■天と地の狭間の英雄■        【おかえり】〜帰り人〜 ドクドクと、血は勢いを弱める事無く流れ続けた。 背中の出血が一番酷いため気休めではあるが止血点を押さえる。 リュオイルの手が、服が、どんどん紅く染まっていくがそんな事は今構っていられない。 まだ息をしている。体は温かい。生きているという証がある。 けれども、それが何処まで持つか。 彼女の体は刻々と衰弱してきている。 アレストを背負って下におりようとしても、それは階段付近にある瓦礫で塞がれている。 もう一度粉砕してもらおうにも、ミカエルは既に疲れの色が出ていた。 無理をすれば出来ない事も無いだろうが、それではミカエルの命が危ない。 (アレスト・・・・・!!) 堅く目を閉じたまま、一向に動かない。 意識不明で出血多量の重体なのだろうが、今のリュオイルには止血する事しか出来ない。 悔しいが、そんなちっぽけなことしか出来ないのだ。 悲痛な面持ちで、リュオイルは下唇を噛んだ。 「くそっ!!」 やりきれない思いと、そして悔しさが彼の心をズタズタにした。 無意識のうちに、腕の力を強める。 けれども、そんな悪足掻きをしたところでアレストが助かるわけが無い。 もしもギルスが生きていて、尚且つここにいれば「大情際が悪い」と冷めた様子で言っただろう。 だけど、それでも助けたい。 このままでは、いずれアレストは死ぬ。 そんな事分かっている。分かっているけれど、人間と言うものは足掻く生き物だ。 どんな辛い状況に陥っても、皆奇跡を信じる。 そんな甘ったれた思想が、この世で通用するとは思わない。 でも、願い、祈るしかもう何も出来ない。 「リュオイル!!!!」 ふと、壊れた壁の方から、つまり後ろから声がした。 それは今ここにいないはずの、シリウス達と共にタナトスへ行った筈の人物の声。 驚いてリュオイルは後ろを向いた。 そして、それ以上に驚くことを目の当たりにする。 「イスカ!?・・・・―――――え・・・・。」 リュオイルの思考が停止した。 目を見開いたまま、動かない。 だってそこには、懐かしい姿があったから。 「・・・・・・フェイル?」 無意識に口を動かしていた。 その声に反応した少女は、ぎこちなくだが笑った。 イスカに持たれながらこちらに歩いて来る。 突然の再会に、喜べばいいのか分からなかった。 「・・・・・アレ、スト・・・・。」 リュオイルとアレストの傍に来ると、フェイルは気が抜けたようにへたり込んだ。 それを慌ててイスカが支える。 目を閉じたアレストを凝視して、離さない。 この状況を理解しきれていないリュオイルは、反射的にイスカの方を見た。 意見を求められたイスカは、複雑な顔をして静かに笑った。 その意図さえも読みきれず、リュオイルは困惑した表情でフェイルを見る。 目の前に、すぐ傍に君はいる。けれど・・・。 「アレスト、アレスト・・・。」 動かない彼女を揺する。 勿論、返事は返ってこない。 段々眦に涙が溜まっている事にリュオイルは気付いた。 絶望の色を宿した瞳を、アレストに向けていた。 「・・・っ!!!」 とうとう堪え切れなくなったのか、ポロポロと零れはじめる涙。 透明な雫がアレストの頬に落ちる。 それが伝わるように、地面にも落ちた。 フローラが持っているのとは逆の、左手を握り締める。 既に青白くなっているアレストの肌は心なしか冷たい。 それを握ったフェイルは、酷く傷ついた顔で呟いた。 「・・・ごめんね。」 そう言って、また一滴の涙を零した。 しゃくりあげる事無く、静かに涙を流している。 その姿は痛々しくて、見ていられない。 「フェイル・・?」 何の感情も無く、ただ彼女の名前を呟いた。 