「ソピアーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」 ザンッ!!! 悲鳴に近い轟音は突如現れた。 下手をすればそれは味方と判断してしまうほど。 けれど、その声の主は決して味方ではない。 例え服装や翼が同じでも、それは絶対に仲間ではない。 遥か昔に大罪を犯した1人の天使。 その少年の名は、皮肉な事に追放された後に天界内で広がる事となった。 堕天使ラクト 罪名、同胞殺害 神の名において永久追放の刑に処す ■天と地の狭間の英雄■        【罪】〜戻らない敵〜 「何っ!?」 あの影はそう簡単に斬れるものではない。 ましてや魔族に斬れるものか。 例え出来たとしても、それはそれ相当の力を持つ者でしかない。 勿論、術者が天使なので同族の場合は別だが。 「ソピアっ、ソピア!!!」 転がる少女の体を抱き起こしたラクトは、切羽詰った表情だ。 罪人が現れた事で状況は混乱する。 大将であるソピアが自由になったことでホッとした魔族達は、形勢逆転。攻撃を再開した。 一方、突然のラクト登場で混乱しているミカエルは驚きながらも久々の再会に戸惑いを隠し切れなかった。 ルシフェルよりは後に追放された者だが、あの場合同族を殺してしまったことは仕方が無かった、と思っている。 だからこそ数回ではあるが彼と話をしたこともある。 両親を殺されて、力が暴走して・・・。 結果は確かに殺しだ。 けれどまだあんなに幼かった彼を、とゼウス神以外ほとんどがラクトに同情していたのは間違いない。 ヘラ神の慈悲がなければ、ラクトは処刑だったのだから。 「・・・さわ、るな。汚らわしい・・・。」 「ソピア・・。」 「私に、触れるな。」 心配するラクトとは裏腹にソピアの機嫌はすこぶる悪かった。 眉間にしわを寄せ、全身でラクトを拒絶している。 手を貸そうとしてもそれを振り払い、触れる事を極端に拒んでいた。 「お前の助けなんて必要ない。鬱陶しい存在だ・・・。自分の持ち場に、戻れ。」 「そんな事言ったって!!ソピアは怪我してるじゃないか。僕は、僕は・・・・。」 「愚か者がっ!!お前が持ち場を離れれば、戦力は、減るのよ!!  堕天使だろうがなんだろうが、さっさと戻りなさい!!!」 急に声を荒げたソピアに肩を震わせる。 けれどそれも一瞬で、揺るぎない強い瞳はソピアから決して離そうとしなかった。 寧ろ握っていた腕を更に強く握り締める。 怪訝そうな顔をしたソピアに見向きもせずラクトは真剣な面持ちでいた。 「それでも僕は、ソピアの傍にいたい。」 泣きそうになりながらも、露骨に嫌悪する瞳を向けられても。 ソピアなんだ。 僕の大好きな、僕に光りをくれた、たった1人の、大切な女の子。 あの子は戻ってくる。あの時のように、いつもと変わらない姿で笑ってくれる。 もう一度「おにいちゃん」って呼んでくれる。 数少ない喜びが、また返ってくるって信じてる。 「・・・ふざけるのも大概にしてよね。私はあんたの傍になんて一時もいたくなんかない。」 「うん、いいんだ。今はそれで。」   ソピアがいくら邪険にしてもラクトはずっと微笑んでいる。 それが彼女の癪に障った。 いつもなら、諦めたようにして去って行くのに。 それなのに今日はどうだ。今は味方側とはいえ、もとは天敵同士。 最も好かない相手にこのような醜態を見られた上、助け出されるなんて屈辱以外に他にない。 屈辱に顔を歪めるソピアは拳を強く握った。 爪が掌の肉を食い込んでそこから流れるように血が溢れだす。 「・・・だったら、殺してよ。あいつらを、神を、天使を、全部全部殺してよ!」 「え・・。」 「私のためだったら殺せるよね?  