(お前は、何を失う。)








影も形もない声に何かは振り向いた。
暗闇の中でぽつんと立っている。この場所は、とても懐かしい。







(得るもののために、お前は何を差し出す。)






声は実に厳格だった。
何に惑わされる事もない、強い意志を示した声。
真っ直ぐな声が時には羨ましく、時に憎いと感じた。
穢れを知らない、真っ直ぐな魂を持つそれに、どれだけ嫉妬したか。

けれど時を経て、それすら愛おしく感じられるようになったのは、一体いつだったか。
真っ白なそれに触れたくて、けど決して届く事はなかったはずのそれ。
やっと手に入れた。
手放したくないと、思わず真に願ってしまった。
けれどこれはどうしても叶わない。
遮る見えない壁があまりにも頑丈すぎて、壊すことも出来ない。
ただただ壁をガンガンと叩くだけで、この小さな檻からは決して逃げる事が出来ない。
いや、檻を作ったのは他でも無い自分だ。
いつか誰かが、この見えない檻から救ってくれると信じて、そんな下らない事を過信して生きてきた。






(―――――大丈夫。)






差し込んだのは、1つの光の雫。
日を増すごとに雫を増やし、この場にそぐわない池を作り出す。






(―――――大丈夫だよ。)





姿形なくとも分かる。
欲しくて欲しくて仕方がなかった、あれだ。
柔らかな笑みをたたえて、それは躊躇する事無く手を差し出した。






(―――――1人じゃ、ないからね。)





眩い光の中から、小柄な1つの影が浮ぶ。


もう少しだ


もう少し


あと、どれくらいでその手を握る事が出来る?






(―――――ずっと、傍にいるよ。)






その言葉は、自分に足りない何かを、そっと包んでくれた。


























■天と地の狭間の英雄■
       【最後の会話】〜戦火の灯火〜






















「間もなく魔族からの攻略が始まります。
 まだ天界は痛手を負った者が多くいますが、それでも彼等の分まで、
 そして何より自分自身のために、神のために全力を尽くしましょう。」







城内の広い一室には多くの天使達が集まっていた。
それを中心とするミカエルは声高らかに確言した。
彼の言葉に同調するように、他の天使達が声を上げる。
各々の武器を掲げ、意気揚々と叫んでいた。







「・・・ですが、だからと言って無闇やたらに前に出てはいけません。それは死を意味します。
 私は、貴方達に死んでほしくない。次にここで会う時は、無事に帰還した姿を、見せてください。」







ミカエルの言葉が痛いぐらいに胸に届く。
一瞬静まり返った室内だったが、彼の意思を聞きとめた天使達は士気を上げたようで更に大声を張り上げた。

ミカエルはあえて『全員帰還』とは言わなかった。
それが無理なのは、勿論良く知っている。
この勝利を収めたとしてもきっと半数以上はここには姿を表さないだろう。
そんな事になって欲しくない。
出来る事ならば、戦争なんてしたくない。
次に会う時、ここにいる数の天使が激減するのは目に見えている。
その時の光景があまりにも辛くて、思わず涙を流しそうだ。
けれどこんな事を思えるのは今自分が生きているからであって、次にここに立てるかさえ分からない。
自分の命で全てが救われるのならば、幾らでもこの命を捧げよう。
だが悲しい事に戦争は1つの命では治まってくれない。
星の数ほどの人数を殺して、やっと治まる。

この戦争は、今までにない状況に陥るだろう。
何があるか分からない。
神が付いていたとしても、こちらが敗北する確立は十分ありうる。




(・・・敵は、ルシフェルなのだから。)




