ひらり、ひらり。 舞い降りるは無限の光。 決して揺らぐ事の無い 神秘の輝き。 ■天と地の狭間の英雄■ 【神秘の都】〜天空を主帝とする神〜 今ままで感じた事の無い浮遊力が、一気に解放される。 どれだけの時間をこの光る世界の中で過ごしただろうか。 1日の感覚もある。 だが、それは同時に一瞬の時間だけを過ごした感覚さえある。 「・・・・到着だ。」 緊張したシギの声が過ぎった。 少し目がさっきの光のせいでぼやけていたが、それも数十秒で治る。 何度も瞬きをした後、彼等は息を呑んだ。 「ここが、幻の世界。天界【カイルス】?」 それは、緑豊かで生命力みなぎる幻の世界。 決して見れるはずのなかった世界が、すぐそこにある。 「ようこそ。天界【カイルス】へ。」 自嘲しながら、シギは歩き始めた。 その足取りは心なしかぎこちなく、そして沈んでいる。 彼が何を知っているのか、何のために地上界に降りてきたのかは全く知らない。 聞こうとすれば、彼はいつも困った顔をして苦笑していた。 いつもらしくない彼だったから、それ以上追求する事が出来なかった。 「シギ。ここは・・・。」 ふと今まで黙っていたシリウスが口を開いた。 冷静な彼でさえも、この世界をまだ直に受け止めきれていないのか困惑している。 「ここは、地上界と天界を繋ぐゲート。 この門をくぐれば、すぐ神族に会えるさ。」 シギの指した門は、白を基準とした簡素ながらも神聖さが伝わる大きな門だった。 所々文字が刻み込まれている。 十中八九天界の言葉なのだろうが、如何せん、所詮人間には解読不可能。 「いや、そうでなく・・・。」 天界人など、もう大分前から会っている。 今更驚くのもおかしいだろう。 「とにかく、ミカエル辺りにこいつを診せないとな。」 くるっと後ろを振り向くと、シギは笑ってそう言った。 ・・・・・いや、笑おうとしていた。 その表情は、いつもと全く違う。 何かを失って、ぽっかり穴の空いた感じ。 表現しにくい表情で、それは今にも泣き出しそうだった。 「シギ・・?」 「シギ様。お帰りなさいませ。」 何かを言いかけたアレストであったが、それは門前にいる天使達の声によって遮られた。 シギに挨拶をすませた天使達は、その後ギョッとする。 それもそうだろう。 ぞろぞろと人間やエルフが現われるわ、挙句の果てには意識を失っている者もいるわ・・・。 こんな客人は初めてなので、どうすればいいか分からない天使達はただ苦笑するしかなかった。 「あぁ、こいつ等の事は気にすんな。俺の仲間だからさ。」 何事も無かったかのようにしてシギは門番の天使達に笑顔を送った。 その天使達も最初の方こそぎこちなかったが、シギの笑顔を見て彼等も薄く微笑んだ。 「・・・シギ。」 何かを無理している。 無理をして、押し留めている。 いつもなら、元気に振舞っているのに。今はそれがわざとやっているようにしか見えない。 「ここから城まではそう遠くない。 寄り道は出来ないが・・・まぁ楽しんでくれや。」 ぽりぽり、と頬を掻くとまた歩き出した。 キョロキョロと忙しく見回すアレストは、ある一点の事に気が付いたらしく不思議そうにして首を傾げた。 「なぁシギ。 あんたが地上にいる時は翼を隠すの分かるんやけど、でもここでならもうええんとちゃうん?」 素朴な疑問に、歩きながらも彼は苦笑して振り向いた。 「いや。だって、なぁ。いちいち出し入れするのも面倒だろ?」 それに少し時間掛かるし。 それに・・・・。 尤もらしい答えを述べたシギは、それ以上何も言わずに前を向いた。 何かまずい事を言ったのだろうか・・・。と深刻そうな顔をするアレスト。 オロオロとして段々不安そうな表情を浮かべた彼女に、アスティアはきれいに流した。 「う、うち・・・何か変な事聞いたかな?」 