けれどその声にフェイルは全く反応しない。 まるで外部の音が遮断されているかのように。 「今、治すから。」 涙を流しながら、フェイルは辛そうに笑った。 重い体を無理矢理動かし、精神を集中させる。 シリウスに言われるまで自分の力が削ぎ落とされていた事に気付かなかった。 だから今高度な技を使えば、次に目を覚ますかどうか自分自身でも分からない。 過労死するかもしれない。 もう2度と目を覚ます事無く、朽ち果てていくのかもしれない。 でも、守りたいの。 たとえこの命が尽き果てても、救いたい。 「・・・本当に、ごめんなさい・・・。」 そう言ってフェイルは静かに目を瞑り、と大きく息を吸う。 久々に使う魔法は、いつもより新鮮で、そしていつもより力が増していると感じた。 そんな風に感じるのはおかしいけど、魔力が体中を駆け巡る。 でもそれに違和感を感じない。懐かしく、そして心地良いとさえ感じられた。 今なら、きっと出来る。 ――――天恵――――― 一瞬にして暖かな光がアレストを包み込んだ。 それは彼女の血を止め、瞬時に傷口を塞ぐ。 けれど、流された血は元に戻すことが出来ない。 傷を癒しても、出血が多すぎた事でショック死する可能性がある。 「すぐに輸血した方が、いいですね。」 「ミカエル様・・・。」 よろよろとしながら、ミカエルは彼等の傍にやってきた。 疲れきった顔をした彼に驚いたイスカだったが、今度は怪我の具合を気にする。 最高位に立つ大天使が、ここまでやつれているのを見るのは初めてだ。 どんな時でも、どんなに怪我を負った時でも彼は笑みを絶やすことは無かった。 そんな彼がこんなに衰弱している。 それほど大変な戦だったのだと思うと、イスカは複雑な感じがした。 フェイルを助けに行く。と言ったのは紛れも無い自分自身だが、やはり故郷も仲間も大切だ。 ここまで被害が出ているなんて思わなかった。 そんな自分の甘い考えに、イスカは自分自身に腹を立てるしかなかった。 「じゃあ、俺が彼女を下に連れ下ろします。」 「えぇ。頼みましたよイスカ。」 「はい。」 それだけ言葉を交わすと、イスカはアレストを抱えて再度翼を羽ばたかせた。 なるべく彼女に負担をかけないよう、静かに、でも一気に下に下りる。 その姿を見届けると、ミカエルは座ったままの男女2人に声をかけた。 静かに安静していた事で、彼自身も大分落ち着いている。 自分だけなら下に行く事が出来るが、まだ飛べない3人が残っている。 不安にさせないためにも、自分が最後まで残らなければ。 「・・・大丈夫ですか、2人とも・・・。」 特に、フェイルがだ。 彼女の中にある魔力がかなり減ってきている。 安静にすればいつかは元に戻るだろうが、今さっきアレストを治療した。 その事で更に魔力が減っている。 それが全て実の兄のせいなのかと思うと、ミカエルは自嘲したくなった。 「あ、あぁ。僕は大丈夫。」 急に声をかけられたことに酷く驚いたリュオイルだったが、気を取り直して返事をする。 自分でも間抜けな声だったと思うが、いきなりだったのだから仕方が無い。 一方のフェイルはと言うと、さっきからずっと黙りこんでいる。 さっきまで泣いていた涙は既に消え失せていた。声をかけても、何の反応も無い。 嫌な予感がしたリュオイルは、彼女の肩を掴んだ。 「フェイル!!」 彼女に触って、温かいと感じた。 今目の前にいるのは幻ではない。本物なんだって・・・。 その反動で勢い良く振り返ったフェイルは、呆然として辺りを見回していた。 いや、違う。 「フェイル?」 焦点が全く合っていなかった。 瞼も閉じそうで見ていて危なっかしい。 明らかに様子がおかしいと思ったリュオイルは、軽くフェイルの頬を叩いた。 