喜びも憎しみも悲しみも 何もかも、全て共に分かち合えれば良かった・・・・ ■天歳の狭間の英雄■ 【後退】〜舞い下りし死の女神〜 ――――――――ッギイィィィィィイン!!!! 「く、っ!!!」 見事な金髪を後ろで軽く束ね、先ほどから後方支援をしていた最高位の天使ミカエルだったが、 途中から魔族の勢力が強まり、不覚にも追い込まれていた。 すぐさま魔法攻撃を少なくし、力天使を召喚して何とかこの場所を保っていた。 だがどちらかと言えば城に一番近いこの城門を突破されるとかなり厳しい。 いや、厳しいなんて簡単な言葉では片付けられないだろう。 まだ城門前だって突破されていない。 それなのに、こんなタイミングで魔族がここを攻め込むなんて、予想外だった。 前方の支援軍もこちらの危機を察知したのか、遠くの方で何とか食い止めようと必死だ。 だが予想以上に強い魔族をこちら側に送り込んでいたらしく、そこらにいる魔族よりもずっと彼等は強い。 1人倒すのでさえあの力天使がてこずっている。 それだけ強い相手なのだから、普通の天使達は歯が立たなくて、次々と倒れていった。 「ミカエル様ぁぁああああっ!!!」 固まっていた魔族を約3名、薙ぎ倒すかの如く、罵声を上げながら現れたのは自分の部下だ。 真っ直ぐで無垢で、そして少し青みがかった黒の髪に覚えが無いはずがない。 イスカだ。 正義感が強くて、アラリエルと一緒にいればお互いにないものを補え合える、最高のパートナー。 今は彼1人だが、それでもイスカの戦闘能力はミカエル自身も高く評価している。 「イスカ・・・?」 本来、彼はここより2つ前の兵群にいたはずだ。 アラリエルと一緒にいる時が一番力を発揮できるから、彼と一緒の部隊にしたはずなのだが・・・。 「ご無事ですか!?ミカエル様!!」 「え、はい。私は大丈夫ですよ。」 彼のいきなりの登場に驚いたのはミカエルだけではない。寧ろこの場にいた同胞は皆唖然としただろう。 それでも決して隙を見せないのが流石と言うべきか、ちらりと目線を泳がせてまた魔族と対峙する。 だが自分達でさえてこずっていたあの魔族を、しかも3体ほどを一瞬で倒すとは・・・。 我ながら、いい意味で凄い部下を持ったと思う。 「イスカが来てくれて本当に助かります。ですが、アラリエルはどうしたのですか?」 「・・・・・すみません、忘れてきました。」 ミカエルの問いに、今思い出したかのような表情をすると、バツが悪そうな顔で静かに俯いた。 だが相変わらず手の動きは止まらない。 自分の上司であり、心から尊敬しているミカエルをまだ成長しきれていない体で懸命に盾になろうとしている。 下の者が上を守る。 そんな当たり前な、誰でも知っている定理が、嫌だと感じる。 これをずっと続ければ、イスカは躊躇いなくミカエルを命懸けで守るだろう。 身を呈して、命と魂が枯れ果てても。 「・・・イスカ、周りの状況はどうなっていますか。」 ふと話題を変えたミカエルだったが、その表情は硬い。 鉛のように重たい雰囲気に一瞬押されながらも、イスカは四方に気を張ってミカエルと話し始める。 イスカが派手に登場してくれたおかげで魔族の体勢が混乱しだしていた。 まさか後ろの方からこんなに早くも援軍が来るとは思っていなかったのだろう。 まぁ、援軍と行っても1人だけのまだ若い天使なのだが。 だがそれでもあの強力な魔族を一気に3人も倒した事に、魔族達は動揺を隠せないでいる。 「俺達の軍隊は今の所問題ありません。 負傷者を合わせても十数名。それに対して魔族側はほぼ壊滅しています。 それと同じくここより1つ前の軍隊もこちら側が有利です。 俺がミカエル様の部隊まで来れたのもそのおかげです。・・・ですが・・・。」 「ですが・・?」 途中までは生き生きと語っていたイスカだったが、語尾は段々暗い表情になってきた。 その意図を察しながらも、恐らく自分の考えが当たっているだろう。と考えていたミカエルは、 それでも尚彼に尋ねる。 