暗い。 寒い。 何も感じられない。 草の匂いも、暖かさも 何も感じられない。 ただ闇が支配している。 声が響かない。 声を出しているはずなのに、聞こえない。 誰もいない。 ただ、闇が支配する暗い場所。 声が聞きたい。 あの人達の声が聞きたい。 涙が出る。 心が冷えてくる。 こんなにも会いたいと思っているのに どんなに願っても声を出そうとしても もう二度と貴方に 届かないんだね。 ■天と地の狭間の英雄■ 【孤独と喪失】〜降りかかる悪夢〜 未開英知。 エルフの住まう村に漂流して4日が過ぎた。 相変わらず気候も天気も良いこの村は、花と豊穣と春の女神「フローラ」の加護を溢れんばかりに受けている。 毎日が穏やかで、戦争にのせの字も無いほどの平和ぶり。 本当に今神族と魔族が争っているのかさえ分からない状態だ。 エルフ達の朝は人間より遥かに早かった。 太陽が昇る頃に目を覚まし、狩に出たりしている。 一日眠れば、エルフは数日は眠らなくても活動できる。 人間とのこの差に感心すると共に、生きているものとは思えないように感じた。 「・・・・4日。もう4日も経ったんだな。」 悲しそうな表情で赤髪の彼は真っ青の空を見上げた。 雲一つ無い晴天で、作物が育ちやすそうな良い場所だ。 (そう、フェイルが治療して4日も経っている。) エルフ達に彼女を渡してからあれ以来一度も顔を見ていない。 シギや、この村の族長ルディアスは「大丈夫だ」と言うが僕は心配で夜も寝られない。 いつもいつも彼女の事が気になってて、特に戦闘の時なんて目が離せない。 傍にいるのが当たり前になっていて、何度も何度も怪我をされていてはこっちの身が持たない。 「・・・フェイル。」 ホゥ、と溜息を吐くと同時に背中に何かの重みを感じた。 たいして重くないのだが、どうやら複数のようで、更には動き回っている。 「シャシャムニ?」 「ニ〜ゴ。」 「ニニニ・・・ニゴッ!!」 少しだけ驚いた顔をして振り返ると、3匹ほどのシャシャムニがリュオイルの背中をよじ登って 更には前のシリウスのように頭に乗ろうとしている。 されている本人は少し迷惑なのだが、3匹は楽しそうにしているので無理に剥ぎ取る事が出来ない。 きっとそんな事をすれば悲しませるだろうし・・・・ 「ははは。肩に乗るのはいいけど、頭はちょっと勘弁かなぁ?」 頭に乗ろうとしている1匹のシャシャムニは、少し難儀しながら懸命に登ろうとしている。 だが、失敗すればズルズル・・・と肩に落ちるので、そのたびにリュオイルは自分の髪を引っ張られて、 痛い目を見ているのだ。 「ニーニー。」 「ん?」 下の方から更に小さい鳴き声がしたので不思議そうに見下ろした。 すると、今肩に乗っているシャシャムニの子供であろうか。 もっと小さいシャシャムニが、リュオイルの靴を引っ掻いてじゃれていた。 「こらこら。あんまり引っ掻くと傷がつくから・・・」 そう言ってひょいっと優しく持ち上げると、そのまま肩に乗せた。 高いところが初めてだったのか、嬉しそうな鳴き声と共に大人しくした。 「・・・・ここまで懐かれるとは、流石に思わなかったよ。」 つい先日まで動物とふれあった事が殆ど無かったリュオイルに、まさかここまで懐くとは・・・。 それはシリウスもかなり懐かれていたのだが、彼は今までに何度も動物とふれあった事もあるし 動物の怪我も見た事がある。それくらいは当たり前なのだろう。 「お。珍しい光景発見発見!」 「シギ?」 にかっ、というような音が聞こえるかのようにシギは無邪気な笑顔でリュオイルの傍まで駆け寄って来た。 「おーおー。ま〜たこんなに遊ばれちゃって。」 「遊ばれていると言うか・・・・なんと言うかだけどね。」 未だにリュオイルの頭に乗ろうとしているシャシャムニがズルズル・・・と落ちている。 それに思わず吹き出したシギは、そのシャシャムニの特徴的な頬を軽く突付いた。 それに機嫌を害したのか、フーッ!!と鳴きながら荒れている。 「あーあ、嫌われちゃったね。」 「なんだぁこいつは。礼儀がなっとらん。」 「それはシギの方だろ?」 苦笑しながらそのシャシャムニを宥めるようにして背中を撫でてあげた。 すると、すぐに機嫌をなおしてまた登り始めた。 「・・・・お前ってさ、もしかして動物愛好家?」 「愛好家って、そんなわけ無いだろ。この前までこんな動物見たこと無かったんだし。」 猫とか犬とか・・・そういう普通の動物でさえもあまり見た事が無かったのだから。 そんな事を言われてもはっきりって実感は無い。 リュオイルとは対照的に、何故かシギにはあまり懐いていないようだ。 