その時、一瞬だけだが彼女と目線があった。 でもそれは、フェイルの方からすぐに逸らされてしまう。 それに小さな痛みを感じたが、リュオイルは正気ではないフェイルに戸惑いを感じた。 前の彼女と何かが違う。 ただ困惑するばかりのリュオイルに、フェイルはやっとの事で口を開いた。 「・・・・ごめんね。」 「え?」 何を言い出すかと思ったら、さっきからフェイルはずっと謝ってばかりだ。 この子が何をした? 魔族に攫われたあの日から今まで、彼女はどうなっていたんだ? 外傷は全くないし、ただ精神的に疲れているようだ。 詳しい事を聞きたいが、今は止めておいた方がいいだろう。 今までの経緯の事も話し、そして彼女自身の事を話すにはまだ体力が回復しきっていない。 こんな状態で全てを話すのはあまりにも酷だ。 リュオイルは、ボンヤリしているフェイルの頭を撫でた。 何故なのかは自分でも良く分からない。体が勝手に動いた。 少し前は、こんな仕草は当たり前になっていたけれど今は違う。 勝手に動いたと言っても、どこかぎこちないと自分でも分かった。 恐る恐るといった感じで彼女の頭を撫でると、フェイルは驚いて顔を上げた。 そんな表情を見るのも何だか懐かしくて、知らず知らずのうちにリュオイルは笑った。 「おかえり、フェイル。」 泣きそうになりながらも、彼は本当に嬉しそうに笑った。 本当に今ここにいるんだ。 本物なんだ。偽者じゃない。 そう思うと、凄く嬉しくて・・・。 「・・・・うん。ただい、ま。」 かすかにフェイルが微笑んだ。 驚いた顔から急に笑顔に変わる。 久々に見るその笑顔が懐かしくて、すごく安心できて。 もう一度彼女の名前を呼ぼうとした時、急にフェイルの姿が見えなくなった。 その代わりに、腹部の方に重みが来る。 それがフェイルだと知るまでには、少し時間が掛かった。 フローラとミカエルの焦った声が木霊する。 「・・・フェイル?」 咄嗟に倒れた彼女を支えていた。 けれどその体は動かない。 目を閉じて、ぐったりとしている。 「フェイル・・・・フェイル!?」 自分でも驚くほど狼狽していた。 再度頬を叩くが今度は何の反応も無い。 「フェイル!!」 「リュオイルさん、落ち着いてください。」 取り乱したリュオイルは、我を失ったかのように何度もフェイルの名を呼び続けた。 嫌な事が立て続けに起こっている。 シギも、アレストも、そしてフェイルも。どんどん大切な仲間達が倒れていく。 この事がどれだけ衝撃的で辛いか、天使達は分かるだろうか。 分かれといっても、理解する事は出来ない。 他人の心を同じ様に感じ取るのは難しい。 「落ち着いて。フェイル様はただお疲れなだけです。」 「でも、でも・・・。」 これまで何度も彼女が倒れていくのを目の当たりにしていた。 そのつど自分の非力さに苛立つ。 何がフィンウェルを守る騎士だ。何が将軍だ。 結局、誰1人守る事が出来ない最低な奴だ。 「・・・・大丈夫です、リュオイルさん。」 今度はフローラがリュオイルの手を握った。 それにはっとして振り返る。 そこには、不安そうだがそれでも強い瞳がこちらを見ていた。 「安静にしていればすぐに元気になります。だから早くここから下ろしてあげないといけません。」 流石にずっとこのままにしておくわけにはいかない。 彼女の事をゼウス神に報告しなければならないし、そしてまずアレストの容態も気になる。 相変わらず心配そうな顔をしてフェイルの顔を見ていたリュオイルだったが、2人はそれを笑わない。 真剣な目で、静かに見ていた。 「――――!!?フェイル様!!」 タイミング良く、外からイスカが飛んできた。 倒れている少女を確認すると、彼は血相を変えて急いでこちらに走ってきた。 