「・・・・もう、戻る事は出来ないのですね。」








暗く、そして冷たい部屋で1人の青年は誰に言うでもなく呟いた。
流れる金の髪は、手入れを殆どしていないはずなのに艶やかで輝いている。
けれど整った顔は暗く沈んでいて、そして儚い。

彼はおもむろに1つの剣を鞘から抜き出した。
鈍く輝くそれは、見事なほど鋭利だ。
今まで隈なく手入れをしてた成果が見てとれる。








「これで、本当に・・。」








さよならを言うときが、来たんですね。

























■天と地の狭間の英雄■
       【再会するための約束】〜伝え切れない〜



















魔族が攻めてきたとあって、天界は大混乱だ。
まだ作戦も体勢も、何もかもが不十分すぎる。
情報も指揮も未だ部下達に伝えられていない者が多い。
だが、確実に魔族は天界を包囲していた。
耳を澄ませなくても、ガヤガヤとした獣特有の鳴き声がそこら中から聞こえてくる。
まだ天界内を包囲していないと分かっていても、流石魔族と言うべきか、
既に魔力の弱い天使は畏怖していた。

だから、手が空いていて尚且つ戦闘に自信のある者は既に外に出ている。
勿論それはお馴染みのメンバーが全員含まれている。






「まっさか、こんな急に魔族が襲ってくるとは思いもせえへんかったわ。」






少しアルトの入った呑気そうな声が、ふいに後ろにいる仲間に向けられた。
風がゴウゴウと抜きぬく中、当たり前の様にそこには6人の・・・。いや、今は4人のメンバーが並んでいる。




「確かに。・・・まあ当然と言えば当然の事なんだが、物には順序ってものがあるはずなんだけどなぁ。」




溜息混じりに第一声を放ったのはこのへんてこな喋り方のアレストだ。
それに続くように、まるで余裕だと言うように微笑むシギの姿がそこにあった。
それだけなら平凡な会話なのだが、生憎彼等にはそれぞれの武器が握られている。




「そんな事魔族がいちいち聞くわけないでしょう?
 とにかく攻めてきたんだから、私達はここや地上を守りぬく事を最優先に考えればいいのよ。」




なったものはしょうがない。攻めてきたのなら砕いてしまえ。
彼女、アスティアの言葉には少々毒を感じるが、反論する所は一切無い。
誰よりも視力が良い彼女は、スッと目を細めて空を仰ぐ。
相変わらず黒く点々としたものが空を飛んでいるが、それを魔族だと断定しても問題ないだろう。
その一つが、微かに翼だと気付いたが、こんな事を仲間に報告しなくても、
皆分かっているので、アスティアはただ黙って空を見上げていた。





「・・・あいつらが帰って来ないな。」





一瞬間が空いたが、銀の髪を揺らめかす青年、シリウスが見つめているのは空でも何でもない、
先の戦でダメージを受けた塔の方だった。
シリウスはリュオイルがフェイルを迎えに行っているのを知っている。
彼が西に向かった後、少しの間シリウスはあの庭園にいた。
あの後戻ってこなかったのだから、あの場所にフェイルがいたのは間違い無いだろう。
流石に長時間庭園に居座るわけにはいかなかったので、15分程して戻ってきたのだが、
当の2人は未だ帰らずじまい。
まさか魔族に襲われたわけないだろうし、万が一そうだったとしても何せフェイルは神だ。
すぐさまゼウスやミカエル辺りが気付くに違いない。




「そう言えばそうね。どこをほっつき歩いてるのかしら?」




今まですっかり忘れていた、とでも思えそうな顔で振り向いたアスティアに、
思わずアレストはここにいない2人に同情したくなった。




「とは言え、あの2人が揃っていないと心配だな。
 魔族に襲われても、あいつ等がそう簡単に倒されるわけないってのは分かってるけど。」




過信じゃない。信頼しているからここまで言える。
付き合いは天界にいる他の誰よりも長い。
全てが全てお見通しなわけではないが、そこいらにいる天使よりも、
ましてやゼウスやミカエル達よりもずっとずっと、彼等の事を理解しているつもりだ。





