神は世界を生み出した 神は世界を光へと導いた 時として神は天使を生み出し、寿命を持つイキモノを生み出した 世界が混沌に呑み込まれるとき 神は混沌を引き起こしたイキモノを見捨てた 見捨てられたイキモノは闇の世界へ葬られた イキモノは悪環境の世界に慣れるように、徐々に進化していった それは種族と呼ばれた 闇の世界に生きる彼らは、徐々に数を増やしていった 神は逆らうものを闇の世界へ葬り続けた 神は反逆者に対しては決して慈悲深くなかった 僕である天使が反逆すれば、躊躇うことなく追放した 種族が爆発的に数を増やしたとき、種族の中から王が選ばれた 王は再度光を取り戻そうと神と対抗した 神の怒りは闇の世界だけではなく、母なる海さえも焦がし続けた 神は最大だった、最強だった 種族は更に進化を遂げた 見た目天使と変わらぬ彼らの背から、彼らの心の色を司るような真っ黒な翼が、生えはじめた 彼らは空を自由に飛んだ 神に追放された天使も、次第に純白の羽を黒に染めていった 種族は「魔族」と呼ばれるようになった 神は不思議な力で魔族を殺し続けた 二度と逆らうものが出ぬよう、力でねじ伏せた その時代に神は「人間」を生み出していた 人間は弱かった、だから神に逆らうものはいなかった 神は人間を愛した 人間も神を愛した しかし、人間が魔族を愛してしまうこともあった 神はそれを恐れた 魔族を愛した人間を自らの手で殺し続けた 人間は神を恐れた 人間は神を信じなくなった 神は人間から見放された それでも神は自らの行いを改めることはなかった 時が流れた 人間の神に対する信仰は薄まり、徐々に彼らは独立していった 人間の中から不思議な力を持つ者が幾つか生まれた 神はそれを恐れ、手にかけようとした しかし神は人間を殺すことが出来なかった 神は更に人間を恐れた 手にかけられそうになった人間たちも神を恐れ、怒り、苦しんだ 人間の住まう世界の精霊たちが人間を助けた 人間は精霊たちを愛した だから精霊たちも人間を愛した 神は精霊の加護を受ける人間を殺すことが出来なくなった しかし人間と人間との間で途絶えることのない戦争が何度も起こった 人間は人間を妬み、恨み、憎んだ 人間は自らの魂を闇の世界の住人に売った 魔族は彼らを受け入れた 人間も魔族を受け入れた そして純血の魔族と混血の魔族の種類が分けられることとなった 彼らの住まう世界を、「魔界」と呼ぶ そして反逆者を殺し、葬り続けた神を いつしか人々は、「ゼウス」と呼ぶようになった ■天と地の狭間の英雄■ 【それでも歩く足があるのなら】 「―――――っ!!」 息を呑む。だがその前に激痛が走る。 「邪魔だと言ったのが、聞こえなかったか?」 矢を番えたアスティアの腕を、一瞬で移動してきたルシフェルが締め上げる。 細く重い弓は簡単に手から滑り落ちた。 そのまま仰向けに押し倒される。地面と顎が激突しなかっただけまだましだが、 既に体中あちこちを負傷しているアスティアの体は更に悲鳴を上げた。 悲鳴を上げようにも、背中から肺の辺りを強く押されているため上手く声が出ない。息が出来ない。 ぎりぎりと締め上げられる左腕の感覚はほぼなかった。 日頃使わない筋肉がぎしぎしとなっている。このままでは簡単に折られてしまう。 何とかしなければ。何とかしてこの状況を打破しなければ。 だが焦るばかりで行動に出る事が出来ない。 この細い腕にどれだけの力がかかっているかなんて分からない。 じりじりと、だが確実に締め上げれる苦痛に何度も呻き声を上げる。 みし、と音がする。やばい、本気で折るつもりだ。 あと、少し。 しかしあと一歩のところで邪魔が入る。 横から来る殺気に反応したルシフェルは、軽く舌打ちしてアスティアの手を離し後退した。 