■天と地の狭間の英雄■ 【終わらない戦争】〜悲しき運命の再会〜 「ミカエル・・・・?」 「ほぅ、私をミカエルと呼ぶか・・・。」 突然宙に現われたミカエルに似た青年は、さも可笑しそうに笑い始めた。 その姿を見て硬直しているのはシギとイスカ。 明らかに態度が急変した2人に、シリウスは眉をひそめる。 あれはミカエルではない。 ミカエルは、あんな禍々しい気を持っていないのだ。 この緊迫した雰囲気に耐えかねたのか、イスカは無意識のうちにその口を動かした。 「ル、ルシフェル・・・・・。」 「え・・・。」 「あれが、ルシフェルだと!?」 信じられないと表情で訴えるリュオイルとシリウス。 だって、あれは明らかにミカエルと同じ顔だ。 「申し遅れたな。私の名はルシフェル。 気様等の言うミカエルは私の双子の弟だ。」 「双子の、弟・・・・―――!?」 リュオイルがまた何かを言おうと思ったが、それはルシフェルの持っている何かを発見して掻き消された。 人1人を、誰かを抱き上げている。 まるで自分達に見せつけるかのように・・・。 「フェイル!!!」 リュオイル達がそれを何か確認したと分かった瞬間、シギが彼等より早く叫んだ。 彼等も、自分の考えが当たっていた事が正しかったと分かると唖然としてルシフェルを見上げた。 彼は余裕そうにして笑っている。 その笑顔も、やはり全てミカエルと似ている。いや全く同じ。 「くくく、ご名答。 流石大天使シギ。的確な判断力はゼウスからもひと目置かれていると聞く。」 「彼女を放せ!!」 食いつくようにしてシギは大声を上げた。 イスカもいつの間にか前に出てきて、ルシフェルを睨み上げている。 まだ収拾がついていないのかリュオイル達は3人のやり取りを見る事しか出来ない。 「何を言うか大天使。 この娘の力で私は長き眠りから解放され、私はこの娘に感謝している。 我等の力となるこの娘を、そう易々返すわけがなかろう?」 これは世界を変える力を持つ。 果てしない、無限の力。 それが目覚めたのだ。 離さない、離すものか。 これは、我々魔族の力の種となる。そしてこれは・・・・。 「無限の、力・・・・?」 愕然として聞いていたリュオイルがぽつりと零した。 目を大きく見開き、そして言葉を失う。 自分達の知らないところで、多くの事が回り過ぎている。 それに、どうしてフェイルが関わるのだ。 どうしてあの子に無限の力があると、言い切れる。 リュオイルは知らず知らずのうちに数歩前に出た。 ゆっくり、支えがなければ今にも崩れ落ちそうなほどおぼつかないが、それでも。 ルシフェルの腕の中でまるで死んでいるように眠っているフェイルを見つけると、少しだけ心が安らいだ。 あぁ、君の顔は、髪は、こんな色をしていたね。 さっきまで完全にぼやけていた記憶が、今でははっきりと思い出された。 どうして彼女の事を、一瞬でも忘れてしまったのだろうか。 どうして彼女の事を、一瞬でも忘れたいと思ってしまっただろうか。 「フェイル・・・。」 空っぽになっていた心が、彼女の名前を呼ぶだけでこんなに満たされる。 だから気付いたのかもしれない。 僕は、あの子が フェイルがいなくちゃ、立つ事も出来ないんだって・・・・。 「・・・・そうか、お前だったのか。」 急にルシフェルの声色が変わった。 さっきまであんなに余裕で笑みを浮べるほどだったのに。 今はリュオイルを凝視して、まるで鬼の形相で睨みつけていた。 その鋭い視線に威圧されながら、リュオイルはルシフェルを見据えた。 天使の羽根を持ちながらにして、ここまで彼が恐ろしく見える。 恐怖で足がすくむ。 こんな感覚は、初めてだ。 「お前が消えれば、これは、世界は、私の物となる。」 「目障りだ。」 「闇の世界へと消えろ。」 「「リュオイルッ!!!!」」 何か呪文を唱えたわけでもなく、ルシフェルは薄く冷笑した。 