● 唐紅の記憶  ●



 乳白色の世界で、眼が覚めた。いや、最初から目蓋は開いていた。気付いた時には、人っ子ひとりいない、果ては埃一つ見当たらない世界に突っ立っていた。気だるいというには不確かな感覚に、ぼんやりとする思考を振り払う。何故こんなところにいるのだろうか。不思議に思い、今更ながら辺りを見回す。やはり何もない。柔らかな白がただひたすら続いているだけだった。

――シリュウ。

 不意に名前を呼ばれた。何故か、身体は上手く動かなかった。何とか首を回してみるが、声の主はどこにもいない。やはり白の世界が眩しいほどに続くだけだった。

――シリュウ。

 誰だ、と声を出そうと口を開くが、そこで異変を感じた。声が出ない。

――ねえシリュウ、お願い。

 姿見えぬ主の声色が震えた。幾重にも膜で閉ざされているような音は、何とか台詞を聞き取れる程度でどうしても誰なのか推測することが出来なかった。
 けれど言葉の節々にある、切なさやしとやかさに目を細める。数少ない記憶を辿り、どこかで聞いたはずの声を探し出そうとする。思い出さなければ取り返しがつかないような気さえして、躍起になって過去を巡る。その間にも、声は今にも泣きそうな色を含ませていた。

「私を、置いていかないで」

 刹那、鮮明に聞こえた静かな声。ひやりとした何かがゆるりと腕に巻き付いた。ぎくりと身を強張らせ、視線を腕へと下す。乳白色の中でも目立つ青白く細い腕が、自分の腕に重なっていた。今にも折れそうな指が、そっと肩に触れる。それは徐々に上へと上り、黒髪に絡めた。温かいとは程遠い、冷や水にも似た温度に背筋を凍らせる。だが、逃がさないと言わんばかりに抱きついたそれに、何もかもを捨てる覚悟で突き放した。

 細い影がぐらりと揺れた。それと同時に、こちらの意識も別の場所へ引きずり込まれそうになり、一気に視界が狭まる。


 最後に見えた色は、艶やかな朱色だ。




第45話 『色鮮やかな』




「――――っ!」

 引き攣ったような短い悲鳴と共に飛び起きる。ドクドクと尋常ではない速さで心臓が鳴り、身体中で脈打っているような感覚に襲われる。酷い息切れと額に浮かぶ脂汗に嫌悪感を見せながらも、とにかく激しい動悸を落ち着かせようと胸を抑えた。意識が途絶える瞬間見えた鮮やかな色を思い出すたび、目の前がちかちかする。思わず視界を手のひらで覆い隠し眼を閉じる。今も残っている、あの冷たい感触にぶるりと背筋を凍らせる。肩を、背中を這った指先も全て。夢と片付けるにはあまりにリアルだった。

「あれ?」

 ようやく落ち着いたところで顔を上げる。そこは見慣れぬ豪奢な部屋だった。しかし、相当高価なベッドに横になっている事実に首を傾げる。何故なら、昨日気を失ったエリーナに付きっきりで夜通し看病をしていたはずだったからだ。
 きょろきょろと、田舎者よろしく好奇心が赴くまま周囲を見渡す。ベッドだけでなく机や椅子の一つ一つが凝った作りをしており、一般家庭で揃えるには一家の将来財産を潰しても足りないほどだ。ふと、部屋の作りが、エリーナが運ばれた部屋と似た構造になっていることに気付いた。調度品など細々としたものは幾らかランクが下がっているが、それでも金銭的に余裕がない自分の寂しい財布事情と比べれば、ずっと豪華な装飾品が部屋を囲っていた。

「お、ようやく起きたか。この寝ぼすけが」
「ヒューガ?」

 さてどうしたものか、と腕を組み唸っていると、ノック音もなく突然扉が開き、ヒューガが現れた。そのマナーの悪さに一度頭痛を覚えたシリュウは、見知った人物の登場に安堵しながらも、何とも言えない居た堪れなさを感じていた。もしここが女性の部屋であったとしても同じことをするのだろうかと、一抹の不安を覚えずにはいられない。

