「たすけて」 たった一言。 この一言を言えれば、どんなに楽だろうか。 「死にたい」 この一言を言えば、どんなに報われるだろうか。 「生きたい」 この言葉を言う資格 私に、貴方に あるのだろうか・・・・・・。 ■天と地の狭間の英雄■        【涙をください】〜そして昇り逝く1つの魂〜 1つの約束をした。 1つの願いがあった。 どうしても、 何を犠牲にしても叶えたい事があった。 どうしても あの子に、ミラに。 あの子の記憶から消えた夕焼けを、見せてあげたかった。 天界を一時離れたフェイル達。 地上に戻ったのは、地上出身の5人とシギ。 そして何故かもう1人、ミカエルまでついてきたのだった。 「何でお前までついて来るんだ?よくゼウス神が許したもんだ。」 「いえ、単なる見張り役ですから。」 「見張り・・・。ったく、油断も隙もありゃしねぇな。」 罰の悪そうな顔をしてシギは頭を掻いた。 そこまで信用されていないだろうか、と最高神を恨めしく思ってしまう。 と言うかこんな非常時な時に側近のミカエルを送り出すなんて、一体何を考えているんだあの神は。 「・・・シギ。言いたい事は分かりますが落ち着いてください。」 呆れた様子でミカエルはシギの肩に手を置いた。 地上に下りる、という事で彼の背に純白の翼はない。 シギと同じ様にその翼を隠しているのだ。 見つかってもその相手を気絶させれば良いのだが、それではまた後で面倒になりそうなので却下。 少しだけ装備を強化したミカエルの腰にぶら下がるのは見事な剣。 愛用の剣も勿論持ってきているが、念のために、ともう1つ予備を持参してきた。 出来れば地上で魔族と対峙しなければならないなんて避けたいところだが、 如何せん、何処から彼等が襲ってくるか分からない。 万全を期しても越した事はないだろう。 「・・・・・。」 天使達がコソコソと話しているだけで、他の者達の空気は少なからず沈んでいた。 ずっと黙ったまま目を瞑っているのはシリウスだけだ。 勿論、皆その理由を知っているから彼を気遣って静かにしているのかもしれない。 けれどそれだけでなく、たとえ自国が攻撃されていないと言っても同じ世界に住む者にとって、 今回の事件はあまりに痛ましく悲惨だった。 シリウスに続き、もう1人。 さっきから一言も話さずぼんやりとしているフェイル。 天界とユグドラシルを繋ぐ転送魔法を体験するのは彼女は初めてだ。 あの時リュオイルは気絶していたからある意味彼もそうかもしれない。 でも、そんな下らない事でボンヤリしているのではなくて、 何かを考え込んでいるような、不安そうな表情だった。 「・・・フェイル。」 これで何度目か。 心配そうなリュオイルの声はこの狭い空間には良く聞こえる。 その声に反応したフェイルは、さっきまでのあの沈んでいた表情を一変させて明るい笑顔で振り向いた。 「ん、なぁに?」 「・・・ううん、何でもない。」 「ふふ、変なの〜。」 可笑しそうにクスクスと笑うフェイルは元気そうだ。 でもそれは上辺だけで、本当の内はどうなのか分からない。 ・・・いや、多分分かる。 きっと予想通りだと思う。 フェイルが振り向いた瞬間。 一瞬だけだけど、フェイルじゃないような気がした。 多分それは彼女の中に眠るもう一人の彼女だと思う。 ここ頻繁に、フェイルが別人だと思えてきた。それが・・・酷く怖い。 何故怖いかって、だって「フェイル」が消えそうだから。 僕達を知っているフェイルが、どこかに飛ばされて消えてしまいそうだから。 そしてそれがごく当たり前のように感じ、そしていつかこの子を忘れてしまう恐怖。 最近フェイルはよく笑うようになってきた。 苦笑したりほのぼのと微笑することが多い。 でも、無邪気な笑顔は消えた。 まるで太陽のように、あんなに綺麗だった笑顔だけがなくなった。 「アブソリュート」という一人の神を受け入れる事が出来ない結果なのだろうが、 長い間旅をして、少しは彼女の事を理解している仲間にとってそれ以上辛い事はない。 