俺が望んだ事は何だ? 俺達が願った事は何だ? 我々が成し遂げなければならない事は何だ? 人々の心が交差していく。 あぁ・・・また彼等の心が朽ち果てていく。 ■天と地の狭間の英雄■ 【四囲の思惑】〜分裂〜 それは、死人のように真っ青だった。 それは、死人のように昏々と眠っていた。 それは、大天使だったと言う事を忘れさせるほど小さく儚い存在だった。 「今日もいい天気ですね。」 魔族が再度襲ってきてから、かれこれ2週間近くが過ぎようとしていた。 治癒能力の高い天界人達のほとんどは既に傷は癒えている。 大分治ってきているが、まだ体調不良なのは人間の身で大怪我を負ったアレストぐらいだ。 あの時、決して体調万全ではなかったイスカも既に元気になっている。 小柄な彼は毎日あっちにいったりこっちにいったり忙しく働いている。 その近くには必ずアラリエルがいて、彼の補佐を務めていた。 本来ならば、ミカエルの傍で護衛するのが仕事だが状況が状況なだけにその任務をこなす事が出来ない。 取りあえず城外にある瓦礫などの、危険障害物は大方片付けれた。 だが天界にも色々あるわけで、現状整理やら作戦会議、軍師会議、魔法強化、結界対策。 口に出せば延々と出てきそうなので取りあえずここまでにしよう。 「・・・貴方が作戦会議に出ないと、他の大天使だけでは良い案が出ないようなんですよ。」 苦笑を含めて、意味ありげに笑うミカエルは決して答える事の無い、堅く目を閉じた青年に向き直った。 向き直るといっても、青年、シギはベッドの上で寝かされているので除きこむような形になる。 シャッ、とゆっくりとカーテンの開く音がする。 その瞬間、薄暗かったこの部屋には太陽の暖かな日差しが差し込む。 未だ眠りにつくシギの蒼白な顔をいっそう際立たせる。 でもこのまま日の光を浴びせないのは、まるで死人のようなのでそれはミカエルが許さない。 彼は死んでいない。ただ眠っているだけ。 とても深い、果てしない底沼にいるほど深い眠りについている。 ただ、それだけ。 そうは思いながらも、やはり気にしてしまっている。 このまま彼は永遠に目を覚まさないのではないかと。 既に彼が目覚める事は確定している。 ただそれまでの期間が少しあるだけ。 でもその期間は短い様でとてつもなく長く感じる。 (フェイル様・・・・。) 決して彼女の前では「様」で呼ばない。 以前イスカがその失態を犯して彼女を傷つけてしまったと誰かが報告していた。 それ以来、彼女に気付かれない程度に気を遣ってきているがいつ何処でこの禁句が出てくるか分からない。 喉辺りまで出てきたその言葉を、必死に呑みこむ。 事情を知っている者にとってはそれは苦痛だ。 だがそれよりも、フェイルが傷つくほうが怖くて必死に抑えている。 真実を全て話した後見えるのは彼女の絶望。 誰がどう見ても、今の彼女は神にいいように使われているただの「道具」だ。 どんなに丁重に、まるで壊れ物を扱うように接されてもそれは彼女を沈痛させてしまう。 そのたびに毎回あの2人の顔が特に歪んでいた。 名を上げなくても分かるが、リュオイルとシリウス。 リュオイルは素直なせいなのか顔にはっきり出ているが、シリウスは注意して見ないと分からない。 一瞬だけ眉をひそめるがそれ以降は全く表情が変わる事は無い。 無表情のまま、静かにそれを眺めている。 (だけど、あの表情は確かに怒っていた。) ひしひしと伝わる怒気。 背筋が凍るほど鋭い目つきで前方を見据える冷酷とも言える冷めた瞳。 そして、語らずとも分かる彼の威厳な態度。 元々話さない方でいまいち彼の性格を掴めないが、怒っているかどうかは誰でも分かる。 冷たい態度を取るが、大切なものには異様なほどの執着を見せる。 それがある意味彼の特徴であり良さだ。 けれど、一線置いて第三者の目で冷静に判断する姿は大天使の自分でも尊敬する。 「・・・・全く。貴方が呑気に寝ているせいで、色々と大変なのですよ?」 色々と、ね。 「あ。ミカエル!!」 苦笑していると、後ろからミカエルを呼ぶ声が聞こえた。 