ミカエルはそっと自分の兄を思い出した。
記憶を辿れば天界にいた頃の兄の姿が目に浮ぶ。
共にいた仲間だったはずなのに、今回は敵と言う形で再会する事となるとは。





「各々配置につきなさい。これから数時間後、戦争開始します。」




挨拶もそこそこでミカエルは軽く礼をしてその場を後にした。
中心である彼がいなくなるとこの場所にいても意味が無い。
そう判断した天使達はぞろぞろと、早足にここを後にする。
中にはこの小さな会議に参加出来なかった者もいたようで、行き違いの者も多くいた。
縁起でもないが、次に会えるかどうか分からないのだから、特に下級の天使達にとっては
ある意味最後の、そして最も大切なミーティングだったのだ。
けれどその大半が雑用係りに回されており、今も休む暇もなくあちこち忙しく動き回っている。

一段落終えた所で誰にも気付かないように彼は溜息を吐いた。
誰にもそれは伝わっていない。バタバタと横切る者もいれば、なにやら難しげな表情で話し合っている者もいるのだ。
こんな些細な事に気付く者がいたら、ある意味暇人なのかもしれない。





「なーに溜息なんか吐いちゃったりしてんだよ。お前らしくもない。」

「シギ。」





暇人がいた。





「・・・お前、今余計な事を考えなかったか?」

「まさか。所で、具合はもういいんですか? 
 もうすぐ戦闘が開始しますが、その後では満足に休憩取れませんよ。」





見計らったように近づいてきたのは他でもないシギだ。
地上から戻った後すぐに癒しの天使の元に担ぎ込まれたわけだったのだが、思いのほか軽い症状だったらしく、
癒しの天使達には「流石シギだな。」と太鼓判まで出されたのだ。
けれど後遺症が残るかもしれないとか、ぶり返す可能性が無いわけじゃない、と心配する人物が2名ほど
少し大袈裟に責めたてた(?)ので、暫くはシギも迂闊に外を歩く事が出来なかった。
となると抜け出してきたのは目に見えているわけで・・・。




「・・・全く、貴方という方は。私ならまだしもアレストさんが心配していますよ。
 どうやって抜け出してきたかは、今は聞きませんが早く戻ってください。」

「って言ってもなぁ。お前等ちょっと大袈裟だって。
 俺別に外傷ねぇし、それに癒しの天使達が大丈夫だっていったじゃねぇか。」

「しかしですね・・・。」

「そんな事よりも、お前だって帰って来てからろくに休んじゃないだろ?
 俺なんかよりもまず自分の健康管理を気を付けろって。」




ゲラゲラと笑いながらシギは大袈裟にミカエルの背を叩いた。
吃驚して暫し呆然としていた彼だったが、察しがついたのか小さく笑うとすぐに歩みだした。





「お、おいどこに行くんだ?」





意外な反応に驚いたシギは、一歩遅れてミカエルの後を追う。
苦笑するところは変わらないが、そのまま歩き去ってしまうなんて彼らしくない。と言うか珍しい。
しどろもどろになっているシギをチラリと見たミカエルは、また笑った。





「身体はもう大丈夫なんですよね?
 それじゃあ、貴方にも手伝ってもらいましょうか。」





顔だけこちらに向けて微笑んだ彼に暫く呆けていたシギだったが、
すぐにニッと笑うと、「任せろ。」と腕をまくる仕草をして満面の笑みで笑った。
これからする事なんてたかが知れている。
けれど、残された時間を有利に使いたいんだ。





























「フェイルー?」









いないなぁ、と思いかれこれ数十分ほどリュオイルは探している。
彼女の行きそうなところは隅々まで見て回ったが一向に見つかる気配は無い。
それどころか、もう探すところがなくなってきており、このままでは迷子になりそうな勢いなのだ。
ここにいる期間が短かったとは言え、この歳で迷子になるのは御免だ。





「・・・どこ、行ったんだろ。」





自分に探せる範囲は以外と少ない。
かなり規模の広い天界だが、中には地位が高い天使、あるいは神でしか出入り出来ない場所さえある。
そんなところにいきなりやってきた人間が入れるわけがなく、一応そういった怪しい場所も探そうとしたが、
予想通り門前払いされてしまった。
すれ違うものに聞けども、皆「知らない」の一点張り。
隠しているわけ、無いと思うがもしかしたらゼウス神の所にいるのか?と思い大天使に聞いてみたが、
忙しい身なのに彼等は丁寧に「知らない」と答えてくれた。





