貴方が、大切です。 貴方がいないと駄目なんです。 1つの存在は、ワタシを包んでくれる。 小さくて、でも大きな掌。 小さくて儚い存在でも かけがえの無い君。 ■天と地の狭間の英雄■        【足りないもの】〜そのままの君でいて〜 「・・・・・・・。」 頭が、痛い。 ついでに言えば妙に寒い。 ぼんやりとした視界の中、目だけを動かして今の状況を把握しようとしていた。 清潔で真っ白なベッドに寝かされている、と気付くと心の中で小さく呟いた。 (ここは、天国なんやろか・・・・。) ごく一般の天国のイメージは花畑があったり、天使達がいたりする。というありきたりな設定だ。 それがどうなのかは分からないが、一応天国と称してもいいほど綺麗な場所だ。 簡素で音も何も無いが、神聖で白く明るい事は目で見て分かる。 重い体を懸命に動かして、どうにか頭だけは右に回った。 やわらかな枕がフワリと音を立てた。 暖かな太陽の日差しがまぶしい。 東から差す暁光は、とても美しかった。 でも綺麗すぎるそれは、いつしか持った寂しさという心を際立てる。 こんな美しすぎる場所に1人でぽつんといる事は、この上なく寂しい。 1人だけ置いて行かれた、まるで小さな子のように泣きだしてしまいたくなる。 もうそんな歳じゃないのに・・・。 1人でそう思って、何だか馬鹿馬鹿しく思えた。 冷たい雫が、頬を滑り落ちる。 雫は枕の布地に吸収され、それが涙だと気付くまでには数秒かかった。 (・・・ほんま、何で涙なんか出るんやろ。) そうだ。 あの個性ある仲間達と旅してから、涙腺が弱くなった。 それまでは辛い事も悲しい事も何もかも、耐えて来ていた。 それが当たり前となってきていて、そしてそれが当たり前だと信じ込んでいた。 (フェイル、リュオイル、シリウス、アスティア・・・シギ。) そう言えば、彼は、彼女は大丈夫だろうか。 あのままなんて事は流石に、無いはず。 シギもフェイルも大事な仲間だから、友達だから、皆が放っておくわけない。 「・・・うちがおらんでも、何とかなるだろうし・・・。」 「なるわけないだろうが。」 濡れた頬を拭こうと思って、アレストはぎこちなく動く右腕を持ち上げた。 独り言のように呟いた言葉を返すように、聞きなれた低い声が彼女の耳を過ぎる。 「え?」と、反射的に声を出す。 その声は驚くほど掠れていて、自分の声だったろうかと思わせるほどだ。 というか、そんな事はどうでもいい。自分は死んだはずだ。 あの時、あの場所で、死を覚悟して戦った。 後の事は全く知らないがあの場にいた魔族は皆倒していると過信する事が出来る。 だって、あの後あの場所は・・・・。 「・・・・・・。」 「何呆けた顔してんだ?」 「そうね。今までで一番間抜けな顔だわ。」 「・・・・・シリウス、アスティア?」 涙を拭う事を忘れたアレストは、そのままの姿勢で硬直している。 瞠目して声を失っていた。 そんな姿に呆れた様子のアスティアは、何も言わずにきれいに折りたたまれたハンカチを差し出した。 それを半分茫然とした形で受け取ったアレストは、何度も瞬きをする。 驚いている様子のアレストに、2人は顔を見合わせて、ほんの少しだが微笑した。 「気分はどう?」 「・・・え。」 「体が重いとか、痛いとか。」 「・・・・頭痛いんやけど、でも他は、取りあえず平気や。」 「じゃあもう大丈夫だな。」 「そうね。」 2人だけ理解したように軽く頷いた。 けれど全くこの事を把握していないアレストは、瞬きをしたままずっと硬直している。 何故こんな所にシリウスとアスティアがいるのだろうか。 まさかとは思うが・・・・彼等まで死んでしまったのか? いや、ありえない。シリウスはどうか知らないがアスティアが死ぬわけが無い。 「何か言った?」 「い、いんにゃ。何も・・・・。」 心を読まれたと思ったアレストは、即座にそれを否定した。 ここで今思っている事を暴露したら後で何されるか分かったもんじゃない。 リュオイルが切れた時は背筋が凍るほど怖いが、アスティアは素がこうなので尚更恐ろしい。 しかもそれを気付いていないときた。 正常な時は平気なのだが、目を細めて相手の様子を伺うような姿勢になった時は一番警戒しなければならない。 涼しい顔をして結構きつい事をズバズバ言うので、慣れている者は平気だが慣れていない者はかなりこたえる。 良く言えば素直。悪く言えば毒舌家。 多分悪い方を言っても、彼女は涼しい顔をして更に毒づくだろう。 