今私の心はどんなものでしょう。 私が生きているのは、今。 過去は時が経つにつれ薄れてゆく。 忘れる事は出来ない。 空の色も、草の匂いも、何も変わらないけれど 世界はこんなにも変わってゆく。 悲しみも、苦しみも、喜びも、憎しみも 全てから、逃げ出したい・・・・・。 ■天と地の狭間の英雄■ 【迫り来る影】〜花と豊穣と花の女神〜 「はぁぁぁぁあああああ!?」 天をも貫くような大声に、リュオイルは思わず耳を塞いだ。 今リュオイルは部屋に戻って大人しくしていた。 すると血相を変えて、失礼なほど大きな音を立てて扉を開けたアレストがそこにいた。 何事だ、と言わんばかりにリュオイルはアレストの方を見る。 何とも言えない複雑な顔をしているリュオイルをよそに、アレストは物凄い剣幕でリュオイルに詰め寄った。 「シ、シリウスとアスティアは!?ついでに言えばイスカもなんやけど。」 「3人なら敵陣に潜り込んでフェイルを助け出すってさ。」 「へぇ、そりゃ大変やなぁ・・・・・・・・・・・は?。」 そして最初に戻る。 「な、な、な、な、何で止めんかったんや!!?」 今にも首を絞められそうな勢いでアレストはリュオイルを掴んだ。 ガクガク揺らされるので、言葉を言おうにも何を言っているか自分でも分からない。 「ア、アレ・・・・ちょっと・・・・く、くるし・・・・・・。」 「何で何で何で何で何でーーーーーーーーーーーーーや!!?」 「く、首・・・・・しまるって・・・・。」 いい加減離してもらわないと僕自身あの世にいってしまいそうで、とてもじゃないが笑えない。 おまけに血が足りないせいか、段々気分が悪くなってきた。 貧血しそうな勢いだが、何とか起きていなければならない。 ちゃんと事情を話さなければ彼女も納得がいかないだろう。 ・・・・それ以前に僕が殺される・・・・。 「何をしてるんですか?」 リュオイルにとって救世主が現われた。 「あ、ミカエル・・・。」 「・・・・・アレストさん、手を離してあげないとリュオイルさん死んじゃいますよ?」 「へ?・・・あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」 ミカエルに言われてやっと気付いたのか、アレストは真っ青になっている僕を離した。 最後に耳元で叫ばれたその大声が実を言うと一番きつかったんだけどね・・・・。 「ア、レスト・・・・僕、一応怪我人だから・・・・。」 「ご、ごめんごめん!!すっかり忘れとったわ。」 「・・・・頼むから忘れないでくれ。」 君の腕力には誰も勝てないから。 まだグラグラする頭を押さえて、リュオイルはこの場をしのぐ事が出来た救世主を見た。 「そういえば、どうしてミカエルがここに?」 確か会議やら何やらで忙しく動き回っていたはずだ。 こんなところに油を売っている暇は無いと思うのだが。 そんな顔をしていたリュオイルに、ミカエルは苦笑した。 「いえ、もう終わったんです。 会議と言っても、この瓦礫をどうするかっていう簡単な事ですから・。」 はっきり言えば今しなければならない事は殆ど無い。 ただ戦闘に備えて、ゆっくり英気を養う事。 あの事件で多くの天使の被害が出てしまい、皆意気消沈している。 何とかそれを振り切りたいのだが、相棒であるシギもあのままの状態。 信頼している大天使達が次々倒れていき、皆怯えているのだ。 「そう・・・・。」 「それは兎も角!!リュオイル、シリウス達を何で行かせたんや!?」 憤慨しているアレストに苦笑しながら、リュオイルは数時間前の事をそのまま彼女に教えた。 今の自分達は足手まといだということ。 僕自身が敵陣に乗り込むなんて無謀すぎるということ。 ちゃんと、帰ってくると約束してくれたこと。 