それが今最も重要な情報であり、神族がこれから勝てるかどうかの勝算も考えなければならない。 「ですが、半壊した西の塔付近の状態が危険だと、視察天使が報告しました。 俺達の兵が加勢していますが、いまいち詳しい状況は報告されていません。 迂闊に手を出せば無駄な死者が出ると思い、アラリエルと相談した結果、 先ほど申し上げた通り数名の兵を送り込みました。」 「・・・なるほど。向こうの状況が分からない今、下手に兵を出すわけにはいきませんね。 イスカとアラリエルの判断は正しいですよ。私も、きっとそうしていたでしょう。」 会話の中、いつの間にか唱え始めていた魔法が完成する。 その大きさ、威力と言えば他の天使には絶対に出す事の出来ない強大な魔力。 魔法を使う時、神ぐらいにしか現れない現象もミカエルには出る。 ごく普通の術者ならば、白い光りに覆われるのだが、神やミカエルは青白いか、 叉は夜空を照らす金色の光りで覆われる。 ちなみにミカエルは、金色だ。 《 空高く吼えし獅子の魂よ 紅蓮の炎に抱かれし紅き精霊により 古の魔神を呼び起せ 》 「一旦下がりなさいっ!!!」 普段の彼とはかけ離れた、怒号に近い声が木霊する。 そんなミカエルに驚くわけでもなく、頭の回転の早い天使達は、同じタイミングで跳躍する。 彼等のいた場所に魔族側の矢が突き刺さり、振り下ろされた剣は宙を斬る。 一瞬唖然とした魔族だったが、前方から溢れる神気に彼等は露骨に顔をしかめた。 あんな強い神気に触れれば、力のない魔族は光りに触れただけで消え飛んでしまう。 ここにいるのは中級程度、いや、もしかすれば上級悪魔もいるかもしれないが、 それでも彼等にとって神気とは実に恐ろしいものだ。 自分達の力を吸い取って、あまつさえは浄化されるかのごとく消し炭にされてしまう。 剣で傷つけられて傷を癒す事は出来る。 だが、神気に当てられた身は決して元に戻ることはないのだ。永遠に。 「いでよ、炎の皇帝。」 ―――――――――――フレイムエンペラー 陣の中からボッ、と赤々しい炎が渦を巻いて現れる。 その中枢に見える鋭い眼光は決して揺るぎを知らない。 炎を自在に操り、真実と正義を追いかける1つの精霊が、ミカエルの魔法から生み出された。 炎は瞬きをするほどの早さで魔族を取り囲む。 そこから逃げようとする者は数名いた。 だが厚く、そして灼熱の炎の壁に妨げれた彼等は、顔色を真っ白にさせて何とか脱出しようと懸命に抵抗する。 1人の魔族が炎に触れた。 すると、目に見えぬ速さで炎は身体を燃やし焦がしはじめる。 悲鳴にならない声を上げた1人の魔族は、熱さと皮膚から肉に浸透する炎の痛さに野垂れ苦しんでいた。 「グッ、ぁぁあアアアあああッ!!!!」 だが誰も手を伸ばそうとしない。 今もまだ、骨まで焼き尽くそうとする炎は、勢力を衰えるどころか着実に増していっていた。 頬が薄かったのか、痩せこけたそこから見える白く細いものは、恐らく骨だ。 掌が、足が、皮膚の薄い場所からどんどん肉を削り取っていく。 まるでむさぼる様に。炎が彼を侵食していく。 「くそっ、・・・おのれ、おのれ神族!!!!」 「卑怯な・・。」 ゴゥゴゥと炎が揺らめく中、その指令者とも言える魔族が実に悔しそうに声を荒げる。 だがその全てを聞くには周りが煩すぎて、所々しか聞く事は出来なかった。 変わりに聞こえたのは、最後の言葉。 決して消える事のない、魔族の誰もが死期に言うだろう。 『我等魔族に、ルシフェル様に栄光あれ』と。 「・・・ここは終わりました。 まだ戦場には多くの敵が残っています。行きましょう。」 最後の魔族が絶命したのを確認すると、ミカエルは一度だけ目を伏せて、 だが次に目を開けた時は何事も無かったかのように、彼の部下達に目を配らせた。 頭の良い彼等は、一度頷くだけで、再度地に足を付けると、歩き出したミカエルの後を追う。 勿論それはイスカも同じだ。 