首筋に感じる視線が痛い。今にも殺しそうな勢いのそれに、ルシフェルは軽く笑った。 先ほどいた位置が窪む。 ネズミのように素早い動きのそれが現れたと同時にバキ、と音を立てて地面は軽く陥没した。 ふわりと風が舞えば砂も一緒にどこかへ飛んでいく。 自由になった手をゆっくり下ろしながら、アスティアはそれまで呆然としていたイスカの助けを受け 何とか起き上がっていた。しかし、腕はもう使い物にならないだろう。 治療すれば以前と同じように使えるが、今はもう無理だ。折れてはいないが、捻っている。 「ア・・・レスト。」 身体は酸素を欲していた。 だから声は掠れて、どうやっても肩で息をしてしまう。 それでも彼女の視界は良好だった。全く変わらなかった。 寧ろ視界が良すぎて、目の前の光景が嘘のように感じられた。 「うちの仲間にこれ以上手を出すのは、許さへんっ。」 手を伸ばせば掴む事が出来る距離に、仲間はいた。 しかし、彼女は・・・。 亡きシギと共に、戦線離脱してたのではなかったのだろうか。 それを思わせないかのようにアレストの姿は凛々しかった。 しゃんと背筋を伸ばし、いつものように拳を握り締め、深く腰を下ろし敵を見据えている。 毛先が大分痛んでいるが、亜麻色の髪はいつもと変わらず少し撥ねていた。 明らかに一番防御力がなさそうな彼女の素肌は所々に傷がある。 特に目を惹いたのは足元だった。 何かがずり落ちたような跡がある。色は赤。血の色だ。 迷うことはない。紛れもない、シギのものだ。 「1人、減っていたと思っていたら・・・。」 口元は薄く笑っているルシフェルだが、目は笑っていない。 突然現れた邪魔者に苛立っているのか面倒くさそうに長い髪を掻き揚げた。 その動作と一緒に風が流れる。実に穏やかだった。 「そうか、そうだった。・・・大天使シギは、死んだのだったな。」 すっと目を瞑り、遥か彼方へ目をやった。 その場所には何もない。ただ永遠とも思える青色の世界が広がっているだけだ。 彼が見ているのは、「輪廻の門」だ。 生きとし生けるものが死ねば、その魂を浄化し、真っ白に戻すために潜る門。 始まりの門でもあり終わりの門でもある。 無論、自分も死ねば肉体は消え、魂は急速に門へ吸い込まれるだろう。 本来ならば憎きゼウス神に天界から追放されたあの日から、門へ流されるはずだったこの身。 恐れはない。だがまだ死ねない。死ぬことは許されない。 大天使シギ。何度か目にしている。惜しい人材だった。 風の便りを聞けば、彼はこの人間の女を守って勇敢に死んだとか。 なかなかの逸材であったのは確かだが、同時に愚かしく非力な天使だと感じた。 「ならば奴を追いかけさせてやろう。私の手で、な。」 愛しい者の追いかけさせてやろう。 ゼウス神の手ではなく、このルシフェルの手で。 「あほ言うなやっ!!」 振りかざす剣に素早く反応したアレストは反射的に怒鳴りつける。 その形相に興味が出たのか、にたりとルシフェルは笑っている。 しかし剣を操る腕の動きは止まらない。 すばしっこく逃げる彼女をどうやって狩ろうかと、楽しんでいるようにも見える。 その笑みが気にくわないアレストは顔を真っ赤にさせて、 明らかにこちら側が不利だと言うのに空を飛んでいる天使を睨みつけた。 「うちは自分の命を粗末にするようなことはせぇへんっ!! うちの命はシギに与えられたもんやっ。シギが守ってくれたもんや!! そんな大事なもんを、楽になりたいからって簡単に放り投げることなんて・・・出来るわけないやろ!!?」 ぴたりとルシフェルの動きが止まる。 その僅かな隙を逃すわけがなかった。 大きく跳躍したアレストは、大きく回転し、拳と拳を合わせてルシフェルのみぞおちに一撃を与える。 