「ったくよ。看病してた人間がぶっ倒れちゃ、ざまあねえよなぁ」
「倒れる?俺が?」
「……お前、覚えてないのか?」

 からかうつもりだったのだろう。猫目に細められた男の眼がぱっと見開く。それからしばらく顎に手を当て、何か考え込んでいたが足早にこちらに近づくと、急に額に手を添えられた。

「具合の悪いところは?吐き気とか、あと寒気は?」
「あ、ああ大丈夫。それにしても、いつ倒れたんだろう」

 子供を心配する母親のような仕草に戸惑いながらも、安心させるように軽く微笑む。納得したのか、熱を図っていた手を離し、近場にあった椅子を引き摺り、ベッドの端に寄せどっしりと座り込む。
 なるほど。倒れたのならばここで眠りこんでいた理由が解明できる。しかし問題は、何故、いつ倒れたのかだ。記憶を辿るが、気を失っているエリーナの介抱をしていたところまでしか思い出せなかった。

「あいつが……カインの野郎が気付いたんだよ、お前が床に突っ伏してたのに」

 護衛という名の精神統一のため、カインはエリーナに充てられた部屋には入らず、その扉の前で待機をしていた。気絶したエリーナと同様、あの火災の現場に居合わせていたカインもまた、憔悴しきった様子だったので休むよう催促したのだが、着替えを済ませるだけで、彼は首を縦に振ることはなかった。疲労が色濃く滲んでいた顔色に心配になったものの、考えたいことがあると言われてしまえば、エリーナの世話を任されたシリュウにそれ以上介入する余地はなかった。だが、その後部屋に入ったということは、ヒューガの話の通り、床に落ちる拍子に盛大な物音を立ててしまったのかもしれない。もしそうであれば、色々考え耽っていたカインには申し訳ないことをしてしまったと、倒れたという事実を他人事のように受け止めていたシリュウは心の中でそう呟いた。

「それで、どこか変わったところはないか?」

 体調不良ではないと判断したヒューガは、それでも小さな異変を逃さぬよう眼を凝らす。声色はとても優しいが、有無を言わさぬ何かを感じた。
 大丈夫、と笑い飛ばそうとした時だった。何故か、先ほど見た朱色の影が視界を過ぎったような錯覚を起こした。明らかな動揺が伝わったのか、ヒューガは訝しそうに眉を潜めている。

「シリュウ?」

 ハッと我に返り、目許を乱暴に擦る。再度目蓋を開ければ、そこには青い瞳と髪しか映らなかった。朱色とは真逆の、静かで見慣れた色彩にホッと胸を撫で下ろす。その不自然な行動に違和感を覚えたのか、心底心配そうに眉を下げたヒューガは、異常がないと分かっていながらも、再びシリュウの額に手を当てた。

「大丈夫。ちょっと、夢見が悪かっただけなんだ」

 はは、と乾いた笑い声が静かな部屋にやけに大きく響く。その微妙な空気に気まずさを覚えたが、目の前の男は一度複雑そうな顔を浮かべただけで、最後はそうか、と簡素に答え見て見ぬ振りをしてくれた。

「まあなんだ、動けそうならそれでいいんだ」

 くしゃり、と寝癖で少し跳ねた髪を押さえつけられ、乱暴に撫でられる。子供扱いするなと文句を飛ばそうにも、微妙な空気を払拭してもらった手前、この行為を無碍にすることは出来ない。甘んじてそれを受け流していたシリュウは、ふとここにはいない仲間を思い出す。ヒューガがここに来たということは、何かしら理由があるのだろう。その疑問を察したのか、手を離したヒューガは椅子から立ち上がった。

「急で悪いが、お前が大丈夫そうならそろそろ出発だ。バリモント陛下がここから、コルエスカ港行きの港町まで馬車を出してくれるんだとよ」
「ええ!?どうしてまたそんな大層なことを……」
「昨日の火災で助けてくれた命の恩人にささやかながら礼をさせて欲しい、だってよ。まあ、どっかの誰かさんが無鉄砲に不法侵入して、陛下の御前に許可なく現れた多少の不敬罪は水に流してくれるってことだ」
「あははー、…………ごめん」