彼を呼び捨てにし、敬意を払わない言い様は本の一握りしかいない。 「アレストさん。」 顔を確認しなくても分かる。 陽気で明るい彼女の声は特徴があって分かりやすい。 最近彼女はよくシギの見舞いに来ている。 けれども、彼女自身の治療がまだ終わり切っていないのにこんな所にまで足を運ぶなんて。 本当ならばここで無理矢理にでも帰させるべきなのだが何故かそれが出来ない。 私も相当甘くなったものだ。 「やっほー!!」 「こんにちは。・・・・今日はそうですね、天気も良いですし1時間ですよ?」 「やった!!そんだけあれば十分やで!!!」 彼女が見舞う時間は大抵30分程度なのだが、今日は暖かいし大して彼女に害はないだろう。 だから特別に今日の見舞い時間は長い。 それにこの後仕事が入っていたから、彼女が来たのはグッドタイミングだ。 「それでは、私は少し用がありますので。 時間になったらイスカかアラリエルが来ると思いますからちゃんと帰って寝てくださいね?」 「了解了解!!」 毎回毎回釘を刺すような、心配した様子でそう言うミカエルにはいつも苦笑させられていたが、 流石に慣れたのか元気な返事をするようになった。 軽く礼をしたミカエルは、少しだけ心配そうに、でも急がなければならないのは事実なので そのまま急ぎ足でこの部屋を後にした。 その姿を手をヒラヒラさせながら見送ったアレストは一度溜息を吐いて椅子に座る。 彼女の怪我はもうほとんど治っていて、つい最近歩けるようになった。 歩けるようになったらなったで、今度は城内をウロウロと歩き回る始末。 何度イスカ達が捜しに出回ったことか・・・・。 よいしょ、と言いながら豪華な椅子に腰掛けた。 ふわふわとした感覚のこれは地上界の人間で言うなら王族が座るような物だ。 小さきながらも縁に施された光ものは皆本物だろう。 クッションもかなり高級そうで、一般人である自分が座るには何だか気恥ずかしい。 「・・・・・・。」 ミカエルが去ってしまってこの部屋は更に静かになってしまった。 元々ここを尋ねる輩はあまりいないので仕方ないと言えば仕方ないが、 簡素すぎるこの部屋がとても物寂しく感じる。 花一つ飾られていない。あるのは物凄く高そうな、アレストには判断できない絵画。 ついでに言えば見舞い客用の本。 でも人間であるアレストには神族の言葉は一文字も読む事が出来ない。 結果、何もすること無くただぼんやりと過ごすしかないのだが、彼女はそれで十分だ。 「あいっかわらず、よう寝とるなぁ・・・。」 マジマジとシギの顔色を除くアレストは、今にも悪戯しそうだ。 最初の頃は「落書きしたろうかなぁ・・・。」と密かに考えていたが、あまりに哀れなので止めた。 第一、後々ミカエルが怒りそうなのでそれだけはなんとしても避けたい。 ただ静かに、時間が来るのを待って看病(見るだけ)をする。 時折シリウス達も見舞いに来るが、彼等と偶然会ってから大分日が経っている。 もしかしたら入れ違いなのかもしれないし、忙しいのかもしれない。 早く自分も治って仕事を手伝いたいものだ。 いや、それ以前にリュオイル辺りに組み手の相手をしてもらわないといい加減体がなまってきている。 「・・・・はよ目覚ませや。」 その言い様はぶっきらぼうだが、表情はとても穏やか。 綻んだように笑ったその顔は、決して目を覚まさない彼に向けられた。 「フェイル。」 白い羽織を上に来たフェイルは、1人でぼんやりとしていた。 しかもここは城外で、一応外はまだ瓦礫が散乱している所もあるので一般人は出れない。 警備している人々の目をどうやって盗んだか知らないが、フェイルは公園のような、噴水のある場所で座っていた。 暫しボンヤリしていた彼女だったが、どれほど時間が経ったのだろう。 恐らく1時間も経っていない。 けれども時の流れは不思議なもので、何時間もこの場所にいたように錯覚してしまう。 「リュオ君。」 不意に名を呼ばれたフェイルは、振り返る事無くその人物の名を言葉にした。 相変わらず何処を見ているかわから無いが、あまり元気そうには見えない。 