「・・・・せやかて、何も相談されんと勝手に行かれるのは腹立つやろ?」 「僕も最初はそのつもりで話しをしに行ったんだけど・・・・。なんだか気がそれちゃって。」 何だか無理に付いていくのが申し分けなくて。 彼も彼なりに、仲間の事を心配しているんだって気付いて。 だから、待ってる事にした。 どう考えても、正しいのはシリウスだ。 ただ僕が我がままを言って、駄々をこねているだけで、結局は彼を困らせていた。 それに あんな顔されたらそれ以上反論できなくなってしまった。 初めて見た悲しそうな微笑。 何だか、取り残された小さな子供みたいに思えてしまった。 それを本人の前で言えば殺される勢いで剣を構えるだろうが、本当にあの時は驚いた。 「・・・・・・。」 「ごめんアレスト。君にもその場にいてもらうべきだった。」 あの時アレストを放っておいた自分が悪いのだが如何せん、あの時は気が気じゃなかった。 我を忘れたかのようにして走った僕を、僕自身も止める事が出来なかった。 「・・・・まぁ、過ぎた事やしな。しゃぁないか。」 大袈裟に肩を持ち上げると、アレストはいつも通りニカッと笑った。 「ちゃんと帰ってくるって約束したんやろ?ほんなら大丈夫や!!」 それにアスティアもイスカもいるしな!! 妙に納得したような顔つきになったアレストは、さっきまであんなに不満そうな顔をしていたのに、 それを忘れさせるかのように、にこやかに笑った。 「大丈夫!リュオイルはうちがちゃーんと守ったるさかいな!!」 「・・・・・嫌だよ。」 「何言ってんねん、あんたは今狙われてるんやで!?」 フェイルとの接点を切り離さすべく、いつどこからルシフェルが現われるか分かったもんじゃない。 必然的に守られる形となるのだから何をそんなに嫌がるだろうか。 「・・・・僕だって、抵抗する事は出来る。ただ守られるのは、嫌だ。」 頭で分かっていても、ただ守られるのは嫌だ。 僕だって、戦える。 非力だけれども、それでも何かの役に立つと信じている。 力でどうこう出来なくても、僕は心と戦う事が出来る。 フェイルを忘れたりなんかしない。 相手がルシフェルだからって、そんなの関係ないんだ。 ふ、とリュオイルは自分の右腕にある銀のブレスレットを見た。 輝きを失わないそれは、まだフェイルが無事だという事を示しているようで、何故か心が落ち着く。 不安でいっぱいだったこの弱い心に、一筋の光が差し込む。 ――――――リュオ君。 ほら。 こうすればすぐに君の声が、顔が思い出される。 太陽のように明るくて、花のように微笑む姿が。 それは僕が一番大好きな笑顔。 屈託無く笑う姿は、本当に子供っぽくて、暖かな気持ちになった。 離れていても、こんなにも君を想ってしまう僕はおかしいだろうか。 「守られているだけじゃ何も変わらない。僕は、フェイルと一緒に戦う。」 ルシフェルの力なんかに、負けやしない。 僕は1人じゃない。 今この腕にある銀色の物と、繋がっている。 それは本当に細いのだろうけど、だけど裂くことは出来ない。 僕達の心が一つな限りこれはどんなものにも負けない力を持っている。 「大丈夫。僕は僕自身の力を信じるし、それにフェイルもきっと信じてくれている。」 「リュオイル・・・・。」 「そんな心配そうな顔しないでよ。何だか、僕が悪者になった気分だからさ。」 どこか照れたように笑うリュオイルにつられて、アレストも薄く笑った。 もう彼は大丈夫なのだろう。 彼は、1人では無い事をちゃんと理解した。 あとは、1人捕らわれたフェイルがそれに気付けばいい。 不器用だった2人の中で、何かが変わろうとしている。 「・・・・お強いんですね、貴方も、そして仲間達も。」 ぽつり、と零したミカエルの声がこの静かな空間に響いた。 