手ごたえはあった。微かに聞こえた呻き声とともに天使の身体は大地に撃ち付けられた。 追い討ちをかけるようにいつの間にか唱えていたミカエルの魔法が直撃する。 大地にのめりこんだそれを蝕むように、地面が唸る。 ルシフェルが落ちたとされる場所から褐色の魔方陣が浮き上がった。 ミカエルはそこに腕を伸ばしたまま動かない。呪文を唱え続けている。 空に円を書く、文字を書く、口ずさむのは、神々に捧げる言葉、精霊たちとの誓約の言葉。 膝をついて着地したアレストはじっと前を見据えた。 今は"シギ"という言葉を聞きたくない。 誘惑されそうなほど甘く心地よい音は、一体自分をどこまで酔わせるのだろう。 けれど消え去る光の中、彼の声は確かにアレストの頭の中に響いた。 ああ、なんで なんであんたは、最後までうちのことを守ってくれるんやろう 一発殴ってやりたかった 出来なかったから、これでもかってぐらい、冷えて消え行く身体を抱きしめ続けていた 肉体は光になり、徐々に重さを失い、金色の光になってどこかへ飛び去ってしまった 顔が見えていたら、絶対に笑っていた そんな言葉を乗せて 消えた 「アレスト・・・。」 「あんたがゼウス神を憎むっちゅう気持ちは分かる。 うちにとっても、多分他の仲間も、ゼウス神は危険対象として見とる。」 この声が彼に伝わっているかどうかは定かではない。 離れた所にいるミカエルが一人で魔法を唱え続け、攻撃をしかけているからだ。 しかしどこに気配を巡らしても、彼がいる気配はない。 だとすれば、アレストが落としたあの場所にいることは間違いないだろう。 「あんた、大丈夫なの?」 何度も荒い息を吐き聞こえた言葉は労わりの声だった。 掠れ掠れになりながらも、懸命に言葉を紡ぐ。 その背をイスカが心配そうにさすった。 自由になったとはいえ、ルシフェルからかけられた圧力は計り知れたものではない。 締め上げられた左手首は紫色に変色し、見るからに痛ましかった。 それだけでなく白かった腕は真っ赤に染まり、ただれている。 患部に触れないようにそっと彼女を抱き起こすイスカは、まるで壊れ物を扱うかのように繊細な動作だった。 癒してあげたいが、如何せん治癒能力は持っていない。 そんなのでよくミカエルの腕として働いてきたな、と自分でも大きく頷けるほど強く思う。 それでも彼の笑顔は、信頼を寄せるものであったと信じたい。 やっとのことで背凭れに出来そうな大木の所へ移動すると、アスティアは一度息を吐いた。 アスティアは戦線離脱だ。これ以上は、許せない。 それでもイスカは彼女が大事にしている弓をそっと彼女の手に握らせた。 それほど大事な物なのか、弱々しかった握力は徐々に力を強める。 「・・・大丈夫なわけ、ないやん。」 以外に声はしっかりしていた。しかしその声とは裏腹に言葉は頼りない。 眉をかわいそうなくらいに下げ、今にも泣きそうな顔をしている。 ああ、聞くべきではなかったかと後悔するが、彼女が離脱せずここに来たと言うことは それなりの覚悟を持っているからだ。そうでなければ彼女は邪魔にしかならない。 シギの死を乗り越えられないようならば、彼女は無理やりにでもどこか安全な場所へ連れて行くべきだ。 ぐっと唇を噛む。 安全な場所なんて、今この天界にあるかどうかさえ怪しいと言うのに、何故そんなことを考えたのだろう。 「けど・・・じっとしてられへんねん。」 守られていれば苦しまずに済むかもしれない。 ただ愛しき者の死を嘆いていれば、誰かが慰めてくれるかもしれない。 そんなの嫌だ。それだけは嫌なんだ。 「・・・じゃあ、私の分はあんたに任せるわ。」 一度咳き込んだ後、アスティアは投げやりにそう言った。 