本当の心は、とても冷たいはずなのに




1人きりでいる闇の中では暖かい。




寂しさも、苦しさも、悲しさも




全て、苦ではなかった。





でも





どうしてこんな朽ち果てた私に





アナタは手を差し出してくれるんですか・・・・。
























■天と地の狭間の英雄■
       【微光】〜束縛された意思〜





















1人きりは、怖くない。昔から私は1人だった。
ずっとずっと暗闇の中で、この世界の光を浴びる事をまだかまだかと待っていた。
でも途中から、1人じゃなくなった。
寂しい声がした。
悲しい心が私を呼んだ。誰かが呼んでいた。
私を、必要としてくれる人がいた。
それは誰なのか分からない。今でも分からない。
それは本当に消え入りそうなほど小さな声で、そして酷く沈んでいた。
何が出来たのだろうか。
私はただ、何かを言ったのかもしれない。
ただ、上手く動かない口を懸命に動かした。





( 大丈夫だよ。 )




何故

そんな事を今更・・・・。













「・・・・・・。」







思い瞼を持ち上げ、フェイルはムクリと起き上がった。
頭はまだ寝ているらしく上手く働かない。
ぼやける視界を何とかしようと、手で目を擦ろうとした。




「こーら。」



ふいに右腕を掴まれた。
少しだけ驚いて、そちらの方に目をやるとそこには真っ赤な少年の姿があった。
いつしか、初めて見た頃と変わらないとても綺麗で鮮やかな色。
苦笑ししながら、こつん、と頭を軽く叩かれる。





「手で擦ったら目に傷がつくだろ?」

「・・・・・・リュオ君?」

「うん。おはようフェイル。」





そう言ってリュオイルはにっこりと笑った。
そこでフェイルはやっと気付いた。あの時、自分は倒れたんだと。
と言ってもイスカに運ばれてからそれ以降はあまり覚えていない。
アレストを懸命に治療したことは覚えている。
そこで、涙を流したことも覚えている。
でもそれ以降が曖昧で、はっきりとは覚えていない。





「・・・・アレスト、アレストは!?」





そこでフェイルはバッとリュオイルの方に振り向いた。
ゆっくりと記憶を手繰れば、確かにあの時アレストは瀕死だった。
治した事も覚えている。けれど、それ以後は知らない。
彼女はどうなっただろうか。
アレストは元気なのだろうか。
あの人は生きているのだろうか。

不安と恐怖がフェイルの心に取りまく。
そんな彼女に、リュオイルは安心させるような笑みを浮かべた。






「大丈夫。フェイルが治してくれたおかげで大分落ち着いてる。
 意識も戻ったし、後はアレストの体力が回復すれば大丈夫。」

「ほん、とう?」

「うん、本当だよ。」






信じきれていないのか、必要以上にフェイルは確認する。
リュオイルが「大丈夫」と言うと、ホッとしたのか笑顔に戻った。
その様子に彼も安堵する。
落ち着いたのか、フェイルはこの部屋にまだ人がいる事を今把握した。
キョロキョロと辺りを見回す仕草は、離れ離れになる前と何ら変わりは無い。
歳相応の仕草と表情。
それは当たり前なのに、再会したあの日は全く別人となっていた。





「・・・そういえば誰、だっけ?」





彼女の目線は斜めにいる人物に止まった。
青みをがかった黒髪。その印象的な色に思わず見惚れてしまう。
確か自分をアレスト達の所にまで運んでくれた天使だ。
随分と長い間名前を聞かなかった気がする。
周りの人達が彼の名前を呼んでいたような気がするが、全く覚えていない。




「・・・イスカ、です。」

「イスカ君?私はフェイルだよ。宜しくね。」




そう言うと、フェイルはにっこりと笑った。
その笑顔を見て戸惑うイスカ。
複雑そうな顔をしたイスカだったが、彼女の笑顔を見ているとこちらまで笑ってしまった。
初めて見た、屈託の無い笑顔にイスカは驚いていた。
最初見た時は随分大人びた人だな、と思っていたが前言撤回。