心地よい声は、どこか寂しそうな、愁いを帯びた声色が含まれている。 「ミカエル?」 「・・・いえ。少し、羨ましいです。」 自分には、思いたくても、願いたくても叶わない事がある。 それは絶対に絶対で、変わる事は無い。 今の自身の地位を振り返れば尚更なのだが、それでも「ミカエル」という天使はこの世に存在し、生きている。 願いも、思いも、たくさんあるがそれを実現させることは自分には出来ない。 シギを助けたくても、実の兄を助けたくても、それを独自で助ける事は出来ない。 何の関係もない人間を使って動くことしか、自分には出来ない。 「私は、ここを離れるわけにはいきませんから。」 出来る事は、ただ見送る事だけ。 帰ってくるのを待つだけ。 「自由に思い、動く事が出来る貴方達が、羨ましい。」 私自身、好きでこの大役を背負ったわけじゃない。 最初の頃はルシフェルの双子の弟だという事もあって非難されたが、嫌ではなかった。 追放された兄を、いつか必ず助けれればと思い、今まで努力をしていた。 支えてくれる仲間も数多くいる。 陰で支える者も、シギのように真っ向から支えてくれる者もいた。 だから今まで頑張ってこれた。 けれど、シギは倒れ、そして最愛の兄まで正気を失った。 「同時に、何も出来ない自分自身が・・・・酷くもどかしい。」 出来る事なら私自身が彼女を助け出し、そしてシギを救いたい。 「最高位の天使でも、私には出来ないことがまだまだたくさんあると言う事が、身にしみて分かりました。」 「ミカエル・・・。」 彼の痛々しい気持ちが伝わり、2人はどう返せばいいか悩んでいた。 軽々しく返事もしても、ミカエルは何も言わないだろうし、ただ笑うだけだろう。 優しくて、こんなにも悩んでいる彼を、一目見て最高位の天使だと誰が言えるであろうか。 そこにいる彼は、1人で彷徨っている青年にしか見えない。 行くところも、帰る場所も失った孤独な心を持っている。 救いようの無いその心を救えるのは、一体誰であろうか・・・。 「ミカエル様。」 静まり返った部屋に、あどけない声が響いた。 気配が無かった事に驚きつつも、入り口の方に目をやる。 そこには今まで見た事の無い、フェイルと同じくらいの歳に見える少女がいた。 「フローラ、様?」 フローラと呼ばれた少女は、オドオドしながらミカエルに近づいた。 「フローラ」と言う名前には、確か聞き覚えがある。 間違い出なければ、花と豊穣と春の女神だったはず。 彼女の桃色の髪は膝ほど長く、少しカールがかかっている。 おっとりとした雰囲気と、子供らしい仕草は無邪気さを感じさせられる。 確かに、見たままではその女神と言っても不自然ではない。 「どうなされました?」 ミカエルは、フローラの目線に合うように腰をおろした。 丁度目と目が合うほどの位置で話すので、傍から見れば兄妹にも見える。 「あ、あの・・・。これから早急に会議を開きたいとの事で・・・。 えっと、ミカエル様を呼んできて欲しいと言われて・・・・。」 「分かりました。わざわざありがとうございます。」 そう言って微笑んだミカエルは、すぐに立ち上がると、リュオイル達に軽く礼をしてその場から去った。 残ったのはオロオロしている女神と人間2人。 フローラは、2人を交互に見ながらどうするべきかと悩んでいた。 実際、初めて人間と対面するので免疫は持っていない。 それどころか、元から上がり性なのでこういった場所では1人オロオロするだけなのだ。 「・・・・えっと・・・。」 「は、はぃぃいいい!!!」 何を話せばいいか分からなかったリュオイルは、とりあえず挨拶しようと思ったが、 予想以上の反応に驚いていた。 ビクビクしながら、背の高いリュオイルを見つめるフローラは幼い少女に見える。 