思わず目を点にしたイスカは驚きのあまり声も出ないのか、アレストとアスティアを交互に見ている。 唖然としたのは彼だけではない。アレストもそうだ。 いつ何時でも自分のペースを崩さないのが彼女の特徴なのだが、まさかここでもそれを貫き通すとは。 これはもう流石としか言いようがない。 いまいち理解し切れていないアレストは軽く頭を掻いた。 頼られたことはいいのだが、ここは一体どういう反応をすべきであろうか。 普段から考えるより即行動の彼女には全くと言っていいほど理解するどころか、自分で解釈することも出来なかった。 「馬鹿ね、私はこれ以上このままでいたら腕が完全に動かせなくなるの。 だから治そうとしてんのよ、分かんない?全く、体よりもおつむの方を鍛えたほうがいいんじゃないの。」 「な・・・な・・・」 「ほらさっさと行きなさい。それともミカエル一人であいつと戦わせる気?」 「―――――っ!わ、分かっとる!!」 しっし、と追い出すかのように手で掃われたアレストはその場から逃げるように走り去って行った。 呆れを通り越して、ある意味尊敬の意味でそれを長めていたイスカの髪が誰かの手によって引っ張られる。 意外どころか、かなり強い力だ。容赦がない。 「い、いだだだあだだだっ!!」 「天使がこれくらいで情けない声だしてんじゃないわよ。」 「天使とか関係ないって!いっ・・・たいいたいいたいっ!!」 「だらしないわね。」 かわいそうなくらいの情けない叫び声に、アスティアの切れの良い眉がぐっと寄った。 あ、機嫌悪い・・・? 「いたた・・・。アスティア、何するのさ!?」 「"さっさとあんたも行きなさい"って忠告しようとしたんだけど?」 「誰がどう聞いても命令だ、それ。」 「そうとも言うわね。どうでもいいからさっさと行きなさいよ。」 「どうでもって・・・。」 ああ、絶対に遊ばれてる。おちょくられてる。怪我の痛みで八つ当たりされてる。 考えただけでも暗くなる。何で俺はこの人の玩具にされてるんだ? 「ほら、行きなさい。」 また小言でも言われるのだろうかと肩を大袈裟に下げていれば、ふわりと頭に柔らかな手が乗った。 今度はその細い指で髪の毛を引っ張ることはない。 ただ、母親が子供に対してするような滑らかな手つきでイスカの頭をゆっくり撫でる。 安心させるためなのだろうが、違和感があって逆に恐れを感じる。 「アス・・・ティア?」 不安そうな声を出せば、撫でられていた手がピタリと止む。 ゆっくり白い指が額にずれ、かなりの力で弾いた。 ごつん、と鈍い痛みがじわじわと広がる。 短く悲鳴を上げたイスカは遊ばれているのが悔しくて思わず涙目になる。 抗議しようにも抗議する相手が悪すぎる。 押しが弱く押されると更に弱いイスカならばものの数秒で反撃されるのが落ちだ。 敢えて堪える。何か言いたげの真っ直ぐな瞳に思わず笑いそうになるアスティアだが 如何せん彼女が感情を表に出して笑うことはあまりない。 暫く無表情でイスカを見つめていれば、居たたまれなくなった彼の方が先に駆けて行く。 足取りに迷いはない。 けれど一度だけ足を止めて、「行ってくる」と一言だけ置いて奥へ走り出す。 天使なんだから飛べばいいのに・・・と呑気に考え耽っていたアスティアは 騒がしい仲間がいなくなってからようやく気付いた。 負傷した患部が表現しきれないほど痛いということに。 (全く、何で私がこんな目に・・・) 心の中で毒づきながらも、彼女は自分の長から教わった治癒能力をゆっくり発揮させる。 フェイルや他の魔法使いと比べたら半端ではないくらい遅い。だが少しずつ治癒していることは事実。 ああそう言えばと、ふと金色の髪の少女を思い出す。 