「さぁ?」 きつい流され方をされたアレストは、一瞬引きつって苦笑した。 それを気にしているのかいないのか分からないが 今度はアレストの方に向き直り、彼に聞こえないよう喋り始める。 「今はそっとしておけばいいんじゃない?」 あんなに屈託無く笑っても 彼だって落ち込む事はあるんだから。 「・・・・ん。了解。」 少し寂しそうにして頷くアレスト。 似たもの同士は仲が良い。と世間で言うように、シギが落ち込んでいるので彼女も落ち込んでいる。 以心伝心。とまでは言わないが、自分と似た人物が急に態度を変えるとこちらも調子が狂う。 「アレスト。」 「ん〜?」 今の今まで黙っていたシリウスが口を開いた。 表情はいまいち掴めないが、心配しているという雰囲気が読み取れる。 ・・・・・・・多分。 「大丈夫だ。」 アレストの気持ちを察したのか、言葉少ないが彼は強くそう言った。 少しの間驚いて何度も目を瞬かせていたアレストだったが、彼の気遣いに苦笑し、小さく頷く。 「せやな。」 「おーい、2人とも置いて行くぞっ!!!」 結構離れたところからシギの大声が響いた。 慌てて振り返ったアレストは「あ・・・。」と声に出して全力疾走で彼等の元に辿り着いた。 特に取り乱した様子の無いシリウスは、その後から静かに続く。 「ご、ごめんシギ。」 「いんにゃ?構わないぜ。」 気にした様子無く、ニカニカと笑う彼はあまりにも痛々しくて 何も出来ない非力な自分達が凄く惨めで ・・・無性に謝りたくて 「・・・・ほんま、ごめん。」 「おいおい、どうしたって言うんだ?」 しょげた面持ちでひたすら謝るアレスト。 そんな場面を見た事は殆ど無いせいか、流石のシギも困り果てて苦笑するしかない。 どうして彼女はここまで落ち込んでいるのだろうか。 いや、先日の事件を思い起こせばそれはあたり前なのかもしれないが、 でも彼女は自分に対して謝っている。 何か悪い事でもしただろうか。 何かまずい事でも口走っただろうか。 何か傷つける事でも言っただろうか。 フェイルだったらこんな時どうするのだろうか・・・・・・。 そこまで思っていたシギははっとして考えを思い直した。 (今、もう、いないのにな・・・。) かけがえのないものを失ってしまった。 あの無邪気で素直で優しい少女は、もういない。 誰からも信頼され、愛された少女は・・・・。 「――――シギ?」 アレストの心配そうな声が脳裏に過ぎった。 完全に現実から離れていたシギは、驚いて顔を上げる。 彼女ももそれにびっくりしたようで、目を大きく開けたがすぐ元の表情に戻る。 自分より遥かに背の高いシギを見上げるのはかなりきつい。 それでも、しっかり目を合わせなければ この吹き抜ける風によって消えそうなほど、ぼんやりしていたから。 「本当に大丈夫なんか?少し、休んだ方がええんとちゃう?」 「・・・・いや、大丈夫。」 お前等の方が辛いのに。 「無理をするのは身体に毒だ。少しくらい休め。」 お前等の方が傷ついているのに。 「ここであんたがくたばれば迷惑するのはこっちなのよ?」 お前等の方が孤独を感じているのに。 お前等の方が・・・・・。 「・・・・・悪ぃ。」 ほんと、ごめんな。 「シギ・・・。」 「でも心配すんなって!!」 ほれ見ろ。とでも言わんばかりに声を張り上げて元気だと言う事をアピールするシギ。 いつもの調子に戻った彼にホッとしながら、彼等は笑った。 たとえそれが上辺の笑顔でも、ずっと暗い表情ではこちらの方も暗くなってしまう。 「さぁ、行こうぜ。 早くリュオイル治さないと、いい加減やばいだろうから。」 ずかずかと、さっきより早く歩き出したシギはケラケラ笑いながらこの光り輝く大きな道を進む。 3人は確信した。 