「残った場所なんて、まだあったか?」




途方に暮れているリュオイルは一旦中央庭園に向かって歩いた。
そこはさっき通ったが、もしかしたらいるかもしれない。
何せ日差しが暖かいそこはフェイルのお気に入りなのだ。
勿論彼女だけでなく、他の天使達もよく庭園でくつろいでいるのを何度か見た事がある。
流石にこの時期に天使達が庭園にいるとは考えられないが、他に当たる場所がないので取りあえず行こう。
もしかすれば誰かが彼女を見かけたかもしれない。

翼が背に生えていた姿を見た時、本当にフェイルは神なんだって、思い知らされた。
現実から目を逸らしていて、もしかしたらっていう考えがまだ底の方に眠っていたみたいだ。
ソピアが去った後も、ただ「ごめんね。」と苦笑するばかり。



何が、「ごめんね。」なんだ

誰に謝ったんだ

どうして、謝るんだ



あの時は僕自身も困惑していたから何も言えなかった。
けど、冷静になった今なら問うことが出来る。
・・・いや、いざ彼女を前にしたら言えないだろう。
フェイルは必ずはぐらかす。あるいは困ったように笑うだけだ。
僕に非があるわけじゃない。問い詰めようと思えばいつでもどこでも問い詰められる。
けどそれが出来ないのは・・・。






「惚れた弱みって、こう言う時に使うのかな。」






自分で言ってて段々恥ずかしくなってきた。
まさか、生きている中で一度も恋愛をしたことがない僕がフェイルを好きになるなんて。
最初は、本当に最初の頃は微塵も感じなかった。
ただ変わった子だな、と気には留めていたものの、あの時は恋愛感情なんてこれっぽちも無かった。断言できる。
言葉で表すなんて、そりゃもう無理だ。今は無理だ。
恋愛のれの字も知らなかったリュオイルに「告白しろ。」なんて言ってみれば、
彼は真っ赤になって首を横に振るだろう。そりゃあもう思いっきり。

けれどこれからはそう悠長な事は言ってられない。
戦争が始まる。
・・・いや、それ以前に恋敵が出来ているのだ。とっくの前から。
しかも手強い。掻っ攫うくらい平気でやってのけそうだ。あいつは。
何たって、彼はあの時に『良い所取りするのが得意だ』と断言したのだ。



(・・・シリウス、か。)



出会った当初はかなり仲が悪かった。お世辞にも、今も良いとは言えない。
けれどお互いの事を知り合ってからは犬猿の仲、とも言えなくなってきたと思う。
本当の所を言えばリュオイルが勝手に突っかかって、それにシリウスが挑発するような言い方をしていたのだが、
頭に血が昇ったリュオイルに誰も止めに入らず(寧ろほったらかし)挙句の果てには
「仲が良くていいなぁ。」とフェイルが拗ねる始末。
大概の痴話げんかはフェイルの天然パワーで解消される。

仲は悪いが、決してシリウスが悪い奴なわけではない。寧ろ良い奴だと思う。
口数は少なくて何を考えているかさっぱりだが、その心にある意志は岩よりも固く、流水の如く真っ直ぐだ。
自分よりずっと大人びてて、長身で、男の自分から見ても彼はカッコいいと思う。
恋敵を褒める事なんて本当はしたくないけど、それはどうや足掻いたって僕には叶わないんだ。




(・・・とか何とか考えてると、もの凄い落ち込んできたんだけど。)




シリウスを株上げするつもりはないが誰がどう聞いてもこれは株上げだ。下げなければ。








「あ、」







どうやって評価を下げようか悩んでいると、ふと見覚えのある者に出くわした。
いや、出くわしたと言うか見つけた。
庭園の中央付近にあるベンチに腰を下ろし、ギラギラ輝く大剣をこれまで以上に磨いている。
剣の色と似ている銀の髪はざんばらだが、日の光で眩しく見えた。