でもここまで怯えられると、何となく自分が情けなくなるのも事実。 「初めまして、フローラ様。」 「・・・・・。」 「僕はリュオイルです、こっちがアレスト・・・。」 「・・・・・。」 「・・・・・・・あ、の?」 オロオロしているかと思い気や、今度はぴたっ!と止まってしまった。 急変する態度に今度はリュオイル達がうろたえる。 何か失言でも吐いてしまっただろうか、と思いだすリュオイルをよそに、フローラは目の前に立っている リュオイルの服をむんず、と掴んだ。 急に引っ張られた彼は、前にこけそうになったものの何とか体勢を立て直す。 「わっ!!」 「・・・・・。」 未だに服を掴んだままフローラは、その大きな目をリュオイルに向ける。 だがそれには真剣な眼差しが含まれていて、「何をするんだ」と言い返す事が出来なかった。 アクアマリンのように美しいその瞳は何か言いたげだ。 「・・・フローラ様?」 それ以降沈黙が続いたので、流石にアレストが止めに入る。 服を掴まれたままのリュオイルも体勢が悪いのか、少し前屈みになったまま静止していた。 だがいつまでもそんな格好をしていられるわけがないので、いい加減離して欲しいのが心境であったりする。 「私を、様付けで呼ぶの止めてください!!」 言おうか言わないか躊躇っていたフローラであったが、意を決して彼女は声を上げた。 子供独特の高い声がこの部屋に響き、一瞬暖かな風が吹く。 彼女の言動に驚いてしまった2人は、唖然とした様子で背の低い彼女を見下ろした。 下唇を噛んで懸命に涙を流さないように堪える姿は実に微笑ましい。 一瞬見ただけではとてもじゃないが「神」には見えない。 だけどその体から嫌ってほど感じられる神気は偽りではなく本物。 たとえこの様な幼い姿をしていても、自分達より遥かに年長者なのだ。 「・・・えっと・・・。」 「私の事はフローラで構いません!!」 必死になって訴える彼女は、怯えながらリュオイルを見上げていた。 傍から見ればリュオイルが悪者に見えてしまう。 この状態を誰かに目撃でもされれば、彼は一瞬の内に空の藻屑となるだろう。 「私は、私はいつも誰からも「フローラ様」と呼ばれています。 だけど、私はそんな偉い神じゃありません!!」 ゼウス神もヘラ神も、ミカエル様や他の方達まで皆私を「フローラ様」と呼ぶ。 まだミカエル様なら分かるけれど、最高神のゼウス神までもがそう呼ぶ。 私だけではないけれど、でも私は何も役に立っていない神だ。 花と豊穣と春の女神。 でもそれは、人間界に与えられる恩恵期間は天界にと比べると遥かに短い。 天界には人間界にある四季が無い。 常に快適な空間を造り出し、その一部を人間界に送るに過ぎない。 こうして思い返せば人間達には酷い事をしていると思う。 春がずっとあれば、緑も豊かになり畑作も栄えるだろう。 当たり前のように恩恵を与え、当たり前のように恩恵を与えるのを止める。 全ての民に平等に分け与えているならまだしも、それが出来ていないのが現実だ。 いい例がアイルモード帝国。 あの辺りの大陸は、地形や気温が異なるせいでフローラの恩恵を十分に受ける事が出来ない。 「・・・・。」 「こんな事を言うのは理不尽です。 分かっています。間違っているのは、私だって事は・・・。」 どんどん暗い方向へ考えていったフローラは、語尾を小さくしながらぽろりと涙を零した。 いつの間にかリュオイルの服を離し、項垂れるように床を見下ろしている。 そのせいでどんな表情をしているかははっきりと分からないが、随分沈んだ顔をしているのだろう。 こんないたいけな少女(実年齢は知らないが)を泣かせてしまったことには流石に罪悪感が生まれる。 神も、皆苦労している。 