「よ、よろしくお願いします。」




ぎこちなく返事をした彼に、リュオイルもフェイルも笑い出した。
急に笑い出した彼等に疑問を感じながらもイスカも笑い出す。
それが何故なのか彼には分からない。

今まで決して抱く事の無かった暖かさ。
歳の近いもの同士で、こんなに笑った事は果たしてあっただろうか。
否、無いだろう。そんな環境とは一切無縁の中で数十年育ってきた。
同じ仕事をしたりして仲の良い天使達も少なからずいる。

けれど本心で向きあえて、尚且つ素顔を出せる相手はごく一部しかいない。
それで満足だと思っていた。
それでも十分過ぎると思っていた。





「じゃあ今日からイスカ君とも友達だね!!」

「・・・・友達?」

「うん!!」




「友達」・・・縁の無い、言葉だった。
けどこの人は、そんな言葉を簡単にくれる。
優しさに満ちた言葉を、そっと置いて行ってくれる。
初めて言葉を交わしたわけではないけど、彼女は自分の事を覚えていない。
当たり前だ。最後に言葉を交わしたのは、ずっと前なのだから。




「でもフェイル様・・。」

「・・・・・。」




イスカが言葉を紡いだ途端、フェイルの顔色が一変した。
笑っていた表情からザッと悲しそうな顔色になる。
その意味が分からなかったイスカは、困ったようにフェイルとリュオイルを見比べた。
何か、気に障るような事でも言っただろうか。
何か、不安にさせるような言動をしただろうか。
きりの無いマイナスな考えがどんどん浮き出てくる。
そんな事を思っていると、弱々しげにフェイルは俯いたまま口を開いた。





「・・・どうして、様なんかで呼ぶの?」

「あ・・・。」





思いだしたようにイスカは口を押さえた。


そうだ。まだこの人は、何も知らない。


しまった、と言わんばかりにイスカは目線を下げた。
その様子を静かにリュオイルは見ている。
フェイルは、不安そうに、そして悲しそうに目を泳がせた。
さっきまであんなに和らいでいた空気が、こうも簡単に冷める。
悪気は無かったのだが彼女は不審そうにこちらを見つめていた。
本当の事を今言うべきか、それともはぐらかすか。
今この状況でそれを考えるのは難しい。
はぐらかすとしても、彼女にははぐらかせる自信が無い。




「・・・・友達だから、様なんて止めよ。ね?」




イスカがあまりにも困惑していたため、流石に可哀想に思えてきたフェイルは、苦笑して顔を上げた。
これ以上追求するのも何だか気が引ける。
それならば、彼等が話してくれるまで待とうじゃないか。
だから、今はこれでお終い。




「ですが・・・。」

「私、様でなんて呼ばれるほど偉い人じゃないよ。
 友達相手に「様」なんて付けないでしょ?」

「・・・・・。」

「そんなに困った顔されたら、何だか私が苛めてるみたいだなぁ・・・。」





困った困った、と言って苦笑しながら頭を掻くフェイルに、イスカは小さな痛みを覚えた。
その無理に作っている笑顔があまりにも痛々しくて。
その無理に出している言葉があまりにも悲しくて。
だけどそれを「止めて欲しい」なんて自分は言えない。
言える権利さえ無い。
それは誰も出来ない事。




「・・・分かりました。・・・・・フェイル、さん。」

「うん!!よしよしっ、これで本当の友達だよ?」




満足そうにそう言ってフェイルは手を出した。
差し出された手と、彼女の顔を交互に見ながら彼は瞬きをした。




「・・・・え・・・?」

「友達になったから、握手だよ。あーくーしゅっ!!」




差し出された手に困惑しながら、イスカは手を取るべきか悩んでいた。
今までそういった慣れあいが全くと言っていいほど無かったため、どう判断したらいいか分からない。
恐らくこの場合は、快くその手を握り返せばいいのだろうが彼の性格上それは難しい。
かと言って、満面の笑みで手を差し出す彼女の好意を振り切るわけにはいかない。