どうしてあんなに落ち込んでいるか、その理由はいまいち分からない。 でも彼は、ゼウス神という偉大な人物に知らず知らずのうちに縛られている。 勿論それを本人は自覚していない。 周りから見れば大よそ見当がつくが、詳しくは知らない。 「・・・・大丈夫かいな、シギ。」 「俺達が、口を出すわけにもいかないだろ。」 「あれの立場と心境を考えれば、必然的にそうなるわ。」 自分達はまだ彼の事を知らなさ過ぎる。 下手に彼の私情につけこめば、取り返しのつかない事になりかねない。 でもこれがフェイルだったら 彼女だったら、どうにか出来た。 それは確信して、自信を持って言える。 「・・・・フェイル。」 小さく紡がれたか細い声は、風によって消された。 何で、今更そんな考えが・・・。 思い起こせば、自分達はどれだけあの子に甘えていた? 頼りすぎていて、彼女の事なんか何も考えていなかったのではないのか? 今でも鮮明に覚えている。 初めて出合ったあの時。何も変わらないはずだった屈託の無い無邪気な笑顔。 絶対に諦めない強い意志を宿した瞳が、記憶に焼き付いている。 「大丈夫。」と囁いてくれたあの強い言葉が今でも思い出される。 「・・・・・っ!!」 今でも、覚えている。 忘れられないあの場面。 アルフィスに連れ去られたあの時。 真っ青になりながらも、アレストは頭を左右に振って気を落ち着かせた。 (今、弱気になってどうすんねんっ!?) 大丈夫。あの子は、絶対に帰ってくる。 絶対に連れ戻すんだ。 「・・・・・大丈夫。」 ただ自分の弱った心にそう言いつける。 馬鹿みたいに足掻いているだけなのかもしれないけど、 でもこれが、最後の抵抗。 こうしなければその場で立ち止まってしまうのは目に見えている。 会いたいから。また、言葉を交わしたいから。 もう悲しませたくないから・・・。 思いは願いになり、そしてそれは現実となる事を祈る。 もう、それしか 非力な人間にとっては、それしか方法が無いのだ。 「・・・・着いた。」 「ここが、ゼウスがいる城?」 まるで見えない結界に張られているような、強い魔力を感じられる。 清潔感溢れる通路。 空を飛び交う色とりどりの小鳥達。 何処からか美しい歌声が聞こえる。 「ゼウス神は、最上階にいる。 そこに行くにはミカエルの力を借りた方が手っ取り早い。」 何でそこでミカエルが出てくるんだ? 不思議そうにして首を傾げるアレストとリュオイルに、シギは苦笑した。 そんなに偉い奴なのか、と1人アレストは感嘆している。 「ゼウス神に会えるのは、たとえ神族であっても一握りだ。 勿論、俺も会えるのは会えるんだが・・・・。」 「会えるんだが?」 「俺は転送魔法ってのがあんまり得意でなくてね。」 恥ずかしそうにしてニカッと笑う。 照れ隠しなのか、そっぽを向いて頭をガリガリと掻く姿はいつもの姿だ。 さっきのようにボンヤリしていないので、少しだけホッとした。 「でも、ミカエルはこの場所にはいないんじゃないの? それだけ地位の高い天使なら、普通はゼウスの傍にいるものじゃない。」 確かにそうだ。 ここはまだ城の中に入って少ししか経たない大広間。 白い翼を生やした天使達がジロジロとこちらを物珍しそうに見ているのが嫌でも分かる。 だがその天使は皆それほどの地位を持っていない。 それは彼等の雰囲気でおのずと分かってしまう。 シギの気配と、他の天使達との気配は全く違うのだからそこが重要ポイントだと言える。 「いんや。その辺は抜かりなし。」 自身ありげに笑うと、シギは真上を見た。 それは最上階に繋がっていないものの、かなりの高さまで吹き抜けている。 上から下を見下ろせばさぞかし絶景なのだろうが・・・・それがどうしたんだろう。 「なーに。