剣を持て 前を見据えろ 後ろを振り返るな 武器を掲げろ 愛する者のために、その命を投げてでも 守るために、その力を今解き放て ■天と地の狭間の英雄■        【アブソリュート】〜闇の住まう世界〜 冷たい風が涼やかに舞う今宵。 1つの影が世界樹の前にポツン、と佇んでいた。 華奢で今にも消えそうなそれは闇の中で動く事無く世界樹を見上げている。 それだけならまだいいが、如何せんここは闇の中。 その中に何処に天があるか分からないくらい真っ暗な世界に、大きな樹木が1つ。 淡く輝くその樹。ユグドラシルにあの無邪気そうな司はいない。 あるのはその荘厳な樹と、その場所に不釣合いな少女だけ。 金に揺れる長髪はどこか愁いを帯び、力無く伏せられた瞼。 おまけに色が白いためその姿だけでも儚く浮き立たせる。 「・・・・・・。」 少女はふと目を開けた。 その奥に宿る瞳は美しく澄んだエメラルドの色。 端整な顔立ちな少女は樹木にもたれかかっていた体をゆっくり浮かした。 地面は水を張っていたのか、ピシャン、と音がするとそこから波紋が浮き出てきた。 「・・・・来たか。」 少女特有の高い声とは裏腹にその言葉は抑揚がない。 まだ年端もいかない少女は闇の中を見据える。 そこに映るのは少女と同じ顔をした少女。 いや、目の前に鏡があると言った方が早い。 「貴女は・・・・。」 「我はお前と同じ魂を持つもの。  同時に、お前のその肉体はお前のものであり我のものでもある。」 ピシャン・・・。 少女は一歩一歩、少しずつだが近づいてきた。 この地面は、底は少し深い湖なのか? 近寄ってくる少女はその湖面を浮くように歩いているが、もう一人の少女は水の中に腰以上まで浸かっている。 だがそれでも冷たい、とは感じられなかった。 それ以前に寒い、怖い、と言った感情が全く出てこない。 感じるのは、無。 「貴女が、アブソリュート?」 「否。我はアブソリュートでありお前である。」 アブソリュートは神々しい姿で少女の前に佇んだ。 水の中と上ではかなり差があるので、自然と少女はアブソリュートを見上げる事となる。 表情が乏しいアブソリュートとは対照的に少女はその幼さが表情に出ている。 感情、と言うべきか。 不安や悲しみ、様々な感情が入り混んでいるせいかその表情は複雑そのもの。 「お前に刻まれているその名は、フェイルで間違いはないか。」 アブソリュートはそれでも表情を変えずにフェイルを見下ろした。 その威厳さにフェイルは頷くことしか出来ない。 姿形は勿論、声も髪一筋も全て同じだと言うのにどこかが違う。 目の前にいるものが、心では解りきっているのにフェイル自身がそれを拒絶する。 これは、恐怖だ。 同じであって同じでない。 アブソリュートから流れ出ている神気はあのゼウス神達すら敵わぬ強大な力。 傍にいるだけでこんなにも緊張する。 「・・・我を恐れるか。なに、恐れをなす事はない。我とお前は同じ。  ただ時の流れが何らかの形で傾き、運命をずらしているに過ぎない。」 淡々と述べるアブソリュートはいつまで経っても表情が変わらなかった。 ずっと同じ平坦で、生きているのかさえ疑う。 だがそれは認めざるを得ない。 何故なら、やはり目の前にいるのは自分と同じだから。 気配が分かる。そして何故か懐かしさを覚える。 そんな記憶はないはずなのに。 ただ心臓が高鳴る。 頭は知らなくても、心は知っている。 たとえそれがどんなに長い時間が経っても、決して忘れる事のない「自分」 「・・・どうして、こんなところにいるの?」 フェイルは恐る恐る口を開いた。 少し高くなっていることも気付いている。 その途端、少しだけ目を細めたアブソリュートはまたフェイルを見下ろした。 相変わらずユグドラシルは神々しく、そして淡く光っている。 だがそこには彼がいない。 数年前に出会った、ユグドラシルの姿がない。 「我とフェイルは共同体。だが我とお前は違う。」 「え・・?」 「我はお前でありお前は我である。  これは、何に変えても変わらぬ。たとえ我の「感情」が乏しくとも我はお前だ。」 何だか同じ事を言っているようでフェイルには少し理解出来なかった。 小難しい事をポンポンとその口から出てくるのがまた不思議で、 緊張しているにも関わらず、「凄いな」と思ってしまう。 「話が逸れたな・・・・。」 少し間を置いてアブソリュートは見下ろしていた頭を上げユグドラシルを見上げた。 それに習うかのようにフェイルも樹木を見上げる。 果てしなく続く樹は何故こんなにも神聖なのだろう、と何度思ったことか。 そして同時に、何故こんなにも吸い込まれてしまいそうなのか、と。 「お前が、ここに来たという事は・・・既に覚悟は出来ているのだな?」 ユグドラシルの幹に手を置いた少女は目を伏せてそう言った。 その言葉が重々しくフェイルの心に沈む。 ここに来たのは、他でもないフェイルの強い意志。 神族の力を借り、アブソリュートが眠っている精神世界に今いるのだ。 だからここは暗闇で覆われていて何もない。 唯一あるユグドラシルは恐らく封印の力を持っているのだろう。 そしてここは現実の世界ではないのだとすぐに分かる。 音も匂いも暖かさも全くない無の世界。 今まであった感情が、水に溶けるように零れ落ちる。 暫くここにいれば、明るいフェイルさえもその感情が掻き消えるだろう。 それを理解できたのは、フェイルがそれ相当の力を持っているから。 