。これでも一応トレジャーハンターだ」
「……シリュウ・アンデリオです」
「あー……その堅苦しい喋り方はなしにしようぜ?確かに俺のほうが年上だけど、どっちかっつーと俺は友好的な方が好きだし。ざっくりした関係でいこうぜ!」

 掴まれていた手はいつの間にかシリュウの頭に乗っかっていた。おまけに犬を相手にしているかのように、ぐしゃぐしゃと撫で回すものだからいい加減鬱陶しい。あからさまに嫌そうな視線を向けるが、けらけらと笑うだけで謝罪の一つさえ男の口からは飛んでこない。

「それ、前言撤回なしだよ?」
「男に二言はねぇ」

 ドッと疲れを感じなが、シリュウは目の前の男、ヒューガを見上げた。軽いノリとは裏腹に見た目は清楚に見える。詐欺だ。
 紺に近い青の髪に、それと似た双眸は全てを洗礼しそうなほど澄んでいる。同じく身にまとっている衣服も青を基調としており、どこか涼しげにも見えた。しかし唯一衣をまとっていない顔と剥き出しの肩は、健康的に焼けていたため外見はそう寒そうには見えなかった。左耳にある赤い宝石が埋め込まれたピアスが印象的なのは、彼が真っ青に染まっているからだろう。育ち盛りと信じたいシリュウの身長より頭一つ分ほど高いそれを見上げるのは正直辛い。どちらかと言うと小柄なシリュウは、男性の平均身長を弱冠下回っているので、せめて大台に乗りたいと日々奮闘中だった。

「分かった。一緒に行こう。……そうしてもらえると正直助かる」
「だろ?てか、さっきまであんなに警戒心剥き出しだったのに、やけに素直じゃねーか」
「図に乗るなよ。まだ俺はあんたを信用してないんだから」
「あんたじゃなくてヒューガ、な」

 人懐っこい笑みを浮かべて本当に嬉しそうにしている姿を見てしまっては、邪険に扱うことが出来ない。表裏がなさそうな顔に、いくらか折れた様子のシリュウは仕方がない、と言わんばかりに肩をすくめてみせた。
 だが、この男の緊張感のない笑顔に毒気を抜かれたことは確かだ。きっと、彼はいきなり刺しかかってくるような敵ではない。そもそも金目のものを持っていない子供など対象外だ。自分の勘を信じてみるのもありだろう。

「よろしく、ヒューガ」

 思わず苦笑が漏れたのは、きっとヒューガに子供っぽい所があるからに違いない。



「しっかし、よく一人でこんな所に来ようと思ったな」

 適当に挨拶を済ませた二人は、湿った空気が漂う通路を歩いていた。お世辞にも喋るのが得意と言えないシリュウは、数秒おきに話題を振ってくるヒューガの問いに、答えられる範囲で、だが律儀に反応を返す。
遺跡の見取り図と格闘していたシリュウは、ふと顔を持ち上げ、不思議そうに先ほどヒューガがぼやいた言葉に首を傾げる。

「だって一人旅だし」
「そうは言ってもな、酒場やギルドには似たような奴がいくらでもいただろ?こういった入り組んだ場所を攻略するには期間限定の相棒と共に行動するのが常識だぜ?生半可な力だと命尽きるってのもザラだしな」
「いや、それはまあ、そうなんだけど」

 歯切れの悪い言葉におや、とヒューガが目を細める。露骨に視線を逸らしたシリュウはばつが悪いのか、急にそっぽを向いてしまった。初めて見せた子供らしい仕草に察しがついたのか途端にヒューガはにやり、と形容したくなるような意地の悪い顔を見せた。

「さてはお前、口下手だな」
「…………」

 シリュウの回答は沈黙。つまり肯定だ。そんな姿に、ヒューガはおもむろに黒い頭を数回撫でる。しかもぐしゃぐしゃと。一体何がしたいのだ、と問い詰めたい衝動に駆られながらも、シリュウは甘んじてその行為を受け止めていた。決して良い気にはならないが、だからと言って悪い気になるわけでもない。一言で言えばそう、複雑なのだ。

「ま、俺と出逢ったことに運命感じておけよ」
「……それはそれで嫌だな」

 口にするつもりはなかったが、思わず本音が零れてしまい口元を押さえる。案の定、ヒューガは拗ねた気配を隠すことなく、据わったような目つきでこちらを睨め付けていた。勿論腹を立てているとか、そういった類のものではないことは分かっているのだが、どうも気まずい。
 見かけは爽やか系の青年だと言うのに、一度口を開くと出てくる言葉は無邪気そのもの。今の所表裏一体の言動で非常に好感が持てるのだが、その分どうもノリが軽い。それがヒューガの気質だと分かってはいるものの、こういった性質と相手をすることが全くと言っていいほどなかったシリュウにとって、ヒューガという人物は困惑の対象にしかならなかった。