少し息を切らしているリュオイルは、大きく深呼吸するとそのまま彼女の元に歩み寄ってきた。 その表情は呆れと安心感を感じさせられる。 彼女が脱走したのを今までシリウス達と共に捜していたのだが、手分けして捜したのは正解だった。 こんなだだっ広い天界を隈なく捜すのはあまりにも大変なので、大雑把だが城内と城外を捜す者に分けたのだ。 「駄目だろ?まだ休んでないと。」 非難がましく、大袈裟に溜息を吐いたリュオイルだったが内心かなり動揺していた。 フェイルが脱走する事は最近よく発生し、少しでも目を離せば忽然と消える。 最近ではそれが日常化となり、ある意味こちらのいい迷惑だ。 でもそれを咎めるつもりも無い。 何故大人しくしないのか問いただしても何も答えない。 いや、一応彼女なりに答えているものの、その意味を理解することが出来ないだけなのかもしれない。 「ほら、帰ろう。」 一向にこちらを向かない彼女に痺れを切らしたのか、リュオイルは前に回りこんで顔色を伺った。 案の定驚いた顔をして、何度も目を瞬かせている。 でもそれが終わったかと思うと、今度は悪びれた様子無く首を傾げた。 「何で?」 ほら。また始まった。 フェイルは周りの事には鋭いが自分の事となるとかなり鈍い。 感情の面もそうだが、怪我や体調の悪さなども全くと言っていいほど疎い。 それはこちらを呆れさせるほどの重症さなのだが、何度言っても治らないのでそれは彼女独特の性質だと分かる。 まぁ、そのせいでこっちが振り回されているのだが・・・・。 「何でって・・・。あのねぇ、まだフェイルは完全に治って無いんだよ? 治りきって無い状態でウロウロしてるとまた悪化する可能性もある。」 「平気だよ。ずっとここにいたけど、凄く風が気持ちいいよ?」 「・・・・・そう言う問題じゃないんだけどなぁ・・・・。」 趣旨がどんどんずれていっている事で、無意識のうちにリュオイルは後頭部を掻いた。 呆れて溜息を吐きたい気持ちだが、どうしても苦笑してしまう。 しかも相手が全く悪そびれた様子が無いので逆に責めていいのか戸惑ってしまうのだ。 第一責めても、恐らくフェイルはまた首を傾げて意味不明な事を言うだろう。 長い付き合いなので大体の事は把握しているつもりだ。 「とにかく、一緒に帰ろう。」 「・・・・一緒に・・・・。」 リュオイルは立っているので自然と顔は上を向く。 彼の目を見ながら話していたフェイルだったが、急に下を向いた。 リュオイルが言った言葉を、自分に言い聞かせるように何度も復唱し始めた。 それはまるで人形のように無機質な声で、何の感情も見られない。 その瞬間、リュオイルはザッと顔色を悪くしてフェイルの肩を掴んだ。 最近いつもこうだ。 誰かが何気ない言葉をかけるだけで彼女は上の空になる。 それどころか魂がここに無いような、何かに取り付かれるたようにその言葉を何度も復唱する。 「フェイルっ!!!」 酷い形相をしているだろう。 泣きそうなのか、歪んでいるのか、恐怖なのか。 それは分からない。 でもハッとしたように顔を上げたフェイルは、彼の顔を見て悲しそうに顔を歪めた。 「リュオ君・・・?」 肩を掴んだ力は決して弱いものではない。 寧ろ強いはずだ。 痛いはずだけど、でもこの手を離すことが出来ない。 離せばまたフェイルがどこかに行ってしまう。 もしかすれば、ルシフェルの元に帰ってしまうかもしれない。 そんなの嫌だ。 もう行くな。 傍を離れるな。 この言葉を言えたら、どんなに楽だろう。 どれだけ開放的になるだろうか。 でも出来ない。出来るはず無いんだ。 だっていつかは、彼女と別れなければならない。 この事だけはどうやっても覆す事が出来ない。 だからせめて、せめて今だけでも・・・・。 「リュオ君、大丈夫?」 加減などすっかり忘れていたリュオイルは、彼女の手が触れた事によってそれを思い出さされた。 しまった、と言わんばかりの顔つきでまた青ざめる。 この力加減は絶対に痛かったはずだ。 申し訳無さそうに、今にも土下座で謝りそうな勢いのリュオイルにフェイルはにっこりと笑った。 