彼等の傍に来ると、事情が分かっていないイスカはミカエルに振り向く。 少しだけ苦笑したミカエルは、簡単に説明だけするとすぐにフェイルを下に下ろすように頼んだ。 「・・・事情は分かりました。  もうすぐ他の天使が来ますのでリュオイルとフローラ様はその天使に運んでもらってください。」 「分かった。・・・頼んだよ。」 静かに頷いたリュオイルは、またフェイルを見た。 顔色は悪いが、確かに生きている。 ただ眠っているだけだと聞いた時、どれだけ安堵した事か。 また、失うと思った。 ずっとずっと、手に届く場所にいても誰かに取られてしまっていたからそう思いこんでいた。 彼女が倒れた時、彼女が見えなくなった時、 やっぱり幻だったのか・・・と少しでも思ってしまっていた。 でもそれが自分の思い違いだったと気付いた時、理不尽ながらも少し喜んでいた事は間違いではない。 イスカに抱きかかえられて、下に下りていったのを確認するとリュオイルは小さく溜息を吐いた。 どんな形であれ、帰ってきたことには違わない。 だから おかえり、フェイル。 「どういう事だこれは。」 下に下りたイスカは不機嫌丸出しにしているシリウスに思わず引いた。 医療班にフェイルを渡したイスカは、彼の機嫌をどう治そうかと必死だ。 今までの経緯をそのまま話せばいいのだが、この異様な不機嫌さにその事をすっかり忘れている。 「少しは落ち着きなさいよ。」 まさに天の助け。 天界でそんな事を言うのは明らかにおかしい連語だが、この際気にしないでおこう。  冷静なアスティアは、すかさずシリウスにストップをかけた。 本当は彼女自身、さっきアレストとフェイルが下りてきた事に驚いていたが、大よその事は理解したのだろう。 だからあえて言わないのだ。 そしてそれはシリウスも同じ。 恐らく大体の事は予想がついているのだろうが、納得がいかない様子でさっきからずっと不機嫌だ。 静かに、そして周りに迷惑をかける事無く怒っているので、幸いにも被害が来ているのはイスカだけ。 それはそれでイスカがかなり迷惑しているのだが、アラリエルは全く止める気が無い。 (裏切り者め・・・・・。) 長年相棒しているだけであって、心の中ではどんな悪態でも吐ける。 これがミカエル様だったりゼウス神だったりしたらすぐにばれるのだ。(そんな事しないけど。) ゼウス神はともかく、ミカエル様は人の顔色を見て何を思っているか大体分かるらしい。 それが良い方でも悪い方でも、彼は笑みを絶やすことが無いが逆に辛そうに思えてくる。 「・・・・だーかーら、アレストを治していた所までは一緒にいた。  でもそれ以降は知らない。上に行ったらもう倒られていたんだ。」 ついに不貞腐れたイスカは、ムスッとした表情で吐き捨てるようにそう言った。 その直後、不機嫌だった彼のオーラが微妙に変わった。 「?」とした表情でイスカは目線を上にやる。 そして彼は後悔した。見なければ良かった、と。 「・・・ほぉー。て事は"あいつ"だな。」 完全に目が据わっている。 その一言でこの周辺は一気に零度にまで下がったと感じられた。 一番近い位置にいるアスティアは、もう慣れっこなのか全く興味無さそうに見ていた。 イスカの後ろで待機しているアラリエルの方を向くと、彼は相変わらずニコニコとしている。 思わずその神経の図太さを誉めたくなった・・・・・。 「え、いや・・・。  別にリュオイルが悪いわけではなくて、アレストを治療して力を使いすぎたんだと、思います。はい。」 何故か普段使う敬語に戻ってしまった。 彼の出すオーラがかなり冷たい。己の顔が引きつっているのが分かる。 