その瞬間、リュオイルの足元から邪悪な、黒い妖気が一瞬にして彼を覆う。 シリウスとアレストの声が異口同音して空いっぱいに響き渡る。 アスティアとイスカは、その様子を愕然とした様子で見ていた。 一瞬にして目の前が真っ暗に染まった。 フェイルの顔も見えなくなり、とうとう僕も死ぬのかなって呑気に考えてた。 一瞬激しい痛みが走る。 ごめんねフェイル。 もう、会えないかもしれない・・・。 だが、いつまで経ってもそれ以外の痛みは来ない。 変わりに聞こえたのは、誰かの悲鳴。 「ぁぁぁあああああああああ!!!!」 それは、闇の魔力によって体中を捕縛されたシギ。 あまりの痛みに堪えきれない悲鳴を上げる。 自分が、彼によって突き飛ばされたと理解したのはその直後だった。 「シ・・・・ギ・・・・?」 どうして どうして どうして!? 天界の、それも天使が闇の力を直に受ければ無事では済まないのに。 何故、助けた!? 「ああぁぁぁぁぁああああああああああっ!!!!!」 「シギっ!シギーーーーーーーーっ!!!」 シギの絶叫が、空を、大地を、そして仲間の心に貫く。 やめろ。 やめてくれ。 もう・・・・。 「シギ様!!!」 「待ちなさいっ!!」 耐えかねたイスカがアスティアの制止を聞かずに突っ込んだ。 闇の力はイスカをも引きずり込み、2人まとめて殺そうとしている。 それでも鳴りやまない彼の悲鳴。 アレストは今にも泣きそうで、口元を手で覆っている。 目を大きく見開き、そして真っ青になるアスティア。 シリウスも、愕然としてそれを見ていた。 ――――――グシャッ!!! 「っぐ、あ・・・・・。」 イスカはがむしゃらに剣を振り回す。 天使の、それも聖なる力を持つ自分達にとって、この闇の力はかなり堪える。 こんなものを直に受けたら、死んでもおかしくない。 「・・ギ・・・さ、ま。」 もう少しで、シギに手が届く。 肉を裂く音が嫌なくらい聞こえる。 だが、自分なんかよりも彼の方が一番苦しんでいる。 「シギ、様・・・・・っ!!!」 あと一歩の所でイスカは闇の触手によって弾かれた。 右腕はもう血まみれになっており、物を掴む事が出来ない。 外に弾き飛ばされたイスカは、左腕を使い立ち上がろうとする。 だけど、あの闇の魔力に聖なる気を削ぎ取られてしまい、もう立ち上がる事も出来ない。 「あ、ぐぅ・・・――――っ!!」 堪えきれない痛みが体中を襲う。 立とうとすれば、傷口から血が噴き上げる。 「止めなさい!もう、無理よ!!!」 何度も立ち上がろうとするイスカに、アスティアは傍に寄り声を上げる。 絶望的なこの状況で、もうシギを助ける術を自分達は持っていない。 アスティアのその言葉に、イスカは震えた。 もう、助からない? もう、無理なのか? そんな・・・・。 そんなの・・・・。 「い、やだ・・・。」 イスカが口を開こうとした瞬間、それはリュオイルの声に掻き消された。 シギの絶叫が響いているのに、それははっきりと聞こえた。 「リュオイル?」 「嫌だ・・・、そんなの。」 我を失ったかのように、リュオイルはポツリポツリ呟き始めた。 彼の目はもう絶望の色を宿しているのに、心はそれを認めない。 「リュオイルっ!?」 アレストが声を上げる。 彼はイスカと同じ様に、シギが呑みこまれている闇にふらふらと歩いている。 その目は正気なのか分からないほど、既に輝きを失っていた。 そんな彼を今あの中に入らせれば、イスカと同じ様に動くことも出来なくなるほど大怪我をする。 下手をすれば死んでしまうかもしれない。 「やめんかっ、リュオイル!!」 「馬鹿っ!!離れろ!!」 急いでアレストとシリウスが駆け寄る。 だが、あまりの魔力の強さに2人はいとも簡単に弾き返された。 これ以上近づけない。 もう、シギを助ける事は出来ない。そして、彼も。 「リュオイルーーーーーーーーーーーーー!!!」 アレストの、悲痛な叫びが木霊した。 (・・・・・・・誰?) ―――――――・・・イルっ!!!! (誰?) ―――――ー馬鹿野郎!! (・・・・・懐かしい、声) ―――――何してるのよっ!離れなさい!!! (すごく、落ち着く) ―――――・・ギ様!! (すごく、悲しい声。) (何で、私も、悲しくなるの・・・?) ――――――・・・イル!!!! (・・・・苦しい。) ―――――・・・お願いだから、どうか・・・どうか!!!! (・・・・・誰、貴方誰?) ――――――――フェイルっ!!! 「・・・・リュ・・・イル・・・。」 右手首にある銀のブレスレットが鈍く輝いた。 うっすら目を開ける少女。そして紡がれる言葉。 だが、それに彼は気付かない。 「ははははっ!!無様だなぁ。 天界を守護する天使がここまで弱者であったとは。」 「シギっ!リュオイルっ!!」 アレスト達がどんなに叫んでも状況は変わらない。 2人を覆っている闇は消える事無く今だ彼等を蝕んでいる。 外にまで溢れる血液。 霧のように散らばっているそれは、悲惨な事を物語っていた。 「リュオイルっ、シギっ・・・。」 喚くことしかする事の出来ないアレスト達は絶望の淵まで追い詰められていた。 ボロボロと大粒の涙を流すアレスト。 跳ね返されても、何度も彼等を助けようとするシリウス。 悔しそうに顔を歪めるアスティア。 そして、どん底につき落とされたような、絶望の瞳を向けているイスカ。 シギの叫び声はもう途絶え、変わりにリュオイルの叫び声が聞こえる。 何かを叫んでいる。 だけど、それは掻き消され、くぐもった声しか聞こえない。 「はははははっ!・・・死ね。死ぬが良い!!」 壊れたように嘲笑する声が無残にも彼等の耳に過ぎる。 その声が聞こえた途端、もう駄目なのか。と確信してしまった自分達が恐ろしかった。 「リュオイルっ!!・・・っシギーーーーーーー!!!」 泣き声の混じった叫びがまた響く。 何度も何度も、無駄だと分かっていても抵抗する自分が虚しい。 彼等を助ける事が出来ない自分が悔しい。 苦しんでいるのに、叫んでいるのに。 何も出来ない。ただ、見ている事しか出来ない。 「くそっ!!」 バン、と弾かれる。 何度も何度もそれを繰り返しているのでシリウスの体もボロボロだった。 それでも、助けなければならない。 それでも、諦める事は許されない。 後悔したくない自分がいる。 だから・・・。 「シギっ・・・・・リュオイル!!」 こんな時なのに、何故かあの少女の顔が思い出された。 今はルシフェルの腕の中で眠る少女。 何を言っても、叫んでも、何の反応もしない。 ―――バンっ!!! 「ぐっ!!」 ぽたぽたと流れ落ちる自分の血液。 立ち上がろうとしたとき、自分の内の異常を感じ取った。 「―――――っ!?ゴホッ、ゴホ!!」 どうやら何処かの臓器がおかしくなったらしい。 口腔から鉄の味が広がり、そして吐き出す。 それを繰り返して、痛みが治まるのを待つ。 喉からヒューヒューと、嫌な音が聞こえる。 掠れた様な、とにかくあまり良い状態ではない。 『 お兄ちゃん 』 意識が遠のいてしまう感覚に陥った時、ふと自分の妹の姿が思い出された。 そして、その傍にフェイルもいる。 『 シリウス君 』 幻覚を見てしまうほど、もうやばくなってるな。 最後に見た2人の笑顔が、眩しい。 眩しすぎて真っ直ぐ見る事が出来ない。 暖かな、優しい慈愛のある笑顔。 柄にもなくその笑顔が好きだった。 失いたくないから、護りたいから。 ただそう思い願い、そして行動しているのに。 俺達を隔てる壁は大きすぎる。 そしてそれは、俺達の希望をむしり取るようにして奪う。 現に、俺達は大きなものを奪われた。 あれが消えた途端俺達の間で何かが狂い始め、そして今に至る。 今思えば、あれは俺達を支え統一するような大きな存在だった。 失くしたものは大きすぎて、支えを失った今 俺たちはこうも簡単に崩れている。 