● 唐紅の記憶  ●



一つ一つの装飾が繊細できめ細やかな作りであるシャンデリアを頭上にしながら、一体幾
つ目の飾りを通り過ぎたのかは定かではない。
真っ赤な絨毯が敷き詰められた部屋は、虫一匹どころか埃一つさえ見当たらない。まるで
この場所だけ隔離されたような神聖な空気はどこか重く、一度呼吸を躊躇う。それは、こ
の場が一般的にかけ離れた造りになっているだけではない。
固唾を呑み込み顎を引いたエリーナは、奥の玉座に座っている男を見据える。それから大
股に、だがゆっくりと闊歩し、室内全体を覆う畏怖を払いのけるように精一杯胸を張る。

腕を組みエリーナの様子をジッと見下ろしていた男が、長いスカートの裾を少しだけ持ち
上げ両膝をついた少女に目を細める。そして、少女の傍らから一定の距離を保ちながらも
決して離れなかった男が、一呼吸おいて片膝を折り、頭を下げた。
二人の様子に一つ頷いた男は、両端に控える腹心の部下に目配せをし、少女たちに対する
突き刺す雰囲気を和らげる。流れが変わったことに気付いたのか、ぴくりと僅かに反応し
た少女の纏う雰囲気は、途端に安堵に満ちたものに染まっていった。
そんな怯え様を見抜いていた男は、クッと気付かれぬよう小さく笑うと、それまで真一文
字に結んでいた唇を緩ませる。

「――――久方ぶりだな、エリーナ・ファイナンス」

遠い遠い再会に、玉座に座っていた一国の王であるバリモント・ウィラ・アルエリータは、
まるで娘を相手するかのように、懐かしげに目元を下げた。



第42話 『姿見えぬ敵』



許された者でなければ何者の侵入を許さぬ重厚な扉を開けたあとは、頼りない華奢な少女
の背を追いかけるだけだった。けれど、何も出来ない非力さの代わりに、自分には到底得
ることのない力を持っていることを、カインは身に沁みて感じていた。
敬愛する少女の背を眩しげに見つめ、完璧な作法を全うしてみせた彼女を誇らしげに思い
ながらも、カインは突き刺さるような視線に多少の苛立ちを覚えていた。
向けられる視線は、侮蔑でもなければ値踏みでもない。けれど、舐めるように露骨に凝視
されでもすれば、誰もが身を捩りたくもなるだろう。
もしこれが初対面の相手ならば、取り繕ったような笑顔を貼り付け、有無を言わさぬ気配
と言葉を添えれば良い。
しかし、それが出来ぬから手をこまねいているのだ。
うっかり舌打ちしそうになる衝動を抑え込み、カインは頭を伏せたまま時が流れて行くの
をジッと耐えていた。一秒でも早く、この空間から立ち去りたいと切に願いながら。

「お前も相変わらずのようだな、カイン・アルベランス」

ひくり、と頬が引き攣った。伏せていることを良いことに思いきり眉間にしわを寄せたカ
インは、敬意を表すように深々と頭を下げる。

「陛下も、ますますのご健勝で、なによりでございます」
「フン、また一回り堅苦しくなったな。一体お前、いつまで分厚い化けの皮を被っている
つもりだ?」
「……さて、何のことでしょうか。愚鈍な私には全く見当もつきません」

頭を上げろ、と飄々とした様子でバリモントが命を下せば、にこりと貼り付けた笑みを浮
かべたカインが、芝居がかった仕草で遠慮気味に顔を持ち上げる。緊張した面持ちで窺う
エリーナが、実は自分の従者が一国の王を前にして内心毒舌を吐いているとは、微塵も思
っていないだろう。

「まあ良いとしよう。ファイナンス家に見限られたら、この国で是非働くが良い」
「恐れながら、私には身に余る光栄でございます」

互いに一歩も引かぬ姿勢で挑んでいることを、エリーナが知るはずもない。純粋にカイン
を勧誘しているように見えたエリーナは、ムッとした顔を隠すことを忘れ、玉座にどっし
りと座っている男を果敢にも見据えた。