「シリウス。」




思わず呟いた小さな声が彼の耳に届いたのか、シリウスはゆっくりと振り向いた。
けれど何事もなかったかのようにまた剣を磨き始めたので流石にカチン、ときたリュオイルは、
あからさまに不機嫌な顔をして彼に近寄った。




「無視することはないだろ無視することは。」

「・・・・話しかけた所で俺の得にはならないからな。」

「・・・・。」




損得で判断する奴だ。こいつは。
特にどうでもいい時、あるいはどうでもい存在が前なら例えお偉いさんでもさらり、とこう言うだろう。
仲間の中ではある意味最強と言える強者だ。




「まぁ、別にお前に用があるわけじゃないからいいんだけど。」




用があるのは他ならぬフェイルだ。
残念ながら庭園にいたのはシリウスのみで、探してる彼女の姿はどこを探してもいない。
彼女だけでなく天使もいないことには少し疑問を感じたが、向こうの塔の方で慌しく動いている影を見ると
やはり人手不足ならぬ天使不足が生じているのだ、と確信させられた。




「フェイルか?」




リュオイルが探しているのならほぼフェイルで間違いない。
シリウスの頭の中にはそうインプットされているのだ。
早速興味を持ったのか、剣を磨くのを中断して顔を上げた。




「ああ。見てない?さっきからずっと探してるんだけど、どこにもいないんだ。」

「・・・いや、俺も見ていない。」




やっぱりか、と少々大袈裟に溜息を吐いたリュオイルはこの城の構造を思い出していた。
もしかしたらどこかで見落としている点があるかもしれない。
戦闘開始までまだ一日ほどあるし、そう急ぐ事はないが、出来ればこの明るい青空の下で話がしたい。
けれどあんなにたくさんの天使達に会いながらも誰1人として見ていないのはいささか不自然を覚える。
またフェイルの事だから珍しい建物でも見つけて入りっきりになっているかもしれない。






「・・・・そうか、建物。」





ふと思いだしたようにリュオイルは西側の塔を見た。
そちらは以前ルシフェル達が攻めて来た場所で、ドラゴンや魔族達が暴れた残骸が無残にも残っている。
北や東の塔と比べると損傷が激しく、時間がなかったせいか、あちこち亀裂が入ったままだ。
危ないから、という事で天使達が軽く注意していたのを覚えている。
まぁこんなところにフェイルが来るわけないだろう、と過信していたから間違っていた。
隅から隅まで探した自信はある。
残されたのは、ちょっと回りを気にすれば難なく入れる西の城下町だ。





「確かに、数時間前にいた巡回天使が消えたからな。
 あいつなら何も知らずに西の塔に行くかもしれない。」

「・・・全く、危ないってくらいは分かるだろうに。」





何だか子を心配する親の気分だ。









「迎えに行ってきたらどうだ。」








右手を腰に当てて突っ立っていると、珍しくシリウスの声が後ろから聞こえた。
前にも言ったがシリウスは口数が少ない。アスティアよりは喋るだろうが、それでも会話数は人並み以下だ。
話を振らなければいつまでも黙ってそうだし、会話にも進んでついてこないかもしれない。
昔はここまで無口ではなかったみたいだが、ある事件をきっかけに口を閉じたらしい。
彼の過去に口を出す気は微塵も無いが、それでも今は亡き彼の妹、ミラは「変わった」と言っていた。
以前の彼がどんなのかはしらないが、シスコンだったのは変わっていないはずだ。

前は、彼をシスコンシスコン、と軽々しく言っていたが、今はもう言えない。
もう、いないんだ。彼には彼女が。

リュオイルは再び剣を磨き始めたシリウスの顔を盗み見た。
相変わらずの無表情で黙々と愛剣を磨いている。
きっと彼は地味な作業が得意なんだろう。地道にコツコツと粘る努力家だ。
・・・・と言うのはどうでもいいんだ。話がややこしくなる。