「それよりも、何でうち・・・。」 何故、生きているのだろうか。 あの時確かに死んだと、思ったのに。 目を開けた途端、ここは天国か地獄だと思っていた。 けれども返ってきた声は見知った仲間の声で。 もう2度と聞く事が出来ないと思っていた声が、無音な部屋から静かに響いた。 「お礼ならリュオイルとかミカエルとかフェイルとかその辺に言いなさいよ。  フェイルがあんたの傷癒したんだから。」 ふと、アスティアの口から信じきれない名前が出てきた。 何度も瞬きした後にアレストは自分に言い聞かせるようにその名前を紡いだ。 「・・・・・フェイル?」 「そ。ちゃんと連れて帰ってきたわよ。」   あまりにもあっさり言っていしまったアスティアに唖然としながらも、内心喜んでいた。 内側で喜びすぎているのか、表情に中々出せない。 暫く固まっていると、驚いて停止しているアレストの顔前にアスティアは手をヒラヒラと振った。 それにはっとした様に、アレストは顔を上げる。 そして暫くすると、ゆっくり頬の筋肉を緩めていった。 にたついていると言うか何と言うか、とにかく至極嬉しそうな顔をしている。 満面の笑みになると、今度は肩を震わせて一気に頭を下に垂らす。 笑うわ停止するわいきなり落ち込むわ・・・。 流石に心配になってきたのか、アスティアは彼女の肩を揺らそうとした。 「ちょっ・・・。」 「よっしゃぁぁぁあああ!!!!!」 「・・・は?」 いきなり雄叫びの様な、何とも言えないいつもの大声を上げたアレストに、アスティアはそのままの姿勢で静止した。 前は普通に聞いていたはずなのに、今では懐かしい。 煩いくらい騒いでいる彼女だったが、たった数日いなくなっただけでこんなに久しく感じられるとは。 内心驚きながらも、いまいち事情が呑み込めていないアスティアは複雑な顔をして手を戻した。 取りあえず大丈夫そうだ・・・・。 「よっしゃよっしゃよっしゃっ!!!」 「・・・・煩い。」 さっきまでシンミリとした話になっていたのに、何故なのかいきなり煩くなってしまった。 こめかみを押さえて、呆れたように呟いたのは他でも無いシリウス。 でもその表情は柔らかく、そして穏やかだ。 一目見ただけでは分からないがわずかに微笑している。 すぐ傍にいるアスティアも、呆れを通り越して大袈裟に肩をすくめている。 でも、嬉しそうだ。 「よっし!!  そうと決まればこんな所で寝てなんかおれへん。さっさと会いに行くでーー!!!」 「まだ安静にしてろ。  起き上がれるようになってもまだ病み上りだ。」 「そうよ。あんたの場合動き回って貧血で倒れるのがオチだわ。」 2人の(ある意味1人)の容赦ない言葉に詰まるアレスト。 「ぐ・・。」と押し黙る彼女に気を良くしたのか、アスティアは満足そうにして椅子に座った。 むくれながらも、2人の言い分には筋が通っているので反論は出来ない。 頭を冷やして暇になったアレストは再度この部屋を確認した。 ぐるり、と首を回すとやはり見える色は殆ど白。 清潔感溢れるこの部屋には、机の上に花が飾ってある程度で他は何も無い。 簡素、と言うかあまりにも生活感の無い部屋だ。 ただ病人が寝るだけの場所と言ってもやはり物が無さすぎる。 財政が苦しいわけじゃあるまいし、本棚とかそういった物を置いてもいいと思うのだが・・・・。 ただ1つの救いはこの部屋の場所だ。 暗くも無く明る過ぎるわけでもない。 でも病人にとっては暖かな、そして優しい光が窓から差し込んでくる。 窓の外は一面真っ青で、そして所々に雲が漂っていた。 ふわふわとした、やわらかな形をしそれは手を伸ばせば今にも届きそう。 子供の頃夢見たこの真っ青な空に、今自分は一番近い所にいる。 地上で見る空とここで見る空の色は違う。 地上の空はあまりにも儚すぎて、いつしか消えてしまうのではないかというくらい切なくなる。 だがこっちの空はその逆だ。 真っ青で勇ましいほどのそれは、見ているだけで元気が出る。 このまま溶けていきそうなほど真っ青な空は、とても幻想的だった。 「・・・・。」 帰って来た。 フェイルが、戻ってきたんだ。 そう思うとどうやっても顔がにやけてしまう。 元々よく笑うので、直せと言われてもこればかりは直し様が無い。 嬉しいものは嬉しいし、声を上げて笑いたいのも自分の本心だ。 アレストは右手を上にかざした。 女性にしては少し大きめの手のひら。 いつもはナックルを付けているため、こんな風にマジマジと見る事が出来なかった。 