「陛下、カインは私の従者です!見限るなんて絶対にありませんっ!」

一国の王を前にして許しも得ず、しかも怒鳴るような形でカインとの間に入ったエリーナ
は、自分がいかに愚かなことを仕出かしたか。バリモントの両脇に控える騎士の突き刺さ
るような視線で、ようやくハッと我に返った。
とんだ失態を犯してしまったエリーナは、あわあわと口を震わせ、可哀想なほど顔面を蒼
白にさせた。それまで何とか貼り付けていた品性は脆くも崩れ、代わりに表に出てきたの
は、あどけない少女の姿そのままだ。己の持つ地位と公共の場に相応しくない出で立ちは、
無論、歓迎されるものではない。しかも、ここは決してミスは許されぬ神聖な場なのだ。
更に、一国の王との謁見という状況下において粗相があればどうなるか、想像に難くない。

「もも、申し訳ありませんっ!」

唖然、とした様子でエリーナを食い入っていたのは、未熟な彼女を精一杯サポートするカ
インだけではなかった。最も危惧するバリモントも同じように見下ろしていたが、咄嗟に
頭を下げたせいで、エリーナは双方がどのような表情をしているか全く見えていなかった。

「お、お嬢様……」

戸惑うような、焦ったような声にぎくりと身を震わせたエリーナは、これほどまでにカイ
ンに迷惑をかけて申し訳なく思ったことはないと感じていた。ついに見放された挙句、先
ほどバリモントが出した提案にカインが乗るのではないか、と身も凍えるような方向へと
意識が傾いた瞬間、この場に似つかわしくない豪快な笑い声が重苦しい空気を裂いた。

「はっはっは!見目麗しくなったが、中身は昔の頃から成長しとらんなぁ」
「は、え?」
「そう畏まるな。小さい頃は今以上にお転婆だったではないか」

目元をゆるめ、笑い皺を深く刻ませているバリモントは、エリーナが想像していたような
激昂とは真逆の表情を浮かべていた。ぽかん、と口を開けたまま放心しているエリーナに、
片腕を腹に添えクツクツと込み上げてくる笑いを抑えている。
処刑はどうにか免れたようだが、一体どうなっているのだろう。そう思いカインを見遣る
が、澄んだ青い瞳と目が合うと途端に顔を逸らされた。
ガン、と頭上にたらいでも落ちてきたような鈍い痛みを感じたエリーナは、嫌われないよ
うに必死に弁解しようとする。しかし、真っ白になった頭では気の利いた一言や二言さえ
浮かんでこない。寧ろ墓穴を掘るだけだ。

「くっくっ……。心配するな、そいつは照れているだけだ」

にやり、と意地の悪い笑みを浮かべたバリモントは、珍しく挙動不審になっているカイン
に視線を向ける。途端、相手は一国の王だというのに、ギロリと眼光を鋭く睨み付けると
いう荒業をしでかしたカインと余裕綽々の王との攻防が始まった。

「手塩にかけて育てた、お前の可愛い可愛いお嬢様からの求愛が嬉しいんだよなぁ?」
「……陛下は御冗談がお上手なのですね。感服いたします」

言われた意味さえいまいち理解しておらず、加えて突如起こった緊迫した空気に目を白黒
させていたエリーナは、恐る恐るカインを見つめた。

「ご、ごめんねカイン。なんか私空気読めないしこんな時も役立たずだし……。
でも嫌いにならないでっ!陛下のところに行くなんて言っちゃヤダよぉっ!」
「え!?あ、あの、お嬢様……?」

最後の方は涙声に変化しつつあったエリーナにギョッと目を剥いたカインは、何故彼女が
こんなにもマイナス思考へと走っているのか追いつかず、慌てふためいた様子でエリーナ
の肩を軽く揺すった。そんな些細な優しささえ、今のエリーナには追い打ちをかけている
ことなど、知るはずもなく。
カインは悔やんだ。ここが王の絶対的な領域でなければ、今にでも彼女を連れだして肩を
抱いて慰めることができるのに、と。公私混同をグッと堪えたカインは、今にも彼女の眦
から零れるのではないかと危惧してしまいそうな涙に、息を詰まらせる。