「・・・あいつ等は、おそらく西の塔だ。」

「西の塔?何でまたそんなところに。」





そう言えば彼女達はリュオイルとフェイルが消えた理由を知らない。
すぐに戻ってくると過信したのが不味かっただろうか・・・・。
少し遅いとは思っていたんだから、おうちゃくせずに自分も迎えに行けば良かったかもしれない。




「フェイルが、ミカエルの講義の後からいなくなった。・・・大方それを心配して探しに行ったんじゃないのか?」




詳細を話すために口を開きかけたシリウスだったが、先にシギが口を割った。
以外にも慌てた様子は微塵もなく、どちらかと言うと慣れた様な、けれど少し困ったような表情で笑っていた。
フェイルが1人でふらりといなくなるのはよくあることだし、それをリュオイルが追いかけるなんて、
既に仲間の中ではそう言う方程式が成されている。
出会った当初なら顔色を変えて総員で探しに回るだろうが、今はこれから彼等がどこに来るか、
何となく、と言う曖昧なものではあるが分かっている。
魔族に襲われた危険性はかなり低いし、十中八九4人の所に来るだろう。





「2人の事は大丈夫でしょう。・・・それよりも、いい加減動きがあってもいい頃だと思うんだけど。」





彼等の言葉に頷いた後、アスティアは再度空を仰いだ。
相変わらず青い空には数え切れないほどの魔族がいる。
けれど攻撃することなく、それ以上降下することもなく、ただその位置で留まっている。

あまりにも不自然だ。
外に出て、既に十数分は過ぎていると言うのに今だ動きを見せない魔族。
それに、彼等の気配が感じられないのだ。
今まで嫌ってほど対峙してきたロマイラやラクト達。
消そうとしたって消しきれないあの禍々しい気配が、全く感じられない。
辺りに漂うのは不気味とも言える空気だけで、魔族から何らかの動きを見せる気配は全くない。






「・・・・一体、何を考えているんだ?」





こちらの戦闘態勢を待っているわけはないだろう。
向こうの出方次第ではこっちの戦闘形成もかなり入れ替わりになるのだが、
如何せん、彼等が一体何を操って攻撃してくるか、地上の素人には全く分からない。
それを探ろうとシギが神経を研ぎ澄ませているのだが、未だその成果は得られない。
時間だけが無駄に過ぎていき、こちら側の精神力を削がれるような形になってきているような気がする。
先手を出すのなら出来るだけ早い方がいいだろう。
だがそれを下すのは自分達じゃない。ゼウス神だ。
だから魔族が何をしてきても、自分達は決して手を出してはいけない。待たなければならない。











「フェイル、急いで!!」











ふと、後方から聞きなれた声が聞こえた。ついでに足音も。



「ま、待ってリュオ君〜!!」



少年の手を握りながらも、必死に走っているのは他ならぬフェイル。
勿論、手を繋いでいる少年はリュオイルだ。
日頃から訓練しているリュオイルに対し、元からあまり体力のないフェイルは既に息切れしている。
典型的な魔法使いと槍使いだ。




「フェイル!リュオイルっ!!」




彼等の声がすると、待っていたかのようにアレストが右手を上げて大きく手を振った。
建物の影にいる4人だが、それだけいれば十分目立つ。
彼等の他にも多くの天使達が警戒しているのだが、彼等もまた同じ様に、
なるべく魔族にばれないように、神気を消して、姿をくらまして、ジッと何かの気配を追っていた。
そうなると、勿論彼等の視線は大声を出したアレストに注がれる。
その何とも言えない、居心地の悪い視線に思わず彼女が怯んだのは言うまでもない。

だが、アレストに対する視線とは対照的に、フェイルに向けられたものは、安心とも言えるものだった。
一応彼女の事は天界では公に知られている。
情報は日を増すごとに大袈裟に、だが確実に知らされていった。
神が戻ってきたと、新しい神の真の誕生だと、彼女が勝利に導いてくれると。
例え噂でも、それをフェイルが知らないわけはない。
耳を澄ませば聞こえる。彼等の声が。彼等の強い想いが。
・・・だからこそ、こんなにも体が重たく感じるのだろうか。
期待に満ち溢れた視線は、時に凶器となる。