「・・・・・。」

「うん、宜しくね。」





思わず、おずおずとだが彼は手を差し出した。
それをしっかり握ったフェイルは、本当に嬉しそうに笑う。
その手の暖かさを知ったイスカは、何故か遠い日の懐かしさを味わっていた。



(暖かい・・・。)



人の手がこんなに暖かいものだと。
人の体温はこんなにも心を安らげてくれるのだと。
それは人間の間では当たり前のように感じ取れていて、
それは天使の間では考えられないと感じ取っていた。
今までは人間が酷く羨ましいと思っていた。
でも、違う。こんな風に、誰かの暖かさを感じる事は決して難しい事ではない。
ただ、そういった事に慣れていなかったり困惑するだけで、
本当は天使だって誰かのぬくもりを求めている。
1人では生きていけない。
だから家族がいる、同胞がいる、友達がいる、仲間がいる。
かけがえの無い者達がいるんだ。




「すみません・・・。」

「イスカ君?」




そんな事を考えていたら、急に泣きそうになってきた。



「イスカ君、大丈夫?」



何故、この人は



「大丈夫、です。」



こんなに傷つきながらも諦めない心を、強い心を備え合わせているんだろう。




「・・・うーん、何か大丈夫そうに見えないんだけど。」




一番不安なのはこの人なのに
一番孤独なのはこの人なのに
俺達は何もしてあげる事が出来ない。




「大丈夫です。すみません。」

「本当に大丈夫か?」




ついにはリュオイルまで口を出してきた。
一応彼もだんまりを決めていたつもりだったが、様子の変わったイスカに不審を覚えた。
少し離れていたところから見ていたため、数歩歩いて彼の様子を伺う。
体調が悪い様子では無さそうなので軽く声をかける程度だったが、少し悲しそうな顔だった。




「はい、本当に大丈夫です。」




吹っ切れたように、イスカは急に顔を上げた。
そして薄くながらも微笑している。
これが彼に出来る精一杯の笑顔だ。
その表情に少しだけ訝しげな表情をしながらも、リュオイルは笑って後ろに引いた。
一方のフェイルはと言うと、どこか納得しきれていない様子で唸っている。
そんな表情のフェイルを見て慌てるのは今度はイスカだ。




「え・・・。」

「イスカ君、無理はしないでね。」




でもこれ以上問い詰めても埒が空かないと判断したフェイルは、最後にそう言って笑った。
それに茫然としたイスカだったが、すぐに吹き出す。
そうして笑っていると歳相応(見た目)なのに、何故彼は笑わないのだろうか。
ふいを突かれて吹き出すことは良くあるが、普段はキリッとしている。
生まれ育った環境のせいかもしれないが、表情が乏しいのは見る側からだと少し寂しい。
折角綺麗に笑えているのだから、もっと表にだせばいい。
でも、そんな事を言った所でまた彼を困らせるだけだ。





「はい。ありがとうございます。」





その真意を悟ったのか、イスカも今度は何も言う事無く静かに頷いた。







―――――コンコン。





扉を控えめに叩く音が室内に虚しく響いた。
緊張や穏やかな空気は一変し、扉に釘付けになる。
少し不審げな顔をしたリュオイルだったが、一呼吸すると落ち着いた様子で扉の方に向いた。




「どうぞ。」




自分でも驚くほど静かな声だった。
彼の返事が聞こえたのか間もなく扉は、ギィと音を立てて放たれた。
ここには窓があるものの、さっきまでフェイルが寝ていたのでカーテンをかけている。
暗かった空間に明かりが差し込む。
寝起きで、しかも暗い部屋になれていたせいかフェイルは扉の向こうに立っている人物を直視することが出来ない。
目を細め、光に目が慣れるのをじっと待つ。





「・・・リュオイルさん?」





そこから聞こえた声は凛としていながらも、落ち着く事が出来る静かな声だった。
優しさに包まれたそれは、リュオイルを確認すると彼の元まで歩いてきた。



「あ、ミカエル。」



ハッとしたようにミカエル声をかけたリュオイルは、今まで座っていた椅子から立ち上がる。
彼の腕には2つほどの紙袋があった。
それを見て首を傾げたリュオイルに、ミカエルは苦笑してそれを彼に渡す。