アレストやシギ達はまだ気付いていないようだが、 シリウスはもうとうの昔から知っているみたいだし、皆に知れるのも時間の問題だと思う。 「・・・お前達はどうするつもりだ?」 あまりの暗さにシギは複雑な顔で皆にそう言った。 転送魔法の得意なミカエルが丁度いるので、このままシリウスを直行でカイリアの村に送る事が出来る。 けれど、他の皆はどうするのだろうか。 シリウスについてきて、その後に故郷に戻るのだろうか。 「あ、当たり前やん!!うちらだってダンフィーズ大陸の人が心配やし・・・・。」 それに食いつくように言ったのはアレストだった。 語尾が段々小さくなってきているが、その気持ちは嘘ではないだろう。 「・・・・来る必要はない。」 だがそのアレストの意見を冷たく拒否したのはシリウスだった。 驚いたアレストは、不満そうな顔でシリウスに向き直る。 「何でや!?」 「お前達はさっさと母国に帰れ。被害がないとは言い切れないだろう。」 「そ、それは、そうやけど・・・・。」 それでも尚食いつこうとするアレストに、シリウスは少しだけ口元を緩ませて、 でも悲しそうな顔をして彼女の顔を見た。 それにはっとした様子のアレストは、それ以上何も言う事が出来なかった。 「これ以上被害が出ないためにも、何よりお前達の家族のためにも、戻ってやれ。」 それはシリウスの悲痛な願いだった。 こんな状況で他人の心配が出来る彼は、やはり大人だ。 確かにあの時我を失って狂乱したものの、それっきりでぶり返す事は決してない。 それより寧ろ、他の者を心配するようになってきた。 余裕。と言えば変だが、本当に落ち着いている。 本当は今すぐにでもミラに会いたいのだろうに、一体何が彼を抑えているのだろうか。 「・・・・・・・分かった。ごめん、シリウス。」 本当にすまなそうな顔をしてアレストは肩を落とした。 そんなアレストにリュオイルが宥めるように彼女の肩にポン、と軽く手を置いた。 「私は、行くよ。」 その声にシリウスはゆっくりとそちらの方を見た。 何かを決心したような、強い瞳と彼の瞳がぶつかり合う。 何か言いたそうなシリウスだったが、一瞬躊躇ったあとその唇をギュッと噛む。 だがリュオイル達は黙っているわけが無く、驚いた様子で抗議し始めた。 「な、何言ってるんだよフェイル。」 「せやで。今さっきシリウスも言ったやろ?」 何を言い出すんだ、とでも言いたそうに2人はフェイルに詰め寄った。 一方のフェイルはと言うと、少し困ったような、でもはにかんで笑っている。 そのアンバランスな反応に困ったのは今度は2人だ。 「何も言わないで欲しい。」 そんな彼女の目が、こちらに向けられているのだから戸惑うのも無理はない。 「大丈夫。村の皆はユグドラシルの加護を受けているから、ちょっとやそっとではあの村は壊れないよ。」 「そういう問題じゃなくて・・・。」 やりきれない表情でリュオイルは少し俯いた。 なんて言って良いのか、自分でも良く分からない。 ただ、今フェイルを行かせて良いのか判断する事が出来ない。 僕がそんな事を決める権利はないけれど、でも、不安だから。 確かにフェイルの言った事は一理あるけれど、でも君はカイリアに行ってどうする気なんだ? 誰も言わなくても分かっている。 生存者のいる可能性はあるが、村自体はもう手遅れだ。 これから地上は更に混乱に包まれる。 帰る場所を失った人々は途方に暮れ何を思うのだろうか。 助かった者はその被害にあった人々にどう接するのだろうか。 それを解決するには、あまりにも問題点が多すぎる。 「私は、この目で確かめなきゃいけない。  自分自身の存在を否定するつもりはないけど、でもアブソリュートと言う神がいた事を否定する事は出来ない。」 少なくとも、今回の事件は明らかに自分の力が関係している。 たとえそれまでの事を覚えていなくても、たとえそれが不可抗力でも、 皆が許してくれても私が許す事が出来ない。 あの子の、ソピアの力は以前会った時はあそこまで強くなかった。 