それほど彼の威圧に圧倒されていると思うと、情けないと思いながらも彼の凄まじさに少し感動していた。 ここまで冷たい目が出来るなんてイスカにとっては凄いことだし、 彼自身挑戦してみても「迫力が無い」とアラリエルにあしらわれる始末。 少しつり目だが、愛嬌はそこそこあるので迫力が無いと某相棒は言う。 (・・・・愛想悪いと思うんだけどなぁ。) 自分でもかなり無愛想だと思っている。 親しい人物とではそれはいとも簡単に崩れるが、仕事上表情を作る暇が無い。 だがミカエル様やアラリエル達は愛想が良いと言う。 それが不思議でたまらない。 「リュオイルに襲撃をかけるのは私が許すわ。でも、あんまりドタバタしないでよね。」 「分かってる。」 「(・・・・・許していいんだろうか・・・・。)」 これでリュオイルが下りて来たら彼は先手必勝とでも言わんばかりに攻撃をするのだろうか。 そう思うと、あまりにリュオイルが不憫な奴だと思うイスカだった。 けど後が怖いので助けには行かない。 「そう言えばイスカ、ミカエル様やフローラ様は無事なのか?」 思いだしたようにそう言ったアラリエルに全員が振り返った。 イスカは、大丈夫だ。と笑って答えた。 「でも、ミカエル様は相当お疲れの様だからすぐに休んでもらわないと。」 再度上がったときは大分落ち着いていたが、疲労が色濃く残っていた。 不死の天使と言っても、人と同じ様に疲れたりもする。 ここの所は連戦続きで休む暇など無かったのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、このままではいつか倒れる。 それが最高位の天使なら尚更だ。 ここで倒れてしまえば、皆驚きを隠せないだろう。 ミカエルはいつも無理をして任務をこなしているので、誰か傍でセーブをかけないといけない。 その相手が今深き眠りについてしまっているのだから、どうしようもないのだ。 「この辺りも大分破壊されたからな。明日からまた大忙しだ。」 アラリエルは少しだけ苦笑して辺りを見回した。 それに皆も振り返る。 そこは最初の頃より大分酷く荒れ果てている。建物はほぼ壊滅状態。 草花は折れ、そして所々焦げていた。 極めつけは辺りに飛び散った死骸や血。 それはあまりにも生々しくて、ずっと見ている事は出来ない。 それほど悲惨な戦いであったことを物語っている。 今ではこんなに心地良い風が天界を駆け回っている。 でも、それは血の臭いも含まれていて少し気分が悪い。 亡くなった天使達は、自動的に誕生神ルキナの元へ魂が運ばれる。 天使や神達にとって還る場所は彼女の祭壇だ。 今は祭壇が壊されているが、彼女がいる限り魂の浄化や育成は止まらない。 けれど魔獣や魔族達には還る場所が無いのだ。 だからここに残っている。彼等の死んだ目は、こちらをずっと睨んでいる。 「・・・・そうね。見ているのも、しんどいわ。」 死骸を眺めるのは趣味じゃない。 「そりゃ、誰でもそうだと思うけど・・・。」 「でも世の中死体を眺めるのが好きだって言う奴もいるわよ。」 「・・・・・・・。」 そうなんだ、と妙に納得してしまったイスカにアラリエルは苦笑した。 その隣でシリウスは興味無さそうに上を見上げている。 手の空いている天使達は、せっせと瓦礫除去作業に取り組んでいた。 だが大半は負傷し、今は癒しの天使達が駆り出されている。 十中八九フェイルとアレストを先に治療していると思うが、そろそろ心配だ。 2人の傍にいたいと思うし、起きた時何か声をかけたやりたい。 誰もいないのは心細い。 それは皆分かっている。だからこそ傍にいてあげたいのだ。 一人きりは、孤独を感じる。 何も無い空間の中に取り残された小さな心。 