「これは貴方の薬。こちらは・・・イスカの分ですよ?
 2人ともまだ回復しきっていないのに無茶をするから。」




呆れたような言葉を言っているものの、彼の声色は心配そうだ。
リュオイルはすまなさそうにしてそれを受け取ると、すぐ傍にいたイスカに多い方の袋を渡す。
フェイルを連れ帰った後もまた、彼は天使達の忠告を聞かずに他の負傷者の手当てを手伝っていた。
温厚なアラリエルも、流石にこれには耐え切れなかったのか珍しくイスカに説教をした。
ほんの少し怯んだイスカだったが、売り言葉には買い言葉。
途中で論点がはずれ、滅多にお目にかかる事の出来ない2人の喧嘩が始まったのだ。
ちなみにそれを止めたのはミカエルとシリウス。




「あ、あれは・・・・・その、す、すいませんでした。」




かの事件を思い出したのか、イスカは顔を真っ赤にしてミカエル頭を下げた。
あの時ミカエルは怒っているアラリエルの肩に静かに手を置いた。
その一方シリウスはと言うと、鞘にしまってある大剣でイスカの頭を殴った。
あまりの痛さに、涙目になりながら声を上げる事も無く床にうずくまった。
そこで何とか喧嘩は終わって今に至る。




「私の方は構いませんけど、問題はアラリエルですよ?
 彼あれから外の巡回に行ったり城内に残った瓦礫を除去したり、てんてこまいですから。」

「えっ!?じゃ、じゃあ俺行ってきます。
 ミカエル様、薬ありがとうございました!!」




喧嘩をしたままだったイスカは、その重要な事を思い出していきなり走り出した。
リュオイルから手渡された薬を握り締めてバタバタと駆けて行く。
まだ仲直りも何もしていないので硬直状態が続いている。
何度も何度も謝ろうとしたが、中々タイミングが見つからずズルズル引き伸ばしていたのだ。

イスカだってこのままの状態なのは流石に嫌だ。
長年相棒として慕っていたが、今まで喧嘩をした事は殆ど無い。特に私生活の中では。
戦争が終わるたびに互いに愚痴をこぼしあったりするが、それだけで喧嘩にはならない。
お互いの今の心境を愚痴りあうことで少し気が楽になるのだ。
それが今日たまたま喧嘩をしただけ。
十中八九、イスカが悪いのだろうが本人に自覚が無いためどんなに説明しても納得してくれないのが現状である。






「ふふ、忙しい子達ですね。」

「あぁ。そうだね。」





彼の姿が見えなくなると、2人は同じ様なタイミングで吹き出した。
ミカエルにとって彼等は可愛い弟みたいな感覚なので、見て見ぬ振りをする事が出来ない。
どうしても手を差し伸べたくなってしまう。
お互いが不器用であり、そしてお互いが彼等同士無い部分を補っている。




「まぁ、彼等は大丈夫ですよ。
 喧嘩をする事なんて滅多に無いですけど、でもいつもすぐに仲直りしてましたから。」




大抵折れるのはイスカだ。
アラリエルはああ見えても意外に頑固で、怒った後は子供のようにダンマリを決め込む。
それに対するイスカは、理由が分かっていなくても取りあえず謝り通す。
それを第三者の目で見ているととても微笑ましいのだが、彼等を表面だけしか見ていない天使は驚くだろう。
2人とも任務中はビシッと決めて、尚且つ両方とも生真面目。
周りには仕事熱心な天使。としか認識されていないだろうが、素顔に戻るとそのギャップが激しい。




「・・・でも、だからいいんじゃないか?」




ひとしきり笑ったリュオイルは、少しだけ羨ましそうに2人の事を思い浮べた。




「2人とも、それだけ心を許しあってるんだ。
 それって素晴らしい事だし、最高のパートナーじゃないか。」




思い出すのは双子の弟。
同じ顔で、趣味も似ていて、一応一卵性双生児なのだ。
けれど、性格は似ているのか自分でも分からない。
自分の影がそこにある。という風にも思えない。
全く違う人物が、同じ顔をしてそこにいる。
・・・そう思えて仕方が無い。