「ご、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ」

 気さくに話しかけてくれる相手を無下にすることは忍びない。しかし、警戒して越したことはないのもまた事実。猫を被っている可能性だって否定できないのだから、付き合いは最小限だけで良い。

「気にしてねーよ」

 困った顔をうつ伏せて謝罪するシリュウにきょとんとしたヒューガは、何度も瞬きした後満足そうにうんうんと首を縦に振り始めた。どうやらご機嫌は取れたらしい。

「さて、次はどの道行くんだ?」

 仕切り直すように大袈裟に明るい声を出したヒューガは、シリュウが持っている地図を覗き込んだ。既に数時間歩いている。これまでの経験上、そろそろ最深部に着いてもおかしくない頃合だ。
 この間に見掛け倒しの図体だけがでかい、虫に似た魔物と数回戦ったのだが、一人増えたこともありいつもよりも順調に進むことが出来た。

「今ここだから、次は左かな」
「ふんふん。あー俺って地図読むの苦手だからお前いると助かるわ」
「そ、それでよくトレジャーハンターなんかやってこれたね」

 思わず顔を引き攣らせたシリュウは呆れた視線をヒューガに向けた。地図を読めずに遺跡の中に入るのは些か無謀すぎる。よく死ななかったものだと違う意味で彼を賞賛したい。 
 そんなことを考えていることに欠片も気付いていない様子のヒューガは、地図から顔を上げたシリュウの顔をジッと見つめる。

「な、なに?」

 居心地が悪く感じてきたシリュウはふい、とあらぬ方向を見る。誰だって顔を凝視されれば少なからず恥ずかしいものだが、シリュウの反応はそれに似ているようで、実は異なっている。それに気付いたシリュウは、ひやりとしたものが背中を伝ったのに気付いた。

「―――綺麗だな、お前のその目」

 その、と指したものは、シリュウの双眸だった。けれど予想していた言葉とは全くの真逆で、意表を突かれたシリュウは驚いて瞠目した。そしてようやく思い返す。一人旅だからと、遺跡の中で長布を取ってしまったことを。

「まるで宝石でもはめ込めたみたいだなぁ。さしずめガーネットってところか」
「……怖く、ないのか?」

 敵視するような視線を向けたシリュウは、探られないよう気配を鋭くする。それを怯えと取ったのか、ヒューガの表情はどこか余裕を感じさせられるものだった。腹の底が伺えない、ある意味無垢なほどの微笑みに、たじろがずにはいられない。

「なんで?」

 返ってきた言葉は飄々としていて、どこか無責任にも取れるような簡単なもの。分かってやっているのか、はたまた天然の要素が入っているのか。どちらにせよ、出会って数時間しか経っていない相手の本質など見抜くことが出来るはずもない。

「最初戦った魔物と同じ眼だ。…普通なら気味悪いだろう?」

 それなのにこの男は、あろうことかこの双眸を宝石のようだと謳うのだ。言われたことのない言葉に背中の辺りが痒く感じる。どう反応すれば良いかも分からない。
 化け物だとか、気味が悪いと散々言われてきた中に現れた、突拍子のない言葉。けれど何故か、その一言で重苦しかった心が軽く感じられたのだ。

「魔物の眼とお前の目は違う。……お前のそれは澄んでいて綺麗だからな」

 まるで自分のことのように力説する姿に、シリュウは唖然とした。それからヒューガの言葉を頭の中で何度も反復し、理解した途端、一気に頬に朱色が差す。

「……あ、ありが、と」

 不意を突かれた台詞に動揺を隠せないシリュウは、床を見つめたままぽつりと呟く。それが照れ隠しであることに気付いているヒューガは、おう、と一つ返事をした。
 ようやく我に返った時のシリュウの顔といえば、臭い台詞を言われた時よりも更に赤面していた。遺跡の中はどちらかと言うと肌寒いはずなのに、一向に火照った熱は引く気配を見せない。だがこのままヒューガに先を行かれてははぐれることは間違いないので、仕方なくそのままの状態で、けれど少し俯き加減に歩く速度を上げた

(変なやつ)

 あれは、初対面の相手に言う台詞ではないだろう。

「よし、行こうぜ」
「ちょっと待った。松明を一つ消しておこう」

 左の道は右の道と比べて狭くなっているため、二つも松明を持っているのは少々危険だ。風もほとんど吹いていないので、このまま順調に行けばすぐに目的地である最深部に達することが出来るだろう。先頭を歩く気で満々なヒューガの松明はそのままで残し、シリュウは自分の松明を手際良く消した。