「・・シリウス。」






フェイルにも用があるが、次いでと言えば次いでだがシリウスにも用がある。
しかも今出来上がった即席の用事だ。













「ソピアを殺す、つもりなのか?」











あまりにも簡単すぎる言葉に一瞬眉をひそめたシリウスだったが、すぐにその真意を語ると、
真剣な顔つきになって剣を置いた。
彼の表情は真剣と言うよりも硬い。微々たるものだが彼にしては動きが鈍かった。
それは、ミラを思いださせるような言葉が出たからだろう。
ソピアを殺すことは、要するに仇討ちする事なのである。
ミラだけの命ではない。あの村全員の命が一瞬にして奪われた。あの小さな少女に。




「・・殺すさ。あいつは俺の故郷やミラを殺した。
 例えあいつにどんな過去があったとしても、俺には関係がない。」





帰る場所を失った。
それでも歩く事が出来るのは、唯一の支えがまだ傍にいるから。
喪失感と無気力で魔族に対する憎悪も忘れ、今自分が何をすれば良いか分からなくなってきている。
何を考えているか分からない表情をしているのは、半分当たりだ。
自分でさえも、何をして何を思い、これからどうすればいいかまだ見当がついていないのだ。
ソピアを殺して、魔族を打ち果たして、・・・・それから?
それから、俺はどうすれば良い。
何を支えにして生きれば良い。
終わりのない旅にでも出るか?短い寿命の中で何が見出せるか試すか?
・・・・どうすればいい。





「そう、か。そうだよね。」





複雑そうな顔をしたリュオイルは伏せ目がちに小さく溜め息を吐いた。

シリウスの答えなんか聞かなくたって知っている。
けれど、その当然とも言える答えが妙に引っかかるのだ。
自分が彼と同じ立場ならこんなに冷静に考えないだろう。寧ろシリウスと同じ考えを何が何でも貫き通す。
―――――失ったものは、もう2度と帰ってこない。
ガラスを割った、とか本を破いた、とか代理のきくものじゃない。
『人間』という個々のものはあまりにも小さくて儚い。脆く崩れやすく、そして短い命。
代えのきかないものだから、人は人を慈しみ愛する。
時には人がかけがえのない支えとなり、時には本音で語り合える最高のパートナーと感じる。

長く傍にいればいるほどその想いは強く増し、失った時の喪失感は計りしれるものではない。

シリウスだけじゃない。
僕だって、失えばきっと・・・・。








「殺すな、とでも言いたいのか?」







瞑られていた瞳がふいにこちらに向けられた。
その色は怒りとも悲しみとも見えぬ、表情の読み取れない色。
真っ直ぐ過ぎて、逆にこちらの真意を見透かされそうで、恐ろしい。





「いや、そういうつもりは・・・」




そんなつもりは、ない。
シリウスの考えは間違っていない。多分これが正しいんじゃないかと思う。
けれど、



「けど、それでお前はどうするんだ。ソピアを殺して、魔族を倒して、それから?」

「・・・それは・・。」

「僕やアレスト達はお前の考えに首を突っ込まない。寧ろ、それが当然だと思う。だけど・・・」








―――――――皆が幸せになって欲しい。








1人の願いは、遥か遠くにまで届くだろうか。
その願いは、何を犠牲にするのか。
優しすぎる願いは時に仲間を困惑させる。
自分の考えに自信を持てなくなり、甘く優しい言葉に呑み込まれそうになる。