『 リュオ君 』 『 アレスト 』 『 シリウス君 』 『 アスティア 』 『 シギ君 』 幻覚の中で、あいつが笑っている。 いつもいつも、俺達が危機に陥った時助けてくれていた。 それが当たり前のようになってしまって、ただ後悔するばかりで。 手を伸ばせば、すぐそこにいるというのに 手を伸ばせば、帰ってきそうなのに 「・・・・・イル。」 頼む 声が聞こえるなら この思いがお前の心に響いたなら こたえてくれ もう、俺達ではどうする事も出来ない もうお前に頼るしか、俺達には・・・・・。 「―――――フェイルっ!!!」 シリウスの声が響いた。 悲痛な叫び。 何かを求めるような、悲しい叫びだった。 「無駄な抵抗を・・・・・・・―――――っ!!?」 嘲るような顔でシリウスを見下ろしていたルシフェルだったが、 突如腕の中のものが光った事に驚き、勢いよくそれを見下ろした。 淡く白い光を放ち始めたフェイルの体。 薄く見開かれたその目は、何も宿さず真っ直ぐシギとリュオイルが呑みこまれた闇を見ている。 ―――――まだ完全に支配できていなかったか・・・・。 軽く舌打ちしたルシフェルは、この鬱陶しい聖なる光をどうするか考えていた。 このままこの光に当てられていれば自分自身が持たない。 力を抑えようと、手をかざすがこの力に勝つ事は出来ずルシフェルはただそれを見る事しか出来ない。 「・・・フェイル?」 突然の出来事にシリウスやアレスト達も呆然としていた。 奇跡が起きたのか? この声が、あの子に届いたのか? 真実は分からないが、彼女は今度はその小さな唇を動かしていた。 何かの呪文のような、力強い詠唱。 それがルシフェルに聞こえた途端、彼は思い切り顔を歪めた。 「・・・と、・・・つきの、元。 願・・くば・・・・・の古・・・・・され、儚く・・・・。」 「まさか、私があの人間より劣っているだと!? ならない・・・・・そんな事、あってはならない!!」 愕然としたルシフェルは、フェイルの首を掴み上げた。 そして同時に下から聞こえる悲鳴。 全く眼中にないのか、怒りを露にしたルシフェルはそのままフェイルの首を締め上げる。 「黙れっ!!お前は既に我々魔族の元に落ちたのだ!!」 「・・・・・太陽の、恩恵・・・・・・友の、絆・・・・・。」 「黙れと言っている!!」 グッと一気にその白く細い首を締め上げた。 だが苦しくも痛くもないのか、相変わらず魂の抜けたような顔で呪文を唱えている。 何に変えても譲らない。 そんな彼女の心がルシフェルに訴えているかのように。 「神々の、御心・・・・・・・我が力・・・・・・・今、目覚めん。」 詠唱が完成したのか、そこでフェイルの体が眩い光に完全に包まれた。 耐えきれないほどの光をもろに受けたルシフェルは思わず手を離してしう。 フェイルの光がシギ達の闇を浄化し、そしてこの暗雲の世界を消し去る。 「フェイル!!」 地上に落下するフェイルを受け止めようとシリウスは走った。 あの高さから落ちれば、気を失っている彼女は受身を取る事無くそのまま地面に激突する。 そうすれば、最悪の場合死する事もあるのだ。 そして、もう少しで彼女に手が届くはずだったそれが、風のように速い何かによって遮られた。 「――――――っ!?」 その何かが姿を表した途端、シリウスの体は凍りつくようにして固まった。 「ルシフェルっ!!!!!」 金の糸が、白き翼が空を舞う。 金属音が鳴り響き、この場は一変して殺伐とした空気が流れた。 突如現われた新手にルシフェルは驚きつつもその口をにぃ、と伸ばした。 現われたのは同じ顔。 だがそれはいつしか自分が陣取っていた最高位の職。 「久しぶりだな、我が弟ミカエル。」 「兄様・・・。いや、ルシフェル。」 同じ顔が、全く違う形相で睨みあう。 兄は笑みを浮べ、弟は厳しい目つきで実の兄を、そして敵である兄を睨む。 