確かに魔族の中ではかなり強い魔力の持ち主であったが、あんなに禍々しい力はあの時なかったはず。 ソピアが変わってしまったのは、どう考えても私のせいだ。 こんな事皆に言ったら怒られそうだから言わないけれど・・・・。 今回の事件で、私は気付いた。 私は逃げていたんだと。 私は現実避難していたんだと。 そして、私の存在すら、時々否定していたんだと。 そう気付いた時、私は既に私じゃないって自覚した。 私だけの意志は、いつの間にか消えていた。 もう1人、いるんだ。 アブソリュートが心の中で何かを叫んでいる。 酷く悲しい感情が、今にも喉から出てきそうだ。 でもそうすれば、皆アブソリュートが帰ってきたと喜びそうで、 「フェイル」と言う私の人格が否定されそうで怖かった。 だから今まで、逃げていた。 「でも私は、もう逃げたくない。」 人の痛みを、苦しみを改めて知った時 私の中で何かが割れたような音がした。 それは何なのか、私でさえも分からない。 「今という現実をちゃんと見極めたいの。 だから、私はカイリアに行く。」 「フェイルさん・・・。」 これまで見た事のない、意思の固い瞳でリュオイルとアレストを見つめる。 それに感嘆したのはミカエルだった。 最初は唖然としていたものの、彼女の言葉をしっかり聞いているうちに何故か表情が緩くなった。 彼女の決心に、その心の強さに圧倒された。 ほんの数数日前はまだ状況が理解していれていない様子でおどおどしていたが、 それが嘘のように今はしっかりしている。 その出で立ちは堂々としていて、まさに神の威厳溢れる姿とも言える。 雰囲気こそ違うものの、その威厳の格はゼウスと互角か。 いや、もしかしたらそれを超える神聖さを持っているのかもしれない。 「どうしても、行くのかい?」 意外にもリュオイルの声音は優しかった。 落ち着いていて、随分と冷静だ。 てっきり彼が猛反対すると思っていたアレストは、驚いた表情でリュオイルに振り返った。 その表情は声と一緒でとても穏やか。 これもまたてっきり眉間にシワを寄せているとばかり思っていたアレストはまた驚く。 「うん、行く。」 「・・・・・ちゃんと帰ってくるよね。」 「うん、大丈夫だよ。」 「次に会う時にまた魔族に捕まってたら、承知しないからね。」 「うんっ。絶対絶対ぜーったいに帰ってくる!!約束するよ!!!」 まさかリュオイルに承諾を得れるとは思わなかったので、フェイルは驚いたと同時に嬉しさが込み上げてきた。 嬉しそうにして微笑むと、リュオイルもつられて笑う。 けれどどこか辛そうな、悲しそうな顔である事にフェイルは気付いただろうか。 でも、たとえ気付いていたとしても彼女の意志は変わらないだろう。 皆には悪いが、今の彼女は誰にも止める事は出来無い。止めてはいけないのだ。 「約束・・・・。」 リュオイルは銀のブレスレットを差し出した。 それは、フェイルと彼を繋いでいた1つの装飾品。 何の変哲も無い、ただのブレスレットだけれども彼等は繋がっていた。 だからフェイルは無事帰還でき、そしてルシフェルの言葉にリュオイルは惑わされなかった。 彼女が帰還してからすぐ、フェイルはこれを返してきた。「ありがとう。」と言って。 だからもう一度奇跡を信じたい。 いや、もしも本当に僕等の心が繋がっているのなら、もう一度彼女を助けて欲しい。 どんな形でも良い。守ってくれ。 それが、リュオイルの内にある本当の想いだった。 「・・・うん。」 フェイルはそれを恐る恐る受け取った。 大事そうに、愛おしそうに。 目を細めて薄く微笑した。 「・・・フェイル?」 「え?」 その時だけ、フェイルが違う人のように思えた。 薄く笑ったときだ。 でも、何で? 頭の中でグラグラと思考が揺れる。 何だ、この感覚は。 今までに無い感覚が全神経に命令している。 何だ、何なんだ・・・? 「リュオ君?」    フェイル?      