まぁそれは、シギがふざけてシャシャムニを突っ付き回しているせいなのかもしれないのだが。 「ところで、何か用事があって此処に来たんじゃないのか?」 「あぁそうそう。言い忘れてたけど・・・」 今思い出したと言わんばかりにあっ、とした顔をしたシギは、嬉しそうにリュオイルの肩を叩いた。 「・・・・何?」 「良かったな。フェイル気がついたぞ。」 「・・・・・・・・・何だってっ!!?」 驚きのあまりに思わず怒鳴る形で大声を上げてしまった。 そのこえでシャシャムニはびっくりしたようで、ころり、と転げ落ちるものさえいた。 それに後から気づいたリュオイルだったが既に遅し。 『俺はフェイルが目を覚ましたとき傍にいたからな。 何かぼんやりしてたから早く行ってやれよ。』 リュオイルは走っていた。 今はとにかく彼女に会いたくて ただ村の方向へと走っていた。 「フェイルッ!?」 バンッ!!と扉が開くと同時にリュオイルは部屋に駆け込んだ。 まだ一度も入った事の無かった見知らぬ部屋。 フェイルの見舞いさえも、何故かシギ以外は全員断られていた。 「しぃーーーーっ!!!!静かに入ってきぃなリュオイル。」 「五月蝿い。」 小さな椅子に腰掛けていたのはお馴染みのアレストとシリウスだった。 2人とも少し呆れたようにしている。 自分の行動に思わず恥ずかしくなってしまう。 もしここに父親がいれば説教が始まるだろう。 「騎士というものはいつ何時でも冷静に対処せねばならない。」と。 「あ、リュオ・・・君?」 白いベッドの上に腰掛けている小さな少女。 顔色はまだ悪いが、その大きな目はしっかりと見開いていている。 少し困惑気味な表情だったが、すぐに笑顔になった。 「・・・フェイル、もう、大丈夫なのかい?」 「うん。」 リュオイルは焦りながら話しているのに、フェイルはいつもと同じようにのほほんと笑顔だ。 この4日間どれだけ心配したと思ってるんだ?と思わせるほど穏やか過ぎる。 にこにこ、というほど笑えてはいないが青い顔でにこやかな顔をされてもこっちが困る。 「・・・はぁ・・・・」 「リュオ君?どうしたの、元気ないね。」 キョトンとした顔でリュオイルを見上げると、呆れているような顔をしていた。 だが、すぐに顔色を変えて怒ったような顔つきでフェイルの元まで近寄ってきた。 「こんの、馬鹿フェイルっ!!!!!」 大声を上げると、流石に驚いたようで一瞬肩を震わせて目を瞑った。 それにはアレストもシリウスも驚いたようで、ただ怒っているリュオイルを呆然と見ている。 フェイルも怒鳴られることは予想していなかったのか、何度も瞬きをしてリュオイルを見上げた。 「え、・・・えと・・・・・」 「大体フェイルは何でもかんでも突っ走りすぎなんだ!! いつもいつも、どれだけ心配してると思ってるのさっ!!!」 「ご、ごめんなさ、い。」 「知らない人について行くわ、戦闘でも後ろにいるはずなのに何故か前に出てきて庇おうとするわ・・・」 「ごめんなさい・・・」 段々語尾が小さくなりはじめて、しょんぼりろしているフェイルを見かねてシリウスが口を出そうとした。 だが、それはさっきまであんなに怒鳴っていた声とは違い、弱弱しそうな声で遮られた。 「本当に、心配したんだからな。」 「・・・・・うん。」 「もう、どこも痛くない?」 「・・うん。」 悲しそうな、それでも穏やかな笑顔でリュオイルはフェイルとの位置が合うようにしゃがんだ。 久々に見るフェイルは、やっぱりフェイルで、つられて満面の笑顔に戻っていた。 「へへ、心配してくれて・・・ありがとう。」 怒鳴った後で気恥ずかしくなったのか、リュオイルはおもむろに目線を逸らした。 つい怒鳴ってしまって後悔しているようだ。 「ごめんフェイル。病み上がりなのに怒って・・」 「ううん。だって私いっつも怒られる様な事してるから、当然だもん。 シギ君は何にも言わないで笑ってたけどきっとリュオ君の心境だったかもしれない。」 アレストなんて来た途端に飛びついて来たのだった。 それを呆れたような目線で見守っていたシリウス。 「無茶しやがって。」と小さく呟いたのをフェイルは聞き逃さなかった。 「・・・皆、ごめんね。ありがとう。」 その笑顔は、何故か儚かった。 その夜はいつもより肌寒かった。 過ごし難いほど、ではないが本来ならばそんな事はありえない。 数々の神がこの世界に恩恵をもたらしている。 そこらに生い茂っている草花だって、全ては神々が与えてくれたものだから・・・・・。 「フェイル?」 空は暗いが、松明があちらこちらにあるのでこのエルフの村はずっと明るい。 外には昼間ほどではないが多くのエルフがまだ起きていた。 