「大丈夫。」と短くそう言うと、羽織を持って立ち上がった。 その時彼女を守るかのようにそよ風が巻き起こった。 髪を、衣装をなびかせ木の葉が擦れる。 まるで天使の羽のように葉が空に舞い飛ぶ。 ザァァァ、と静かに風が天界を包み込んだ。優しい、慈愛に満ちた暖かな風だ。 「・・・そうだね、帰ろう。」 目を瞑っていたフェイルは、その瞼を持ち上げ草原のように強い瞳を輝かせる。 風はまだ吹いたままだったので彼女の長い髪は遊ばれるように揺れ動く。 でもそれを気にした様子の無いフェイルは、また朗らかに笑うと、リュオイルに手を差し出した。 「手を繋ごう」の意味らしい。 一瞬固まったリュオイルだったが、少し戸惑った後、少し恥ずかしそうにして彼女の細い手を握った。 長い時間ずっとここにいたせいなのか彼女の手は冷え切っていた。 それとは対象にリュオイルの手は暖かい。 何を思ったか、急にフェイルはくすり、と笑った。 「・・・?」 「リュオ君の手は、あっかいね・・・。」 幸せそうに顔をほころばせるフェイルに、リュオイルは素で真っ赤になった。 どう反応していいか分からず、取りあえず彼女に顔を見られないようにわざとそっぽを向く。 「参った・・・。」とかなり小さな声で呟いたためフェイルには気付かれていない。 その事を知らないのを良い事に、フェイルはまた花のように笑う。 これが、フェイルだ。 これが、あの時と同じフェイルだ。 でもどうしてなのか君は、時折大人びた顔をして空を見つめる。 そのまま空に吸い込まれそうなほど、君は儚く映っている。 それを知っているかい? 行かないで。 遠くに、行くな。 ここから、消えないで・・・・・。 ―――――ザァァァァァアア・・・・。 天界とは全く違う別世界。 暗雲が空を支配し、誰1人外を歩いていない暗い世界。 そこは、真っ赤な雨が降り注いでいた。 止む事を知らないそれは、滝のように空から零れ落ち土に吸収される。 まるで血のような、真っ赤な雨。いや、血なのかもしれない。 一向に止まないそれをただ茫然と見る影が4つ。 「・・・そうか。ギルスが死んだか。」 抑揚の欠けた声で外を眺めていた身目麗しい、純白の翼を持つ男がポツリと呟いた。 それに同調するように、1人の女が小さく頷く。 我関せず、といった感じで壁にもたれている男は腕を組んだまま目を伏せている。 もう1人の長身で黒き翼を持つ男は、白き翼を持つ青年の傍で控えていた。 「どうやら、リュオイルに殺されたようです。 殺すつもりが逆に殺されてしまったようで・・・。」 「まぁ、そこまで慌てる必要は無いだろうジャスティ。 確かに彼と彼自身の力を失った事は痛ましいがそれだけだ。」 「そうですとも。我々にはまだ力は存分にありますゆえ。」 漆黒の翼を持つ男、ベルゼビュートはルシフェルに急に向かい直った。 そして恭しくその頭を彼に下げる。 何事だ、と言いたげに眉をひそめたジャスティはあえて何も言わず黙ってその光景を見ていた。 「申し訳ございません、我が主。 私がリュオイルを抹殺するつもりが・・・。更にはミカエルまで仕留め損ねて。」 「構わん。頭を上げろ、ベルゼビュート。 そう、次の作戦をお前達に言わねばな。」 本当に気にした様子の無いルシフェルは、身を翻した。 3人の部下達に向き直ると、その整った顔を綺麗に歪ませる。 歪む、というよりも美しく微笑していると言った方がこの場合いいかもしれない。 す、と腕を持ち上げて手に力を溜める。 すると、そこから紫色に輝く美しい宝石のような物が出てきた。 それを見たベルゼビュートは少しだけ目を見開くと、何かを悟ったようにクツクツと笑い出した。 「なるほど。とうとう、その力をお試しになるのですね?」 「力・・・?」 今までだんまりを決め込んでいたアルフィスだったが、意味ありげに笑うベルゼユーとに顔をしかめる。 何が起きたのかまだ上手く呑み込めていないジャスティは、彼等の顔を交互に見る。 「"あれ"から奪った力を、やっと解放する事が出来る。」 