「ね、ケイ」 「やあそこの青少年」 全ては悪戯好きなフィオラとクレージュの一言から始まった。 「「ちょーっとお願いがあるんだけど?」」 資料室から借りるよう頼まれた、軽く十冊は越える量の本を手に持ったまま、 嫌な予感がしたケイは僅かに眉をひそめる。 だが、二人揃えば逆らえる者などいないと言っても過言ではない、 二人の有無を言わせぬ、明らかによからぬことを企んでいるのであろう濃い笑顔に、 鉄壁の精神を持つケイも流石に従うしか方法はなかった。 「只今戻った。アキラ教授、資料の確認を」 「ああ、ありがとう。そこに置いてお、いて…………ケイ?」 「…何か不備でもあったのならば早急に借り直してくるが?」 レジェネイト本部の某研究所で缶詰状態になっていたアキラは、 本日八杯目になる冷めたコーヒーに口をつけようとしていた。 片手にコーヒー、片手に資料を携え、隈の出来ている目元を擦りながら、 時折ホログラムに映る上層部からの指示を確認しつつ、 いつもと変わらぬ締め切り前の慌しさをひしひしと肌で感じていたのだが。 「……ああ、やっぱり四日連続の徹夜は不味かったかな」 「いい加減仮眠を取ることを推奨する。雑用は俺たちに任せろ」 「いやいやそうではなくてね。 …一つ聞きたいんだけどケイ、今日は一体どうしたの?」 ぽかん、としたまま何度も瞬きを繰り返しては目元を擦っているアキラに はて、と首を傾げたケイの髪がさらりと揺れる。 さらり? アキラの部下たちもケイの姿を見て、それまでの眠気が吹っ飛んだのか、 ギョッと目を見開き、まるで珍獣でも見るかのように凝視している。 その決して悪意ではない熱い視線を感じながらも、ケイは首を傾げたまま アキラと同様にぽかんとしている人間たちをぐるりと見回す。 居心地悪げにしかめっ面を露にすれば、アキラ以外の人間はパッと顔を逸らした。 しかしその中の女性陣は、普段より二割増しほど高い声できゃいきゃいと騒いでいる。 その内の若い者は頬を赤らめる者さえいた。 「どうした、とは…これのことか?」 癖のない真っ直ぐな髪を一房掴むと、ほんの少し嫌そうな顔をしながら 自分の髪と固まっているアキラとを見比べる。 「おかしいな、私は今日ケイをメンテナンスしてないよね?」 「ああ。教授が俺をメンテナンスした時期は今から丁度一週間前だ」 「じゃあ、私が髪留めを取ったわけじゃないんだよね?」 「ああ。…アキラ教授?」 どうかしたのかと小首を傾げれば、優雅な動きをしている訳でもないのに そう思わせてしまうほど美しく揺れる金の髪。 世の女性がたちまち騒ぎたて、羨むような質を持つ髪は、 太陽の光を受けているわけでもないにもかかわらず、頭部上方に見える 艶やかな光の反射の帯……要するに天使の輪が眩しい。 恐らく三つ編み姿が彼の模範的な姿なのだろうが、髪留めを失った彼の金髪は、 僅かにウェーブがかかっていながらも、ストレートと称しても全く問題ないほど真っ直ぐだ。 腰にまで届く長いそれは、決して図体が大きくない彼の姿と照らし合わせると 下手をすれば後ろ姿が女性に見えなくもない。 ただし顔立ちは丸っきり男性なので、ケイの性別を間違えることはないだろう。 ともかく、だ。 毎日きっちりと身だしなみを整えている彼にしては、 天と地がひっくり返るほど珍しい光景であった。 「…そうだアキラ教授。フィオラとクレージュ教授を知らないか?」 「え、二人がどうかしたのかい?」 「一時間二十八分ほど前に髪留めを奪われた。奪還する」 事の経緯を漸く把握したアキラは苦笑せずにはいられない。 レジェネイトきっての悪戯っ子…二人とも一応大人であるのだが、敢えてそこには触れない。 フィオラとクレージュがからかう相手として狙った相手がケイなのだと、理解する。 「それは、ご愁傷様。あの二人の気が済むまで返してもらえないんじゃないかな」 性質の悪い相手に狙われたものだ。 あの二人にからかわれた相手は彼女たちに良いように遊ばれるのだから。 何せこちらにも身に覚えがある。恐らくバルトも、ティエルも既に経験済みだろう。 これまでにケイに被害がなかったのは、彼のからかい甲斐のない性格にあるのだろうが、 それは以前までのこと、と括る。何故ならケイの内面性は、少しずつ変わっているから。 「―――――失礼しまーす。アキラ教授、ティエルからのお届けものですよ」 アキラの返答にケイが怪訝そうな顔を見せた瞬間だった。 研究所に入出する際に鳴るサイレンと共に、 上下左右の強硬な扉が開いた場所から現れた姿に皆の視線がそちらに注ぐ。 