そして小さな川があるところに、まだ病み上がりであるフェイルはボンヤリとしながら川を見つめていた。 「どこに行ったのかと思えば。まだ顔色も悪いし、もう戻って寝てた方がいいよ。」 「・・・・・・・うん。」 返事はしたものの、いつもの声と違いだいぶトーンが下がっている。 フェイルのことだから多分聞いてはいうんだろうが、あまりの小さな声に心配になったリュオイルは、 彼女が座っている場所へ足を運んだ。 「・・・フェイル?」 顔を除きこんでも何も映していない。 川の流れを見ている様に見えるが、全く見ていない。 ただ眺めているように見せかけているだけである。 「フェイル。どうしたんだい?何処か痛いのか?」 ただならぬ雰囲気にリュオイルは顔をしかめて言った。 だが、それとは全く対照的なフェイルは、聞いた事とは違うことを話す。 「・・・・・あのね、私夢を見てたの。」 「夢?」 「そう。今日気がつくまで、ずっとずっと・・・夢見てたの。」 それは真っ暗な世界。 静寂に包まれた冷たい世界。 何も見えなくて 酷く孤独を感じて でも 誰だか分からないけどすぐ傍に誰かがいたような気配がした。 それが男なのか女なのかも分からない。 でも、ずっと傍にいてくれていた。 目が覚めるまでずっと。 「暖かさは感じられなかったんだけどね。でも、ずっと一緒だったの。」 まるで自分の一部のような感覚だった。 そんなことありえない。 でも、確かにそう感じたのだ。 「・・・・でも、夢なんて普通見ないと思うけど。その、瀕死状態だったしさ。」 体験をした事は無いが、それでも瀕死状態の人間が夢を見る事が出来るのであろうか? シリウスあたりに聞けば何らかの答えが出るだろうが、やっぱりそんな事は考えられなかった。 「・・・・リュオ君。」 ふいにフェイルが言葉を紡いだ。 今度は川を見ていない。 見ているのは星で輝く夜空。 神々がいると伝承されている空だった。 「私、生きてるよね。」 小さな少女から紡がれた言葉は衝撃的なものだった。 「フェイル?」 何を言われたのか分からなくて、思わず固まってしまった。 無理も無い。 彼女はいきなりとんでもない事を言う方だが、常識を理解している。 それなのに、この意味不可解な言葉はリュオイルを黙らせてしまうほどであった。 「夢見てた時ね、周りだけじゃなくて、私も冷たかった。 死んでいるみたいにすごくすごく、冷たかったの。」 傍にいてくれていたその誰かは、もっともっと冷たかった。 寂しくは無かったけど、冷たくて少し怖かった。 何も見えない、何も感じられない。 ただただ、目が覚めるのを待っていただけ。 「もしかしてもう死んじゃったかなぁって、思ったんだよね。」 力無く笑う姿は痛々しかった。 何故フェイルはそんな縁起の悪い夢を見たのか。 ずっと傍にいた誰かとは、一体誰なのか。 此処まで不安がる理由は何なのか。 でも、本当に消えそうなほどのその笑みは、見ているだけで悲しかった。 自分が無力だと言う事を痛感させられた。 何も出来ない、踏み入ってはいけないんだと。 「ごめんね。変な話し持ち出しちゃって。 ・・・おかしいよね。だって私今ここにちゃんといるんだもん。」 そして何事も無かったのかのように笑うフェイル。 立ち上がった彼女は、いつもと同じ満面の笑顔でいた。 「へへへっ。おやすみ。リュオ君。」 危なっかしい足つきで走って行った。 本来なら走るとリュオイルが怒るのだろうが、今は呆然としてそれを見ていた。 何も言えない。 何も言えなかった。 今少しでも慰める事が出来れば、フェイルはあんな辛そうな顔はしなかった。 何も言えなかった。 慰めの言葉が、どこを探しても無かった。 ただ時が止まったのかのように そして世界が逆さになるような感覚だった。 心臓が冷える。 思いもしない言葉に 僕らしくも無く動揺する。 これは何かの悪夢か? それとも 何かの前兆だろうか。 胸騒ぎがする。 それは誰に? フェイルか?それとも世界全体でか? 答えを見出せないままリュオイルは星で輝く空を見上げた。 時折見える流れ星は、今となっては誰かがぽろりと泣いている様に見える。 行くあての無い寂しい心が空を駆け巡っている。 それは、今のリュオイルの心境ではフェイルにしか見えない。 何かの答えをフェイルは感じ取っている。 でもそれは、認めたくないものなのかもしれない。 「・・・・フェイル。」 リュオイルは今日何度目かの溜息をついた。 それは自分の無力さに嫌悪したのかもしれない。 それはフェイルの思いをはっきりと受け止める事が出来なかったもどかしさなのかもしれない。 不安な思いを胸に抱きながら、彼は暫くそこから動く事は無かった。