ちょっとした悪戯だから気にすんな。」 悪戯? 「・・・・何言ってんだ。お前。」 思わず突っ込みたくなる気持ちを少しだけ押さえてシリウスは真面目に聞いた。 それがシギにどう判断されたかは分からないが、彼の言葉に気にした様子無く、何かを探していた。 「うーん。別に普通に呼んでも良いんだけどなぁ。」 花瓶に活けてある花を一本取り出すと、シギはその茎の部分を折ろうとした。 が 「シギーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!! 貴方という人はゼウス神に報告もしないで何をする気なのですかっ!!? しかも花と言う一つの命を、挙句の果てには奪おうとーーーーーーーっ!!!」 疾風の如く、白き風に猛突進で運ばれたのはシギと殆ど同じくらいの青年だった。 金色の長髪を一つにまとめ、大空より美しく輝く瞳とその純白の翼はいかにも天使と言わせるほど。 ついでに言えばかなりご立腹の様子である。 「よっ。ミカエル。」 見目麗しい彼の顔はそれはもう殺気だっている。 それを知ってか知らずか、全く気にした様子の無いシギは久々の再会に喜んでいた。 「・・・・シギ。」 「なーにしかめっ面してんだよ。 あの時以来連絡入れて無かったのは謝るけど、まぁいいだろ?」 「シギ。」 「あぁそうそう。こいつ等の紹介しないとな。」 「シギっ!!」 苛立った声が大広間に響いた。 周りの天使達も驚いた様で固まっている。 突如現われたこの青年がミカエルである事は確信したのだが、一体何故ここまで苛立っているか分からない。 居心地が悪そうにして控えていたリュオイル達は、まだ何が起こっているのか把握出来ずに混乱している。 そしてミカエルは、何かをはぐらかそうとするシギに腹を立てていた。 折角の美しい顔が悲しげに歪められている。 「悪ぃ。」 「・・・・・シギ。落ち着いて下さい。」 さっきより大分優しめな口調で項垂れたシギを宥める。 酷く傷ついた彼の表情を見て、ミカエルも一瞬だが暗い顔になった。 「お帰りなさいシギ。ゼウス神がお待ちですよ。」 「そうだな。面倒事をさっさと終わらせて、何とか方法を考えないと。」 「ええ。」 そこまで言い終えると、ミカエルはリュオイル達の方に振り返った。 「初めまして、地上界の方々。私の名はミカエルと申します。」 「ちわーっす! うちがアレストで、こっちからアスティアにシリウス。 んでもって怪我してるんのがリュオイル、な。」 「怪我、ですか?」 軽く挨拶を交わすと、ミカエルは慈愛に満ちた顔で3人を見つめた。 優しさや気品のある端整な顔だが、どこか影が出ている。 シギと同じ様な表情をするミカエルに、4人はただ困惑するしかない。 リュオイルが怪我をしている、と知ったミカエルは、心配そうにリュオイルの顔色を伺った。 「顔色は、そこまで悪くないですね。体温は少しだけ低いですが。 これくらいなら私の回復魔法で何とかなるでしょう。」 「目、覚ますか?」 身を乗り出して、ミカエル確認を取る。 心配そうに見つめている彼に、少し苦笑しながら相変わらずの笑顔でミカエルは答えた。 「ええ。どうやら応急処置が良かったようで、そこまで心配するものではありません。」 「そうか。」 ホッとして、シギは小さく溜息を吐いた。 正直、自分は治癒能力が大の苦手だ。 能天使のくせして回復魔法が不得意なのはかなり痛手だが、その分攻撃魔法でカバーしていた。 だが目の前で回復が必要になった時、やはり自分の未熟さに苛立つ。 攻撃も回復も、全て相性が良いミカエルは難なくその力を身に付けたがシギはどちらかと言えば逆だ。 大天使にしては努力をして力を付けたと思う。 努力をする事は嫌いではないが、時々天性という力に憧れるのも嘘では無い。 