● 唐紅の記憶  ●




再々言うけど、あんたのそれとそれ!珍しいんだからむやみやたらに人前に出るんじゃ
ないわよ。それが出来ないならせめて髪。その黒髪を隠しなさい。いいこと、必ずよ?

ごめんなさい師匠。口を酸っぱくして言われたことをあの時は素直に受け止めていたのに、
最近になってサボりつつありました。もう一度言います。…ごめんなさい。



「痛い目みたくなかったらそこの女とガキを置いていきな!」
「誰が置いていくかこのド阿呆がっ!手前ら全員そこになおれ!!」



俺は俺を過小評価し過ぎていたみたいです。








第9話 『濃霧に憚れて』








「今日だけで二回も襲撃を受けるとは……はあ」
「わわっ、カイン大丈夫?顔色悪いよ」
「いえ、お気遣いなくお嬢様。この先のことについて絶望的になっているだけですよ。
 決してシリュウ君をここに置いていきたいとか、それが叶わないのならば袋詰めにして
担いで行きたいとか、そんな物騒なこと、微塵も思っていませんから。ええ」
「…袋詰めって…」

盗賊に襲われた町、ローランドを出発して早三日が経過した。丁度実りの季節である今は
朝晩は少し冷え込むものの、比較的に天候に恵まれており旅にはもってこいだ。
町で入手した情報をもとに、次なる目的地へ足を動かしているのだが、『紫苑石』という
遺跡がある場所はどうやらこの大陸ではなく、別の大陸に存在しているらしい。
となると移動手段は船と限定されるので、一行が向かっている先はこの近辺にある港町
ハーティスという貿易の栄えた港だ。

「つーかこの大陸は盗賊とか山賊が流行ってんのか?
 肩慣らしにもならねえが、こう毎日出てくるといい加減苛々してくる」

先ほどの盗賊に制裁を与えていたヒューガは不満げに眉をひそめたまま、剣の手入れを
行っている。太陽に照らすと銀色に輝く鋼に満足のいった笑みを見せた。

「……ごめん、迂闊だった」

エリーナの次に、必ずおまけにくっついてくる標的。黒髪と赤目が珍しいこの世界では、
どうしてもシリュウは良くも悪くも目立ってしまう。これまで訪れた町で被害を受けなか
ったことは奇跡と言っても過言ではなかろう。

「ちょっと前までこれ被ってたんだけど」

これ、と摘んだのは首に巻いてあるマフラーに似た長い布。数回首に巻いているせいか、
そこだけが妙に膨らんでいる。

「どうして被らないんですか?」
「ああ、最近は涼しくなったんだけど、前は暑かったから」
「それを首に巻くほうが暑いだろーが」
「今は寒い」
「…ああそうかよ」

問い詰める気満々でシリュウに迫ったが、もはや彼の武器でもあろうほのぼのとした
マイペースさにいつもの如くヒューガは脱力するしかなかった。そんな男を完全に無視
してぐるぐると長布を解いたシリュウは、暫しそれを凝視する。洗濯は勿論しているが
返り血や落ち切らなかった土の色はくすんだままそこにある。特にここ最近、一人旅から
パーティを編成するようになってからは心なしか戦闘が増えたような気がする。皮肉にも
相手は魔物ではなく、人間なのだが。

「今更だけど被っておこうかな」
「あー、やめとけ。どうせ今からそこのアリオル山岳を越えなくちゃならねーんだ。
 平原と違って冷え込むからそのままにしておけ。あんな場所で風邪を引かれると厄介だ」
「そうですね、今更、ですし」
「ご、ごめんカイン…」

妙に強調された部分に居た堪れない気分になったシリュウは肩身が狭そうに身じろぐ。
眉がへにゃりと下がりきってしまったせいか、年相応、若しくはそれ以下に見える幼さに
折れたのは、腕を組んで呆れたような顔をしているカインだ。