「―――アヤ」 我先に、というわけではないのだろうが、いち早く現れた少女の傍に駆け寄ったケイは、 アヤが両手いっぱいに抱える大量の資料を軽々奪い取る。 「ありが……」 「アキラ教授、これはどこに置けばいい?」 視界が遮られるほどの高さがあったそれがなくなった瞬間、ケイに礼を言おうと 顔上げると、そのままの状態で間抜け面よろしく硬直するアヤの姿。 けれどそんなことに露ほども気付かぬケイは、アキラの指示を仰ぎ、 指定された場所へ丁寧に資料を運んだ。 「え、ちょ、は?」 「どうしたアヤ。どもっているぞ」 「あ、あんた誰?声はケイよね?…………ハッ、まさか双子っていうドッキリ作戦!?」 「違う俺がケイだ。…ドッキリ作戦とは何だ」 間髪をいれずきっぱりと断言するケイは、僅かに眉間に皺を寄せる。 失礼ながらも自らをケイと名乗る男に指をさしたまま硬直しているアヤは、 何度も目を瞬かせてかと思いきや、途端に胡乱気に目を細め顔をずずい、と近づける。 その顔はいかにも、疑ってます、と訴えていた。 「……ケイは三つ編みスタイルが主流なのに?」 「別に主流ということはないが」 「だ、だってだって……ほんとにケイ?」 「俺以外に、誰に見えると言うんだ」 半ば呆れ顔で目を細めたケイは、肩にかかっている髪を耳にかける。 おろしているせいで拍車がかかり、雰囲気ががらりとかわっているその仕草が 一々似合っている。感嘆すると同時に、段々惨めになってきた。 「な、何かちょっとムカついてきたんだけど」 「今までの工程のどこにアヤが気分を害する要素があった?」 「うっさいわねぇ、女として自信がなくなっただなんて言わせるんじゃないわよ…」 唇を尖らせ、視線を逸らしながらブツブツと呟く姿はあからさまに拗ねている。 心なしか語尾が萎み、普通の人間ならば再度聞き直さなければならないほどであったが、 機械人形屈指の聴力を持つケイにそれは通用しない。 僅かなノイズさえ拾う、今は有難くも何ともない聴力をフルに稼働させ、 アヤが零した言葉を一字一句メモリの中に一度保存をする。 それを理解し、処理するまでまでに秒数はかからない。 「―――アヤには女性としての魅力が十分にあると思うが?」 さも当然に。爆弾発言をかましたケイは、さらりと言ってのける。 その言葉に、勢いよく振り返る研究員が数名。それはアキラもまた然り。 だが、最も身動きが取れず唖然としている人物は、ケイの目の前にいる少女であった。 「……は?」 ぽかん、と口を開いたまま相変わらずの無表情を保ったケイを、 穴が開かんばかりに凝視し、呼吸の仕方も忘れたかのように微動だにしない。 それを不審に感じたのか、アヤの肩を軽く揺さぶったケイにハッと我に返ると、 徐々に真っ赤に染まるアヤの顔。 「発熱か?顔周辺に熱が溜まっている」 僅かに歪んだ柳眉は、まるで心配しているようだった。 硬直したままのアヤの額に手袋を外してソッと手を添えれば、伝わる人の温もり。 太陽の光を受けているわけでもないのにキラキラと煌く金の糸。 一本一本が光沢を放っているかのようで、まるで絹のような手触りを思わせるそれは、 ケイが動くたびにさらさらと揺れる。 「熱は、ないようだな」 近くに寄った顔が少し離れる。 視界いっぱいに広がった金色の世界が離れて行くのが、少しだけ勿体ないと感じた。 だからなのか、決して意識しているわけではないのだが……。 「……アヤ?」 気がつけば、その一房を掴んでいただなんて。 「あ、えーっと…」 顔を赤くしたまま、ケイの横髪を掴んで挙動不審になっているアヤは、 視線を泳がせて何とか言い訳を作ろうと必死だった。 「どうした?」 「や、何でもない!よし、丁度ゴム持ってるから私が特別に括ってあげるわ!!」 「お、おい?」 「ほらほら。早くここに座んなさいって!」 たじろぐケイの背をぐいぐいと押し、半ば強制定期に椅子に座らせたアヤは、 制服のポケットに入っているプラスチック製の安物の櫛を取り出した。 不服そうではあるがようやく大人しくなったケイを後ろから見下ろし、こっそり嘆息する。 この溜息はきっと聴力の良い彼には、十分聞こえてしまっているのだろうが。 さらさら、さらさら。 それはしなやかで美しい輝き。 一本、また一本。千切らないよう、細心の注意を払って。 今日は髪型を変えて この胸の高鳴りは貴方のせい 鼓動を鎮まらせるために、私は金の糸に指を絡めるの
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