またこの手で彼女を抱きしめる事が出来る。 今度で会った時は、思いっきり抱きしめてやろう。 気がすむまで絶対に離してなんかやらない。 そんな事を言ったりしたらアスティア辺りが「馬鹿馬鹿しい」と言うだろうが何とでも。 嬉しいのだ。喜ばしいのだ。 仲間が帰って来て浮かれて何が悪い。 多分浮かれ過ぎ、とも言われるだろうが気にしない気にしない。 「・・・帰って、きたんやなぁ・・・。」 確認するように、自分に言い聞かせるようにアレストはポツリと復唱した。 言葉は水が流れるような速さでどこか足りなかった心に染み込む。 満足げに頷く彼女を、ずっと見ていた2人は表情柔らかにその光景を見守っていた。 予想以上に元気な彼女にホッとした。 目を覚ましたとき、不安がって震えるような事があったらどうしようとらしくも無く悩んでいたのだ。 まぁアレストの事だからそこまで心配は要らないだろうが、可能性が無いわけではない。 ドラゴン戦で酷い目に合ったりと、色々精神的にきつい部分も多々あったため、 士気がが下がったり精神的に参る事も考えられる。 それがこんなに元気なのだ。 もしかしたらら隠しているだけなのかもしれないが、その心の強さには感心する。 「じゃあ、シギも助かるんやろか・・・。」 ふと真剣な顔つきになったアレストは、知らず知らずのうちに言葉を紡いでいた。 その事にも気付いていないのか、未だボンヤリと天井を眺めている。 どこか遠くを見ているような茶の瞳は儚い。 フェイルが帰って来たのは大変喜ばしい事なのだが、まだ完全に喜び切れていない。 何かが、足りない。 いつもある陽気な声は、いつから聞かなくなっただろうか。 大して日にちは経っていない。 フェイルよりも、ずっとずっと短い。 けれど 足りない。 声が、言葉が、姿が。 ( 大丈夫か? ) 2回目のドラゴン戦の時、足がすくんでしまった自分を気遣ってくれた。 いつも前に出て、そして当然のように指揮をしてくれた。 守ってくれた。励ましてくれた。笑ってくれた。 それが、いない。 初めて感じた喪失感。 掴めそうで掴めない、空虚な世界に手を伸ばしている。 「・・・・・あ、れ?」 さっき止まったはずの涙が、また溢れ出てきた。 しゃくりあげる事無く、ただ頬を伝わりそれがまた白い枕の上に染み込んでいく。 何度も瞬きをして今自分がどうなっているのかやっと理解した。 熱くて、でも冷たい雫がどんどん溢れる。 これは涙だ。 滅多に泣くことなんて無かった。 泣くことは逃げているんだと思っていた。 全てが全てそうではないが、自分が泣くことは逃げているのだと思っていたから。 「・・・何で、やろ。」 今、私は何に逃げている? この涙が逃げている事じゃないのなら、何故涙が出る? 逃げる事なんて何も無い。 逃げるなんて性に合わない。 逃げるなんて、嫌だ。 「アレスト・・・。」 また涙を流した彼女に驚いたのはアスティアだ。 どう対処して良いか分からず、何もすること無くただ傍で見ている。 呆然として泣いている彼女に、何と言えば良いのか。 何故涙を流しているか分からないからこそ、言葉はかけにくい。 どうすればいいか分からず、アスティアは取りあえずシリウスの方に振り向いた。 少しだけ目を瞠って驚いていたシリウスだったが、何となく事情が呑み込めているのか何も言わない。 ただ小さく頭を振って椅子から立ち上がった。 「シリウス?」 不可解な彼の行動に首を傾げながらも、アスティアは小さく手招きするシリウスの後を追った。 彼の元に行く瞬間、少しだけ戸惑いながら未だ涙を流すアレストの方を振り向いた。 やはりまだ自分の事態を飲み込めていないのか呆然としている。 躊躇していると、静かに名を呼ばれたので渋々この部屋を出た。 つまらなさそうに、そして少し不機嫌そうな顔をしているのもアスティア自身何となく分かった。 そんな彼女の様子を見ながら、シリウスは静かにアレストのいる部屋の扉を閉める。 パタン、と無機質な音がしたのが分かると、シリウスはスタスタと歩き出した。 それにギョッとしたアスティアは、早足に彼の後を追う。 意味不明な彼の行動に戸惑いつつも、納得できない感情の方が大きい。 自分でも彼女に対して普通に毒舌を吐いているが、何も言わずに部屋を出るのはどうだろうか。 泣いているのに、そんなアレストを一人にして良いのだろうか。 「・・・・今は1人にしておいた方が良い。」 「え・・?」 スタスタと歩いていたシリウスだったが、急に立ち止まった。 