彼とは、クレイスと過ごした日々は家族にしては短かったが仲が良かった。
でもそれは上辺だけで、本当の所は分からない。
もしかすればクレイスは僕に気を遣いながら話しているかもしれない、
そして僕も彼の事を気にしながら会話しているかもしれない。
本音で語り合った事は、今までにあっただろうか・・・・。




「でも、貴方の弟さんということには、変わり無いですよね。」

「え?」

「どんなに言葉を交わした数が少なくても、貴方達は家族ですよ。
 たとえ本音で語り合えなくても、かけがえの無い大切な家族でしょう?」




一瞬ミカエルの表情が曇った。
そこでリュオイルは自らおかした失態に気付いた。

(あぁ、そういえば彼の兄は・・・。)





「・・・ごめん。」





忘れもしないルシフェルの顔。
たとえこのミカエルと彼が双子であっても、顔が同じであっても。
根本的な所は全く違う。
今の僕達にとって憎む対象であり、敵である存在。
けれどどんな言い様をされても、どんなにルシフェルに邪険にされても、
ミカエルとルシフェルは、本当に兄弟なのだ。
向こうがどう思っているかは分からないが、ミカエルは本当は実の兄と戦いたくないはず。
彼の気持ちは痛いほど分かるのに、どうしてあんな不謹慎な事を言ってしまったのだろう・・・。
今更ながら後悔の念がリュオイルの心を渦巻く。





「・・・リュオイルさん。」





すまなさそうな顔をして俯いてしまったリュオイルに、ミカエルは苦笑しながら彼の肩を軽く叩いた。
確かに、自分自身でも辛い位置にいると思っている。
けれどそれを表面に出す事なんて出来ない。
もしそんな事をすれば、天界は混乱を招くだろう。
最高位の天使だけあって、行動さえも制限されている。

肉親であろうとも、友人であろうとも。
時にはそれを切り離さなければならない。
被害を拡大させないためには、自らの意志で親しき者達を突き離さなければならない。
辛くても苦しくても、悲しくても。





「私は、今の地位に就いている事に不満はないとはやはり言い切れません。
 でも私は、この地位に就いてから新たな事を発見しました。」





皆の声がはっきり聞こえる。
皆がどう思い、どうしたいか、はっきり分かる。
上に立つ。と言うのは確かに難しい。
視野を広め、そして様々な天使達の意見を聞き入れる。
そしてそれをどう対処するか。





「確かに、どちらかと言えばこの仕事は厳しいです。
 でもそのおかげで皆の心の内を聞けたり、そして自分の意志を貫き通す事も出来ます。」

「意志って言っても、でもそれはミカエルの本心じゃないだろ?
 神達からの重圧で、仕方が無くそうしてるんじゃないのか?」

「・・・・そう、なんでしょうか。いえ、もしかするとそうなのかもしれません。」





そんな事、気がつかなかった。





「確かに、貴方達人間から見れば私達のしている事は少し変なのかもしれませんね。」





でも・・・・。





「でも、もうどうしようもないんです。」





神を主とし、そして神に生涯仕える。
己の意志など、関係ない。








「どうしようもないなんて、言っちゃ駄目だよ。」








沈んだ空気に、ふと1つの声が響いた。
それは今まで一言も喋らず、ただ沈黙を守っていた少女。
ミカエルはその声の主に驚きながら、後ろで腰掛けているフェイルの方に振り向いた。




「え・・・。」

「貴方にだって、貴方のしたい事があるんじゃないかな。」
 
「・・・・。」




突如会話に参加して来た事に少し戸惑いながら、ミカエルはフェイルの言葉を頭の中で復唱した。

間違ってはいない。正論だ。
けれど、どうしようもないなのは、誰に打ち開けても変わらない。




「・・・・―――――っ!!」




言葉を言いかけて、急いでそれを呑みこむ。
言い聞かせなければ。
正し事を言われても、それは神が望む事ではない。
自分がそう思ってしまった瞬間、また天界は混乱する。
それだけは、今だけは避けなければ。
これ以上の被害は、もうたくさんなのだから。