「お前はそれで、本当に報われるのか?」

「・・・・・・・。」





殺されて、殺して、殺されたからまた殺す。
永遠に途絶えることの無い連鎖は悲しいことにどの時代にも知らず知らずに受け継がれる。
最も必要の無いことなのに、僕達はそれを当然だと思ってまた繰り返す。
同じ過ちを繰り返し、間違っていると気付きながらも自分の意志に逆らう事が出来ずまた同じ道を歩く。
憎悪は一度生まれると消える事なんてない。
ずっとずっと、死ぬまでずっと心の奥底に眠り続ける。
ふとした事でそれが爆発し、時には制御出来なくなることも少ないはずはない。

殺されて、悲しいわけがない。
けれど殺して報われるものか。
残るのは一生消えない手に残った血生臭さ。
達成感とも言えない脱力感。無気力になって、これからどうすればいいか分からず途方に暮れる。









「じゃあ、どうすればいい。どうすれば俺の怒りが消える。」








好きで殺したいんじゃない。
怒りを消すためには、元凶自体を消さなければ気がすまないのだ。
例え殺したとしても魔族に対する恨みは一生消える事は無いだろう。
消えるのは、その時だけの怒り。
根強く残った憎悪は日を増すごとにどんどん増殖する。

知らず知らすのうちにシリウスの声は荒れていた。
自暴自棄のような、何もかもを棄てている投げやりな声だ。






「俺は、あいつ等を許すことなんて出来ない。殺さなければ気が済まない。
 だが、だがその後に無気力が襲ってくることも知っている。」







知識だけ頭にあっても、いざ自分がそう言う場面に出くわしたらそうは言っていられない。


憎い

殺したい

この感情を透明にしたい



でも、無理だ。
心の強さとか、そんな綺麗事ではない。
生理的に、元からある一つの感情。
嬉しいのなら笑い、悲しいのなら泣く。
それと一緒だ。決して、隠す事は出来ない1つの感情。それが憎悪。





「・・・もしもお前がフェイルを失った時、どうする。」

「え・・・。」

「あいつが魔族に、人間に殺されたらお前はどうする。」





予想外の質問だった。
睨まれているようで少し怯んだが、リュオイルはゆっくり彼の言葉を頭の中で復唱した。



―――――――フェイルが死ぬ?



魔族や人間や、振り返ればすぐ近くにいる者に殺されて、あの子が死ぬ。








「俺は許さない。
 殺したって殺したりないくらい。
 神があいつを殺すのなら、俺は魔族に魂を売ってでも神を殺してやる。」

「・・・・僕は・・・。」







戸惑うリュオイルを慰めるように穏やかな風が吹いた。
ザワザワと木々の擦れる音が庭園に静かに響く。
頬に暖かい微風を感じ、それと同時に彼の髪先が揺れた。

覚悟の違いだ。
シリウスはフェイルが死ねば、迷わず相手を殺すだろう。
それが仲間でも、彼は躊躇する事無く剣を振るう。






ー――――――僕は、出来るか?





どこかで怯えている。
フェイルが死んだ事を認識する事もなく、同じ様に殺されるかもしれない。
とめどなく涙が溢れ、ただ泣き叫ぶしか出来ないかもしれない。







「お前の内に眠るもう1人のお前は俺と同じ様に、それ以上に見境なく相手を襲うだろう。
 だがお前には出来ない。俺はお前のように良心というのが欠けている。」

「何言って・・・・。誰がお前に良心がないって言ったんだよ!!
 確かにお前は何考えてるか分からないし、話しかけても無視する事が多いし、
 それに視線が冷たい時なんてしょっちゅうだ!!!・・けど・・・・。」






けど、優しいじゃないか。
誰も知らない所でお前は皆を支えている。
僕と同じ様に好きになったフェイルを見る視線は、あんなにも優しい。
妹思いで、仲間思いで、そして情に深い。







「僕はお前の事好きじゃないけど嫌いじゃない。
 僕と正反対で、よく喧嘩するけど、けどお前ちゃんと相手にしてるじゃないか。
 何も考えてなくて、もっと冷たい奴は相手なんかしない。その場で斬り捨てたりするだろ。」