「なぁに、安心しろエリーナ。さっきのはただの冗談だ、冗談」

先ほどまで王相手に喧嘩を売っているようなカインが一変し、困惑した様子で主を宥めよ
うとする姿に、バリモントは口端を吊り上げた。何が面白いって、眉を下げ困り果ててい
る男の変わりっぷりがあまりに極端だからだ。

「じょう、だん?」
「そう、冗談。そんな喧嘩っ早い男、この国じゃ扱いづらいだけだ」
「そ、そうなんですか。良かった……」

従者を若干卑下された言葉に気付かず、エリーナは心底安堵したのか、胸に手を当てホッ
息を吐いた。何か物言いたげなカインは、それでも誤解が解けたことと少女が微笑んでく
れたことにそっと胸を撫で下ろす。その要因がどんなにいけすかない相手であったとして
も、カインにとっての優先順位は、後にも先にもエリーナであることに変わりはなかった。

「さて、……見聞を広げる旅と聞いているが、幾ら凄腕の従者がいるからと言って外の世
界は無法地帯の方が多い。さっさと国に帰って縁談を受けて、父親を安心させたらどう
なんだ?」

長い脚を組み直したバリモントは、訝しげにエリーナを見つめた。グッと息を詰まらせた
エリーナは、ふと家出同然で出てきた当時を思い出す。そろそろ結婚を、と縁談を勝手に
持ち込まれて感情に任せて飛び出してきたが、日にちを置いた今は多少なりとも馬鹿なこ
とをしでかしたと反省はしている。おまけにファイナンス家直属の従者であるカインまで
引っ張ってきたようなものだから、彼には彼の仕事が山ほどあるはずなのに、何も言わず
ついてきてくれるカインには頭が上がるはずもなかった。
しかし、後悔はしていない。無計画無謀の旅ではあるが、確かに得たものがあるのだ。

「まあ良い。だが、近頃あまり良くない噂が広がっている。油断するなよ、カイン」
「良くない噂、ですか」

先日の事件のこともあってか、カインは整った眉をひそめる。途端、雑談で和らいでいた
空気が鉛のように重くなる。それに気付いたエリーナは、下手に口出しをせず黙ることに
徹した。

「いや、ただのハンターなのかもしれんが、どうも荒っぽい。それも価値のある観光地や
聖域ではなく、古びた遺跡ばかりを狙うグループがいるんだが……」
「それは、『カーマイン』でしょうか」
「何だ、知っているのか。ならば話は早い。ギルドに所属していない連中など星の数ほど
いるが、奴らの目的が今一つ見えん。ただの骨董品の収集とは到底思えんのだ」
「……近隣の住民に、被害が出ているという報告は」
「これがないんだな。そもそも奴らを見たという報告もほとんど上がってこん」

釈然としない様子で首裏を掻いたバリモントは、腕を交差させ、一瞬の沈黙を守った後、
重い息を吐いた。

「管轄下ではない遺跡はともかく、奴らの素行が図りかねん。人への被害は今のところな
いが、魔物の殺し方が残虐な傾向がある。この対象が魔物で終われば構わないが……」

この心配さえ、杞憂に終われば良い。そう言いたげに瞼を閉じたアルエリータは、気を改
めて別の話を持ち出そうと口を開く。
だが、それは発することは許されず、強制的に閉じられる。
地響きのような籠った轟音とともに、一瞬室内が僅かに揺れたからだ。
バリモントの傍に控えていた兵士が、瞬時に王を守る態勢に入る。咄嗟の出来ごとに驚き
を隠せないでいるエリーナを背に隠し、カインはここへ近づく気配のある扉を睨みつけた。

「陛下!ご無事でありますか!」
「これは何事だ、騒々しい」
「ご、御無礼をお許しください、緊急事態でございます!」

息を切らせて勢いよく扉を開けた一人の兵士が、王の御前であるにもかかわらず、膝を折
ることなく中央まで駆けてくる。その緊迫した勢いに目を細めたバリモントは、その兵士
の後ろから雪崩れ込んできた別の兵士の言葉に目を見開いた。

「お逃げください陛下!火事です、回廊からこちらへ、とてつもない速さで火が回ってお
ります!!」
「火事だと?原因は何なのだ」
「分かりません。目撃者の話によると、何もないところからいきなり発火したと!」
「陛下、ここは我々に任せお逃げください。さあ、ファイナンス殿もご一緒に」