その時、人は脆く弱くなる。 当たり前のようにあったもの達を見失った時、人は狂乱さえしてしまう。 寂しくて不安で心細くて、そして虚しい。 返って来ない返事をただひたすら待って、見えない空間に手を差し伸べて、そしてまた涙を流す。 ――――1人にしないで・・・。 「・・・・。」 「どうした?シリウス。」 「・・・・・・いや、別に。」 何か深く考えている様子の彼に、イスカは不思議そうに首を傾げた。 大分遅れて反応をしたが、彼はそれ以降何も言わない。 静かに目を伏せて、ただ黙りこんでいた。 村が襲撃されたあの日。 あの日の事は未だ鮮明に思いだせる。 紅蓮の炎に染まった村。地面を染めるは真っ赤な鮮血。 途絶える事は無い誰かの悲鳴。 そして、人々を切り裂く音。 何もかもが信じられなくて、生きている事が奇跡だと感じられた。 ――――1人にしないで。置いていかないで。 あの時、あの日。 光りを奪われた妹は泣きじゃくってシリウスの腕を掴んでいた。 その表情は酷く怯えていて、酷く歪んでいた。 光を失われた少女は混乱し、すがりつくように自分の兄に泣き叫ぶ。 それがどれだけ怖かったことか。 それがどれだけ恐ろしかったことか。 目を失った事の無いシリウスは、分かろうにも分かれなかった。 ――――怖い、怖いよ・・・。怖いよお兄ちゃん。 (ミラ、大丈夫。俺はここにいるから。) ――――見えない、見えない。どうして? (大丈夫。大丈夫だからな。) ――――痛いよぉ。すごく、痛い・・・。 (ミラ・・・。) あの時俺は、ただミラの手を握ってやることしか出来なかった。 幼い妹を抱きしめてあげる事しか出来なかった。 それだけだった。たった、それだけ。 その時から、自分は無力なんだと。何も出来ないと悟った。 ただ慰める事は誰にだって出来る。 けれど、その心の傷を癒すことはそう簡単ではない。 長い年月がかかる。もしかすれば、2度と治らないかもしれない。 痛みと恐怖で歪んだ顔を、更にクシャクシャにして泣いていた妹の姿が色濃く残っている。 忘れられない。忘れる事は出来ない。 あの時ほど、自分の非力さに腹が立った事は無い。 ―――――行ってらっしゃい。 あの時に笑って送ってくれた姿は嘘ではない。 決して作り笑顔ではない。 けれど、俺よりもミラの方があの日の事を鮮明に覚えているはずだ。 忘れたくても忘れる事が出来ない恐怖の嵐。 1人きりになっている今、あの子はどうしているのだろうか。 1人で泣いていないだろうか。 1人で寂しがっていないだろうか。 家族だから、だからこそこんなに執着してしまう。 他人に「甘い」だの「シスコン」だの言われても聞く耳は持たない。 家族を大切にして、何が悪い。 もう両親もいないと言っていい。 たった1人の、かけがえの無い家族。 ―――――俺が、守ってやるからな。 あの時、あの日決意した。 大切なものを、これ以上傷つけさせないと。 ―――――俺が、ずっと傍にいるからな。 だから、今離れてしまって本当に申し訳ないと思っている。 約束したのに、自ら破ってしまった。 それなのにミラは全く気にした様子無く笑っていた。 別れ際、あいつは俺に力強く言った事をまだ覚えている。 『お兄ちゃんにとって本当に大切な人が出来たら、私よりもその人を守ってあげてね。』 俺にとって本当に大切な人。 家族でもない、ただの他人。 そんな奴いらないと思った。出来るわけが無いと思っていた。 ――――・・・・ごめんね。 それなのに 俺には、あの時のか細い声が忘れられない 不安げに、そして孤独に囁いたあの言葉が何を示すのか 叶わないとは分かっている けれど頭に残るのは 思い出すのは、心焦がれるあの子の声だけ・・・・。