「ごめんね皆。」

「いや、それよりも無事か?」




見たところ、息を切らしている以外は何の外傷もない。
どこかで戦闘をしていた様には見えないし、恐らくこの異変に気付いた直後、
4人を探すために城内や野外を走り回っていたんだろう。




「うん、大丈夫だよ。」

「それよりも、どうして魔族はまだ襲ってこないんだ?」




笑顔で返事をしたフェイルに続いて、リュオイルは不審気にちらりと空を見た。
さっき自分達が見たキマイラや龍と比べると大したことないかもしれないが、あの時よりも数倍数は増している。
普通ならここで襲ってくるはずなのだが、敵側は何を考えているのか、ちっとも動こうとしない。




「それが、分からねーんだこれが。
 ほら。あの影に視察天使がいるだろ?
 あいつ等さえ下手に動いていないって事は、まだ誰も奴等の動きを察知してないってことだ。」




いつものようなおどけた顔はシギにない。
出来る限り目を細めて空を仰ぐが、あまりに遠いため、
幾ら天使の彼でも魔族が何をしているかを見るのは無理だった。
だからこそ、今アスティアが目を凝らして見ているのだが、相変わらず動きは無いと言う。
同じ答えばかりが返ってくるので、しまいには欠伸が出そうになる。
だが今はそんな事をしている場合ではないので、アレストは目を擦りながら欠伸を噛み殺した。





「だが必ず攻撃は仕掛けてくる。
 それがいつなのかが分からないからこっちが困ってるんだが・・・。
 まあ予想ではあるが、こちらに精神的ダメージを与えているのかもしれない。」

「そうね。否定は出来ないわ。
 あの群れを見て尚、平然といられる者なんて限られているもの。」





肩に重々しくのしかかるのは彼等の威圧。
ただ漆黒の翼を羽ばたかせるだけで、まるで定められた位置に居座るようにジッとしている。
彼等が今何を考え、そしてこれからどう動くかなんて自分達は知らない。
ただ待つしかない。彼らの動きを。
そして、出撃の合図を。









「・・・これで、終わるんだよね。」

「あぁ。終わらせて見せる。それが、今俺達がやらなくてはいけないことだ。」

「せやな。これ以上犠牲を出さんためにも、うちらが踏ん張らなあかへん。」

「せいぜい踏ん張り過ぎないようにしなさいよ。」

「・・・これを終わらせて、地上に戻って・・・。まだまだ俺達にはやらなければならないことがある。」

「そうだね。だから、僕達はこんな所で死ねないよ。
 帰って家族や仲間達や、大切な人達の元に戻らなきゃ。
 それに、これから始まる戦争は天界だけの被害じゃきっと収まらないだろうし。」








輪を囲むような形で、6人は顔を見合わせた。
そう言えばこんな風に真剣になって全員の顔を見るのは初めてかもしれない。
長い年月を共にしてきたわけなのだが、何故か全員がきっちり揃って話す機会が無かった。
必ず誰か1人はいなくて、思い返せば真剣に話し合ったのは、
誰かと誰かが喧嘩をした時だけなのかもしれない。
それが誰だったのか、言わなくても既に皆理解しているだろう。勿論当者達も。






「あ、そうだ。」






いい事を思いついたかのように、嬉しそうに手を合わせたフェイルに全員の視線が注がれる。





「指きりしようよ。皆揃って、またここに帰ってくるって。」

「何や。また唐突な約束やなぁ。」

「いいんじゃねぇの?ほら、願掛けみたいな感じで。戻ってこれるかどうかなんて誰も分からないし。」

「・・・願掛けかどうかは知らないけど、まぁ気休め程度にはなるんじゃない?」





フェイルの言葉はあまりにも唐突だ。
けれど察しがついているリュオイルは、ソッと微笑んでいた。
何故なら少し前に自分達も約束したから。
それは今のと少し違う約束だけれども、でも根本的なところは変わらない。





「確かに戦争で離れ離れになる可能性は高い。全員が同じ場所で戦えるなんて、考えるだけで無駄だな。」





地上ほど面積は広くない天界だが、決して狭いわけではない。
隅から隅まで天界を見回った事がないから分からないが、以外に広いのだ。
どこからどこの範囲で戦争が起きて、どこからどこまでが被害を受けるか分からない。
もしかすれば、天界全域に渡って襲撃がされるかもしれない。