君は       今度はちゃんと        帰ってくるって         本当に          本当に           絶対に            約束してくれたよね?             約束守ってくれるよね? 「・・・いや、何でも、ないよ。」 真っ白になった頭を押さえてリュオイルは小さく頭を振った。 ――大丈夫なんかじゃ、ない。 でも、今ここで彼女を引き止めればきっと後悔する。 でも、今ここで彼女を引き止めなければまた後悔する。 ――僕は、どうすればいいんだ!? 彼女を困らせたくない。悲しませたくない。 でもそれ以上に 彼女がどこかに行ってしまうほうがもっと怖い。嫌なんだ。 離したくない。今ここで離せば、また帰ってくる保証なんてどこにもない。 「・・・悪いが、そろそろ別れるぞ。」 どうしようもない気持ちを抱えたまま、皆はユグドラシルの根元に辿り着いた。 あの悲惨な出来事があったとは思えないくらいここは随分と静かだ。 そして、あまりにも美しすぎる。 「ユグドラシル・・・。」 リュオイルはポツリと呟いた。 彼はここに来る時瀕死状態に陥っていたため、このメンバーの中で彼だけこの樹を初めて見る事となる。 その樹は、流石世界樹と呼ばれるもの。 あまりの美しさと荘厳さに、そして清らかさに思わず涙が出そうになる。 「私はシリウスさんとフェイルさんをカイリアにテレポートで送ります。」 「んじゃ、俺がこいつらを故郷に帰してくる。時間を見計らって俺も後で行ってみるわ。」 「はい。分かりました。皆さん、くれぐれも気を付けてくださいね。」 ここからはミカエルの組みとシギの組みに別れる。 別れると言っても、そんな長い時間じゃないが地上では何が起こるか分からない。 天界よりもこっちの方が危険度のリスクは高い。 だからこそ、大天使が2人もついてきたのだろう。 勿論他の意味もあるが・・・・。 「・・・・絶対に、帰るよ。」 ミカエルが移転魔法の詠唱をしている時。 その間に微かだが彼女の声が聞こえたと思った。 確かにその声は笑っていて、安心できる暖かな声色だった。 移転魔法の光で顔は見えなかったけれど、その光の奥で彼女は笑っていたんだと今なら確信できる。 リュオイルは反射的に手を伸ばした。 もう届かないとは分かっていても。 もうこの声は彼女に聞こえないと分かっていても。 それでも、必死に・・・。 「フェイルっ!!!!!」 きっとこの声が あの子に届いていると信じて・・・・・・。 ――――――ザァァァアアアア・・・・。 冷たい雨が炎を消し、熱く焦がれた頬をその冷たさで静ませる。 木々は枯れ、住居と思われるそれらは殆どが壊滅し、辺りには焦げ臭さと血の臭いでいっぱいだった。 土壌の上に多くの死骸がある。 人間だった、と分かる者もあれば、中には頭だけだったり手足だけだったりする者もいた。 だが殆どはあの灼熱の炎に呑まれて灰となったのか、ここに転がる遺体の数はほんの僅かだった。 「・・・・ミラ!!!!!」 シリウスの悲痛な声が木霊する。 カイリアとは呼べない、廃墟と化したこの場所。 いつの日かここに来た時。 そう、その時は本当に自然豊かで、そして穏やかで平和な村だった。 突然訪れた旅人に最初驚いていたものの、それでも余所者なのに優しくしてくれたことを今でも鮮明に覚えている。 覚えているからこそ、こんなに胸が苦しい。 何故、なぜ、ナゼ・・・? もう2度と見る事の出来ない素晴らしい自然。 村人の声。彼等の笑顔。 当たり前にあったものがこうも簡単に奪われ、そして私達は泣いていく。 何も出来ないまま、このまま、時が過ぎ去ろうとしている。 何故、こんな事になったんだ・・・・。 「ミラッ!!!!!」 痛々しい彼の声はこの村中に響いた。 けれど返ってくる言葉は勿論なくて、ただでさえ少ない可能性が0になってしまったのではないかと思わされた。 ――――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!! 諦めるものか。 誰が、誰が・・・。 