● 唐紅の記憶  ●


 傍にいれば守れるなんて、あまりに無責任だ。必ずしも、手が届くわけじゃない。いつ
だって大切なものは、手のひらから零れ落ちる。それを常に見下ろす大空が、嘲笑うのだ。
お前が余所見をしていたのが悪い、と言いたげに。憎らしいほど青々とした満天が、この
身に宿る色と酷似した色彩が見下すのだ。

 何度同じ過ちを繰り返すのだ、と。

 指の間からすり抜けた感覚を、何度味わえば理解するのだろう。それでも我武者羅に足
掻こうとするのは、あの時に掴み損ねた、命よりも大切なものを失う喪失感から、未だ抜
けきっていないからなのだろうか。
 ああいや、違う。そうではない。今度こそは守るのだと、果たしきれない誓いを立てて、
生温い優しさの中に浸っているからだ。
 そう、結局失うばかりが続くのだ。過去に縋ろうとするから。前を向こうとしないから。
 何度も何度も、大切なものだけを取り零してしまうのだ。





第47話 『「守る」ことの代償』





「――――シリュウ!!」

 指一本分。たったそれだけの距離。それが、詰められなかった喪失の距離。

 驚きに満ちた赤い瞳が大きく見開いた瞬間、少年の身体はあっと言う間に掠め取られた。
その僅かな間に、彼が「ヒューガ」と紡ごうとしたのを見てしまった。音にならなかった
それを読んでしまったことを、後悔する。もしも最悪の事態になった時に、平静を保てる
自信がないからだ。

「大変だ、乗客がタコに攫われたぞ!」

 一瞬の出来事を目撃していた船員が、ギョッと目を剥いて指揮官のもとへ走り去った。
叫ぶような声に、他の船員も武器を片手に甲板へと出てくる。その中に混じってバンダナ
を巻いた女が飛び出す。明らかに舌打ちをしてこちらを睨んでいる姿は、凡人が見れば怯
むような殺気を放っている。

「セイレーンの次はタコだって!?あの子ほんっとうに間抜けだね!」

 苛立った様子で海面を見下ろす。タコに襲われるなど、流石のシェンリィでさえも聞い
たことはない。一体どういう経緯で連れ去られたのか。今にも飛び込もうとする青色の男
の襟を掴み、射殺さんばかりに睨みつけた。

「待ちな、あんたは船酔いしてるんだろ!」
「待ってられるか!俺があいつをからかったから……っ」

 何の因縁で連れ去られたのかは定かではない。けれど、手に届く距離にいながら掴むこ
とが出来なかった不甲斐なさに、腹の底から苦いものが込み上がる。未だ脳裏にこびりつ
いた少年の姿が離れない。きっと隣を振り返れば、また苦笑しているのだろうと、一抹の
希望を抱いて視線をずらすが、そこにいるのはあの少年ではない。彼の師匠である女だけ
だ。以前の時と同じように、引き止めるその腕は細腕ながらも有無を言わさぬ強さが込め
られている。それは、シリュウすら把握していない奇怪現象のことを、シェンリィが知っ
ていたからに過ぎない。だが、同じことは何度も重ならない。現に、あの時天をも貫いた
緋色の柱は、今は予兆すら浮かばせはしない。
 剣や槍、果ては銃を取りだして群がる船員に、ハッと息を呑む。彼らがしていることは
正当な手段で、攻撃であり防衛である。船を守り、船客を優先させることが第一条件であ
る彼らに、それらの非はない。
 けれど、彼らの手に持つ武器が、シリュウを傷つけてしまいでもすれば。もしも、あの
少年を殺してしまうきっかけになってしまえば。

「――――離せっ!」

 どれだけ掴む力強くとも、所詮は男と女では歴然とした差が生まれる。撥ね退けんばか
りにシェンリィの手を振り払うと、腰に下げていた剣を鞘から抜き出す。そのまま器用に
手すりを乗り越え、深い青色の世界へ飛び込んだ。背後でヒューガの名を叫ぶ声が聞こえ
たが、ザブンと肌に当たった水の勢いと温度で、外界の音は瞬く間に遮断される。