「こればかりは仕方がないでしょう。シリュウ君のせいではありません」

軽く頭を振りながら僅かに微笑んだカインの姿を見てホッと安堵の色を見せる。
カインの嫌味は既に癖のようなものなので改善の仕様がないといっても過言ではない。
であるからして、本気なのか冗談なのか定かではない毒のある言葉はさらりと流して
しまえば良いものを、律儀と言うかマメなシリュウは一々反応してしまう。
実はそんな順応で素直な反応のシリュウを見ているのが面白い、と二割程度感じている
カインなのだが、シリュウが聡いと分かっているので、言ってしまうと次から反応して
くれなくなる可能性がある。そうなってしまうと実に面白くない。だからこそ口には
出さないのだが、仕えている少女にも似た無垢な場面を見てしまうと、ほんの少しだけ
ではあるが流石に罪悪感に駆られることがある。本当に、申し訳ない程度だが。

「そうだよ!シリュウのせいなんかじゃないんだから。元気出して。ね?」
「ありがとう、二人とも」

さり気なくシリュウの手を握るのはエリーナなりの自己アピールだ。一目惚れした相手に
少しでも振り向いてもらいたい、と思うのは恋する乙女の心情なのだろうが、どうもその
話に弱いのか、はたまた恋愛ごとに興味がないのかシリュウの反応は実に淡白で、笑顔は
見せるものの、仲間という一線を指先程度の長ささえも超えることはない。そんなシリュ
ウの態度にやきもきするのだが、ここで無意味に暴れてシリュウに嫌われてしまったら
それこそ大問題。むう、と唇を尖らせながらも、言いたいことを我慢して拗ねた顔をした
エリーナは、シリュウの腕にくっついた。

「べたべたしてんなアホが。今日中に山岳を抜けねーと面倒だ」
「アホだなんてひっどい!」
「別に俺はお前だなんて一言も言ってねぇぜ?」
「もーーーっ!ヒューガはいつも一言多いわ!!」
「ああもう二人とも。ヒューガもエリーナを煽るようなことを言うなって」
「そうですよ、その煩わしい口を針にピアノ線を通して縫い付けて差し上げましょうか?」

呆れた顔をして何とかこの場を平静に収めようとした矢先、背後から現れたカインに
ビクリと肩を震わせたシリュウは、頬の筋肉が引き攣っていることを感じながらも、
ぎこちなくだが無謀にも振り向いてしまった。どこから取り出したのか、先ほど述べた
恐ろしい言葉通り、針と妙に丈夫な糸を装備したまま悪魔も逃げ去りたくなるような、
夢にも出てきそうな笑みを貼り付けたままでヒューガを威嚇している。

「あ?手前こそ面白いほどぽんぽんと出てくる毒を吐けなくしてやろうか?」
「ははは、返り討ちにしてやりますよ。よく言うでしょう?正義は必ず勝つ、と」
「手前が正義なんて言うな!気色悪いっ!!」

あり得ねえ、と叫ぶヒューガに思わず心の中で同意してしまったシリュウだったが、
カインとヒューガの険悪コンビをこのままにしておくことも出来ず、肺の中の酸素が
空になるほど大きく息を吐くと、決心がついた様子でひとまずエリーナを非難させる。
何が起きているのか分かっていない表情であったが、そんな彼女の鈍感さにシリュウは
拍手を送りたい気持ちになった。

「カイン、そんなものでヒューガの口を縫ったら針が使えなくなるだろ。
裁縫道具って何気に使うんだから無駄にするな。というかさ、俺が夜なべ覚悟で
ほつれた部分とか破れた場所を縫い直している努力をちょっとは分かってよ。」
「……君の着眼点は面白いほどずれているんですね」
「それからヒューガ!お前も大人なんだからカインの言葉に一々突っかからない!!」

あまりに気の抜けるようなお説教に毒気が抜けたカインは、何とも表現しにくい顔色で
溜息をついた。おまけにカインの溜息混じりな突っ込みも軽く無視するのだから、
ある意味このメンバーの中で最も強者なのはカインではなく、間違いなくシリュウだろう。

「は?何で俺には真面目に説教してんだコラ」
「もとはと言えばお前が余計なこと言うからだろ」
「てっめ……あーそうかよ、お前はあいつらに味方すんのな。俺ってばこーどーくー」
「はいはい、言ってろよ」

面白くない、といった様子で年甲斐もなく剥れたヒューガをシリュウはカインの時と同様、
あっさりスルーする。既にシリュウの視線はヒューガに向いておらず、アリオル山岳の
入り口にある地図をジッと目を凝らして見ている。眉間にしわが寄っていると随分と
目付きが悪いが、決して視力が悪いわけではない。