ミカエルの危険を察知した時、後ろからアラリエルの慌てた声が聞こえたような気がするし、 イスカを追いかけようとした彼を振りきって飛び出したのは今でも鮮明に覚えている。 多分彼のことだから、こちら側が有利だとしても隊を置いて来る事はないだろう。 それよりも、イスカは戻ってくる、と言うことを信じて他の荒地に向かっているかもしれない。 「・・・私は西の塔へ向かいます。イスカも私に付いてきてください。」 「はいっ。」 「それから、力天使を15。能天使を10、癒しの天使が5名。貴方達も私と共に西に向かいましょう。 残った者は・・・そうですね、貴方にここの指揮権を一時託します。」 使命されたのはミカエル直属の部下で、会議にも殆ど参加するほどの地位のものだ。 地位だけでなく、彼は信頼に値する。 人を見抜く力があるミカエルには、出会った当初から彼が実に素晴らしい天使か見極めていた。 力天使ではなく能天使ではあるものの、彼の実力は天使の中でも10に入るほどだ。 他の天使達も、全く反対は無いようで一度頷くと、素早くミカエルの指示した人数を搾り出す。 このテキパキとした行動が、いかに入念に指導してあるかが判断される。 「分かりました。俺が、この場を預からせていただきます。」 少々緊張した面持ちで返事をした彼は、それでもキリットした動作で短く礼をした。 それを見届けたミカエルは休むことなく足を前に進める。 数名の視察天使が翼を羽ばたかせた。 敵に感知されないように、細心の注意を払って出来るだけ音を立てないように羽を動かす。 体格のいい彼等に負けないように、イスカも武器を持って勇ましく歩き出す。 決してミカエルから離れない。 彼が死ねばこちらの体勢はガラリと傾き、勝てる勝算なんてどこにもありはしないのだ。 彼は強い。 だが力だけではなく心も強い。 だからこそ人望も厚く、そして周りを見極める力を持っている。 戦場に出れば普段のような穏やかな表情は消え失せ、どちらかと言えば無表情に近い顔で指揮を取る。 笑うことはない。だがそれと同じ様に、同胞が死んでも泣くこともない。 ひたすら前を歩き、勝利へに仲間を導く。 それがミカエルに課せられた1つの仕事。 本当は数え切れないほどの大任があるのだが、そんなものをいちいち1つ1つ挙げていたらきりがないので、 今その話をする必要はないだろう。 「行きましょう、西の塔に。」 今最も危険で、最も死に近い場所に。 燃える 何もかもが赤く滲んだ色に染まって 誰かが声を荒げて 誰かがまた苦しそうに、生きているものとは思えないほどの声で絶叫する 「ちょっと、冗談じゃないわ!!!」 怒声をきかせながらアスティアは必死に走っていた。 頬や腕には痛々しい斬り傷があるが、それ以外には殆どと言っていいほど外傷がない。 西の塔にいる彼女にしては、実に幸いだ。 転がっている死体を足蹴りしながら、だがそれでもあまり踏まないように避けながら走り続ける。 彼女の後を追うのは、3体の魔族。 1人は鎌を、1人は剣を、1人は弓を。 唯一の救いは魔法系の相手がいないことだろうか。 時々弓矢が飛んでくるが、勘の良いアスティアにはそれを回避するのは朝飯前で、 右に左に、とジグザグに、且つ敵の視線を背で追いながら上手く避ける。 (もう少し、もう少しだわ。) アスティアが目指しているのは小高い場所。 瓦礫の残骸だろうが、死体の山だろうが何でもいい。 とにかく少し高い場所を目指している。 行き違うたびに天使達が彼女を見る。 助けたいが、だが他の天使達も身動きが取れないほどの敵を相手いにしているので不可能だった。 だがアスティアは彼等に助けてほしいわけじゃない。 いや、助けてもらえればかなり楽なのだが、既に彼女の頭の中に勝算は見えていた。 視力は勿論、五感が普通の人間より数倍鋭い彼女には、あとどれくらいで自分の目的地に着けるか計算できている。 ――――――ダンッ!!! 勢い良く地を蹴る。 それと同時に村長から頂いた大事な弓を勢い良く構える。 