今はゼウス神と対峙しているはずだ。 大分はなれたところにいるが、時折聞こえる壮絶な音はここまで届いている。 魔法使いというのは、己が負傷した時に自分自身を治療出来ないわけではない。 しかし、フェイルは違った。 彼女は誰かを癒すことが出来ても、自分を癒すことは出来なかった。 基本的に彼女も自分も後方で支援するタイプだったからあまり気にしていなかったが、 フェイルが誰かを庇って大怪我を負う日もあった。 自分で癒せないということは仲間の誰もが知っていること。 だからリュオイル達が本気で怒り、悲しそうにしていたこともしっかり覚えている。 アスティアと出会ってからは彼女がフェイルを治療する役が多かった。 では出会う前は・・・。きっと、仲間達が必死で町を目指し、医者か魔法使いに診せていたのだろう。 そこまで考えてアスティアは苦々しく薄く笑った。 (自己犠牲の塊って言っても過言じゃないわ。) 強く見えて実は脆い部分が多かった。 それでも、全部ひっくるめて彼女が好きだと皆口々に言うだろう。 その中に隠れながらも自分がいる。 最初こそ信じられなかったが、付き合いだして仲間と言う心地よさに浸っていた。 いや、浸りすぎていた。これは誤算だった。 大切で大切だからこそ、だからと言って無駄に命を掛けることは出来ないが 私は既に脱出することが出来ないぬかるみにはまってしまったんだ。 はまってしまったのならどうしようもない。 ならば、とことんはまり続けてやろうではないか。 命を無駄にはしない。 シギがアレストに与えたように、私も誰かに与えられている。 帰る場所がある。待っている人がいる。 (だからフェイル) あんたも、帰るのよ、私たちと一緒に 知らない 大切な仲間が犠牲にならなければならないなんて 一人を除いてこの場にいる者は、知らない 土煙がごう、と舞い上がる。 一撃を食らわしたあと、ミカエルは一点だけをじっと見据えていた。 警戒心は解かれていない。と言うことは、あれだけの攻撃を食らっても敵はまだ生きているということになる。 遅れてアレストとイスカが彼の傍に駆け寄る。 ミカエルを中心に、左にアレスト、右にイスカといった順で体勢を整える。 煙は未だ上がり続ける。 アレストの額からじわりと汗が浮かび上がってきた。 緊張から来るそれを抑えようとすればするほど、心臓の音が治まることはない。 「―――伏せてっ!!」 緊迫した叫び声が響く。 瞬時に横、あるいは後ろに下がった。 一度だけバシ、と鼓膜が破れそうなほどの音が鳴ると、先ほどいた場所から紫色の稲妻が光った。 ただし見えたのは一回きり。それ以後は気配さえしない。 突然の攻撃に驚いていたのはアレストだけだった。 予測済みだったのか、ミカエルとイスカの表情は実に淡白だ。 だが警戒心は更に強まった。 細められた目は何かを確実に捉えている。 言うまでもない、ルシフェルだ。 煙の形が不自然に歪む。何かが風に乗って、1つの羽ばたきが聞こえた。 音に敏感に反応したのは翼を持つ者。 イスカとミカエルが真っ先に動く。その動作は、瞬き一回分。 気が付けばキン、と高い音が響き2つの影から3つの影に変わっていた。 「さすがに、堪えたな。」 うっすら浮かべた笑みには挑発的な色も垣間見えた。 大きく飛んできた彼を受け止め今もその状態を保っているのはミカエル、そしてイスカ。 ほぼ同じ長さと大きさの剣が二つ。大きさは倍以上あるであろう大剣が一つ。 押す力は二対一。明らかにルシフェルの方が不利だ。 「楽になりたいからと言って放り出すことはできない、か。」 先のアレストの言葉をゆっくりと口に出す。 クツクツと笑えば、今度見せた表情は自嘲的な笑顔だった。 「なかなか、良い台詞だな。」 