 身に覚えのある所業にひくりと頬を引き攣らせたシリュウは、がくりと項垂れる。確かに、我を忘れていたとはいえ、何と無謀な働きをしたのか。そう遠くない過去の記憶にゾッと背筋を凍らせたシリュウは、引き攣った声を出すしかなかった。

「まあそれは建前で。……昨日狙われたのは陛下かあの女かの二択になった以上、いつまでもここに長居は出来ねえってこった」

 硬くなった声色に、シリュウの背筋も自然と伸びる。グッと下唇を噛みしめ、昨日の事を思い返した。エリーナの看病に徹していたため詳しい情報は得られていないが、ヒューガの言う通り、二人のどちらかが狙われたということは確実だった。姿見えぬ敵に翻弄されたが、誰かが意図的に城を襲ったのは間違いない。
 昨日はギリギリのところで間に合った。それで良かったじゃないか、と心の奥で囁くが、けれどギリギリであったことに変わりはない。もし、あと十分、いいや一分でも遅れでもしていれば……。そう思うだけで背筋が凍る。ほんの一瞬の躊躇いが全てを失ってしまう可能性に繋がることなど十分すぎるほど分かっているはずなのに。
 気を取り直し、その場で大きく伸びをする。すぐに出発をする必要があるのならば、こんなところで悠長に過ごしている暇などないだろう。身体の異変はないと改めて確認すると、今度は柔らかなベッドから飛び降り、軽く屈伸をして異常がないか最終チェックを行う。うむ、これも全く問題はなかった。

「そういえば、エリーナはもう大丈夫なのか?」

 相当考え込んでいたカインの様子も気になるが、やはりあの事件で多大なショックを受けたであろう少女が頭から離れなかった。
 忘れもしない地獄絵図の過去。炎の海に呑まれ、そこらに飛び散る肉片や、脂や肉の焦げる異臭。炭と化したそれが、果たして人であったのかどうかさえ断言出来ない、身の毛もよだつようなおぞましい光景。この身がある限り、未来永劫忘れられない衝撃的な場面が重なってしまい、酷く取り乱した記憶はまだ新しい。己の手のひらから再び零れ落ちてしまうのではないかという、言いようのない焦燥感と喪失感に苛まれた。何に変えても守らなければならない。そんな使命感に駆られたのは、失った重みを知っているからだろうか。

「……あいつなら起きてピンピンしてやがる。お前のことをやたら気にしてたな」

 思いつめたようなシリュウの顔を盗み見たヒューガは、全く気付いていないと言わんばかりに飄々とした態度でそう言い切ると、大袈裟に肩を竦めて見せる。それからぶつぶつと毎度同じく文句や愚痴を零せば、俯いていた少年の視線がこちらに向き、フッと安堵の笑みを浮かべ眼を細めていた。
 悪夢に魘され生気が抜けたような青白い顔は、もうそこにはない。




 部屋を出て城内を早足で移動すれば、ひっきりなしにすれ違う騎士やメイドの数に気圧されそうになった。不思議に思いヒューガに尋ねれば、変な顔をして襲撃後の後片付けだと一蹴された。なるほど、と納得したのも束の間。思えば、超がつくほど方向音痴の気がある男に案内を任せた時点で間違いだった。それから何度も道に迷い、果ては拷問部屋なんてマニアックな場所へまで行くものだから、男の方向感覚は筋金入りだと改めざるを得なかった。

「シリュウ!!」

 やっとのことで城門まで辿り着くと、ぱあ、と眼を輝かせてこちらに駆け寄ってくる亜麻色の髪の少女の姿に、自然と頬が緩んだ。そのままの勢いで抱きつかれ、多少驚きはしたものの、確かにある腕の重みにホッと安堵しながら、ゆっくりとエリーナを地面に下ろす。先日の疲れもすっかり取れているのか、思っていた以上に元気そうだ。彼女が生きている、ということが心底嬉しくて、ふわりと微笑みを浮かべながら、幾分低い少女の頭をそっと撫ぜる。
 すると、普段滅多にそんなことをしない行動に驚いたのか、エリーナの眼はぱちくりと開いたまま微動だにしない。しかし悲しいことにシリュウは無意識のうちにやってのけてしまったものだから、全くその意味が伝わっていないようで首を傾げているだけだった。しまいには、まさか本調子ではないのでは、と慌て出す始末。隣で胡乱気に傍観していたヒューガの溜息が、やけに響いた。