私を殺そうとしている連中だもの、私が大事だって思うなら、それくらい出来るでしょ?」 彼女が指差したのはミカエルだ。 ソピアとミカエルを交互に見たラクトは戸惑ったような顔つきになる。 敵とは言え、仮にも天使である彼に尊敬に値するミカエルを殺すことは忍びない。 けれどソピアが言ったように彼等がソピアを殺そうとしているのもまた事実。 それに、本当は憎いはずだ。神が。 追放されて、行く宛てもなくて、きっとあのまま助けられずいたら自分は既にこの世にいない。 肉体だけでなく魂さえも解放されないまま、成仏出来ることなく漂っていただろう。 「ラクト・・・。」 「ミカエル様、イスカ様。申し訳ございません。」 ソピアの傍を離れたラクトは、しっかりとした足取りで立ち上がる。 何の迷いもない強い眼差しが同胞と絡み合う。 けれど魔族達と同じ様な憎悪が感じられない。 あるのは殺気。でも、それにしてはどこか頼りない。 「俺と本気で戦ってください。俺を魔族だと思って、殺すつもりで。」 天界から追放される前まで、しょっちゅうではないが数回彼等と話した事がある。 と言っても仕事の事でぐらいしか話すきっかけも理由もなかったのだが。 ただ、はっきり言えるのは険悪な仲ではなかったということ。 部下と上司。それ以外何でもない、極一般的。 勿論ミカエルはいつ何時、誰にでも微笑んでいるが。 「・・・勿論、罪人には容赦しませんよ。」 「ミカエル様!?」 「構えなさいイスカ。彼に何を話しても無駄です。」 「ですがっ・・。」 「神よりも、同族よりも、ラクトはソピアを選んだ。  追放の刑だけならまだしも、敵である彼女を選択した彼に容赦する必要はありません。」 普段はあんなに穏やかな瞳を向けているのに、 まるであの姿が否定されたかのように彼の顔つきは硬い。 握られた剣が音を立ててかつての同胞に向けられる。 本気なんだと、そう悟るまで時間はいらない。 自分は彼の側近だから、だから彼の一つ一つの表情は大体把握している。 たまに分からなくなる時もあるけれど、だが今のミカエルの目は敵を見る目だ。 「・・・分かりました。」 穏やかで気品溢れる大天使ミカエルだが、以外にも頑固な面がある。 それは良く言えば意志が強いのだが、最終判断材料がなくなれば、新たな材料が見つかるまでは 今一番最善と思われる行動を速攻で行う。 それが指導者に必要とされる最も重要な資質なのだろう。 ここまで頭の回転が速い者は天界の中でそういない。 それだけではない。彼の腕は神さえも認めるほど。 ルシフェルの片割れ。今は魔界に身を置く彼ではあるが、その力は強大なものだ。 互角と言っても過言ではないミカエル。その彼に、ラクトは勝負を挑んだ。 「死すら恐れない貴方の意志、それは褒めておきます。」 「・・・お褒めの言葉ありがとうございます、ミカエル様。」 一歩。また一歩ミカエルが近づく。 それについて行こうとはせず、イスカやアスティア達はその場で戦闘態勢で構えていた。 ミカエルの剣と、ラクトの大剣が重なる。 軽い金属音をした瞬間にラクトの表情が強張った。 怯えているんじゃない、これは、明らかに殺意を向けてる。 まだあどけなさが残っている彼にしては十分なほどの殺気だろう。 昔と比べて、大分変わったものだ。どちらかと言えば臆病だったはずなのに。 彼が、皮肉にも魔族に身を寄せてからだがここまで成長したことは、 敵味方関係なく素直に喜ぶべきなのかもしれない。 本当に、皮肉ではあるが。 ―――――――――キイィィィィンッ!!! 先に動いたのは意外にもミカエルだった。 風を切る速さでラクトの大剣を弾き返した後、待ちかねていたように後ろから援護が始まった。 