たった一人の家族を、大切な妹を。 帰ってくると約束したのに。 夕日を一緒に見ようと約束したのに。 「ミラーーーーーーーーーーーーっ!!!!」 絶叫が天高く響く。 シリウスは自分の家があったと思われる場所を念入りに捜していた。 フェイルやミカエル達もをれを手伝う。 皆四方に別れて、隈なく捜していた。 可能性を捨てたくない。 死んでいるわけない。 死んでいるなんて考えられない。 そんなの、駄目なんだ。 「ミラちゃんっ!?」 悲鳴に近いフェイルの声が響いた。 それにいち早く反応したシリウスがすぐさま駆けつける。 その後をミカエルが追う。 やっと辿り着いた場所で、フェイルは2人に背を向けて何かを抱きかかえていた。 顔色は真っ青で、そしてその唇からは何度も何度も何かを紡いでいる。 「ミラッ!!!!」 瓦礫の下にいた何かをフェイルは見つけた。 不思議に思った彼女はそれを退かし、この現実を一瞬否定した。 「ミラ・・・おいミラっ!!!」 そこにいたのは、紛れもない彼の妹ミラ。 でもその姿はあまりに無残で、痛々しくて見ていられない。 「こ、れは・・・・。」 流石のミカエルも絶句した。 それもそのはず。 ミラが倒れていたと思われるその場所は、まさに血の海だったのだから。 そして、右手右足が失われていた。 恐らく障害物で切断されたか、あるいは爆風で焼け飛んだかのどちらかだ。 「ミラ!!ミラっ!!!!」 シリウスはフェイルからミラを奪い取り冷たい頬を何度も叩いた。 少しの希望も諦めずに、必死に声をかけ続ける。 ミラの容態は最悪なものだった。 全身からの大量出血。 そして右手右足の切断。 失われた手と足がなければ、大天使のミカエルももう何も出来ない。 今止血した所で、どれだけ生き延びれる? 10分?5分?・・・・いや、1分ももたないだろう。 もう、この子は手遅れだ。 「ミラ、俺だ。お兄ちゃんだ。帰って来たぞ・・・・。」 その声が届いたのか、固く閉ざされていたはずの彼女の瞼がピクリと動いた。 左手の指がカサ、と揺れ動く。 微かに息をしている。 まだ、死んでいないんだ。 まだ、生きているんだ。 「ミラ、俺だ。分かるか?」 シリウスはさっきとは全く違う、優しい声で妹の名を呼んだ。 その声に反応して、ゆっくりゆっくり瞼が持ち上がる。 既に色を失っているが、彼と同じアメジストの瞳がこちらを向く。 何かを捜しているような、そしてあり得ないといった驚きの表情が出ている。 「お・・・に・・・・・ちゃ・・・・・・。」 掠れた声が聞こえた。 紛れもないミラの声だ。 何とか意識を保っているようだが、少しでも気を緩めばこれで一生目を覚ます事はないだろう。 そうなる事が嫌だから、だからシリウスは懸命に彼女の名を呼んだ。 決して諦める事なく、根気強く。 「そうだ。俺だ、シリウスだ。」 「・・・・あ、れぇ?わた、し・・・・ゆめ、見て・・・・のか・・・・・な・・・?」 「何言ってんだ。俺は帰って来たんだよ。」 「・・・か、えっ・・・・で、もどうし・・・て?」 「・・・・いいから、それ以上喋るな。」 「あの、ね・・・おに、ちゃん・・・・・。」 「何だ?」 肩で息をするミラ。 弱った体を起こそうとするが、右腕と右足を失った事を知らない彼女は勿論起き上がる事は出来ない。 その変わりにミラは震えながら左手を自分の兄に差し出した。 冷たくなったそれをしっかり掴んだシリウスは、下唇を噛んで何かを耐えるように彼女を見ていた。 「・・・お・・・・・かえ・・・・・な、さ・・・い。」 ガクガクと彼女の左腕は震えている。 でもそんな事は全く感じ無いように、シリウスはミラの手をしっかり握っていた。 彼女の手は冷たいが、こうして自分が暖めていれば、また元通りになる気がして。 そんな幼稚なかんがえだけれども、それにすがるしかないのが現実。 「あぁ・・・ただ、いま。」 「あ、れ?・・・おに・・・ちゃん、どこか・・・・け、が・・・・して・・・の?」 「何言ってるんだよ。