「どうしたの、シリュウ」

難しげに顔を歪ませ、ああでもないこうでもないと唸っているシリュウの姿に首を傾げた
エリーナは、同じく地図を覗き込んだが何が書かれているのかさっぱり分かっちゃいない。
遅れてカインがそれを確かめるが、やはりシリュウと同様に僅かに顔を顰める。

「かなり入り組んでますね」
「下手に道を間違えると…とてもじゃないけど今日中に下りるのは無理だよ」

これまで数々の山などを越えてきた者しか語れないような、妙に悟った雰囲気で乾いた
笑みを浮かべたシリュウの表情はどこか疲れきっていた。どん、とそびえる前方の山岳を
首の筋がおかしくなりそうなほど大きく見上げると盛大に溜息を吐き、頭に叩き入れた
地図を忘れないように神経を尖らせながら一歩一歩と足を運ぶ。心なしか肩が下がって
いるシリュウの後を皆が大人しくついて行くが、先頭をきって歩いている彼もまた盗賊に
狙われている一人だということを忘れてはいけない。途中呆れた様子のヒューガに後頭部
を軽く叩かれ、団子のように連なって足を進める。

「霧が濃いな」
「最低限の視界は何とか確保出来ているから、これくらいなら大丈夫」

山岳に入ると背の高い木々で出来てしまった影で剥き出しの肌に鳥肌が立つ。無意識に
肩や腕を摩り始めたエリーナはきょろきょろと然程変わらぬ風景を詰まらなさそうに
眺めている。時折カインが彼女の体調を気遣うが、やはり慣れていないせいか顔色が悪い。
白かった肌は少し青く、薄い唇の色もやや変色していた。休憩するほど疲れは溜まって
いないようだが、寒さはどうあっても防ぎきれない。

「…エリーナ、これ使って」

手に息をかけ、何度も擦って暖めようと努力はしているようだが、急激な気温の変化に
流石についていけないのか努力は水の泡になってしまう。見かねたシリュウが進む足を
止め、首に巻いていた長布をそっとエリーナの肩に滑らせる。先ほどまでシリュウが首に
巻いていたので、巻かれた瞬間に感じた優しい温もりにエリーナもホッと息を吐いた。

「あったかーい」
「おいおい、それじゃあお前が風邪引くだろうが」

怪訝に眉をひそめたヒューガは軽くエリーナを睨みつける。エリーナがその視線に気付く
前にカインが睨み返して黙殺したが、ただでさえ気温の低い山岳であるのにもかかわらず、
一瞬極寒の地に立たされた気分に陥ったと感じたシリュウは、暑くもないのに汗を掻く。

「何とかなるんじゃない?」
「ったく、風邪引いてぶっ倒れたら誰が運ぶんだ、誰が」
「流石にエリーナは無理だろ?そうなるとヒューガ以外に適任者はいないじゃないか」
「さも当然と言わんばかりに胸を張るな、威張るな!!」

すぱん、と軽い音を立ててシリュウの後頭部を殴ったヒューガは顔を真っ赤にして頬の
筋肉を引き攣らせる。俺はこんなキャラだったか?と頭を抱えて唸っている姿は哀れ
そのものなのであるが、原因であるシリュウはといえば既に興味を失っているのか、
隣でどんよりと暗い雰囲気を漂わせているヒューガを完全に無視だ。そんな二人の
やり取りを傍観していたカインは、シリュウの手腕に思わず感嘆する。カインとヒューガ
の一癖も二癖もある難儀な性格を見越して尚、険悪な雰囲気をいとも簡単に和やかなもの
に変える手腕はなかなかのものだ。一触即発な空気に確かにシリュウは足を竦ませていた
はずなのに、それはほんの一瞬だけで、とばっちりを受ける可能性だって否定できない
絶対零度の中に自ら足を入れるのだ。最近は二人が喧嘩をしてシリュウが仲裁する、と
いうスタンスが固定されつつある。

どれほど濃い霧の中を歩き続けたのであろうか。しかしながら、頼りである太陽の向き
さえも、雲ではなく霧で覆われているために現在の時刻が定かではない。頼みの綱と
言えば残す所自分自身の感覚と、腹具合だ。

「も、もう駄目。膝ががくがくしてるよー」

最初に弱音を吐いたのは、やはりエリーナ。それでも限界近くまで我慢していたのか、
彼女が言うように足元は覚束ない。カインが支えながら歩き続けていたのだが、それも
ここが潮時だろう。