 曇り空の下、太陽の光さえ差し込まない海の中はただただ薄暗い。淡く白んでいるが、
灰色のように濁った世界は、ジッとしていれば何一つ音が聞こえぬ無音の闇である。一歩
踏み間違えば、二度と外界へは辿り着けないような深い闇に一度唾を飲み込む。泳ぎが下
手なわけではない。けれど一度躊躇ってしまう静寂が、ヒューガを襲った。

(どこだ、どこにいる)

 うろうろと視線を泳がせるが、気配さえ掻き消してしまう水圧の中、シリュウの姿は見
当たらない。焦りが足元から這ってくるが、奥歯を噛みしめ邪念を振り払う。陸上でなら
まだしも、水の中で余計なことを考えていれば、その油断が仇となり、あっと言う間に黄
泉の世界へと誘われるだろう。
 不意に、視界が遮られた。急に現れた影に驚いて退こうとする。しかし、それが見慣れ
た白い長布であると判別すると、必死にそれに手を伸ばし全てを掴んだ。手繰り寄せたも
のは、やはりシリュウが身に纏っていたものである。重力によって、海面に打ち上げられ
そうになっていたものがヒューガの前に現れたのだ。

(この下かっ!)

 左手にそれを巻き付け、一気に下へと潜る。剣の重さで思うように沈まぬ身体を、足元
をばたつかせることで浮上するのを避ける。沈めば沈むほど、闇の色が濃くなり海面から
射し込む光が弱まっていく。けれど、幾らか潜ったところで、ようやく見慣れた黒い塊が
ヒューガの視界に映り込んだ。

(シリュウ!)

 声に出すことも出来ず、聞こえないと分かっていながらも、腹の中で叫び続ける。馴染
みのある姿に安堵するが、しかし、何かがおかしかった。少年の身体にはタコの足が絡ま
っていて身動きが取れないようだが、何かが不自然だった。
 その刹那、背筋を走る冷気。徐々にヒューガ自身も限界が近づく中、嫌な予感が脳裏を
過ぎる。焦燥交じりに少年のもとへ辿り着けば、本来赤いはずの瞳は固く閉ざされていた。
ギョッと眼を見開き、何度も肩を揺さぶるが、何一つ反応を返さない。力が抜けきってい
るのか、四肢は投げ出されており、指一本すら動く気配はなかった。
なぜ、という疑問を抱いた瞬間、腹の底に酷く重い、歪んだ異物が落下してきた。一瞬
思考が止まったヒューガは、のろりと視線を下げると、憎悪と嫌悪を含んだ眼差しを獲物
に飛ばした。右手にある剣を、重力に逆らいながら振い続ける。突然の邪魔者に気付いた
タコがその足をヒューガに巻きつこうとした。

「――――っ!」

 左足に勢い良く絡んだ足に、閉ざしていた口が一度開く。僅かに溢れた気泡が頭上へと
昇っていき、息苦しさが更にヒューガの身を襲った。それを何とか押し留め、ようやくシ
リュウの首にあった足を外した。しかし、腹部に絡んでいるそれは、まるで離さんと言わ
んばかりの力が込められていて、びくともしない。舌打ちをしたい衝動に駆られ、携えて
いた剣をそれ以外の足に振りかざす。けれど、水中の中を自由自在に動き回れる獲物に、
陸上を生きる人間が到底適うはずもなく。
 グン、と引っ張られる感覚にまたしても気泡が口から洩れた。全てを失う前にグッと息
を殺し、足元で不気味に漂う巨大な胴体を睨みつける。既に左足は自由を失っている。シ
リュウだけでも助けようと奮闘するが、このままでは道連れになってしまう。

(……こんなもの、こいつの命と比べりゃ大したことねえだろ?)