「その様子だと、もう出発しても大丈夫なようだね」

 目許を緩ませて近づいてきた影に、シリュウは申し訳なさそうに一礼する。その腕にぎゅうぎゅうと絡みついているエリーナと言えば、撫ぜてもらったことがよほど嬉しかったのか、蕩けそうな笑みを浮かべてほんの少し頬を染めている。相反する二人の表情にひっそりと苦笑しながら、シェンリィは持っていたシリュウの荷物を手渡した。

「あ、ありがとうございます師匠」
「では急ぎましょう。陛下が用意してくださった馬車はすぐそこです」

 背中に棒でも入っているのではないか、と勘ぐってしまいそうになる真っ直ぐとした姿勢と凛とした面構えのカインは、馬の鳴き声と蹄の音に素早く反応した。こちらを見やる視線がどこかホッとしていた様子が見て取れたが、すぐに唇を真一文字に結び、気難しげな表情に戻った。それでも近づけば繕ったように柔和な笑みを浮かべるものだから、おかしいと思ってもそれ以上口に出すことは出来なかった。
 王家の信頼を繋ぐ不死鳥のエンブレム入りの馬車は、明らかに一般人が利用出来る代物ではない。外装だけでも存在感があるというのに、内装に至っては絹に覆われたソファが客人を待っており、小さな窓に施された金具一つ一つでさえ、王家の紋様が刻まれていた。
 貴族感たっぷりの雰囲気に圧されることなく、堂々と着席したエリーナとカインに感心を覚える。だが、何故ヒューガとシェンリィまでが臆することなく、それも当然と言わんばかりに踏ん反り返っているのだろうか。しまいには用意されていた紅茶にまで優雅に手をつけるのだから、間違った感性をしているのは自分だけなのか、と頭を抱えずにはいられない。

「何してるんだい。早く乗りな」

 訝しんだ眼が四人分一斉にこちらに向く。合わせて八つなのだから、思わず上げそうになった悲鳴を噤んだ自分を褒めたやりたい。一人疎外感を感じながら扉に手をかけたシリュウは、一度振り返る。そびえ立つ城の高さに目を細め、急ぎ足で馬車の中に入った。一夜にして呼び起こした過去の記憶に、背を向けるように。



 道中は先日の事件が嘘だったかのように穏やかだった。積み荷を運ぶ馬車や辻馬車とは違い、多少の揺れは心地よい眠気を誘うだけで、身体の節々が痛くなるというお決まりの事態は起こらない。流石王族の出す馬車だ、と感心しながらも、本来これを利用する場合どれほどの金額を請求されるのか。一つ、二つと指を折ってみて思わず顔面が真っ青になる。今持っている全ての財産を合わせても、恐らく足りないだろう。

「今お前が何考えてるか、手に取るように分かるぞ」

 呆れたような物言いで溜息を吐いたヒューガは、目の前で一人悶々と悩んでいる少年に何ともいい難い表情を浮かべながら、手にした紅茶を一気に飲み干した。

「どうせまた馬車の料金でも計算してんだろ。その癖直せよ、お前はどこぞの主夫か」
「しょうがないだろ、根っこからこんなんだからさ」
「主夫、ねぇ。言い得て妙だね。でもこの子がいるから私らが楽出来るのも事実さ」

 外の景色を食い入るように見つめているエリーナを確認しつつ、相変わらずの三人の会話を呆れながら、和やかな雰囲気で傍観していたカインは、柔らかいソファに背中を沈めた。この短い期間に色々なことがあり過ぎて、正直なところ疲れは溜まっていた。昨日は特に気を張り詰めていたせいか、あちらこちらが凝り固まっているような気さえする。心なしか溜息が増えているのも気のせいではないだろう。
 少々急な出発になってしまったが、不穏因子であるバリモントとエリーナが同じ場所に長居しても危険なだけであった。その異変に気付いたシェンリィやヒューガも幾らか身を固くしていたが、今は何でもないように振る舞っている。露骨な反応をしない彼らの態度が救いだった。

(こんなことが、偶然に何度も起こるものなのか?)