「・・・いえ。私は、私がしなければならない事をするまでです。
 ご心配かけて、申し訳ございません。」





複雑な顔をしてミカエルは俯き加減にそう言った。
リュオイルはこの状態をどうすればいいか分からず、ミカエルとフェイルを交互に見ている。
微妙に頭を垂れたまま動かないミカエルと、きょとんとして彼を見つめているフェイル。
何とも言いがたい組み合わせだが、フェイルは何か不味い事を言ってしまったかと不安がっている。
そんな風景を傍から見れば、どうすればいいか分からなくなってしまう。
いつもなら、こういった場にはシギやシリウス。そしてアスティアやアレストがいるのだが・・・。






「・・・ごめんなさい、何か、勝手な事言っちゃって。」





最初はオロオロとしてうろたえていたフェイルだったが、
どんどん気まずい雰囲気になってきて、彼女の方までも気分が沈んでいった。
しょぼくれた様子で、肩を落としている。
心なしか語尾も小さい。
思いつめたような瞳で床と睨めっこしている姿は小さな彼女を、更に小さく見せた。




「あ、あの、フェイルさん。
 私は何も気にしてませんから、だから、そんなに落ち込まないで下さい。」




次にうろたえ始めたのはミカエルだ。
一瞬固まって、事の重大さに気付いたのか慌ててフェイルの元に駆け寄る。
出来るだけ安心する事が出来るようにやわらかく笑った。
それでもまだ不安がっているフェイルの目は、下を向いたまま。

こうなればもう苦笑するしかない。
ミカエルは、後ろで唖然としているリュオイルに向き直った。
「どうすればいいでしょうか。」とその困った目が彼に訴えている。





「・・・え。」






それなりの時間彼女と旅をしたが、まだいまいち扱い方が分からない。
悔しいが、この場合は恐らくシリウスが適任だ。
洞察能力が高い彼は、短い期間でフェイルの心を掴んだ。
だからあんなに扱いに慣れているし、そして嬉しそうだった。
・・・・今思いだすと何だか腹が立つが、とりあえず頭の隅にでも置いておこう、隅に。うん。




「困りましたね。」




そうは言っているが、実際ミカエルの顔はそこまで困った様子は無い。
何だか、小さな妹の機嫌を直すために四苦八苦している兄の気分だ。
もしかしたらこの状況が意外と楽しいのかもしれない。
流石に泣きつかれたりでもしたら、そんな悠長な事は考えられないだろうが。




「・・・ミカエル、君だっけ?」

「あ、はい。・・・でも、流石に「君」はちょっと・・・・。」





今までそんな愛称で呼ばれた事が無いため、妙な違和感を感じる。
慣れればどうって事無いのだろうが、やはり止めて欲しいのかもしれない。




「じゃあ、ミカエルさん?」

「はい。」




余談だがフェイルは仲間内では、リュオイルをリュオ君と呼び、シリウスをシリウス君、シギをシギ君と呼ぶ。
最初シリウスは少し嫌そうな顔をしていたが、段々どうでもよくなったのかもうそれっきりだ。
何を基準にしてそうしているか分からないが、彼女の愛称はある意味独特だ。
彼等だけでなく、本当やアレストとアスティアにも「ちゃん」づけで呼んでいたが、
アレストは苦笑して「仲間だから呼び捨てにしてくれ。」と。
アスティアは「余計な言葉はつけないで。」と訂正させられてしまった。
対象となる人物が嫌そうだったらちゃんとした名前で呼ぶが、本人は愛称で呼びたいらしい。





「えっと・・・上手く言えないけど、とりあえず無理しないでね。」

「え・・・。」

「ミカエルさん、口では平気そうな事言ってるけど、でも表情はすごく固い。
 時々思いつめてるような感じだし、言いたい事言えないのは分かるけどでも、心配だよ・・・。」