『 言の葉は 強き韻として 悪しき者の心を癒さん 』 ――――流水功。 リュオイルを抱きかかえたミカエルは、何の躊躇いも無く回復魔法をかけ始める。 それに驚いたのは人間とエルフ達だ。 ここに来るまでに、様々な天使を見てきたが皆珍しそうにこちらを見ていた。 まぁ人間界とはある意味絶縁状態だった天界だったのだから仕方が無いと言えば仕方が無い。 物珍しそうに見られても、特に嫌そうに見られている様子は無かったので何も感じなかった。 そしてそれだけここの天使達が穏やかな性質なのだと分かる。 けれど、ミカエルは違った。 名前を紹介しただけで、全てを知ったように微笑み返してくれた。 確かアイルモードを出る時にシギが空に向かって彼の名前を叫んでいたと思うが、 それでもすぐに人間を信用するのは、また珍しく思える。 もしかしたらまだ信じていないかもしれないが、彼の雰囲気ではそれを感じさせない。 全てを受け入れるような暖かい笑みは、見ているだけで惚けてしまう。 「・・・・リュオイルさん、大丈夫ですか?」 いつの間にか治療が終わっていたのか、既に淡く白い光は消えていた。 変わりにあるのは、まるで母親のように優しい笑みを浮べるミカエルの姿。 その言葉が合図のように、リュオイルの瞼がピクリと動き出した。 「・・・う・・・。」 「リュオイル!!!」 いち早く行動を示したのはアレストだった。 一番離れていた場所だったにも関わらず、猛ダッシュでリュオイルの傍に駆け寄る。 その行動に驚きながらも、苦笑してミカエルはそこを退いた。 「あ、れ・・・。」 「無事か?」 「・・・シギ?」 「大丈夫かいな、リュオイル。」 「アレスト?え、ここ、は・・・。」 まだ焦点が定まらないのか、リュオイルはキョロキョロと辺りを見回す。 暫く呆然としていた様子だったが、顔色を変えていきなり上半身を起こした。 「フェイル・・・・っ!!?」 「急に起き上がるな、馬鹿。」 クラリ、と眩暈を感じたのか、目元を押さえてリュオイルは小さく縮こまった。 頭がクラクラしてあまり気分が良いとは言えない。 追い討ちと言わんばかりにシリウスの冷たい言葉が刺しかかる。 「・・・・・・フェイル、は?」 それでも、今確認したい事が山ほどある。 自分が意識を失った間、一体何があった。 意識失ってどれだけの日にちが過ぎた? そして、ここは何処だ。 目の前にいる彼が治してくれたらしいが、一体何者なんだ。 「落ち着け、リュオイル。」 後ろから聞き慣れた声が聞こえた。 その声と同時に肩に大きな手がのしかかる。 反射的に後ろを振り返ると、そこにはシギが立っていた。 前見た時よりもあまり顔色が優れていない。 おまけに今彼の表情はとても硬い。 「・・・・シギ。」 「ここは天界【カイルス】。 お前が倒れて、俺達は急いでここに来るためにユグドラシルに会いに行った。」 「ユグドラシルに・・・・?」 「あぁ。・・・落ち着いて聞け、リュオイル。 フェイルは、今ここにいない。攫われたんだ魔族に。」 その事を一番良く知っているのはお前のはずだ。 お前の目の前で、フェイルは攫われたんだから。 「じゃあ、あの時やっぱりあいつに・・・。」 見る見るリュオイルの顔色が悪くなっていった。 思い出すのはあの悪夢。 出来れば悪夢のままで終わらせて欲しかった。 「そうだ。 だから、俺達は今天界にいる。フェイルを取り戻すために、な。」 どこか曇った様子でそう言うシギに、アレスト達はやりきれない表情でそこに立っていた。 今回の事件で、皆平気そうな顔をしているが本当はそんなわけない。 それぞれ皆辛いのを我慢して立っている。 もしかしたらこの中で1人は立っているのがやっと、という者もいるかもしれない。 