「そろそろ休憩にしましょう」
「そうだね。視界が悪いから皆あんまり離れないで」
「ったく、なまって仕方がねえ。俺はまだ行けるってのに」
「それじゃあ元気なヒューガには水汲みと薪拾いをよろしく」
「はぁ!?」

有無を言わさぬ視線でヒューガの文句を黙殺したシリュウは、ずいっと水筒を差し出し、
さっさと行って来いと言わんばかりに目を据わらせると、自分はさっさと休憩するために
足首を回したりと、足腰を重点としたストレッチを行う。その間にカインはというと、
甲斐甲斐しくエリーナの世話をしていた。そんな彼らを軽く見やった後に盛大な溜息を
吐いたヒューガは、半ば諦めた表情で仲間に背を向け、近くある水場に足を運ぼうとした。

「――――!?」

刹那、首もとに感じた気配。それを殺気だと判断するまでに時間はかからなかった。
水筒から手を離し、すかさず腰に携えている剣を抜こうとした瞬間、一瞬だけ霧ばかりの
視界に現れた白く細い何かに、判断が遅れる。

「な、に!?」

僅かな隙が命取りになる。頭では分かっているが、いざ予想外の展開に立たされると、
どう足掻いても完璧な姿勢を保ち続けることは不可能だ。何かに束縛されたような感覚
に陥ったヒューガは、得体の知れない何かの強い力に抑えられているせいで身動きが
取れない。剣を抜こうとした状態のまま、まるで石像になったかのように、ピクリとも
動くことが出来ない。

「きゃぁぁあ!」
「お嬢様っ!!」

霧のせいでぼんやりとしか確認できない影を目で追う。悲鳴の先にある影は二つ。
ヒューガと同じく不自然にその場から一歩も動いていない姿を見ると、どうやらあの二人
もこの見えない何かに拘束されているということだ。

そこでヒューガの思考は中断された。瞠目したまま、ある影を探すが見当たらない。
…もう一つは、どこだ。一番確認しやすい色合いのそれが、見つからない。先ほどまで、
あの二人の近くにいたというのに、何故いない。

「っおいシリュウ!どこだ、返事しろ!!」

言いようのない不安が胸をよぎる。冷水を浴びさせられたような感覚だ。意識ははっきり
しているというのに、心臓を鷲掴みされたように息が詰まる。見えないだけではない。
気配が、感じられないのだ。ここに、いない。

「シリュウ!生きてるんだろうな!死んでたら、承知しねぇぞ!!」

返事は返ってこない。戻ってくるものと言えば、自分の声、木霊だけだ。

(くそっ!一体何なんだこれは!!)

ぎり、と手のひらに爪が食い込み、血が滲み出したことなど気にもせず、冷静さを何とか
取り戻したヒューガは忌々しげに自分自身を見下ろす。あまりにも無様で嘲笑いたくなる。
エリーナとカインもシリュウがいなくなったことに気付いたのか、口だけを懸命に動かし、
シリュウの名を呼ぶが足音一つさえ聞こえない。虚しく返ってくる木霊に、苛立ちが募る。
確かに咄嗟のことで動揺はしたが、これしきのことでシリュウが死ぬはずがない。
そう心の中で言い聞かせるものの、自然と浮かんでしまう最悪の結果に舌打ちをしたく
なる衝動を堪える。安否も気になるが、今はとにかくこの拘束から解き放たれることが
最優先だ。そうでもしなければ一生この場に縫い付けられたまま一生を終えてしまう。

ぶわりと一つ強い風が吹く。思わず目を細めたヒューガは、霧の隙間に差し込んだ太陽の
光に目を見開く。薄れた霧の世界に、優しく太陽の光が差し込んだ。今まで見えなかった
場所まで一気に見渡せるようになり、この周辺が随分と背の高い広葉樹の広がる一帯で
あることが確認出来る。ぼやけた視界で僅かな輪郭しか分からなかった二人の姿も、顔色
を伺えるほど鮮明に映し出される。

そんな世界にはびこる、きらきらと輝く一線たち。細く長く、少しでも力を入れれば切れ
てしまいそうなほど、脆そうに見えるそれ。

「糸…?」

あちこちに絡まった糸が、三人の体を拘束していた。








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