フェイルは壊れ物を扱うかの様に、そっと彼の手に触れた。
優しく両手でそれを包み込むと、今度は本当に心配そうな顔をして顔を持ち上げる。
鮮やかなエメラルドの瞳とぶつかった。
その瞳が意味するのは、純粋で無垢。
穢れを知らない幼い子供の素直さだった。





「何かをするためには、大小の差はあっても確かに犠牲はいる。
 今回の戦争の事はまだ何も知らないけど、でも貴方はそのリーダー。」

「・・・はい。」

「リーダーだからこそ、皆の安全を考え、効率よく尚且つ勝つために作戦を練らなければならない。」

「はい。」

「それがどれだけ大変でどれだけ辛い決断をしなくちゃいけないか・・・少しだけだけど、分かるよ。」






長い間旅をして、たくさんの事を学んだ。
貴方の事を全て理解する事は、いくら何でも出来ない。
理解したくても出来ないのが現状。
細く、そして長い鎖に繋がれる神族の人々。
細くても、それを断ち切る事は出来ない。
神の意思とあらば、貴方達は一瞬躊躇いながらもその任務をこなすでしょう。

けれど、本当にそれでいいの?
貴方達は何を望む?
神に遣える事には何の文句も言わない。
けれど、貴方達はこれまで自分の意志で何かを貫き通した事はありますか。

答えは、必然的に「ない」となってしまう。
こんなにも自然豊かで、そして気高い種族だと言うのに、本当の所ここは天使達の箱庭。
行動を制御され、折角ある翼で空を駆け回る事もままならない。
時折、人間よりも不憫な種族だと思ってしまう。






「私は、天界の皆が自由になればいいなって思ってる。
 神だとか、そんなの関係ないんだって、そう言いたい。」

「・・・フェイルさん。」

「それはすごく難しい事で可能性は極僅かだけど、でも0じゃない。
 本当に小さな可能性かもしれないけど、それを100%にする事だって出来る。」





最初から諦めちゃ駄目。
前を見て。
後ろを振り向いてもいいけど、でもそのまま止まっちゃ駄目。





「私が出来る事なんてほんの些細な事で大した事ないと思うけど、それでも諦めたくない事なの。」





誰かと手を取り合って、ゆっくりゆっくり進めばきっと道は切り開ける。
私はそれを信じている、信じたい。




「フェイルさん・・・。」

「地位とか、そんなのきっと関係ないよ。
 寂しいときは寂しいって言ったらいいし、悲しいときは涙を流したって構わない。
 だって、ミカエルさんは私達と同じ「生きている」でしょ?」

「生きて、いる・・・?」

「皆同じだよ。同じ空気を吸って、同じ空を眺めて、同じ様に笑ったり怒ったり出来る。
 そんな大切な事を制限しちゃ駄目なんじゃないかな。」






どうして、決して触れる事の無かった言葉をくれるんですか。

何故、貴女はそんなに強いんですか。

何故、貴女の言葉で私の冷え切った感情が温まっているのでしょうか。




決して抱いてはいけない希望。
全ては神のために。主のために。
この命尽き果てるまで生涯仕える。

それが、天使の運命。

こんな場所にいて、時々自分自身が生きているのか分からなくなった事がある。
神の命を聞き、それを実行する操り人形。
ちゃんとした自我があるのに、それを表に出すことは限られている。
制限された世界。
人間が天界を憧れる理由なんて、これっぽっちも分からなかった。


『生きている』


そう聞いた途端、胸の奥にあった鉛が取り除かれたように心が軽くなった。
生きている。
ただそれを確認しただけなのに、こんなにも開放感溢れる私はおかしいのだろうか。
凄く切なくて、でも同時にとても嬉しかった。