僕達が出会う前にあったという魔族の侵略。
カイリアはこれまで何度も魔族に襲われていると聞く。
けれどその理由は、あの6英雄の2人の大陸だから、とかと言う曖昧な理由に過ぎない。
たったそれだけの理由で故郷を襲撃されたらシリウスのような性格になるのは決しておかしくない。
けれど、それでも彼の優しさは消える事はなかった。
彼の中で絶対位にいたミラを心底溺愛し、そして世の中の大変さを教えていた。
目の見えない不自由な身体の少女に、そっと手を差し出し生きる術を教えた。
旅の中で知り合った少女を、身を呈して庇った。
何度も助けて、涙を流す少女に心配させないように笑っていた。

どこが、良心が欠けているという。






「お前は僕より優しいし、大人だ。
 でもシリウスは僕より馬鹿だ。自分の優しさに、ちっとも気付いていない。」

「お前に馬鹿だと言われるのは不服だが・・・。」






ただ、意外だったとしか言いようがない。
今まで散々けなしてきてはいたが、分かったつもりでも俺はこいつの事を全く分かっちゃいなかった。
上辺だけ見て自惚れた自分が恥ずかしい。

リュオイルは一生懸命に何かを探していた。
言葉だ。
会話をするために必要な、当たり前な言葉。
一つ一つ思いが込められている大切な、言葉。
今にも百面相をしだしそうな勢いのリュオイルに思わず吹き出しそうになりかけたシリウスだったが、
彼はそれに気付かない振りをして隣に置いてある自分の剣を見た。



(この凶器で、今まで何百とも言える魔獣を斬ってきた。
 時には敵になった人間さえも斬った。今更人を斬るのが怖いなんて、微塵も感じない。)



恐ろしいものだ。
幼い頃はあんなにも誰かを傷つける事を恐れていたと言うのに、
一度凶器で斬りつけると、段々慣れてきてしまう。
魔獣だって、魔族だって、人間だって、皆自分と同じ様に生きている。
それを殺した時、最初は不安と恐怖が身体全身を駆け巡り、立っている事がやっとだったのに
今は紙くずを斬り捨てるような感覚だ。






「だが俺は、取り返しがきかないほど多くの命を奪った。
 紙くず同然に斬り捨てて、何事も無かったかのように歩いた。」





それは全て目的があったから。
邪魔するものは全て消さなければならない。
目の前から邪魔者が消えたあの感覚は、驚くほどすっきりした。





「こんな感覚を覚えるのは、俺がロマイラと同類だからだ。」





普通なら恐怖するだろう。
返り血を浴びて、真っ青になって叫ぶ者もいるだろう。
けれど俺は、殺した瞬間何を思った。
俺は、果たして人として生きる権利すら、もしやないだろうか。














「・・・・・もう一回言ってみろ、今の言葉。」













ふつふつと怒りが込み上げる。
最初の方こそただ聞く側だったのだが、彼のどうしようもない言葉を聞いて怒りが頂点を超えた。
震える声を押し殺し、殴りかからないためにリュオイルは両方の拳を強く握り締めた。
爪が食い込んで、今にも血が出そうな勢いだ。
いや、右拳からは既に一滴の鮮血が零れだしていた。





「もう一回言ってみろ!!
 お前が何だって!?誰がロマイラと一緒なんだよ!!!」





堪えきれなくなった怒りは当然目の前にいる本人にぶつけられる。
バッと顔を上げたリュオイルは、素早くシリウスの胸倉を掴んだ。
彼とはそこそこ身長差があるので、掴み上げれば更に彼を見上げなければならない。






「・・・。」

「お前とロマイラが同類?
 ・・・冗談じゃない、あんな奴とお前が、一緒なはずないだろう!?
 お前が誰かを殺したのも全て理由があったからだ!!
 そりゃあ、理由があるからと言って殺していいなんていい加減な事言えないけど、けどお前はそれを繰り返さなかった。
 一度は間違ったかもしれないけど、ちゃんと戻ってきたじゃないか!!!」