側近の兵士がバリモントに逃げるように催促する。もう一人の側近は、王座の後ろに隠さ
れていた通路を開け、待機していた。
それに何か反論しようとしたバリモントであったが、すぐ近くで再度爆発音が耳に届けば、
渋々と頷きエリーナの手を取った。

「ここから倉庫へ繋がる道がある。その部屋から外へ脱出するぞ」
「私が先頭を行きます。陛下とお嬢様は私の後ろへ」

避難用に用意されていた棒に松脂の染み込んだ布切れを手際よく巻きつけ、火打ち石で火
をおこす。黒一色で手を伸ばした先さえ見えぬ闇に、ぼんやりと橙色が灯る。カンカン、
と音を立てて階段を最後まで下りれば、湿った空気の中に混じるカビの臭いが鼻をつく。
後ろから聞こえる足音が全員止まったのを確認すると、壁に手を当て真っ直ぐ続く道を颯
爽と歩きだす。
途中、暗闇に怯えていたエリーナがカインの袖を握った。咎めることなく、バリモントの
窺いながら自分よりも少し後ろを歩かせ、出口へと急いだ。
――ドン、と地響きがカインたちの急ぐ足を止める。思わず振り返ると、バリモントも同
じことを感じたのか、ほの暗い中、苦渋に満ちた様子で唇を噛んでいた。

「……いや、あやつらの腕は私が一番知っている。大事ないだろう」
「ええ。敵がどこのどなたかは存じ上げませんが、あの音が彼らの惨敗とは言えません」

最強軍事国家の、それも王直近を相手にしているのだ。剣を交えなくとも分かる猛者のオ
ーラは、まるで湯気がたっているかのようにカインの目にはっきりと映っていた。

「しかし、何もないところから火の手など……」
「魔術の使い手かもしれません。陛下を警護する幾重の網を潜り抜けたということは、
反逆者か……いえ、相当の腕を持った敵、ということには変わりありませんね」
「だとしても解せん。何故わざわざ回廊から攻める必要がある。私を狙っているというの
ならば、玉座の間に発火をすれば良いものを」
「…………」

一国の王でありながら、今はただ逃げることしか出来ぬ自身に苛立っているのか、バリモ
ントはしきりに後ろを振り返る。どこか思うところがあるのか、カインはそれきり黙った
ままでそれ以上バリモントの言葉に返すことはなかった。

カビ臭い通路を小走りに進み、どれだけ進んだか。先ほど一度響いた音はそれきり止んで
しまったが、それがカインの焦燥を駆り立てた。
バリモントが指摘したように、何かがおかしい。誰が、何のために。こんな回りくどい騒
ぎを起こさずとも、精鋭部隊を束ねるアルエリータの兵士を押しのけたのであるのならば、
玉座の間へ姿を現し、バリモントの命を狙えば良いことだ。
反逆者、という言葉がちらりと頭を掠める。しかし、胸の奥にすんなり入るどころか、つ
っかえて咳き込みたくなる違和感が残るだけだった。現に、バリモントも反逆者という説
はどこか否定しているのか、表情は芳しくない。一国の王という位置にいれば、恨みつら
みなど星の数ほどあるだろうが、バリモントと同様、一心に出口を目指すカインさえも王
暗殺という筋を認めていなかった。

(反逆でもない、陛下の命が目的でもない……だとすれば残るものは)

カインの袖をつかむ白い手が、橙色の光に照らされる。視界の端でそれを捉えたカインは、
まさか、と急に足を止め、ゆっくり振り返った。

「どうしたの、カイン?」

きょとんとした様子は無垢であどけない。この世の穢れなど何一つ知らないような、真っ
白で愚かなほど純粋。けれどこの少女は、人の醜さを知っている。知ってしまった。カイ
ンという男の、奥底に潜む黒い塊を。
それを暴くきっかけとなった、彼女が攫われ身も心も傷ついた血の色を、思い出す。
カチリ、とパズルのピースが全て埋まる。頼りなく握られていた手を包み込むように、だ
が乱暴に握ると、カインはこの場にバリモントがいることも忘れ、駆けだそうと一歩を踏
み出す。

