ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
















「…………ひっじょーに読みにくいわけなんですど」





右手で本を支え、左手でページを捲る作業がこんなに大変だったとは。
いやはや、普通に机に両腕を乗せ、椅子に座れば何一つ辛くなどない。
そう、普通は、だが。


「なー、それで何冊目?」


ずしり、と背中に来る重みにげんなりしながらアヤは溜息を吐いた。
レジェネイトで手伝いをしているアヤなのだが、久々に休暇が出たので
さあ何をしよう、と考えていたのだが、趣味の読書に走ったわけだ。

…………で、この様子なのだが。



「まだ二冊目よ。てかバルト仕事は?またケイに怒られるわよ?」



後ろから抱きつくように引っ付いている大きな塊に読書の時間を邪魔されている。
最初の方こそ適当にあしらっておけば仕事に戻るかと思っていたのだが……。



「二冊もだろ?それとケイの名前は禁止。なーんかムカつく」



かれこれ何度同じような台詞を繰り返したのだろう。
飽きもせず抱きついたままのバルトは、時々私の髪を掬ってはそれに口付けを落とす。
正直、その行為の意図が掴めなくて困っているわけなんだけどね。
本に集中してるからまだマシだけど、恥ずかしくてしょうがない。
こんな所を誰かに見られたら……ああ、アドリー教授やクレージュ教授
加えてフィオラ辺りなら絶対にからかうに決まってるわ。憂鬱。



「はいはい(何でケイ?)」

「あ、それ絶対分かってないだろ。
 なーアヤちゃん本にばっかりじゃなくて俺にも構ってよ」

「バルトが今日休暇で、尚且つ溜まってた仕事を終わらせていたら考えてあげる」

「…………アヤちゃん酷い」

「あらいいのよ?今、ここで、アキラ教授、呼んでも」



にこり、と今日初めてバルトの方を見て爽やかに笑顔を見せたアヤは
してやったり、というような悪戯を思いついたような子供の雰囲気を醸し出している。
アヤの視線が自分に動いた嬉しさと、突きつけられる現実。
強調するためわざと区切りを多くしたアヤの言葉にバルトはピシリ、と
漬け物石の如く微動だにせず固まった。心なしか顔も引き攣っている。



「アキラ教授優しいもんね。でも仕事に真面目な人だから、
 バルトがこんな所で油売っててサボってるのを見たら………」

「だあぁぁああ!アキラ教授マジ怖いんだから止めてくれよぉっ!!」



身に覚えがあるのかアヤを抱きしめていた腕を放し、自分を掻き抱く真似をする。
蒼白な顔にちょっぴり泣きそうな、情けない顔に自然と笑みが零れた。

そう、あの温厚で紳士的で人畜無害な笑顔の、あのアキラ教授がだ。
見てしまったものは仕様がない。見てしまったのだから。
バルトが仕事をサボるのは最早レジェネイトでは恒例なのだが、
それを微笑ましく見守る者もいれば鬼の如く怒る者も存在しているのだ。
それが、あのアキラ教授なのだが。



「"常習犯を見かけたら連絡お願いしますね"だって」

「わわっ頼む!今回は見逃して、このとーり!!」



パンッ、と両手を合わせて頭を下げたバルトはそれはもう必死だった。
何時しかサボっている所をアキラ教授に発見されてしまい、
何か黒いものを背負った抵抗を許されない笑顔に呑み込まれ、
二ヶ月以上過疎化地域に派遣された挙句、そのままの足でウイルスとの
ドンチャン騒ぎに駆り出され、次いでと言わんばかりに半月隣国の警備。
それに便乗してクレージュ教授辺りが余計な仕事を増やすのだが、
彼女に頼まれる仕事はまだ可愛いものだ。アキラ教授に派遣される場所は
機械人形であっても半端ではないほど辛い環境なのだ。