「そういえばシリュウ、お前この遺跡に何の用なんだ?」

 ふと、ヒューガは思い出した様子で尋ねる。松明を持ち、先頭を歩いている身であるため振り返ることはなかったが、十中八九彼は眉間にしわを寄せ、不思議そうに顔を歪ませていることだろう。トレジャーハンターや研究者などでなければ、誰が好き好んでこんな場所に入り込むだろうか。旅人と言うものは何を生業にしているかは問わず、死と隣りあわせで生きている。だから必要以上に危険な場所になど足を運びたくないものなのだ。
 しかし、まだ少年の域を超えていない上、一人旅であるシリュウがこんな場所へ訪れるなど、トレジャーハンターであるヒューガにとって不思議で仕方のないことであった。

「………さがしもの」
「は?」
「ちょっと、さがしているものがあるんだ」
「この遺跡にかぁ?」

 胡散臭そうに遺跡をぐるりと見回したヒューガは前を向いたまま首を傾げる。

「この遺跡にあるかは分からない。もうないかもしれないし」
「それって物?人?」
「……さあ。強いて言えばどっちも、かな」

 語尾を濁らせるシリュウは少しだけ唇を噛んだ。振り返らないヒューガにホッと胸を撫で下ろす。

「……そっか、見つかるといいな、それ」
「え?」
「何か訳ありっぽいしなぁお前。ま、そんな年で一人旅をしている時点で家出か訳ありかのどっちかだとは踏んでいたんだが………そうか、後者か」
「聞かない、のか?」

 一人で頷いているヒューガに呆然とその光景を見ていたシリュウは、咄嗟に出てしまった言葉にハッと口を塞ぐ。聞き返すつもりはなかった。本当に無意識だった。

「お前が話したいって本当に思うなら、聞くぜ?」

 追及するかと思えば、そうしない。ちぐはぐな男の本質が、ますます分からなくなる。

(本当に、変なやつ)

「お、開けてきたぞ」

 それまで明るかった道が一気に暗さを増す。慌てて地図を確認すれば、そこは最深部であった。
 細道で魔物と遭遇しなかったのは幸いだった。あんな場所で襲われでもしたら、敵味方関係なく、両者共に倒れる可能性が高い。真っ先に祭壇の方へ駆けていったヒューガを尻目に、シリュウはぼんやりとその姿を追いかけていた。

(ヒューガ・ディスタンス、か)

「……変なやつ」

 今日何回目か分からない溜息を吐き、呆れた顔を浮かべてシリュウは祭壇へと近づく。手馴れた様子であちらこちらを触るが、状態は芳しくない。無意識に眉間にしわを寄せたシリュウは、まだ祭壇の手前で何かをいじっているヒューガを追い越し、数メートルある階段をと上り始めた。それから、頂上に安置されている金細工で装飾された小さな箱に手を触れた。

「手遅れ、かぁ」

 鍵を無理にこじ開けられたせいで箱は歪な形に変形している。勿論シリュウは手を加えていない。発見したその時から、箱はこの状態であった。深く溜息を吐き、元の位置へ箱を戻したシリュウは祭壇の上から下を見下ろす。それに気付いたヒューガが「収穫なし」と残念そうに肩をすくめてみせた。

「こりゃ酷い有様だ。何だっけ、盗賊が入ったんだろ?」
「『カーマイン』。最近そこら中の遺跡の財宝を掘り起こしては破壊していく賊さ」
「はっはーん。俺たちトレジャーハンターにとっちゃ目の敵ってことだな」
「……俺はもう戻る。次の遺跡に急がなくちゃならないから」

 すっかり興味の失せたシリュウは荷物を担ぎ上げ、新たな松明を作ると来た道を戻りはじめる。その無駄のなさに呆気にとられていたヒューガがハッと我に返ると、慌てて自分の荷物をまとめ当然のようにシリュウの横に並んだ。

「……何でついてくるのさ」
「いやだって、俺も収穫ゼロだから次の場所に急ぎたいし」
「あんたは金魚の糞か」

 べったりとついてくる男を胡乱気に見やったシリュウは、既に呆れさえ通り越していて溜息も吐けなかった。それに反してにこにことご機嫌で隣を歩くヒューガは一体何が楽しいのか、カーマインに金品を奪われていたにもかかわらず終始笑顔だ。

「まあ出口までだし、それなら」
「ああシリュウ、次お前どこ行くの?」
「……ヒューガこそ、どこ行くんだ?」

 何故だろう、嫌な予感しかしないのだ。
 無意識に後ずさりしたシリュウに、ヒューガはちっとも傷ついていないくせに拗ねたような顔をしてみせる。その手には乗るものか、と警戒するが、それを無視してヒューガは一緒に言ってみよう、と催促してきた。お前は子供か、と罵倒したくなる気持ちをグッと抑え、シリュウはそれに小さく頷く。どうせ、出口までの付き合いなのだ。

「せーの」

「「アーク遺跡」」

 途端にシリュウの顔が引き攣ったのは言うまでもない。




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