「――――な、に!?」

けれど、それ以上先へ進むことも出来ずに終わる。玉座の間でバリモントへ報告した兵士
の言葉通り、今この場で”発火”したからだ。
ゴウ、と火の玉が現れ、その塊は渦を巻くように肥大し、ほの暗かった一帯を一瞬にして
緋色へと染め上げた。

「う、うそ!?なんで、どうして!?」
「敵の策にはまったか。まさか、この通路を知っているとは……」
「下がってください!急いで!!」

皮膚を焦がすような熱は、幻影ではない。本物だ。足がもつれて上手く走れないエリーナ
の腕をしっかりと握り、カインは容赦ない速度でこちらへ襲いかかる火の手から逃げる。
盛大に舌打ちをしたカインは、ここに魔術師が一人もいないことを悔やんだ。剣しか取り
柄のない身では、エリーナどころか、このままではバリモントさえも守ることは出来ない。

「くそっ、挟み込まれたか!」

エリーナの顔色がざあ、と音を立てて変わる。玉座の間へ戻ろうとした道から、後ろから
追いかける炎と同じように何もないところから舞い上がったのだ。

「こちらへ!!」

倉庫にかかっていた鍵を剣で無理やり壊し、扉を開け勢いよく閉める。呼吸の上がったエ
リーナと、何か策はないかと考え込んでいるバリモントを背に、カインはゆっくり閉めた
扉から下がる。
一般的な倉庫より断然広いが、窓一つありはしない。つまり、籠の中の鳥だ。

「ど、どうしよう……どうしようカインっ」

悲痛な面持ちでカインの腕を引っ張ったエリーナが、薄ら涙を溜めながら弱々しく縋る。
しかし、打開策が全く見つからないカインは、苛立った様子で今も扉の向こうで焦がし続
けているであろう見えぬ炎を睨みつける。

「陛下、分かりきった事をお尋ねいたしますが、魔術の心得は……」
「……すまん。私は魔術と相性が悪いのだ。何一つ使えやしない」

一呼吸置いた後に聞こえた重苦しい声に、カインは厳しい顔つきで一つ頭を振った。最強
軍事国家には魔術に長けた者も数多く存在するが、王座に君臨するバリモントが魔術を駆
使出来ない剣王であることなど、周知のことだった。だが、一筋の希望にかけたかった。
この場に魔術の使い手がいれば、最悪焼け死ぬことは免れただろう。

「……反逆者、新手の敵。それ以外の可能性も出てきました」
「どういうことだ」

バリモントの催促に一瞬躊躇いを見せたカインは、ちらりとエリーナを一瞥すると、重々
しく口を開いた。

「確かな情報がないので報告いたしておりませんでしたが、先日お嬢様が何者かに拉致さ
れました。しかし、実行犯は雇われていたようで犯人は別にいる模様です」
「何だと!?」

思わずエリーナを凝視したバリモントは、身を強張らせたエリーナに心痛な面持ちでそっ
と少女の肩に手を置いた。拉致されたことを思い出したのか、顔面蒼白にした血の気の失
せた様子が痛々しく映る。心なしか震えているようで、必死に隠そうと両手を握り、唇を
真一文字に結んでいた。

「あくまで仮、ですが。彼女が狙われたのか、陛下が狙われたのか。確立は半分です」

じわじわと蝕むような熱が倉庫の中に浸透する。額に浮かんだ汗を拭いながら、カインは
少しずつ二人を後ろへ退避させたが、ついに壁とぶつかってしまった。
酸素の薄くなった空間に息苦しさを覚えたエリーナが、まずその場にうずくまる。暑さに
やられているのか、揺さぶってみるものの焦点はどこか覚束ない。

(万事休すか)

意味もなく鞘から剣を抜き、今にも焼き尽くしかねない扉を見据え、エリーナの前に立つ。
無謀だと分かっていながらも主人を守ろうとするのは、従者としての務めなのか。

ぐにゃりと扉が変形する。
目を細め、剣を構えたと同時に炎が倉庫へ侵入してきたのは、ほぼ同時だった。



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