てっきり神達はふんぞり返って、自分の部下達をこき使っていると思いこんでいたアレストは、 フローラの言った苦い事実に顔をしかめていた。 まぁ堂々とこき使っているのは最高神であるゼウスだろう。 だが彼が他の神達にまで敬意を払っていた事には流石に驚いた。 その事は大変よろしい事だと思うが、その反面信じきれていない自分がいる。 あの堂々たるゼウスが、「〜神」と言っているを姿を思い浮ばせるだけで寒気が走った。 (・・・ありえへん。) 何たって最高神だ。 何たってあのゼウスだ。 何たって・・・・・・(以下略) 「じゃあ、何て呼んだら良いかな?」 アレストがウンウンと唸っている時、リュオイルはフローラと目線が合うように腰をおろした。 それまでボー、として突っ立っていたままだった彼が急に動いたのでフローラは一瞬肩を震わせた。 でも、思いのほか優しい口調に反射的に目を瞑ってしまったそれを開かせる。 「・・・え?」 「様付けは嫌なんだろ?じゃあ、貴方は何て呼ばれたいの?」 「・・・・特に、ないですけど・・・。」 ただ、「フローラ様」とは呼んで欲しくない。 それだけだった。 だから何て呼ばれたいかなんて、全く頭に無かった。 てっきり「神が何を馬鹿げた事・・・。」と言った風にあしらわれると思っていたので彼の言動には驚くばかり。 予想外の反応に、フローラはまた違う意味でうろたえ始めた。 それに「困ったな。」と苦笑しながら頬を掻くリュオイルの姿があった。 「なんや、そんならフローラで構へんのとちゃうん?」 何ともじれったい2人を交互に見ながらアレストは話しの中に入り込む。 はっとしたようにしてフローラは顔を上げた。 それは最初こそ驚いていたものの、次第に嬉しそうに、花のようにその表情を綻ばせた。 その笑った顔が儚く、そして美しく見えて2人は思わず息を呑む。 花と豊穣と春の女神フローラ。 初対面では、そのふんわりとした彼女の空気で納得がいったが、今度は内面で納得できた。 彼女が笑うことで、思わずこちらも微笑んでしまうのだ。 ――――――・・・イル・・・・。 「・・・・・え?」 急に、リュオイルの背筋が凍った。 アレストとフローラは、彼の異変に気付く事無くお互い何か話している。 話しているが、何を喋っているか分からない。 まるで時間が、世界が止まったかのように、リュオイルだけが止まったかのように。 酷く寒い。 歯が、ガチガチと鳴っているのが分かる。 眩暈を起こしそうで立っていられない。 ――――――・・・・リュオイル・・・。 何処かで、誰かの声がする。 でもそれは、絶対に答えてはいけない。 本能が、全神経に命令している。 その声に答えるな。 その声を聞くな。 その声を辿るな。 ―――――逃がさない・・・・・。逃がさんぞ、愚かな人間め・・・・・。 止めろ。 ―――――隠れても無駄だ。 止めろ。 ―――――大人しく我等の血となれ。 止めてくれ。 ―――――お前の存在を、今すぐ消し去ってやろう・・・。 「うわぁぁぁぁぁぁあああああっ!!!!!!」 「リュオイル!?」 静かだったリュオイルが、一体どうしたのかいきなり叫び始めた。 その意図が分からないアレストは、うずくまるリュオイルの肩に力強く手を置く。 それでも一向に止まらない絶叫。 彼の目は虚ろで、何かに怯えている。 「しっかりせんか、リュオイル!!」 「や、止めろ・・・・止めてくれっ!!!」 一体彼の身に何が起こっているのだ? どうして、こんなに怯える? 何に対して、あるいは誰に対して。 こんな怯え方をする彼を見るのは初めてなので、アレストは少なからず動揺していた。 傍にいるフローラも、心配そうにしてリュオイルの顔を除きこむ。 体はガタガタと震え、まるで死神でも見ているように見えない何かを凝視している。 