ミカエルを上手く避けて矢が走り、大蛇に化した炎は襲ってくる魔族を次々焼き尽くす。 龍を思わせる氷の刃は敵の動きを封じ、体内から体温を奪っていく。 「はあぁぁあっ!!」 天使の攻撃を上手く避けながら、距離があるミカエルに着実に近づく。 魔界ではあれだけ敵視されていたラクトも、今では味方同然に庇い、守られていた。 彼を応戦し、ミカエルを倒すために力を合わせている。 「水乱雲!!」 出来るだけ他の雑魚がミカエルに近づかないようにアスティアは彼の傍に群がる敵を追い払う。 本当は一番強敵であるソピアに狙いを定めたいのだが、生憎彼女は射程外だ。 もう少し近づくか、あるいは向こうがこちらに近寄ってこない限り何度射ても無駄である。 けれど注意しなければ。 いつ、またソピアが攻撃をしてくるか分からない。 天使と一緒に戦うことは不服のようだが、それでも彼女の目的は彼等と変わらない。 「霧氷斬っ!!」 大剣を片手で持ち直したラクトは、余ったもう1つの手で小さく押韻を踏んだ。 素早い動作で練成した場所から無数の氷が生み出される。 1つ1つが細々としていて、角は痛そうなほど鋭利だ。 それを大剣に宿したラクトは準備万端になったのか、威勢よく駆け出した。 途中ミカエルを守ろうと立ちはだかる勇猛な者もいたが、 一体あの小さな体のどこから出てくるのか、と言いたくなるラクトの一撃で吹き飛ばされる。 驚きこそ見せなかったが、吹き飛ばされた天使はミカエルの部下であり、また強者の1人。 その彼がラクトに手を出すどころか、指一本触れぬまま倒されるとは・・。 「成長しましたね、ラクト。」 褒めるべきなのか、それとも悔しさで顔を歪めるべきか分からない。 自分の身長とかなり差がある天使を蹴り倒し、ラクトはただ1人ミカエルだけを狙って駆ける。 罵声に似たような声で勇敢に走る姿は既にあの頃の面影はない。 「・・・ですが。」 「ぁぁぁぁぁあああっ!!!」 直撃すれば腕一本軽く跳ね飛ばされていただろう。 大剣となれば細剣を持つ力の倍の力はいる。 それに、あの武器は神族のものではない。魔族で造られたものだ。 荒々しさが感じられるものの、その攻撃を跳ね返したミカエルはその細い腕でラクトを押し返す。 勝てるとは思っていなかったが、こうも簡単に弾き返されてしまってラクトは露骨に顔を歪めた。 けれど、それに臆することなく彼は剣を振るう。 何度押し返されても、何度弾かれても。 だが1つ1つの動作をわざわざミカエルは受けていた。 彼になら簡単に避けられるであろう、未熟なこの攻撃を、1つも避ける事無く跳ね返す。 ミカエルが何を考えているかは分からないが、それはチャンスかもしれない。 いくら神に近い力を持つ天賦の才であっても、剣の重みは自然と手首に響いてくる。 「くそっ!!!」 守るんだ、ソピアを。 何に変えても、それが例え再び同族を殺すとしても。 居場所を与えてくれたあの子を。 兄と慕ってくれた幼い少女を。 死んだっていい。ソピアのためならば、この命幾らでも差し出せる。 「ミカエル様!!!」 不意に白い羽根が横から跳び出てきた。 その声を自分は知っている。 親しくはなかったが、ほぼ誕生した日は近い同期とも言える相手だ。 「っちぃ!!」 「止めろラクトっ。こんな無意味な争いをして何が報われる!?」 「無駄じゃない。僕にとって、これは無駄なんかじゃない!!!」 冷静さなんて既になかった。 相手が誰であるのかだけを確認してラクトはイスカを薙ぎ払おうとする。 今彼が倒したいのはミカエルだ。他の天使なんてどうでもいい。 頭を潰さなければ、頭がいる限り天使達は何度も起き上がってくる。 「ラクトっ!!!」 どんなに話しても平行線だ。