でもそれを誰かに打ち明けることも、分かっていても慰める事さえも出来ない状態になっている。 いや、皆まだフェイルがいなくなった事を理解しきれていない。と言った方が正しいのかもしれない。 変な喪失感が無駄に体中を取り巻いている。 理解したくてもそれが出来ない。 だって仕方ないじゃないか。 今まで当然のように傍にいたあの子が、急に消えてしまったのだから。 「・・・・だったら、すぐにでもフェイルを助けないと・・・。」 弱弱しく紡がれた言葉は一体誰に向けた言葉なのか。 ゆっくりとした動作で顔を持ち上げると、真剣な顔つきでリュオイルはシギを見つめた。 「そうだな。だから俺達は、ここに来たんだから。」 予想外にリュオイルは冷静だった。 彼の事だからもっと取り乱してしまうかと思ったが、それは見事にはずれた。 でもそれは表面だけで、本当は悔しいという念が強いはずだ。 血が出そうなほど、今拳を強く握り締めている。 今ここで喚いても、何も変わらないという事をちゃんと理解しているのだろう。 「リュオイルさんですよね。初めまして、私はミカエルと申します。」 大方の話がついた所で、ミカエルはまだ挨拶を済ませていない彼に皆と同じ様な笑みを浮かべた。 一瞬驚いたように目を見開かせていたリュオイルだったが、フッと笑うと彼に手を差し出した。 「僕はリュオイル。貴方が傷を治してくれたんですね。ありがとう。」 「いいえ。ご無事で何よりです。 長旅お疲れと思いますが、これからゼウス神と謁見しますが大丈夫でしょうか?」 「・・・うち等は、構へんのやけど。」 ちらっとアレストはリュオイルの顔を除いた。 さっきよりは安定しているものの、酷く疲れきった顔をしている。 それは体力ではなく精神力。 「リュオイル。お前大丈夫か?」 「大丈夫。僕だって、ゼウス神に聞きたい事が山ほどあるんだ。」 「そうか。」 心配した顔でリュオイルの頭をポンポンと軽く撫でる。 彼も辛いはずなのに、ここまで心配される自分があまりにも惨めだ。 悔しいし、辛いし、悲しい。 だけど、今はその手を握らせていて。 力が欲しい。勇気が欲しい。 言葉では平気そうな事を言ったけれど、でも本当はもっともっと言いたい事がある。 でもそんな事をしている時間があったら早くフェイルを助けに行きたい。 早く会いたい。 別れて、まだ数日しか経っていないというのにこんなに寂しい。 ぬくもりが消えた。支えを失った。 残ったのは後悔と、喪失感。 「それでは、今から転送しますので皆さん目を瞑っていて下さい。」 言われた通りに目を瞑ると、一瞬だけ温かな風が吹いた。 風が体を包み込む。 まるで、母親に抱かれるような優しい感覚にとらわれた。 「もういいですよ。目を開けてください。」 柔らかな声が聞こえた。 それは紛れも無くミカエルの声。 少しビクつきながら恐る恐る目を開けると、そこはさっきの大広間では無い全くの別の空間だった。 「・・・・・ここは?」 「ここは神託所クラロス。平たく言えばゼウス神のお告げの場ですね。」 今まで見たことも無い構造。 そしてヒシヒシと感じさせられる魔力。 明らかにこの一室は他の誰でもないゼウスのいる部屋だと分かった。 「ゼウス神。彼等をお連れ致しました。」 「うむ。ご苦労であった、ミカエル。」 薄いカーテンの様な場所から誰かがゆっくり出てきた。 その瞬間、ミカエルとシギは石のように固くかしこまり、頭を下げた。 「我が名はゼウス。この天空司るを主帝。」 「・・・・あなたが、ゼウス神?」 「いかにも。そなた達の事は映し鏡からずっと見ていた。 長旅ご苦労であったな、リュオイル、アレスト、シリウス、アスティア・・・そしてシギ。」 最後の部分だけ強めに呟いたような気がしたのは気のせいであろうか。 