「そうだね、それもそうだ。
 フェイルが言った通りに指きりしよう。集合場所はここにする?」




周りには視察天使が警戒しながらいるというのに、どうして彼等はこんなにも緊張感が無いのだろうか。
彼等の会話が聞こえる範囲にいる天使達は、半ば呆然としている。
中には苦笑する者もいたり、目を白黒させる者もいた。





「あっ!あの庭園でええんとちゃうん?
 ここやと目印になるものなんて全然あらへんし、それと比べて庭園は噴水とか色々あったやん。」

「戦いの後に原型を留めているかどうかは分からないけど・・・。
 でも、そこがいいんじゃない?私も庭園ぐらいなら、破壊されたとしてもある程度の位置は覚えているもの。」





庭園は城内のほぼ中央にある場所だ。
そこから東西南北の塔に一直線で行く事が出来る、言わば一種のシルクロードみたいな感じだ。
天使内でも、待ち合わせをする場合庭園になる場合が多い。
あの場所は、城内でも優れた神気の集まる場所なので、魔族もそうそう破壊する事が出来ないだろう、
そう高を括っているのだが、実際どうなるかは分からない。





「皆が一番知っている場所はその辺りだね。」

「じゃあ指きりするよー。」

「・・・どうやってだ?」





不思議そうに、少しだけ首を傾げたシリウスにフェイルが止まった。
そう言えば6人でどうやって指きりするかなんて全く考えていなかった。
全員で小指を出して絡ませても・・・・。いや、到底無理だろう。





「じゃあ、代表でフェイルが僕達5人と指きりしてよ。
 全員が全員とするのは流石に時間がかかりすぎるし。」

「うん、じゃあアレストからね。」

「ラジャー!!」



 

指きりをする時のあの定番の歌がフェイルの口から零れだす。
こんな歌を一体誰が作ったのかは不明だが、誰もが知っているこの歌が、どれだけ役に立っているか。
子供っぽくて、薄っぺらい約束で、信憑性がない。
けれど言葉少なくとも通じ合うのはまさに以心伝心とも言える。

アレスト、シリウス、アスティア、リュオイル。
一人一人順々に小指を絡ませていく。
全く変わらない歌のフレーズが静かに響く。
だが決して誰も嫌そうな顔はしない。
寧ろ楽しんでいるようで、次に仲間と会う時の喜びを想像しているようで。
それが全員叶うかどうかもまだ分からないけれど、
これでまた1つ、地上に帰るという目的以外にも、もう1つ約束が出来た。






「ゆーびきーりげーんまーん。」




「うーそつーいたーらはーりせんぼんのーます。」






常々思うのだが、ハリセンボンは本当に飲み込めるのか・・・?







「「ゆーびきった!!」」







最後に指きりをしたのはシギだ。
最初は普通に小指を絡ませて上げ下げしていたが、
何を思ったのかシギがブンブンと上下するのを早めたので自然とフェイルが揺れる。
それを遊びと取るかただ単に遊ばれていると取るかは彼女の勝手だが、多分遊ばれている。
腕が千切れる、と冷ややかな目でシリウスに離されるまで、2人は懲りずに手を振り合っていた。





「さて、そろそろ本番といこうか。」

「本番って言うのが微妙に気になるけど・・・。」





苦笑したよう様子でリュオイルが自分の武器に手を付けた。

毎日欠かさず手入れをして、毎日同じ様に振っている。
数え切れないほど紛争や戦争に加わった。
数え切れないほど殺してきた。
でも怖いと思うのは今も昔も同じで、こんな鋭利なもので斬り付ければ痛いのだと、頭では分かっている。
正当防衛なんだと、拒否する頭を信じ込ませて戦場に立っていた。
斬らなければこちらが斬られる。殺される前に殺せ。

そう言い聞かせて、時には頭の中がパンクしそうになった事だって少なくはない。
でも戦う姿の後ろには、誰もが背負っている守るものがある。
少しでも気を許せば、それは脆くも崩れ去るだろう。
そして絶対に修復なんて出来ない。取り返しの付かない事だってある。