 不意に視線を剣に移した。右手にしっかりと握られた剣は、これまで長い年月をヒュー
ガとともに駆けた、本物の相棒である。華美な装飾は全くない。至ってシンプルな剣だ。
鍛冶屋にある一級品と比べれば、見た目だけではなく、切れ味だって優れているわけでも
ない。剣豪にとって得物を失うことは、半身を失うことでもある。しかし、ヒューガにと
ってその剣は、ヒューガというアイデンティティを喪失することと同様で、例えるなら命
を投げ出すような覚悟が必要だった。

(あんただってきっと、こうするよな。……なあそうだろう)

 目蓋の奥に浮かんだ、女性が穏やかに微笑んだ。それで構わないと、間違ってはいない
と、ヒューガに残った僅かな迷いを吹き飛ばすかのように。
 閉ざしていた瞳を開けたヒューガは、躊躇うことなく一気にタコの頭上まで潜り込んだ。
その間も、こちらを疲弊させようと左足を引っ張り続けるが、柔らかな皮膚に爪を立て、
これ以上吹き飛ばされないように指先に力を入れる。危機を感じたのか、それまで緩慢だ
ったタコの動きが急に慌ただしくなる。それは、ヒューガの持つ剣が鈍く輝いたからだろ
うか。それとも、射抜いている青色の瞳が、徐々に影を落とし始めていたからだろうか。
 振り上げられた剣先が、脳天を破る。突き刺さった剣は、食い込んで離れない。その衝
撃に、ヒューガとシリュウに絡んでいた足が一度緩んだ。その僅かな隙を突き、ヒューガ
はバタ足で上昇する。
 その時、シリュウの首から下がっていた紅のペンダントが外れ、石の重さで下へと落ち
てきた。何も握る必要のなくなった右手でそれを掴むと、漂うシリュウを抱き上げ、もが
いているタコから一気に離れた。水を掻き分け、海面へと目指す。ゆらゆらと不規則に揺
れる天井が徐々に白さを増し、いつの間にか浮かんでいる浮輪の一つに手を伸ばす。最後
の力を振り絞り海面を抜ければ、一気に肺の中に酸素が入り込んだ。

「――シリュウ君、ヒューガっ!!」

 怒声にも似た叫び声にハッと首を巡らせる。船の下層にある窪みに足を乗せ、こちらに
腕を伸ばすカインの姿を認めた。疲弊した身体を浮輪に委ねたまま、海の底でいつ這い上
がってくるか分からないタコを気にしながら、急いで船の側面へと泳ぐ。ぐったりとして
動かないシリュウの身体を手渡すと、慣れた様子で他の船員たちがシリュウを引き上げた。

「お前も早く戻ってこい」

 その光景を一望してホッと安堵の息を吐いたヒューガの目の前に差し出された手のひら
に、ぱちくりと眼を瞬かせる。どこか険しいカインの顔つきに一度しかめっ面を浮かべた
ヒューガだったが、再度その手のひらを見やると、ニッと口端を上げてその手を掴んだ。
 救出成功だ、とヒューガが乱れた呼吸を整える。下されたロープで甲板に戻るのはそれ
なりに体力が必要だが、あとひと踏ん張りと思えば大した労力ではない。早く登って、目
を覚ましたら説教をしなくては。そう思いロープに手をかける。その、刹那だった。

「――シリュウ!?しっかりしてっ!!」

 布を裂くような悲鳴。この声は、エリーナか。
 ハッと息を呑んだヒューガは、冷えた身体が更に温度を失うのを感じた。まだ見えぬ甲
板で、一体何が起こっているのか。甲板から届く明らかな同様に、青褪めているヒューガ
だけではなく、カインも剣呑に目を細めた。
 ザア、と血の気が引く音を聞きながら、ヒューガは無我夢中で登った。まさか間に合わ
なかったのか。最悪の結末が脳裏を過ぎる。どうしてなのか、薄く笑ったシリュウの顔が
見えた気がした。それがあまりに儚いものだったから、まるで最期の別れだと告げている
ようで、一層寒気が足元から頭の天辺まで一気に駆け巡る。

(そんな、まさか……っ!)

