01 もう戻らないとは知っていても





ミラが失明してから、たった一人の兄であるシリウスは末っ子の妹の看病に付きっきりだった。

魔族に村を襲われて、おおよそ二週間。
まだ地面は焦げ臭く、亡くなった人達の墓を作り上げるのがやっとで、
村の復興なんてとてもじゃないが取り掛かることが出来ない。
偽善活動が出来るほど、皆の心身には余裕がなかった。

シリウスとミラの父親が失踪して二日目。
三日前までは、カイリアの村で村人達と一緒に作業をしていた。
誰が亡くなったのか。誰が行方不明なのか。食料はあるのか、など。
そして、ミラの病を治すために必死で医者を探し回っていた。

(大丈夫、すぐに父さんがお医者さん連れてくるからな)

不安がる兄妹を安心させるように薄ら笑みを浮かべ、
一人で家事をこなしていたシリウスの頭を撫ぜた、唯一の親。

けれど、男の影はこの家から、いや村から消え失せ、
最後の頼みの綱である財産でさえも、金庫からなくなっていた。





「ミラ」


リビルソルト都市部から配給されている衣料品を両手に持ち、懸命に走る。
一人で寂しく留守番をしているミラを思ってか、シリウスの足取りも自然と速くなる。
彼自身もボロボロなのに、彼は医療品を全て妹のミラに割り当てていた。
普通なら大人達がそれを止めるのだが、ほぼ半分が焼き払われたこの村に、
近所の少年の様態など気遣える者は一人としていなかった。
寧ろ足りない品が誰かの手に渡っているのを見つけては、
妬ましいという眼差しで睨んでいるだけである。


だからシリウスは誰にも頼らない。

頼りたくても、頼れなかった。


孤独と不安と憎しみが混ざり合い、幼い心を焼き尽くす。
けれどそれは、決してミラには知られないように細心の注意を払いながら。


「ミラ」

息を切らせて扉を開いたシリウスは、第一声に妹の名前を口にする。
するとどこかで呻き声が聞こえた。
よく耳を澄ませば、蚊が鳴くような小さな声ではあるが「おかえり」と戻ってきた。

きつい薬品の臭いに一瞬顔をしかめたシリウスは一度頭を振り、頬を緩ませる。
苛立ったような、緊迫した雰囲気を妹に知られないためだった。


「ただいま。さあ、包帯取り替えよう」

「………」

「どうした、どこが痛いのか?」


全身を包帯で保護している妹の姿は、
もはやそれが少女なのか少年なのかさえ区別がつかない。
くぐもった声はひどく掠れていて、常に水分を欲している。
水差しの中が空になっていることに気付いたシリウスは、
汲んでおいた桶からそっと水を汲み直す。


「あ、……あ、し」

「足…。待ってろ、今鎮痛剤打つから」

「あ、あつ、い、よ」

「我慢するんだ。絶対に良くなる。な?」

「お、とうさ、は?」

「………医者探しに行ってる。ミラが心配しなくてもいいんだ」



父親という言葉に思わず手を止める。
けれどどこを向いているか分からないミラには、きっと悟られなかったはずだ。
第一、既にミラの視力は失われているのだから。


「痛いけど我慢しろよ。」


細い注射針を、包帯を解いて火傷をしている、ただれた細い足に注入する。
しかしあまりの痛さにミラは悲鳴を上げて暴れだした。


「うっ……が、…っ!」


シリウスの腕を掴み、爪を立ててそのまま握り込む。
深くえぐれるような痛みに耐えながら、シリウスは空いた手でミラの肩を押し付けた。
彼の左腕には、既に幾つもの赤い線が痕となっていた。



「い、た……いたい!イタイいたいっ!!」



暴れるせいで上手く針が通らない。
こうやって毎日ミラは涙を流しながら、大声で泣き叫ぶ。
生きていることが地獄だと訴えているような、悲痛な声。


これが、今の日常だった。


「ごめ、ミラ…ごめん」


傷口に爪が立てられても、シリウスはそれを耐える。
代わりに、うわ言のように謝罪を繰り返す。
血が包帯に垂れないように、早く処置が終わるように。

シリウスの眦には、いつも一筋分の涙が浮かんでいる。



「ごめん」



慣れない作業に悪戦苦闘しながらも、
ようやく一日が終わり、静かに寝息をたてるミラを見てホッと安堵する。
今の生きがいは、妹の穏やかな寝息だった。

先ほど爪を立てられた腕に、慣れた手つきで薬草を潰し出す。
粘着力のある固形にまで小さくしたそれを、一気に傷口に押し付けた。


「―――――っ!!」


あまりの激痛に薬草を地面に落とし、冷たい床にうずくまる。
けれど、悲鳴を上げることも涙を流すこともなかった。
歯を食いしばり、声を出さないよう必死に抑えつける。



「………なんで」



どうしてこんなことになってしまったのだろう。
どうして妹と自分がこんな目に遭っているのだろう。
どうして父親は何もかもを持って出て行ってしまったんだろう。


どうして、あの子は視力を失わなければならなかったのだろう。


「くそっ」


返せと心が叫ぶ。
だがもう戻らないのだと肯定してしまっている自分に嫌気がさす。


「かえせよ」


誰にも頼らない。
誰にも頼ることが出来ない。
誰も、見てくれない。



「かえせ、返せっ」



妹の眼差しさえ、怖いのだ。
顔が見えない分あの白い包帯が妙に浮いていて、
その中から見える二つの目が、恐ろしいと感じてしまった。


あれはミラだ。怖がるな。
落ち着け。安心させることを第一に考えろ。
しっかりしろ。

俺が、お兄ちゃんだろう。



「―――おはよう、ミラ」



また今日が始まる。いつになったら、この地獄から抜け出せるのだろう。
ひたむきに隠すこの恐怖に、妹はいつ気付いてしまうのだろう。







もう戻らない と  は  知っていても







「俺が、守るよ。絶対に守るから」


どうか気付かないで

気付いてしまったら、戻らない過去に縋りたくなるから









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