その証拠に、シギは一瞬だが肩を震わせた。 酷く何かを恐れている。 こんな顔を見たのは、初めてだ。 「ゼウス神。」 「何をそんなに怯えている、シギ。」 「・・・いえ、申し訳ありませんでした。」 恐縮して完全に固まっているシギ。 こんな姿は見た事が無い。 自信に満ちたあの無邪気な笑顔が、こんなにも怯えている。 アレストはシギとゼウスを見比べた。 ゼウスは、ミカエルと同じ様な・・・いや、フェイルと同じ金の髪をなびかせている。 その瞳は彼が司る空の色と一緒。 見つめれば吸い込まれそうなほど透き通ったその目。 ただ一つだけ違うのは、フェイルは草原のような優しいエメラルドの色だという事。 彼の目は、全てを見透かしている様で、怖い。 「シギ。過ぎた事をとやかく言うものではない。」 「しかし俺がいながら・・・」 「案ずるな。すでに次の手立ては打ってある。」 白く長い衣装を引きずりながら、彼は窓から天を仰いだ。 雲一つ無い晴天。 それは、彼がこの空の君主であるから。 彼が願えば天候は自由に操れる。 高貴な神達にはそれぞれ司るものがある。 天空、慈愛、魂。 それはそれぞれ全く違うものであり、そしてどれもが大切なものなのだ。 1つでも欠けていてはいけない。 もしもそんな事があれば、この世界は絶対にバランスを失ってしまう。 「次の、手立て?」 「あぁ。フェイルを救出する事を優先して作戦を立てた。 あれをここまで運びきれる事が出来なかったのは無念だが、今は落ち込んでいる場合ではなかろう。」 2人が真剣に話している中、4人は何か疑問に感じた。 「どうして、貴方ほどの方がフェイルを優先して?」 これだけの力を持つものが、たった一人の人間の少女のためにここまでするのはおかしい。 それは願っても無い手立てなのだが、明らかに矛盾している。 「・・・・リュオイル。」 辛そうな顔をして、今まで項垂れていた頭を持ち上げるシギ。 それはミカエルも同じだ。 何とも言えない、複雑な顔をしてじっと黙っている。 「前々からおかしいと思っていたんだ。 どうして魔族はフェイルにあれほど執着していたのか。 どうしてフェイルが、ルシフェルの封印を解く力があるのか。」 それを聞いても、シギは何も言ってくれなかった。 ただ困った顔をして「大した事は無い。」と苦笑するだけで、何も言ってくれなかった。 「神族と魔族。 フェイルは、この2つの世界と接点があるのですか?」 「それは・・・。」 ゼウスが重い口を開けた時、ふいに自分達の出てきた場所から1人の女性が姿を表した。 薄い桃色の布地を白い装束を身につけている。 髪は床までつくほど長く、柔らかみのある亜麻色の髪。 例えるなら聖母、と思われる女性は、少し急ぎ気味でゼウスの傍に来た。 「ヘラ様?」 「ヘラ?どうしたんだ、こんな時に。」 走っているとは言い難いが、懸命に長い服を掴みながらゼウスの傍に寄った女性「ヘラ」は 困った顔をしながらゼウスやミカエル達を見渡した。 「ゼウス神。敵が、現われたようです。」 柔らかな口調で紡がれた言葉は、この場の空気を硬直させるのに十分だった。 一瞬驚いた様子のミカエルだったが、急に移転魔法を唱えるとすぐに消えてしまう。 シギもミカエルと同じ様な、真剣な顔つきになっているがどうすればいいか分からずゼウスを見た。 「・・・仕方が無い。この話しはこの戦の後にせねばならないが。」 「戦!?魔族、こんな所にまで来たんかいな。」 「あやつらの力は、今までとは違う。恐らくは・・・。」 ――ー――――ズドォォォォォォオオオオオン!!! ここは天空だと言うのに、まるで全てが揺れているようだ。 さっきまであんなに晴れていた空が、一気に暗くなる。 雷雲が、風が、雨が。 この領域全てを禍々しく包み込んだ。