 また、守れなかったのか。過去に取り零してきてしまった時と同様、またしても失って
しまったのか。足元から、ガラガラと音を立てて何かが崩れる音がした。これまで築き上
げたものが、一瞬のうちにして粉々に砕ける。幾ら積み重ねても、最後の最後で気を抜い
てしまったから招いた結果だった。
 雲が動き、青空と太陽が再び現れる。射し込んだ光と眩しいほどの青空が、ヒューガを
見下ろしていた。その清廉さが、汚れたこの身を嘲笑っている。何度同じ過ちを繰り返す
のだ、と。愚か者、と罵るのだ。

「シリュウっ!!」

 ようやく甲板を登り切る。頑丈な手すりを飛び越え、人だかりに飛び込んだ。その中で
倒れこんでいる、黒髪の少年に向かい駆け出す。
土色になって呼吸をしていない。そう予想していたヒューガの心配は、杞憂に終わる。
何故なら、自分と動揺でびしょぬれになっている姿は変わりないが、その胸が呼吸を繰り
返していたからだ。
 ハ、と息を吐き出す。死んでいない。その事実を目にした途端、言いようのない安堵が
全身を駆け巡った。しかし、喜ばしい事態のはずなのに、誰もが切羽詰ったような顔を浮
かべている。その矛盾に顔を歪めたヒューガは、恐る恐る、少年の元へと近寄った。シェ
ンリィの膝に頭を乗せられているシリュウは、苦しそうに息を繰り返していた。懸命にシ
ェンリィやエリーナが呼びかけるが、全く聞こえていないようで時々うわ言を繰り返して
いる。

「どう、したんだ?」

 生存確認が出来たおかげか、かじかんでいた指先が徐々に熱を取り戻した。けれど、尋
常ではない空気にたじろぐ。蒼白を超え、土色になりかけているシリュウの顔には、海に
落ちて寒いはずなのに、脂汗が浮かんでいる。それを拭いながら、エリーナがシリュウの
手を握り締めていた。足元から疲れが襲い、ようやく少年の元へ膝をつくが、一向にその
目蓋が開かれる様子はない。

「どうしたもこうしたも。息を吹き返したは良いけど、呼吸をしだした途端にこれだっ」

 シリュウの額に滲んでいる汗を拭い、少しでも不快感を取り去ろうと躍起になっている
が、原因が分からず、悔しげに眉を顰めている。隣にいるエリーナも、涙目になりながら
名前を呼び続けている。普段のシリュウならば、その声が聞こえればどんなに辛くても、
無理をして反応を返すはずなのに、今はそれがなかった。つまり、息を吹き返しても、彼
の意識は戻っていないのだ。

「――っあ、ぐ……!」

 途端、声にならない悲鳴が上がる。息を吸うのがやっとのようで、何度も口を開閉して
は胸元を鷲掴みし、酸素を取り入れようとする。それでも衝動的に襲う痛みが息を詰まら
せるのか、びくりと痙攣を繰り返す。

「おい、シリュウっ!?」

 遅れて辿り着いたカインが険しい顔つきになる。しばらく何かを考え込む仕草をしてい
ることに、今は誰も気付く様子を見せない。
混乱と焦燥が入り混じった声で、ヒューガはシリュウの肩を強く揺らした。その瞬間、
ばっと赤の瞳が開かれる。けれど、ホッと息を吐く暇すら与えぬ色が、そこに宿っていた。
寒いのか、苦しいのか。酷い震えは止むことはない。開いた瞳も焦点が合わず、不自然
に目を泳がせる。胸を押さえていた手のひらが、指先の一端まで震わせてゆるりと緩慢な
動きで虚空に伸びた。咄嗟にその指先を右手で掴む。先ほど海に落としそうになったシリ
ュウのペンダント越しであるため、少しゴツゴツしていた。掴んだ手のひらの中が妙に温
かいと感じたのは、シリュウが体温を取り戻し始めたからなのだろうか。
 そんな些細な疑問さえ吹き飛ぶ中、ただひたすら彼の苦しみが去れば良いと祈り続けた。
掴んだ手を己の額に当て、少しでもこの温度が伝われば、と硬く目を閉じる。少年を襲う
原因不明の症状に、濡れて冷えていた身体が更に震えを増した。今度こそ必ず助かる。彼
ならば、きっと生きてくれると信じて。

「――あ、あれ……?」

 不意に、誰かが息を呑んだ。それに被さるように、エリーナの戸惑いの声が静まり返っ
た甲板を響かせた。けれど、神に縋るように顔を伏せているヒューガには、小さな変化さ
えも耳に届かない。

(頼む、死ぬな、生きてくれ……っ!)