その数秒遅れて今度はアラリエルが飛んできた。 地上に降り、今の悲惨さを知った彼は自分の相棒であるイスカの元に走る。 「シギ様・・・イスカ!!」 「アラリ、エル。」 彼を抱き起こすと、アラリエルは自分の癒しの力を発動させる。 彼は元々能天使であり、本来は戦闘より回復に努めているのだ。 世界に水を与える重要な役割を背負っている彼は、神で無いものの天使の中でも重要な人物。 「大丈夫か、今治す。」 「お、れよりも・・・・シギ様、を。」 イスカも酷い怪我をしているが、彼が言った通りシギを見るとそこにはうつ伏せに倒れている2人の姿があった。 その内シギはかなり重傷で、生きているかどうかもここからでは判断しにくい。 イスカとシギを交互に見ながらアラリエルは苦い顔をして頷く。 彼が望む通りに、シギに駆け寄ろうとした時倒れていたもう1人が動いた。 「う・・・。」 「リュオイル殿!!」 アラリエルが声を上げると、リュオイルはそっちの方を一瞬だけ見た。 だが、今度はすぐ近くで倒れているシギに目をやる。 固く目を閉ざした姿。 それを見た瞬間、彼は痛みなど忘れたかのようにして起き上がる。 「シギ・・・・。」 傷だらけで、血まみれの彼の背を揺する。 シギの顔色は思っていた以上に悪く、そして何度呼びかけても何の反応も示さない。 まさか、と最悪の事態を考えたリュオイルは強く声をかける。 だがやはり何の反応もない。 体が、冷たい気がした。 息をしているのか、分からない。 「シギ・・・・シギ!!!」 「リュオイル殿っ!落ち着いてください!!」 混乱して我を失ったリュオイルは、何度も名前を叫ぶ。 焦りと恐怖、絶望を混ぜたような瞳で狂ったように名前を呼ぶ。 その姿を見ていたアラリエルはシギから彼を離し、落ち着かせる。 「大丈夫、大丈夫です。シギ様は生きておられます!!!」 力強くそう、はっきり断言した声にリュオイルは少し落ち着いた。 「い、きて・・・・。」 「はい、かなり危険な状態ですが浅く呼吸をしています。 今から治療を行えば、何とかなるかもしれません。」 だから取り乱さないで。 そう言って薄く笑うと、彼はシギの治療に専念した。 ほっしたのか、力が抜けたリュオイルはその場に崩れる。 手をついて、真っ青なシギの顔を除く。 生きている。 凄く、嬉しくて そして、泣きそうなくらい辛かった。 何でか分からないけど、凄く・・・。 「・・・・シギ。」 彼の無事が確認できたミカエルは、安心したかのように、泣きそうな顔で薄く微笑んだ。 本当は駆け寄りたい気持ちでいっぱいだけど、今は実の兄と対峙しなければならない。 ここに到着するまで、何度も何度もシギの悲鳴が聞こえた。 胸が苦しくて、とても痛かった。 「余所見をするとは、流石は最高位の大天使。我が弟ながら感心する。」 「戯言を・・・。今すぐ彼女を解放し、降伏してください。」 武器を構えたまま、ミカエルは少しの希望に期待してルシフェルに降伏しろと言った。 だが何が可笑しかったのか、彼は自嘲するかのように笑い出した。 「はっ、戯言を言っているのはどっちか。 ミカエルよ、何故私が神を憎んでいるか分かっているだろう?」 「・・・・それでも、私は神に仕える者。 神に忠誠を立て、神の為にこの剣を振るう。 貴方も、兄様も以前はそのような立派な方だったの・・・。」 「黙れ。愛や正義、喜びなどとほざく神に私はどれだけの仕打ちをされたか。 今思い出しても腹ただしい。忌々しきゼウスめ・・・・・。」 ルシフェルは拳を握り締めると、それをミカエルに突き付ける。 驚いて一歩下がったミカエルは、警戒しながら彼を見据えた。 「ミカエル。私はお前に恨みなどない。」 「兄、様・・・。」 「最後まで私を庇ってくれたお前には感謝してる。」 「では何故・・・・っ!!」 「私が恨みがあるのは神。 高い位置で私達を見下ろし、良い様に使われ、そしていらなくなれば捨てる。」 