「あれと言うと、フェイルの事でしょうか・・・?」 顎に細い指を持ってきたジャスティは、確認するようにルシフェルの顔を見た。 その視線に気付いた彼は、薄く微笑して頷く。 右手に現われた紫水晶を大事そうに握ると、今度は愛おしげにそれを眺めた。 「そう。これで、残る鍵を利用するまで。」 「鍵だと?」 最初不審そうに眺めていたアルフィスだったが、その顔はどんどん歪んでいった。 酷い形相をしてルシフェルを睨み付けている。 殺気を放つ冷たい視線に気付かないわけが無いジャスティは、訝しげに眉をひそめた。 ルシフェルに対する視線が気に食わない。 「まさか、本当にあれを使うつもりなのか?」 「アルフィス!!ルシフェル様に何て口のきき方をっ。」 「ジャスティ。」 非難するジャスティにルシフェルはすかさず止めに入った。 彼は全く気にした様子が無いようで、その微笑みを浮かべたままアルフィスに向き直った。 その美しき微笑に惑わされそうになるが、自分にも他人にも厳しい彼は全く動じない。 非難がましい目をルシフェルに向け、忌々しそうに彼を睨み付けた。 「我々が狙うのは天界のみ。貴方は本気で、"あれ"を使うつもりなのか?」 「そうだ。"あれ"を使う事で我々はまた一歩進む事が出来る。」 「理解しがたいな。"あれ"を使うにはまだ早すぎるだろう。 それとも、使わなければならないほどこちらは追い詰められたのか?」 考えられない、とでも言いたげにアルフィスは大きく頭を振った。 その瞳は相変わらず何も映さない死んだような目だが、表情はどこか驚きを隠せないでいる。 呆れたように、また失望したように小さく溜息を吐く。 「こいつは何を考えているのだ?」と彼自身が訴えている。 それを面白そうに見ていたルシフェルは、す、と目を細めるとまたおかしげに微笑した。 クツクツ、と笑いながらも気品あるその出で立ちは相変わらず美しい。 このルシフェルが魔王などと、誰が信じようか。 「アルフィス。誤解するな。 私達は既に勝利への道を歩み始めている。 それはお前達と出会う遥か昔から動き始めた歯車。」 「違う。そんな事を言っているのではない。」 まるで歌を歌うように言葉を紡ぎ始めたルシフェルは、微笑みながら血の雨が降る空を見上げた。 ゆったりとした口調で喋る姿は、とても美しいが今のアルフィスには神経を逆撫でされているようなのだ。 彼が聞きたい要点はそこじゃない。 "鍵"となる者の行く末だ。 「・・・何故"あれ"にそこまで肩入れする?」 いい加減返事をするのが面倒になったのか、長い髪を鬱陶しそうに掻き揚げたルシフェルは 大分冷めた目で目の前に立つ男を見下ろした。 端整な顔立ちのせいで、少しでも目つきを変えればそれは恐ろしいほど冷酷な姿に豹変する。 本人は全くその気が無いので、また達が悪い。 だがどんなに冷酷な笑みを向けられても動じないのがアルフィスだ。 こっちもかなり冷めた表情で彼を見返す。 「肩入れなどしているつもりは毛頭ない。 だが、それでは後々面倒になり収拾がつきにくくなりかねない。 貴方にしては、かなり無計画な行動だ。」 「アルフィス、いい加減にしなさいっ!!!」 黙っていたジャスティだったが、苛立った感情を止める事は出来ない。 自分の最も尊敬する、そして同じ様に愛情を感じる相手にここまで酷い言いようをされて誰が黙っていられようか。 完全に頭に血が昇りきっているジャスティは、忌々しげにアルフィスを睨み付けた。 今にも切りかかりそうな勢いの彼女に、フッとルシフェルは笑顔を向けた。 「心配しなくても言い。」とでも言っているのだろうか。 その笑顔に、段々彼女の苛々が治まっていく。 だが、同時にやりきれないもどかしさが心の中で渦巻く。 結局自分は何も出来ないのだ。 ただ下唇を噛み締めて、目の前の現状を眺める事しか出来ない。 「・・・お前の言い分は分かった。 だが私とて何も考えないでこの行動を起こしたわけではない。 始まりと終わり。それが上手く行けば私達の願いは全て叶うのだ。」 