毒を塗った矢はもうない。 最初から彼等に毒が効くかどうかなんて全く分からなかったのだから、 今となっては、確実に急所を押さえれば問題のないことだと分かった。 毒付きは勿論底をついたが、普通の矢さえも残りが危うい。 後ろにいる魔族を倒すのには、少なくても4本はいる。3本では1人で対峙して、 尚且つまとめて倒すことは至難の業だ。 今は奇跡でも何でもいいから、とにかく自分が死なないために相手を倒さなければ。 例え周りに味方がいても、傍にいる者は誰もいない。 「まとめて貫け。」 強く、そしてしなやかに弦を引く。 赤い光りが矢の先端に集中して、今まで勇ましかった魔族達の表情を逆転させた。 ――――――――火焔翔 一瞬だけ光ったかと思うと、赤い光りは瞬時に炎と変わり、四方に散らばった。 それに追い討ちをかけるように休む事もなく、アスティアは次の矢を構える。 1人の魔族が1つの一撃をまともにくらった。 それを避けて残り2人の魔族がやや速度を落として武器を構える。 弓を構えた魔族が、勢い良くそれを放った。 無数に飛んでくる矢を1つ1つ避けるのは、流石のアスティアでもかなり厳しい。 構えた腕に一本の矢が掠め、もう1つが彼女の肩を貫く。 「――――――ぐ、ぅ。」 眉をひそめて痛みを押し切れず、アスティアはバランスを崩した。 だが、この一矢だけは譲れない。 「凛月花っ!!!」 残された矢は僅か7本。 そのうちの2本をアスティアは構える。 あと十数cmで地面に崩れ落ちるが、それを何とか耐えて、最後の力を振り絞って矢から指を離した。 月を描くように、真っ直ぐではなく弧を描いて矢は細いながらも勢い良く飛んだ。 一本は弓を持つ魔族の額に。 もう一本は、鎌を持つ魔族はそれを跳ね除けた。 一瞬止まったかと思った直後にアスティアがドサッと音を立てて倒れた。 刺さった肩とは逆の方向に倒れたので、それ以上深手を負う事はなかったが、 打ち所が悪かったのか動きにくいと感じる。 (・・・しまった!!) 構えようにも、背負っていた矢はコロコロと転がってばらまかれている。 唯一残っている、族長が渡してくれた弓だけは何が何でも離さない。 これだけは渡すわけにもいかないし壊させるわけにもいかない。 ニタリと、鎌を持つ魔族が笑った。 顔色は土色のように悪く、生きている心地がしないほどだ。 だがその双方に縁取られた赤い瞳はギラギラと輝いている。 元は赤かったのだろう、その鎌は黒く変色していた。 まさに死神とも言える。 「冗談じゃ、ないわよ。」 何度もこの言葉を口に出していた。 そして、何度も難を逃れてきた。 (あの時出来て、今出来ないことなんてないわ。) どうやって殺そうか。どういたぶろうか。 そんな表情でこちらに歩み寄ってくる魔族に吐き気を覚えながらも、アスティアは冷静さを保とうとしていた。 保とうとするが、足音が近づくにつれて心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。 血の気が引いて、冷たい汗が背を伝っていく。 このままジッとしていれば、確実に餌食なる。 まだ死ぬわけにはいかない。いや、死にたくなんかない!! 嘲笑するような笑みを浮かべた魔族の鎌が、降り下ろされる。 ――――――――ガキィィンッ!! 「何!?」 驚きと焦りを含んだ声が聞こえたかと思うと、今度は少し鈍い音が聞こえた。 紙を切るようなあんな軽やかな風の音。 けれど最終的にそんな爽やかな音じゃないと分かったのは、それからすぐだった。 「な、に・・・・?」 次に出た声はアスティアのものだった。 一向に来ない痛みと、自分の上で何かが起こっているのを知ると、固く瞑っていた瞼を恐る恐る開けた。 いや、開けようとする前にアスティアは何かを感じていた。 妙に引っかかる何かを感じながらも、一体誰が自分を助けたというのだ。 まだ助かったとは言いがたいが、とりあえず絶体絶命は避けられたようだ。 