 腕を組み直し、眉を潜める。いつの間にかシリュウと一緒に外の景色を眺め、はしゃいでいるエリーナにほんの少し眉間の皺が緩んだものの、その相貌を今は静かに隠した。
 不穏な出来事は、この一件だけではなかった。以前もエリーナが誘拐され、危うく殺されるところだったのだ。その悲惨な事件の後に起きた、今回の騒動。偶々だと言うには根拠が足りない。しかしその反面、断定も出来ない。襲われた相手が、あまりに高位でどちらも被害を受ける可能性があるからだ。

(思い出せ。きっと何かを見過ごしている。お嬢様が被害に遭う前の、何かを)

 組んだ腕に何度も指先を打ちつけながら、ここ数日の出来事を思い返す。既に色褪せた記憶もあるが、エリーナが攫われたあの日のことは、後にも先にも忘れることはない。焼き付いた記憶の一部始終を掘り起こし、その時、あるいはそれ以前にあったであろう異変を探し出す。
 あの日は買い出しをしていたはずだ。シリュウとヒューガ、途中でシェンリィと分かれて。値切りの腕を披露して見せたエリーナの助けをして、それから戻ろうとしたのだ。その時にエリーナが先を歩きすぎてしまい、追いかけた。その時に通りすがりの人とぶつかってしまい、その隙に見失ったのだ。

(……駄目だ、お嬢様を狙っているのならば何かしら接触をしていたと思っていたが……)

 それとも覚えていないだけなのか。だとすれば従者失格である。記憶力や洞察力はそれなりにあるはずだが、しばらく大所帯で行動するようになって気が緩んでいたのかもしれない。

(…………待て。誰と、ぶつかった?)

 はた、と一度息を止める。そう、記憶力には自信がある。どんなに平和ボケしても、普段から気をつけている限りそう衰えないはずだ。その分神経を研ぎ澄ませている自負はある。この大所帯で、しかも全員が腹に一物を抱えていそうな中でなら当然だ。
 綻びのない確かな記憶の中にある違和感。それは偶然が重なっただけの、ほんの僅かな事故にすぎない。けれど、既に偶然は偶然ではなかった。そう捉えるより他はなかった。じわりじわりと、その光景を脳裏に蘇らせる。色褪せた世界に徐々に色が差し込み、エリーナを見失う一瞬の出来事が、眼球の奥に浮かび上がる。
 そう、それは確か、鮮やかな……。

「――見て!あれが港かしら?」

 嬉々とした高い声にハッと眼を見開く。身を乗り出して外を指さすエリーナに、慌てた様子でシリュウが止めていた。自分が思っていたよりも長い間考え耽っていたようで、窓から覗く紺碧の海や潮の香りがようやく届いた。もしや眠っていたのでは、と焦るが、誰もそのことには気に留めていないのか、皆が外に視線を向けている

「ここからまた船を使うのよね」
「うん。船かぁ、またセイレーンに襲われなきゃ良いけど」
「そ、そうね」
「大丈夫、何があっても俺が守るよ。安心して」
「――っ!うん、ありがとうシリュウ!!」

 感極まったエリーナがシリュウの腕に擦り寄る。うわ、と小さな悲鳴が上がった。困ったように眉を下げ少し照れている姿は、出会った当初よりずっと子供らしく、年相応の柔らかな表情へと変わっている。仕えるべき少女が他の誰かを頼ることに一抹の寂しさを覚えながらも、二人の間を縫って入ろうとは思わない。微笑ましい光景に口元を緩ませ、あと少しで到着する港に目を向けた。

(そう、守ればいい。何があっても、この命に代えても)




Copyright (c) 2010 rio All rights reserved.