彼女がアブソリュートだから分かる。 アブソリュートの気持ちや考えも、不思議なくらい伝わってくる。 「・・・・うん。でも私は、きっと消えるんだろうね。」 自嘲するかのようにフェイルは目を伏せた。 それを見ていたアブソリュートはふと思いついたように瞠目した。 「否。消えるとはまた違う。」 「え・・・?」 「我とお前は感情の移入が微妙に違うが、ただそれだけだ。  我はお前でありお前は我。たとえどちらかの精神が消え失せたとしてもその魂は消される事はない。」 ただ、今アブソリュートがいるこの闇の中で長き眠りにつくだけ。 それは本当に本当に長い時間。 アブソリュートも、この世に誕生してからずっとこの闇の中で眠り続けていた。 だが今現に目の前にいる。 彼女の精神は消える事なく、それ以上に強く気高い魂がここで成されていた。 たった一人、この静寂な世界で。 「それでも、私の意識はこの体から消える。  次にまた新たな異変がない限り、私はここで何年も何十年も何百年も・・・・。  ううん。もしかしたら一生眠り続けなければならない。」 「・・・・恐れるか。」 「うん。正直言って凄く怖い。  今まで見て聞いたものから離れていくのが、悲しい。」 私が眠りにつき、アブソリュートが覚醒すれば世界は救われる。 絶対的な力を持つ神。 それは、ゼウス神の力を優に超える計り知れない屈強で剛毅な神力。 でも、その代償に私は消える。 怖い 寂しい 1人は、嫌 「・・・・フェイル。」 アブソリュートは少しだけ微笑んでフェイルを見下ろした。 殆ど「お前」と言われていたのでいきなりの変貌に驚く。 でもその声色がとても穏やかで、とても暖かであることに気付いたフェイルは俯いていた頭を上げた。 「それは1つの手段に過ぎない。」 「1つの、手段?」 「そう。我はそれだけしか方法はないとは言っていないだろう?」 堅かった声が緩やかになった。 さっきまでとは全然違う。 ふと、風がなびいた。 でもここは無の世界。それなのに、何故? 暖かみのある光が闇を照らす。 それは僅かな光であるが、それでもそれは美しく感じた。 闇が光になるその瞬間がこんなに純美だなんて、外の世界の時は一度も思わなかった。 闇の中に一筋の光が零れ落ちる。 それは、絶望に立たされた者を救うかのように暖かな光り。 「お前は、何を望む。」 人の想いは時に強大なものとなる。 神の祈りは時に世界を滅ぼすほど慄然することがある。 その2つの想いと願いが1つになった時、それは世界を変えるほどの力を生み出す。 それが、無限を司る神の力。 その名を、アブソリュート。 「望み?」 望む事は罪だ。 「お前は人として生きていた。だが今お前は自分を神だと認識している。」 人としても、神としても生きる事が出来ない。 「この世の流れに刃向かう事は出来ない。  だが、どんな種族でも願うことは出来る。想いは天を昇り、祈りと共に共鳴する。」 けれど、お前は1つの魂を持っている。 「感情を知ってしまった者には、この闇はあまりにも辛すぎるだろう。」 ならば願えばいい。 人としてではなく、神としてではなく ただ1つの魂として。 「・・・・・・願うことが、許されるの?」 「我が許す。願え。」 我はお前であるから、その感情を読み取れる。 お前は我だから、お前は消える事を選択した。 だが、消える事は許されない。 否。消えるのではない、眠りにつく事を。 「私は・・・・。」 ―――――フェイル!! 「・・・・・・。」 思い出すのは旅の仲間達。 その時その時がとても楽しくて。 ――――それにな、うちあんたらといると楽しいんよ。 アレスト・・・。 ――――どうした。誰かに苛められたか? シギ君・・・。 ―――暇でも何でも大人しくしてなさい。 アスティア・・・。 ―――俺は、フェイルがいれば何もいらない。 シリウス君・・・・。 ―――一緒に帰ろう。 ・・・・・・リュオ君。 まだ、別れたくない。 皆の記憶から消されたくない。 もう少し、皆と一緒にいたい。 そう願うことは、許されますか・・・・? 「我の願いはお前の願い。お前の祈りは我の祈り。・・・しかとその願いは響いた。」 アブソリュートはソッと胸に手を当てた。 その足元から鮮やかな光が零れだす。 これは、いつしか見たあの光だ。 あまりにも古い記憶で、完全に覚えてはいないが。 でもその光は懐かしさを覚える。 自然と体が動く。 その光に手を伸ばした。 会いたくて 生きたくて 認めてもらいたくて ここには残りたくないから 「・・・・・・たい・・・・。」 少女の眦から涙がこぼれる。 無の世界に感情は出てこないはずだ。 ならば、頬を伝わるこの冷たいものは何だ? 震えて上手く声が出せない。 叫びたい。 あの光に手を伸ばして、帰りたいと願う。 「もし2つの精神が切り離されたとしても、我はお前の中で生き続けよう。  新たな時代が来るまで。また我が必要とされる日まで。」 アブソリュートはフェイルの手を掴んだ。 すると、腰異常あった水がスッと消えていく。 いや、浮いているのだ。 アブソリュートの手に引かれて彼女とフェイルは光に包まれる。 1つの影が薄くなった。 それがアブソリュートなのかフェイルなのかは分からない。 けれどただ言えるのは切り離されていた魂が、1つになろうとしていた。 新たな魂が成される。 もう1つの、新しい、本当の魂。 「我は」 「私は」 自由に、なりたい・・・・・・