まるで自分に言い聞かされているかのような、しかしそれを認めるわけにはいかない。 確かに楽になりたいのかもしれない。 この腐った世界を創りなおすためにも、早急に方を付けたいと思うのもまた事実。 しかし、楽になるにはまだ早過ぎる。 追い詰めて追い詰めて、時期を見計らってようやく達成出来そうなのに、手放すわけにはいかない。 考えることは皆一緒だ。 敵であろうが味方であろうが、終わってもいないのに楽になんてなれやしないと。 「だが実際私たちは衝突している。ならば、障害は取り除かなければならないだろう?」 同じ意思を持っていても、それに相反する理想を持っていては話しにならない。 ぶつかりあい、最後にはどちらかが敗れるまで戦うのみ。 譲れない思いがあるのならば、命を持ってそれを証明するべきであろう。 再度笑い出す。 自分と変わらない声を聞いてミカエルは眉をひそめた。 じりじりと押されているのはミカエル達だった。 一つの剣を二人で制しても、彼を押し負かすどころか、こちらが不利になりつつある。 強く唇を噛めば、口内でじわりと血の味が広がる。決して良い気分ではない。 それを飲み込み、相手の出方を伺うが何が可笑しいのか笑っているばかりで一向に仕掛けてこない。 表には出していないものの、イスカの心境は焦りが募るばかりだった。 何を考えているのか分からない以上、我武者羅に攻撃してもこちらの策が読まれるだけ。 しかも相手はあのルシフェル。ミカエルの双子の兄である、堕ちたと言えど大天使の長だった人物。 隣に上司であるミカエルがいるから良いものの、これが一人だったら簡単に真っ二つにされていただろう。 それほど彼は強い。 同時に、ミカエルもそれに匹敵する力を持っている。 「それが私たちである、ということですか。」 目に見えない気迫を浴びながらも、ミカエルは同じ顔をじっと見ていた。 剣を握る力は少しも緩まない。 互いにほとんど変わらぬ圧力をかけているのだから自然と交じった剣は小刻みに震える。 ぐっと下半身に力を入れ、これ以上押されないように踏ん張るがどこまで持つか。 少しでも油断をすればあっという間に弾かれ、斬られるだろう。 だから微塵も隙を見せない。 「お前は自分や、部下さえも卑下する気か。」 ミカエルの問いにルシフェルの声は硬くなる。 呆れや怒りが交じっているのか、剣呑に細められた目は真っ直ぐ弟を捉える。 「まさか。私はともかく、部下や仲間達を卑下するつもりは毛頭ありません。」 「それを卑下と言うんだ、ミカエル。」 怒りよりも呆れが勝った。 聞こえるか聞こえないかぐらいの溜息を一つ吐けば、手に入れていた力をするりと緩めた。 まさかの行動に、その反動でイスカが前にバランスを崩す。 既に察していたミカエルは後ろに後退しようとして、 視界にイスカが現れたことで焦りを感じ咄嗟に彼の間に入る。 イスカの目が大きく見開かれた。目の前に現れた金色に目を奪われながらも、 それが敬愛する上司だと知れば反射的に声を上げる。 「ミカエル様」と叫ぶつもりだったが、いつの間にか「危ない」に変わる。 金色の髪の向こうに、もう一つの金色の影。 同じであり同じでない存在。敵であるルシフェルが冷たく見下ろしていた。 剣が振り下ろされる。反射的にそう感じる。 だから叫ぶ。それ以上に何故ミカエルが間にいるのかが分からない。 驚きのあまり瞠目し、硬直したままのイスカは動くことが出来なかった。 一つ一つの動作が酷くゆっくり見える。 まるでこの世の終わりを見せつけるかのように、剣先がミカエルの皮膚を裂く瞬間ようやく悲鳴を上げる。 あってほしくない。見たくない光景。 「―――――――っミカエルさまあぁぁぁあっ!!!」 赤色が空を飛ぶ。