「アスティアっ!!」 「イスカ・・?」 目を開けた瞬間に見えたのは純白の翼。 白を基調にした、天使達が着ている装束。 黒に青みを含んだ髪が印象的で、制服をきっちり着込んでいる事から彼の生真面目さが伺える。 「良かった。怪我は・・・肩だけだね。」 いつの間にか大勢の天使達がここを囲っている事にアスティアは気付いた。 更には癒しの天使がいつの間にか肩を治療しようとしている。 「少し我慢してください」と、天使の微笑みで(もとから天使だが)突き刺さった矢に手を触れる。 あぁ、抜くんだろうな。と思った瞬間に、ズボッという音と共に肩に熱を感じた。 熱、と一言で片付けれるほど軽いものではないが、とにかく本当に熱い。 一瞬の痛みに思わず眉間にしわが寄ったが、抜いたと同時に癒しの光りが溢れたので、 さっきまでの痛みもどこかに消えていったようで、知らず知らずのうちに彼女は小さく溜息を吐く。 「助かったわ、ありがとう。」 完全に治った肩に手を当ててアスティアは癒しの天使に短く礼を言った。 軽くさすった後に何の問題もない、と確認すると、彼女は転がり落ちた矢を拾い集める。 その横では心配そうな顔をしたイスカがずっとアスティアを見守っている。 「・・驚いたわ、あんた達がここにいるなんて。」 「それは、西の塔付近がかなり不利になっていると情報を聞いたんで。」 「そう。じゃあ誰なのか分からないけど、その情報を流してくれた奴に感謝しないと。 見ての通り、ここは悲惨な状態よ。あんた達が来る数分前はもう少し天使達が大勢いたんだけど。 ・・・おかしいわね。私が転がってる間にこんなに数が減ってるなんて。」 地に手をついて起き上がると、そこにはミカエルもいた。 ただもっと前にいるのではっきりと顔は見えないが、恐らく厳重な面持ちだろう。 辺りを見回せば、残り数少ない天使とどこから出て来ているのか分からないほど大勢の魔族が交戦している。 多分ミカエルとイスカ達は援軍なのだろう。 彼が率いてきた天使達は、この戦場を見るや否やすぐに同胞のもとへ駆け出した。 いまアスティアの傍にいるのは殆どが能天使や癒しの天使で、 接近に向きそうな味方はミカエルとイスカぐらいしか残されていない。 「・・・酷い、ですね。」 ポツリと零した言葉は、ミカエル自身無意識だったのか自分でも驚いている。 自然と、剣を握る力が増倍した。 表情を変えているつもりはないが、恐らく酷い形相であろう。 上に立つ者がこれくらいの事で取り乱したり、感情を露にしてはいけない。 けれど目に見えるこの光景は、言葉では言い表せれないほどの脱力感と憤りを感じさせる。 倒れている者の中には、何度も顔を見合わせて親しかった者だって多くいた。 そのほとんどが苦痛に満ちた顔で死んでいる。 既に息絶えている1人の天使の頬を、ソッと触れた。 まだ、暖かい。 きっとついさっきまで奮然として戦っていたのだろう。 何度も貫かれながらも、誰かの為に自分の為に彼等は命を懸けて戦った。 誰しも分かっていたはずだ。 この戦争で生きて帰れる事はまずないだろう、と。 だがそれでも彼等が戦場に赴いたのは、本当に彼等の意思だったのだろうかと頭の中で何度も交差する。 「ミカエル。」 負傷していたアスティアさんが隣に来たのは、正直気付かなかった。 それほど私の頭は混乱しているらしい。 「少なくともここにいた天使は、ゼウス神の圧力で動いたんじゃないわ。 あんたを信頼しているから。新たなる光りを求める為に、彼等自身が自ら命を懸けて戦ったのよ。」 だから、あんたが心配する事なんて何もない。 「アスティアさん・・・。」 「あんたが彼等に悔恨の念を向ければそれは彼等のプライドが傷つくわ。 誰だって分かってる。誰だって、ここで死ぬ可能性は十分にあるのだから。」 私だって、今さっきまでそうだった。 死にたくないと思いながらも、どこかで諦めを感じていたと言うことに嘘は吐けない。 怖かった。