ビクビクして普段の威厳を自ら壊したバルトにアヤはもう一つクスリと笑う。
それは非常に穏やかなもので、先ほどのような意地悪な雰囲気は皆無だ。
もしバルトが顔を上げていたら、きっと衝動に駆られて抱きしめていただろう。
そんなことは露知らず、アヤはギッと椅子を回転させ、
重力によって下がっているバルトの髪の毛をそっと拾い上げると、
そのままの手つきで緑色の頭をわしわしと撫でた。



「しょうがないなぁ、今日は見逃してあげるよ」



全く持ってバルトに甘い。
最近気付いたことなのだが、どうも私は彼の態度の変化に弱いようなのだ。
普段は少し格好付けで無邪気ながらも青年らしい頼り甲斐のある雰囲気なのだが、
今のように弱点を狙われ追い詰められた時の困り果てた様子のギャップが可愛らしい。
おっと、こんなことをバルトに言うと怒られて挙句の果てには拗ねられそうだ。


「マジで!?」

「マジ。でも後でちゃんと片付けなくちゃ駄目だよ?」

「するする!俺に任せればパパッと終わっちまうんだから!」


それなら先に終わらせればいいのに、とは言わない。
ぱあっ、と子供のように明るくなるバルトの笑顔につられて一笑。
双子の弟ならいるが、年の離れた兄弟はいない。
もしいたとすれば、こんな心境なのだろうか。
ご機嫌取りは大変だが、その分笑顔が可愛らしい。
まるで犬のような懐きっぷりにアヤも満更でもない様子で頭を撫で続ける。



「よし、それじゃ私は読書に戻るね」



さてこれで一段落ついた、と斜めに動かしていた椅子を元に戻そうとした瞬間、
再び訪れる背中に来るずっしりとした確かな重み。

…………ええっと?



「バルトさん、アキラ教授には言わないからどいてくれない?」

「やだ」



きっぱりと嫌だとのたまったバルトにアヤは思わずこめかみを押さえる。
大袈裟なほど盛大な溜息を吐き、何とか圧し掛かっている腕を払おうともがくが
もがけばもがこうとする分だけバルトがギュッとアヤを抱きしめる。
流石に首を絞めるような真似はしないだろうが暑苦しいことこの上ない。


「もう、バルトいい加減に――――!!」

「だってアヤちゃんが俺を見てくれないからだろ!?」


叫びを叫びで返す。
アヤはともかく、バルトは耳元なのだからアヤはキーンと来る耳鳴りに
耳元を軽く押さえる。しかしバルトは気付いていない様子で、
いつも以上にムスッとした表情であらぬ方向を向いている。


「………は?」

「本の虫のアヤちゃん見てたって俺は面白くない」

「いや、今日は私の休暇だからバルトには関係ないと思うんだけど」

「折角サボる口実が出来たのに、勿体無いだろ……」

「勿体無い?何が………ひゃっ!」


文句を言おうとした瞬間、アヤの視界が真っ暗になる。
驚いて短く悲鳴を上げると、頭上からくすくすと嬉しそうな笑い声。




「はい、これでアヤちゃんの視界には本は映らないよ」




片手で相変わらずアヤを抱いたまま、もう一つの手でアヤの視界を塞ぐ。



「あら、本だけじゃなくてバルトの姿もこれじゃあ見れないわね」



怒りなどとっくに通り越している。
呆れ声に乗せた声は、思いの外穏やかでどこか面白がっていた。



「ん?大丈夫。こうすればっ、と」



ギイッと音を立てて椅子が回る。
世界の見えない状態での動作にまたしても情けない悲鳴を上げたアヤは
悔しそうに、だがそれよりも恥ずかしさが勝って頬骨あたりが真っ赤になる。
椅子を回した時にいつの間にかアヤを放していた空いた手で、
壊れ物を扱うかのようにそっとその頬にバルトの手が添えられる。
手袋越しではあるが、ひんやりとしたそれは心地よい。



「ほら、こうすれば」



優しく視界を塞いでいた手をどかす。
そして自然な動きで、アヤの手を握った。






「俺しか見えないだろ?」







そう、それはまさに











幼子のように無邪気な独占欲












でもね、嫌じゃないの

だって貴方がこんなに嬉しそうに、笑ってくれるんだもの












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