「だが、それでは・・・」 そのために犠牲になる"彼女"はどうなる? 無邪気で、魔族とは言いがたい存在の小さな少女。 そしてそれを心の底から信じているかの少年の運命は? 結局最後は貴方だけの願いが叶い、何の関係も無い者達が死んでいく。 「・・・ソピアは、まだ子供だ。」 肩を震わせて、地を這いずるような低い声でアルフィスはルシフェルを睨み付けた。 思い浮ぶ少女の姿はあまりに幼くそして無邪気だ。 無邪気すぎて、己の身体に宿る暴悪が今まさに解き放たれようとしている。 その肉体と心はそれを望んでいない。 そしてアルフィス自身もそれを望んでいない。 当たり前だ。どれだけ長い月日を共に歩んできたのか。 妹や弟のように感じていたあの2人が、たった1人の欲望のために不幸になる。 「子供だからこそ器に相応しい。 邪気の無い純粋な魔族は、今我々の中にはあれしかいないだろう?」 ―――貴方は、彼女の事を何だと思っている・・・。 アルフィスは落胆したように、そして悔しそうに下唇を噛みしめた。 グッ、と拳を強く握ったせいでそこからポタポタと赤いものが零れ落ちる。 だが彼はこんなものを痛みとすら感じ取らない。 これから、あの子はこの何倍も、何十倍も辛く痛い思いをする。 こんなもの痛みの内に入るわけが無い。 人を殺すことよりも恐ろしくて、自分が傷つくよりも心が痛い。 これから儚く消え行く多くの命。そして魂。 もう後戻り出来ないと分かっていながらも、自分達は恐ろしい禁忌に手を出した。 覆す事が出来ない現実。我々が願い望むのは一体なんだ? 地位か、名誉か、金か、名声か? どれだけ懇願しても、どんなに渇望しても願い叶わないものがある。 それがまさに今、自分に向けられている残酷な現実。 「案ずるなアルフィス。今回の任務、お前は避けた。」 「・・・・・・。」 「そのような気持ちで戦に出させても私達が不利になるだけ。 ソピアと、そしてラクトを任地へ赴かせる。」 「ラクトをっ!?」 バッと顔を上げたアルフィスの顔はそれはもう、驚愕して言葉を失っていた。 それを見てクツクツと笑い出すベルゼビュート。 その表情はいけ好かないが、今は衝撃の言葉を口にしたこの相手の方が先だ。 これから起きる数々の悲劇に、よもやラクトまで巻き込もうとは・・・。 これは一体、何を考えているんだ? 「戦争の恐ろしさを、人々の恐怖を、そして醜さを教え込まなければ。 力量はあるが・・・・まだまだあれは甘すぎる。」 長い間神の元に仕えてきたせいか、ラクトの心には多すぎるほどの良心が備わっている。 それは私生活の中では大して関係ないが戦争では別だ。 誰かを殺すことに、彼は必ず躊躇する。 その甘さが命取りになり危うくなる。 これまで何度言い聞かせても中々芽生えなかった悪心。 今ここで開花させなければ、折角の力を発揮する事が出来ないではないか。 「力を開花する前に、自分を見失ってまた暗闇を彷徨い歩くのが目に見えている。 それでも、ラクトを連れて行く気か!?」 「そこで開花しなければ、あれの力はその程度だった事。 どちらに転んでも私達の戦力には大して響かない。」 興味無くアルフィスの顔をチラッと見たルシフェルは、またその口を吊り上げた。 遥か昔に見せていたという天使の笑顔は消え失せ、腹では何を考えているか分からない悪魔の顔がそこにある。 背にある翼に惑わされてはいけない。 もうこれは完全に堕ち、朽ち果てた手の施しようの無い堕天使。 いや、魔王と言う名が彼にはぴったりだ。 似合いすぎて、その冷酷無慈悲な感情がこちらに恐怖を与える。 ――――ーとうとう、ここまで朽ち果てたか・・・・・。 もう、戻る事は出来無い。 「・・・・・・・。」 もう、彼等を救う事は出来ない。 「・・・・・了解した。」 世界の終決まで、一秒一秒時は刻んでいっている。 「すぐさま、任地へ彼等を護送する。」 神が勝つか、魔王が勝つか。 「その後、俺はここに戻る。」 それとも・・・・ 「すまないね、アルフィス。」 青天の霹靂のように、新たな救世主が、人間がこの戦争に終止符を打つのだろうか。