「ねえ、シリュウの様子が」

 動揺の中に含んだ歓喜の声が、周囲をワァッと沸かせる。目を丸くして驚いていたシェ
ンリィも、恐る恐る、シリュウの首筋に手を当てた。引き攣るような呻き声も、異常なま
での痙攣も、いつの間にか治まっている。そっと触れた肌は、血の気が引いているせいか
まだ冷たいが、ぶれていた脈は正常に戻っている。顔色こそ悪いものの、目蓋を閉じたそ
の顔は穏やかに戻っていた。

「これは……」
「今は詮索しても仕方がないでしょう。とにかく、彼を休ませることが先決です」

 呆然と目を見開いていたシェンリィを遮り、カインが膝をつくとぐったりとしているシ
リュウを抱き上げようとする。けれど、シリュウの手を握ったまま俯いている男のせいで
持ち上げることが出来ない。傍若無人で冷酷さを持つ男が見せる、普段ない狼狽に目を細
める。男の下げていたはずの剣が、腰に存在していなかった。向けられている視線は、決
して侮蔑や馬鹿にするようなものは込められていない。けれど、見守るような温かいもの
とも言い難い。何かを探るような、見定めているような、極めて曖昧なものだ。

「ヒューガ、もう大丈夫だよ。手を離してやっておくれ」

 宥めるような優しい声に、ピクリとヒューガの肩が震えた。のろのろと顔を上げた中に
ある青色の瞳が、シリュウを凝視する。シェンリィの言葉を信じていなかったのか、シリ
ュウの呼吸が安定しているのを見て、ようやく硬く握り締めていた手を離した。シャラリ、
と手のひらの中に挟まれていたペンダントの鎖が、音をたてる。彼がとても大事にしてい
たそれを、力ないシリュウの手の中に握らせる。そこでようやく息を吐いた。

「では、私はシリュウ君を部屋に運びます。お嬢様、看病をしますので手を貸していただ
けますか?」
「勿論よ!私、部屋からタオル取ってくるわ」

 シリュウを抱え直したカインが、鼻息荒く先に駆け出したエリーナの後を追う。二人の
姿を見送ったシェンリィは、ドッと疲れが溢れるのを全身で感じていた。

「…………さっきのは、引き付けか何かだったのかね」

 これまで一度も見たことのない症状に、張り詰めていた緊張が解れる。文字通り胸を撫
で下ろし、船内へと消えて行った影を思い出しながら溜息を吐いた。くしゃりと前髪を掻
き揚げ、頭を振った。ここで悩んでいても仕方ない、と言いたげに。
 問いかけの言葉に返ってくるものはない。訝しげに隣を見下ろせば、普段ならば食いつ
いてくる男は、座り込んだまま額を覆い隠していた。

「ヒューガ?」
「……おれ、は……俺は、守れたのか?」

 消え入りそうな声に一度目を瞠り、動こうとしない男の隣に膝をつく。顔を隠している
ため、顔色を伺うことは出来なかった。

「そうさ。あんたがあの子を生かしてくれたんだよ。あんたは、守れたんだ」

 ふわりと口元を緩ませ、水を含んでいながらも艶を失わない青い髪を撫ぜる。ビクリ、
と男の肩が一度震えたが、細く長い息を吐く音が、シェンリィの耳朶に届いた。

「あの子を守ってくれてありがとう、ヒューガ」

 随分と小さく見える背中に手を回し、宥めるように軽く叩く。男が頷いたような気配を
感じながら、シェンリィはヒューガが持っていたはずの剣がないことに、そっと目を閉じ
た。



Copyright (c) 2010 rio All rights reserved.