俺は、何処も怪我してなんかないぞ。」 「・・・・そ、な・・・の?・・・よかっ・・・た。」 自然とミラは笑った。 だが真っ青で、そして頭からも血が止め処なく流れているためそれはあまりにも痛々しい。 耐え切れなくなったシリウスはミラを抱きしめた。 服が血で濡れていっているのが分かる。 でも、それでも離すことが出来ない。 そして泣くことも出来ない。 そんな不器用な自分がもどかしくて、馬鹿だなって、また思った。 「・・・・・さ、むい・・・・おに、ちゃん。」 「ミラ・・・。」 「すごく、いた、い・・・・。すごく、冷たい・・・・。痛くて、か、なし、く・・・・て・・・。」 ミラの眦から一滴、また一滴涙がこぼれた。 ポロポロと流れる涙は、地表に吸い込まれる。 それをシリウスは黙って見てた。 そして確信した。 もう、ミラは・・・・・。 「で、も・・・ね?」 「あぁ。」 「お、に・・・・ちゃ・・・・すご、く・・あった、かい。」 もたれる形でミラはシリウスを見上げた。 どこか虚ろな瞳は、いつもと違う。 「ミラ?」 その様子にシリウスは動揺した。 怪我をしているとか、そういった点じゃない。 変なのだ、どこか。 焦点が定まっていないのは、怪我をして体力を奪われているからだろうか。 盲目になって大分経っているため、どこか一点に焦点を合わせれるようになっているのに今はそれが出来ていない。 「・・・・ミラ?」 シリウスは同じ銀の髪を持つ彼女の頭に手を置いた。 その瞬間、ミラとシリウスの目が合う。 そして、彼女は本当に幸せそうに笑った。 こんな笑顔を見たのは、何年ぶりだろうか。 「そ・・いえば・・・・。」 「・・・・お、にちゃんの、髪・・・・・。」 「おに・・・ちゃんの・・・・目は・・・・。」 「わ、たし・・・・と・・・・・一緒・・・・だった・・・んだね・・・・。」 今、何て言った? 今、何を見た? 今、何故笑った? なぁ。 どうしてお前の腕がこんなにも重く感じられる? どうしてお前はまた瞼を閉じようとするんだ? どうしてお前はもう一度その口を開けてくれないんだ? なぁ。 約束、忘れたのか? 一緒に夕焼けを見ようと、約束しただろう? 「・・・・・ミ、ラ?」 一瞬気を緩めたせいでミラの腕はスルリとシリウスの手から落ちた。 そしてその音がすると同時に、彼女は目を閉じた。 苦痛に歪んだ顔ではなく、本当に幸せそうに。 「ミラ?」 もう一度彼はミラの名を呼んだ。 頬を少し強く叩き、彼女が息をしているか確認する。 「ミラ!?」 脈も計ってみた。 でも、何もかも停止している。 動いていない。 心臓も、呼吸も。 暖かみを感じない。 体が、一段と重く感じた。 「おい、おい!!!」 認めたく無い。認めれば何もかもが終わる。 「嘘だろ!?目を開けろっ!!ミラ!!!!」 この子は最後に何を言った? 意味深な、まさかとは思うが・・・・。 「何で・・・・・何でこんな時に目が治るんだよ!!!!」 俺の髪と目の色は確かにお前と一緒だ。 だがお前は、長い間失明していたせいで色そのものを忘れていたんじゃないのか? あの言葉は何だ? あれは、俺に同情でもしたか? そんなわけない。 あいつは、同情することもされることも好まない。 だったら、あの言葉は何だ 何故こんな時に治る 何故、もっと早く戻ってくれなかった どうして逝く間近まで治らなかったんだ!! 「ミラ・・・ミラ・・・・。」 シリウスは既に亡骸となった自分の妹の体を抱きしめた。 何度声をかけても、もう2度と返ってこない。 元から冷たかった体は、更に冷たくなったような気がする。 流れていた血は止まっている。 もう死んだんだと、絶対になってほしくない結果が前に出てきた。 「・・・・・・・ミラ・・・・。」 悲しいはずなのに。 それなのに 涙が一筋も流れない。 悲しい感情は溢れんばかりにあるのに それを前に出す事が出来ない。 涙が流れない。 流すことができない。 神でも仏でも何でもいい。 誰でもいいから 俺に、涙をください・・・