「・・・・・でも。」





でも、無理なものは無理なんです。





「貴女の言葉は、酷く胸に響きました。とても嬉しいです。」





既に運命と言う鎖に絡まれた私達にはもうどうすることも出来ない。
次に待つのは死のみ。





「けれど、私達天使が自由な思想を持ち始めれば神はすぐにも我々を追放するでしょう。」





いつしか、実の兄にしたように。





「私達はそれが怖いんです。
 きっと、怖いから逆らう事が出来ない。臆病なんです。私も、皆も。」





今まで塞ぎこんでいた言葉を、吐き出すように言うと何故かどんどん心が落ち着く。
言葉を慎重に選んでいるつもりだが、口からは意外な言葉も出てくる。
そしてその言葉を口にして、やっと理解が出来た。
それまでは頭で理解していながらも、でもどこかでそれを躊躇っていた心。
それが今、一つになったと感じられる。






「臆病は別に悪い事じゃないよ。」







天使なのに、最高位の地位にいるのに怖いだなんて、呆れるかと思っていた。
軽率するかと思っていた。
けれど返された言葉は、非難など全く感じられない暖かな声。
まるで母親が子に見せるような、慈愛に満ちた優しい笑顔でこちらを向いていた。
その表情にミカエルは息を呑む。
こんな表情をする人であっただろうか。





「誰にだって怖いものの一つや二つはあるし、それを避けたいって思うでしょ?」

「・・・・・・。」

「怖いものが無い人なんていないよ。・・・たまに、例外もあるけどね。」





苦笑してそう言う仕草はいかにも子供らしい。
さっき見せた笑顔をとは全くかけ離れている。
けれどもその笑みを見せたのとは同一人物である事に変わりはない。




「怖いものを克服するのは大変だし、どっちかと言えば出来ないほうが多いと思うの。」

「・・・そうですね。」

「それは仕方が無いことだし、決して恥ずかしい事じゃないよね。」

「はあ・・・。」





まるで子供に言い聞かせるかのような会話になりつつある。
それを傍から見ているリュオイルは、微笑ましそうに眺めていた。





「でも安心出来るのは、皆が皆、同じものが怖くないって事。」

「同じもの、ですか?」

「そう。私は神なんて怖くない。
 貴方達は神が怖い。神から追放される事がなによりも怖い。」

「・・・そうです。」





さっき自分で言ったのに、また図星を指されて痛い。
分かっているが、やはりまだ受け入れたくないという感情があるのかもしれない。
また、その事を言われて少し悲しくなった。
何故自分はこんな辛い思いをしているのか。
何故自分達は自由ではないのか。
考えれば考えるほど頭痛の種が増える。





「私は、神なんて怖くないよ。
 だから願いを叶える事が出来なくても、その背中を押してあげる事が出来る。」





大丈夫だよって、囁く事が出来る。

1人じゃないよって、励ますことが出来る。

進む事を戸惑っている貴方達を、ゆっくり背中を押す事が出来る。

それは小さきながらも、けっして揺らぐ事は無い大きな力。

友達、仲間、家族、恋人・・・・。

心を許せる相手がいれば、その人に心を委ねたって構わない。





「私は、そんな事をして許されるのでしょうか。」





フェイルの話を隅から隅まで聞いていたミカエル。
心が温まると同時に、小さな疑問が浮き出てきた。
上に立つものは甘えてはいけない。
全てを自分の内で解決し、そして平静を保たなければならない。
それが今までのやり方。
天使だった頃のルシフェルの、同じ様にやっていた。





「誰かがやったら許されないって法則ないでしょ?大丈夫だよ、私も皆も貴方の背を押すから。」





やわらかく、けれども力強くフェイルはそう言いながら頷いた。
再度彼の手を握り締めて、安心させるように満面の笑みを浮べる。
困惑したままだった彼の瞳に光が戻ってきた。
誰かに認められて、誰かに許されて、そして励まされて・・・。
そんな当たり前のことだけれども、彼にとってそれは本当に嬉しかったのだ。
今まで封じ込めていた欲しかった言葉。
それを、フェイルはこうも簡単に与えてくれる。
責める事無く、ただ笑って。








「・・・ありがとう、ございます。」







朽ち果てた心に差し出された1つの微光。




それは、気付けばあまりにも単純過ぎる。




でもそれを気付かせてくれたのは




他でもない、貴女だった。