ただただ恐怖心が浮き上がって、ここで死んでしまうのか、と思わず自分自身を嘆いた。 けれどそんな私に、あんた達は手を差し伸べた。 もう一度、生きるチャンスが私に与えられたのだ。 生きていなければ何も出来ない。死んでしまっては、助けたくても助けられない。 「・・・・ほら、ボサッとしてないで援護するわよ。 ここを食い止められるかどうか、それが今の私達の壁なんだから。」 「は、はい。そうですね。」 まるでどちらが上なのか。 死にかけていたアスティアは、普段と変わらない乏しい表情でミカエルの肩を2・3度叩いた。 そのある意味脅威とも言える精神力に驚きながらも、数回瞬きをしたミカエルは 己の頬を叩いてもう一度この現実に目を向けた。 迷っている時間なんてない。 今をどうにかしなければ。過ぎた時間は、決して戻ってくる事はないのだから。 ――――――――ザン・・・・ッ!!!! 風を切る音が微かに聞こえた。 その小さな音に感づいたアスティアは、素早く弓をつがえると真剣な表情で目を凝らして前を見る。 「アスティアさん?」 いきなり殺気立った彼女に驚いたのは勿論味方側だ。 一瞬訝しげに眉を寄せたミカエルだったが、アスティアが集中している前方を概観した。 数名の天使と魔族が交戦している。 剣と剣がぶつかり合い、火花散らせている者達もいた。 風が荒々しく吹き乱れ、長い髪が踊るように揺らめく。 鬱陶しいと思う衝動に駆られながらも、ミカエルは決して他の事に手を付けなかった。 「違うわ。あの奥よ。もっと奥。」 叱咤するような声でミカエルの思考を回復させたのは他でもないアスティアだ。 決して怒鳴っていないし、彼女の声は実に静かだ。 だがその声に含まれているのは、焦りと恐怖としか言いようがない。 ―――――――ザアァァァァアアア・・・。 「・・・なん、だ?」 「おい、この風は・・。」 前に出ていた天使達が困惑した表情でお互い顔を合わせていた。 どこからか強大な力を感じる。 けれどそれが味方なのか敵なのか、全く分からない。 「・・・この感じ、これは・・・・。」 どこかで感じた事がある。 絶対にある。 古い記憶ではないはずだ。まだ、真新しい。 「があ、ぁぁぁあああっ!!!」 「ぐ、ぇぁ・・。」 「きゃぁぁああああっ!!!!」 ザン、とまた一度風を切る音が木霊する。 今度は決して小さくない。 皆がその音に気を取られている最中に、1人の天使の首を何かが刎ねた。 斬られた部分から噴水のように勢い良く血が噴出する。 傍にいた女の天使が悲鳴をあげる。 その短い時間の中でまた1人の天使の胴体を切り裂いた。 胴体が落ちる前にまた風が吹く。 風は悲鳴をあげた女の天使の手足を引き千切り、最初の天使と同じ様に首を刎ねる。 彼等が持っていた白い羽根が空を待った。 所々己の血に混じったそれは、まるでもぎ取られたかのようだ。 「―――――――っ!!!!」 矢をつがえていたアスティアは、この事態の中1人矢を射た。 ヒュン、と勢い良く飛んだ矢は、何者かに生み出された脅威の風を掻き分けて何かを掠める。 あまりにもおぞましい光景に愕然としていたミカエル達は、彼女の弓の音で正気に戻る。 得体の知れぬ力が、天使を襲っているのは確かだ。 そのせいでここ一帯が混乱している。 迫り来る恐怖と風が、次々と同胞を切り裂いているのだ。 しかも惨い。 1人として原型を留めている者はいない。 「邪魔を、しないで。」 地を歩く音と共に、凛とした女の声が響いた。 足音が近づくと、無論その顔は段々はっきりしてくる。 桃色の長い髪を無造作に下ろし、今にも崩れてきそうなバンダナを額に巻いている。 体中が血色に染まっているのは、多分今殺した天使達の返り血だろう。 凍てついた瞳は虚ろではあるが決して油断してはいけない相手だと本能が告げる。 そして同時に、あの時、ダンフィーズ大陸が半壊した時に聞いたシリウスの叫び声がフラッシュバックした。 「ソピア・・・。」 あの時の幼い顔立ちは、全く跡形も残っていない。