―――――僕等がこれで負ければ、取り返しはつかない。





たった一つのミスさえも許されない。
一つ二つ、それ以上の犠牲さえも無視して走れ。
やらねばならないことがある。例えそれが仲間を犠牲にするものだとしても、何に変えても、やり通さなければ。





でも本当は


誰の犠牲もなく


終わればいいと願う














「―――――――動いたわ!!」











アスティアが声を発したと同時に視察天使が城内に連絡する為に走る。
見事に同時だった。

彼女の声に反応して5人が空を見上げる。
すると、アスティアが言っていた通り魔族は四方にばらまいて飛び交っていた。
心なしかこちらに近づいているようにも見える。
まだ断定は出来ないが、とうとう彼等が動き出したのだろう。
まだ彼等のトップはこないが、いずれにしても必ず天界に来る。
ソピアやラクト達だけじゃない。
結果がどうであれ、本当にこれで戦争を終わらせる気ならば必ずルシフェルは、再度天界に姿を表す。





「はよゼウス神合図出せやーっ!!
 そうせんかったら、うちらとて下手に攻撃出来へんやないか。」

「大丈夫。ゼウス神が、いや、多分ミカエルがもう時機出てくる。
 あいつが完全装備で出てきたら、間違いなくその直後に合図が出るさ。」





完全装備と言ってもたかが知れているだろう。
対魔の指輪とか、魔法反射の腕輪とか、どちらかと言えば装飾品が多いかもしれない。
念のために、と、外に出てくる前に癒しの天使から指輪を2つばかし貰った。
2つも付けてるとちょっと邪魔なので、残りの一つはポケットに入っている。
それをおもむろに出したシギは、興奮しているアレストに差し出した。
無駄な装飾が施されていないそれは、実にシンプルである。





「ん?何やシギ。」

「お前前線で戦うから、もう少し厳重に装備しとけよ。これ破魔の指輪だけど、まぁないよりはましだろ?」





そう言ってシギはアレストの右手を難なく持ち上げると、一番はめやすい人差し指に指輪を入れた。
本当はかなりぶかぶかなのだが、天界の装備品は実に奇妙且つ便利で、
相手の指の太さに応じて指輪自体が大きさを変化させるのだ。
それは一瞬なので、一体どうやって変わったのかはよく分からないが、ホゥ、と思わず溜息が出そうだ。



「・・・・・。」

「ん?どうしたアレスト。」




指輪をはめられて数秒は、シギが何をしているか理解出来なかったアレストだったが、
ほんのり頬を赤く染めて思わず顔を伏せた。







「・・・・何か、結婚指輪みたいや。」






すぐ傍にアスティアがいれば「何馬鹿で間抜けで場違いな事言ってるのよ。」と非難されるだろう。
だが彼女を含む他の4人は自分達と少し離れた所で何か話し合っている。
恐らくこれからの戦況だろう。
だから彼等にはこちらの会話は全く聞こえていない。寧ろ聞いていない。





「結婚、指輪?」





アレストの言葉に一瞬動きを止めたシギだったが、急に考えるような素振りをしだした。
やっとこさ、頬の赤みが引いてきたアレストは、不思議そうにシギの行動を見つめている。


















「んじゃあ戦争が終わったら結婚する?」












「・・・・・は?」













何の前触れも無く、何の悪気もなく、いつもの様子でシギはそう言った。言ってのけた。
そんな爆弾発言をされて驚くのは当たり前なのだが、我ながら自分でも間抜けな声を出したと思う。
だが考えて見ろ。「結婚する?」は「どっか遊びに行く?」とは違う。
そんなこと言われなくても誰も知っているだろうが、シギはさも当然のように、
・・・いや、実際彼が何を思ってそんな事を言ったかは知らないが、とにかく変だ。
一度癒しの天使に診てもらった方が良いと思う。