呼吸も整えず一気に今の台詞言ったのでかなり呼吸が荒い。
ゼェゼェ、となる息を何とか呑みこんでリュオイルは真剣な表情で、
そして怒りと悲しみを含んだ顔でシリウスを睨んだ。






「僕は言ったよな、お前の事好きじゃないけど嫌いじゃないって。
 けど、僕はお前が悠々として、それでいて優しい所が羨ましいと思う。
 僕にないものをシリウスは持っている。それが、すごく羨ましかったんだ。」






だからそんな顔するな。
いつものような無表情で余裕のある顔で剣を構えて立っていろ。
他愛もない事で口喧嘩して、それを呆れた様子で見るアレスト達。
最後に当然のようにフェイルが僕達の喧嘩を止める。

そんな、些細な幸せが僕は好きだった。
それを思い出のままに残したくない。





「お前はロマイラとは違う!分かったら、さっきの言葉を訂正しろっ!!」





胸倉を離したかと思うと、今度は一歩引いてシリウスに人差し指を突き付けた。
「訂正しなかったら暴れてやる」と子供っぽく見えるのは自分の錯覚だろうか。
真っ赤な顔をして言うリュオイルに説得力はあまり感じられないが、不意をつかれた彼の言葉に、
シリウスは右手で自分の顔を覆った。


らしくもない事を言った。


手の下に隠されているのは、泣き顔とも言えない表情だ。
うっすら微笑んではいるが、それはあまりにも痛々しくて思わずこちらまで悲しい表情になってしまう。
だが今のシリウスの顔はリュオイルには全く見えていない。

こんな格好悪い姿は、これで最後だ。





「・・・・ったく。」




わざとらしく大きな溜息を吐いた。
敏感に反応したリュオイルは、少し不安そうな目でこちらを見ている。
また反論されるとでも思っているのだろうか。





「安っぽいが、お前が俺をあいつ等と違うって強気で言ってるんだ。・・・信じてやるよ。」





安い言葉だがな、とまた余計な事を足してシリウスは意地悪げに少し笑った。
一瞬何を言われたか分からなかったリュオイルは暫く呆けていたが、
結局また馬鹿にされている事に気付くと、ムスッとした表情で片方の手を腰に当てた。





「・・・何か不愉快な部分があるけど、とにかくらしくない事言うなよ。」

「お前にそんな事言われたら世も末だな。」

「はぁ!?僕が親切で言ってやってるのに、またお前はいらぬ言葉を・・・。」

「馬鹿か、いつ俺がお前の親切を貰ったんだよ。」

「・・・・・こんの、開き直りが・・・・、」





わなわなと肩を震わせて顔を下にするリュオイル。
明らかに怒っている。
その反応を楽しむかのようにシリウスはまた微かに笑った。
けれどこれもまた、リュオイルは下を向いているので彼が笑った事に気付く事は出来ない。




「あぁぁぁあ!!もういいっ!!心配して損したよ!!!」




真っ赤な顔はそのままに、気恥ずかしくなったのか、リュオイルはズンズンと歩き出してしまった。
考えなくても彼の行く所は分かっている。フェイルのところだ。
子供らしい反応を見てシリウスは彼が見えなくなるまでそこで立っていた。
珍しく彼の頬は緩んでいる。
これを他の仲間達が見れば仰天して固まるか叫ぶだろう。










「『お前はロマイラと違う』・・か。」









優しいとか、羨ましいとか、まさかあいつに限ってそんな事言うわけ無いと思っていた。
それ以前に自分の事さえ分かっていないのだ。
鳩が豆鉄砲を食ったような、間抜けな顔をしていたかもしれない。





「信じてやるよ、お前の言葉。」




ソピアを許す事は出来ないけれど、
けれど、お前を、お前達を信じてみよう。
かけがいのない言葉をくれた者達のために、俺は生きよう。
荒れた戦の中でどれだけの命が散っても、もう一度彼等と会うために。