このままでは・・・・・。 「リュオイルさん!!!」 ―――――バンッ!! 壊しそうな勢いで扉が開いた。 そこにいたのは焦った様子のミカエル。 つい先ほど会議に駆り出されたはずなのに、どうしてここにいるのだろうか。 「ミカエル?」 「アレストさん!!リュオイルさんは、彼はどうしたのですか?」 酷く狼狽したミカエルは、真っ青になりながら苦しむリュオイルに近づいた。 フローラは彼の手をギュッと握り締め、目に涙を浮べながら必死に名前を呼んでいる。 「どうしたもこうしたも・・・。急に叫び出したんや!!」 原因が分かっていればこんなに苦労しない。 アレストの答えに、ミカエルは一気に顔色を落とす。 「・・・・まさか。」 「そのまさかだ。動くのが遅かったな、大天使ミカエルよ。」 闇の中で黒く揺らめく漆黒の翼。 血のように真っ赤な瞳はミカエルを凝視して離さない。 その背筋が凍るような冷たい視線を受けながら彼は一歩前に出る。 「・・・・・貴方はルシフェルに仕える上級悪魔の君主、ベルゼビュートですね。」 「いかにも。我が王ルシフェル様に忠誠を立てた魔族の1人だ。」 「こんな真昼間から敵陣に潜り込むなんて常識がなっていませんよ。 あなた方の活動時間は夜ではないのですか?」 何とも言えない会話をしているが、これでもミカエルはかなり緊張している。 威圧を感じる彼の視線は直に受けるとかなり堪える。 だがここで引けば自分だけではなく彼等まで殺されるのは間違いないだろう。 「ふむ。確かに一理あるな。 だが我等はルシフェル様の命令とあらばどのような時にでも動く。」 「やはり、ルシフェルが・・・・。」 ミカエルはしまった、と言わんばかりに顔をしかめた。 相手の罠にこうも簡単にかかるとは何たる屈辱か。 先日の戦争で、一時は休戦するかと思っていたがそれは外れた。 こんなにも早く仕掛けてくるとは全く予想出来ていなかったミカエルは悔しさに下唇を噛む。 焦りや苛立ちを胸に秘めていた時、急にベルゼビュートの視線がミカエルから外された。 一瞬何故だか分からなくなったミカエルだが、冷静に彼の目線の先を追う。 それはうずくまっているリュオイルに向かれ、表情を一変させ彼はニタリと怪しく笑った。 「我の目的はこの人間を抹殺する事のみ。」 そう言うと、彼は一瞬にしてリュオイルの目の前に立った。 あまりの速さに目が追いつけなかったミカエルは瞠目した。 ベルゼビュートが城内に侵入していたことはさっきの会議で知らされていたため大して驚きはしなかったものの、 はっきり言って彼の能力を殆ど把握していない。 先日顔を見合わせたぐらいで、一度たりとも彼が戦ったところを見ていない。 「我等の為に、その命落として貰おう。」 ベルゼビュートは、表情を変える事無くその独特の形をした鎌を振り下ろした。 そのまま命中していれば、リュオイルの首は切り落とせる。 だが傍にいたアレストがそんな事をさせるわけが無く、掌と掌でその刃を受け止めた。 「ぐっ・・・。」 あんな涼しそうな顔をして鎌を振り下ろしたにも関わらず、この馬鹿げた重さは何だ。 人一倍腕力の強いアレストでもその重さには圧倒される。 掌の間からは自らの血が、つぅ・・・と流れ、雫となったそれが自分の顔にかかる。 すぐ傍で震えているフローラは、ただそれを見る事しか出来ない。 「アレストさん!!」 ギリギリと、徐々に押されてもう少しで彼女の顔に鎌の刃が届きそうな時、光の剣がベルゼビュートを退けさせた。 円を描くように光の線が流れる。 その聖なる光を見て、ベルゼビュートはわずかに顔を曇らせた。 やはり純血の魔族は聖なる気が苦手のようだ。 ただ流石上級悪魔と言うべきか、これしきの力では怯まない。 こんな狭い所で戦えば相撃ちになりかねない。 