「酷い言いようだな・・・。」





口にするつもりはなかったのだが、どうやらこのお喋りな口はそう簡単には黙っていなかったようだ。


・・・おのれ、うちのお喋り大口。


酷い、と言っておきながらもシギの表情は大して変わらない。
苦笑するだけで特に変化は見られないが、一体全体、何故あんな事を口にしたのか。





「いやいや、元を正せばあんたがおかしなこと言うからやろ?
 いきなり「結婚する?」なんて言われてみ。誰でも呆けるわ。」

「確かにそりゃそうだ、ごもっとも。」

「せやろ?」





悪い悪い、と頭を抱えてシギは笑った。
いつもと変わらない表情にホッとしたアレストは、皆の所に戻ろうとする。








「でもさ。」







2歩ほど歩いた所で、今度は笑った声じゃなくて彼の素の声が耳を過ぎる。
思わず振り向いたアレストは、我が目を一瞬疑った。
だって、そこにいるのはシギだけど、シギじゃないみたいなのだから。
姿形、声も何も変わらないというのに、何か違う感じがした。
それが怖いとか、そんな感情がなかったけれど、新鮮とも言えない何かが心を覆う。











「全部嘘じゃねえよ。」











「・・・・シギ?」










いつものようなふざけた笑顔じゃなくて
いつものように大きく口を開けて笑っているんじゃなくて

今までに見た事のない微笑が、シギの顔にあった。
一瞬それが誰だか分からなくて、
でもそれがシギなんだと、すぐに分かったけれど、
突っかえるこの想いは何や。と、何度も何度も頭の中で復唱する。





「あ・・・。」




口から出るのはいつものように威勢の良いものじゃない。
不安と疑問と、そしてどうしようもない恐れ。
伝えなければならない事があるのに、頭では何を言うか大方整理はついているのに。

・・・それなのに、口は思うように動かない。

金魚のように、開いては閉じて開いては閉じての繰り返し。
それを見ていたシギは、一瞬顔色を曇らせるが、また皆の知らないシギの顔を出す。
それは軍人だ。
それは異界の者だ。
それは、何かに束縛されている者の瞳だ。





「なんて顔してんだよ。アレストらしくもない。」




いつも安心してきとった。
その笑顔は、誰もをホッとさせとる。
シギが倒れて目が覚めたときも、涙ぐむうちをあんたは「大丈夫だ」と言って笑っとった。
今のシギはいつもと変わらんのやけど、さっきの微笑みは、ちゃうやろ?




「シ・・・。」

「どうしたんだ?」




タイミング悪くリュオイルがこちらに気付いた。
開いた口が、また閉じる。



「いや、何でもねぇぞ。そろそろ俺達も、戦闘の構えをしておかないとな。」



通り過ぎる時に、いつも当たり前の様にポン、と頭に手を乗せる。
今だって、そうだ。
心配するな、と言いたいのか。
深く考えるな、と言いたいのか。
聞き流せ、と言いたいのか。





うちには、あんたの考えてること、全然分からへん。








「アレスト。」






リュオイル達の所に戻ろうとしたシギは、まだ呆然としているアレストの傍で、
本当に小さく低い声で呟く。







「死ぬなよ。」


「・・・死なへん。うちが、そう簡単に死ぬと思うか?」


「うーん・・・。確かに死ななさそうだ。」






失礼なっ!!
そう言って吼えると、シギはまた笑った。






「やっぱ、それがアレストらしいよな。」





何が、と言いたかった。
どうして、と、まだ言いたいことだってたくさんあるのに。

カツカツ、と早足だが確かに足音が聞こえた。
急いで振り返ると、そこにはミカエルを先頭に、多くの天使達が武装して並んでいた。
剣を、杖を、槍を、棒を。
様々な武器とともに現れたのは見たこともない兵器。
大砲だろうか。だが人間界のとは全く比べものにならない。
恐らく魔力を集めて放つ魔法砲だろうが、魔力の消費は馬鹿でかいものだ。







「ゼウス神から命令が下されました。」







その言葉にシギやアレスト、そして他の仲間や天使達も背筋を伸ばす。
腰に掲げている剣を鞘から抜き出す。
シャッ、と切れの良い音がすると、そこにはいつもより銀の輝きを増した剣があった。
それを空高く掲げ、ミカエルは一度目を伏せて大きく息を吸う。












「――――――――これより魔族との交戦を始める。」










 


誰も、死なないで