もう少しで彼の背中にぶつかるところだったがそれを何とか踏ん張る。 この階にある大窓。天井から床まで窓の場所で彼は止まった。 そして空一杯に広がる深く青いそれを見上げる。 果てしなく続く空は、本当にちっぽけな自分達を吸い込んでしまいそうで時々怖いと思う。 「どうして?だって、もしかしたらどこか具合悪いんじゃないの?」 「今何を言っても、あいつには何の慰めにもならない。」 その内、気付く。 「気付く?一体何を・・・・。」 「あれ?」 納得のアスティアは、更に追求しようと口を開いたが、それはここにあるはずの無い、 緊張感の欠片も無い声によって遮られてしまう。 一瞬眉をひそめた2人だったが、その声の主が分かると、信じきれない様子で後ろを振り返った。 「「フェイル?」」 「うん。・・・・どうしたの2人とも。」 壁に手を付かせながら歩いているフェイルはまだ顔色が良くない。 本来ならば、病室で眠っているはず。 そしてついでに言えばその傍にはリュオイルとイスカがいたはずだ。 彼等の目を盗んで脱走してきたのかは知らないが、どうやってこの場所に来たのだ? あの部屋からここまではそれなりに距離がある。 「・・・・・何してんだ、お前。」 「え?暇だったから部屋抜け出してきちゃった。」 「抜け出してきちゃったって・・・・あのね。」 悪そびれた様子も無く、にへらと笑う彼女に2人とも脱力した。 久々にまともな会話をするが、懐かしいを通り越して呆れる。 仮にも病人なのだからもっと危機感を持って欲しいものだ。 今頃リュオイル辺りが必死になって捜しているだろう。そんな姿が簡単に連想できた。 哀れ、リュオイル。 「だって、昨日今日ずーっとベッドの中じゃつまんないもん。」 「病人は寝るのが一番だろ。」 「でも暇ー。」 「暇でも何でも大人しくしなさい。」 「えー・・・。」 駄々をこねる妹をあやすような形で、2人は至極真面目にそう言い放った。 それでも中々食い下がらないのが彼女の特徴だ。 素直だが時々頑固で、周囲を呆れさせるほど無茶な事を言う。 それにセーブをかけてきたのは大抵リュオイルとシリウス。 その片方は今はいないがシリウスだけで十分だろう。 「駄々こねても駄目なものは駄目だ。送ってやるからさっさと床につけ。」 「・・・・・はーい。」 渋々とだが、これ以上話しても何の進展も無いと理解したのか、少し拗ねた様子でフェイルは頷いた。 フラフラとした足取りで大窓の所に来ると、彼女はそこから黙りこみずっと外を眺め続けた。 さっきまであんなに子供らしく会話をしていたのに、この変わりようは何だ? 表情は完全に落とされ、見えるのは虚ろげな瞳。 ボンヤリとして外を眺めている姿はあまりに悲しくて、また何処か遠くへ行ってしまいそうだ。 一度失った悲しみを知ってしまっているから、だからそんな思いはもう2度としたくない。 ―――――何処にも行くな。 そう言いたい。 けれど彼女を一つの場所に繋ぎ止める権利など無い。 歯痒さともどかしさで気分が不快になる。 どんなに想いが強くても、結局何も出来ない。 ただ見守る事しか出来ない自分の非力さに、苛立つ。 「・・・どうしたの?」 ずっと外を眺めていたフェイルが、急に顔をこちらに向けた。 そしてすぐにシリウスの元まで駆け寄ると、心配そうに彼の手をその小さな両手で包み込んだ。 恐らく、酷い顔をしていたのだろう。 いつも誰かの態度が変わると、心配そうにして話しを聞いてくれていた。 静かに話を聞いて、ただ頷くだけだったがそれで十分だった。 今も変わらない。 あの時と変わらない。 変わっていないはずなのに、でも何かが違うような気がする。 「シリウス君?」 「いや、何でもない。」 「そう?無理しちゃ駄目だよ?」 「お前にそれを言われたらお終いだな。」 「・・・ひどい・・・・。」 苦笑して、更には髪の毛がグシャグシャになるほど頭を撫でられた。 それが懐かしくて、不満そうな声とは裏腹にフェイルは歳相応の、屈託の無い笑みを浮かべた。 心から笑っているその笑顔は見るだけで安心感を覚える。 でも、同じ様に失った時の喪失感がまた浮き出てくる。 大切すぎるから、だから手放したくない。 「シリウス君?」 「お前は何も心配しなくていい。」 そう。 何も心配する事は無い。 ただ笑っていればいい。 幸せになってくれればいい。 ずっとずっと、そのまま。 無垢なままで、優しさで満ち溢れていてくれればいい。 そう。 そのままの君で・・・。