それ以前に今はリュオイルをここから脱出させるのが先決だ。 ミカエルは、扉の方に目をやった。 幸いにも誰もおらず今なら逃げ出せる。 だから彼は今唯一動くことが出来るアレストに叫ぶ。 「リュオイルさんとフローラ様を連れてゼウス神の元へ行って下さい!!」 「なっ・・・!!あ、あんたはどないすんねん!!!」 「私はこいつを倒さなくてはなりません。だから、だから先に逃げてください。」 彼の言葉にアレストは絶句した。 確かに今はリュオイルとフローラを連れて逃げ出すのが得策かもしれない。 だが、こんな所で戦うなんて無謀すぎる。 彼だってその事は百も承知のはずだ。 「・・・・お願いします。」 あまりに悲しそうな表情に、アレストは複雑そうに、そして渋々頷いた。 震えて声も出せないフローラを無理矢理立たせ、リュオイルに手を貸しながらこの部屋を出る。 ゆったりゆったり、とした速さがだが確実にあの殺気だった部屋からは離れている。 ミカエルはゼウスの元へ行けと言ったが一体彼が何処にいるのか分からない。 「・・・・・これは・・・。」 リュオイルを担ぎながらアレストはふと外を見て唖然とした。 そこには、先日と変わらないほどの魔族がこの天界を覆っている。 怪我を癒しきれていない天使達や、そして人手不足なのか明らかに戦闘向き出ない天使達まで駆り出されている。 刀と刀とが混じりあう音。 空に響くほどの断末魔。 そして、真っ赤に染まる地表。 これでは先日の二の舞になる。 戦力となる人材も今はここを開けていて誰も援護する事が出来ない。 しかも指揮を取るはずのミカエルもあの部屋で対峙しているのだから、天使達にはかなり不利な状況になっている。 少しでも参加したいが、今自分には2人分の命を預かっている。 ぐったりっとして動かないリュオイルは、さっきから何かブツブツと呟いているがそれは小さすぎて聞き取れない。 さっきまであんなに震えていたフローラであったが、今は大分冷静さを取り戻し落ち着いている。 「しっかりしぃや、リュオイル。」 アレストはゼウスの言葉を思いだした。 リュオイルはフェイルと繋がる物を所持している。 魔族が攻めて来たのなら、それは全てリュオイルに向けられていると言っても過言ではない。 「・・・アレストさん。」 不安そうな声でフローラは止まったアレストの服を引っ張る。 それにはっとして、アレストはフローラを見下ろした。 そして、大きく頷くと、彼女の手を引きながらゆっくり、この広い城の中を歩き出した。 「・・・・・仲間を逃がすために己の身を犠牲にしたか。」 つまらなさそうな目つきでベルゼビュートは前に立ちはだかるミカエルを凝視した。 血のようにどす黒い瞳は、全てを見透かしている様にも見える。 表情が無く、そして死んだような色を宿したそれは見ているだけで気分が悪い。 「正確には貴方を倒すので私は何の犠牲にもなりません。」 冗談じゃない。 ここで死ぬわけにはいかない。 早い所彼を殺すか退散させて外の援護に向かわなければ・・・・。 それに、リュオイルを殺させてはならないのだ。 戦力が減った今はかなり厳しいが、それはゼウスの絶対たる命。 「ほぉ、面白い。その卑しき天使の力と、我等魔族の力で勝負するつもりか。」 「私は天界を守る大天使。 ここで朽ち果てるつもりはありませんが、命に代えてもここから先は一歩たりとも通しません!!」 そう言い切ると、ミカエルは剣を構えた。 自分自身が生きて帰還出来る確立は半分。 恐らくこの相手はかなり手強い。 少しでも気を緩めれば、死ぬのはこっちだ。 「・・・・・・ならば、いざ尋常に勝負!!」 ゼウス神 ヘラ様 そして、シギ。 どうか どうかあの人達を御守り下さい。 どうか この私に力をお与え下さい・・・。