「兄様!!」 「ミカエル、これは忠告でもあり警告だ。 今すぐその地位から離れ、私と共にこの世から神を排除しようではないか。」 「っ!?」 殺気など全く宿さない、優しい笑みがミカエルに向かれた。 その懐かしい、彼が天界にいた頃の優しい笑みと酷似しているそれにミカエルは息を呑んだ。 彼は嘘を言っていない。 笑っている。口元だけ出なく目元も。 「兄、様。」 本当は、神に最も愛され、美と勇気、気品に満ちた天使でありそしてその最高権力者だった。 優しさで満ち溢れ、人間を、そして時には流れ魔族をも慈しんでいた。 ただ、ほんの少し欲が出てしまい、自分自身が神になろう。と思った瞬間、彼は地へ落とされた。 そして、その変わりだと言わんばかりに今度は自分が兄の地位に昇進したのだった。 兄様を庇っていたのも事実。 それくらいの事で、何故追放されなければならない? 必死に抗議しても、神はそれに耳を貸す事はなかった。 悔しさと虚しさが心に広がり、それからどんな気持ちで過ごしてきたか。 最初は少なからず神を憎んだ。 些細な事で追放するのはいつもの事だが、まさか自分の兄が追放されるなんて夢にも思わなかった。 「それでも・・・・。」 でも、出来ない。 「私は、神に忠誠を立てた身。」 申し訳ありません、兄様。 「私は、貴方の誘いに乗る事は出来ない。」 貴方が神を殺そうとするのなら 私は貴方の憎むその神を護りましょう。 それが、神に忠誠を立てた天使達の宿命。 「・・・・・・そうか。」 大して声色を変えずに、ルシフェルは目を伏せた。 彼はゆっくり首を横に振ると、今度は冷たく弟を見下ろした。 これで、もう後戻りは出来ない。本当の戦いが始まる。 「ならば、これを持って私はお前を弟と見るのは止めよう。 神を護るものは全て敵。なぶり殺しにしてやろうではないか。」 「えぇ。私だって、初めからそのつもりでこの場所に立っているのです。」 これで、もう二度と彼を兄として見る事はできないだろう。 世界を破滅させようとする、最強の天使。 犬猿の仲の神と魔王の決着が、戦争によって明らかになる。 固唾を飲み込んだミカエルは、また一歩退いた。 ルシフェルの突き刺さるような視線が彼を威圧している。 それを見てニヤ、と笑うと彼は指を鳴らした。 乾いた音が響き、その音に同調するかのようにしてルシフェルの後ろに1人の男が現われる。 そして、その腕の中にはさっき落下したはずのフェイルの姿が。 「退くぞ、ベルゼビュート。」 「かしこまりました、我が王ルシフェル。」 白い翼を翻し、ルシフェルは黒の翼を持つ彼「ベルゼビュート」に退却の命を出した。 軽く礼をしたベルゼビュートは、次の瞬間その場から消え去り、変わりにフェイルをルシフェルに渡した。 「フェイル!!」 シリウスが、リュオイル達が一斉に声を上げる。 さっきまで確かに目を見開けていたはずなのに、今はまた固く閉ざしている。 ぐったりとして動かない彼女に気分を良くしたのか、彼は薄く笑うとミカエル達を睨みつけた。 「これを返してほしくば我が領域「タナトス」へ来い。」 それだけ言い残すと、ルシフェルはベルゼビュートと同じ様に風のように消えた。 「待て!ルシフェルっ!!!」 消える瞬間、ミカエルが手を伸ばしたが後一歩の所で彼は消えた。 悔しさに顔を歪めていると、急にアラリエルの焦った声が彼を呼ぶ。 「ミカエル様!!!!」 嫌な、予感がした。 《 気をつけろよ。》 《 貴方こそ 》 数時間前の光景が、どうしてなのか分からないがフラッシュバックした。 屈託なく笑う彼の姿。 優しい性格で、時には厳しかったけど、でもそれが嬉しくて。 特別扱いしてくれないのが、本当に嬉しくて・・・。 《 んじゃあな。行って来る。 》 地上界に降りたあの日も、変わらず笑っていたというのに 「っシギ!!!」 何故今、貴方は動いてくれないのですか・・・・。