これでは埒があかない。 それでも懸命に話し合いを求めるイスカには申し訳ないが、今のラクトにそんな甘い考えは通じないだろう。 剣と剣でぶつかり合わなければこの決着はいつまでたってもつかない。寧ろ悪化してしまうだろう。 今ラクトに見えているのは、彼にとって本当に大切な「ソピア」という存在だけなのだから。 心の底から守りたいと思うものがあれば、それは計り知れない力を生み出す。 ラクト自身気付いてはいないだろうが、見違えるほど彼は成長している。 力だけではない。心も顔つきも、荒らしく感じられる技でさえも。 「どけぇぇぇえっ!!」 「っさせるかぁ!!」 大剣がより一層振り回された。 その影響で彼の剣に宿された霧氷が八方に散々と散り始めた。 刃よりも鋭く、短剣よりも短い。あれを避け切れる事は不可能に近い。 死ぬことはまずないだろうが、酷い場合切り傷だらけで出血多量になるかもしれない。 しかもラクトが狙っているのはミカエル。 こんな時に運が良いのか悪いのか、霧氷は方向を転換することなく真っ直ぐ彼の元に走る。 それをさせまいとイスカが飛び出る。 だがあまりにも咄嗟の事だったので、シールドを完成させる前にラクトの攻撃がイスカの体に直撃する。 鈍く走る痛みが過ぎると同時に、霧のように細かい血が患部から吹き出た。 「イスカっ!!!!」 彼が身を呈して自分を庇った、と気付くまで時間は掛からなかった。 だが彼の背に守られ、その血が頬に付いた途端にミカエルは我を忘れてラクトに斬りかかった。 その速さに驚いたラクトは、一瞬息を呑む。 先ほどまでの戦いは、もしかしなくても手加減が入っていたのか? ダン、と一歩足を引いてミカエルの攻撃を返すつもりでいたラクトだったが、 並大抵ではない力に圧倒されてよろめく。 心の中で舌打ちをして、そのまま倒れないように何とか踏ん張る。 その間自然と隙だらけになるが、決して彼を殺させないために他の魔族からの追い討ちの攻撃が入る。 それを片手だけで捻り潰す。前に出てこようとしたイスカを無言で制し、ミカエルは視線を外すことなく 一点だけを見つめた。その表情は明らかに硬い。 「頭の中では分かっているつもりなんですがね。でもどうしても手加減してしまう癖が出てしまう。」 「・・・そんな余裕があるなんて、さすが大天使様ですね。」 売り言葉に買い言葉。 ミカエルが喧嘩を売っているかどうかは定かではないが、それはラクトを挑発するのに十分な言葉であった。 けれど、どうしてなんだろうか。 沸々と込み上げる怒りよりも恐怖心の方が体全体に駆け巡るのは。 戦場に立っているのだから表情は硬い。 だが何かが違う。言葉では言い表せ切れない何かが、ミカエルを大きく変えていた。 自分の知らない彼が出てきたことが、あまりにも衝撃的だったのか。 穏やかな雰囲気などもうどこにもない。冷たい鋼のような表情でいる姿はまさに武人。 「・・・・・っ。」 「さぁ、今度は私達からいきますよ。」 凝視した途端にミカエルが目の前から消えた。 いや、動きの速さについていけなかったと言った方が正しい。 一秒ほど遅れて構えるが、予想以上に速いミカエルにラクトは眉をひそめる。 振り下ろされる剣を受け止めようとして大剣を構えた。 ミカエルの剣が振り下ろされる事はなく、変わりに来た痛みは横腹の方からだ。 そこでようやく自分が蹴られた、と知る。 鈍い痛みは蹴られた後もジワジワと侵食する。 かなり遠くに放り出されたのもあるのだが、さっきから咳が止まらない。 頬や衣服は既に砂まみれでみっともない。 (くそっ・・。) 力の差は歴然だった。 とてもじゃないが勝てる気がしない。 でもやらなければならない。守らなければならない。 拒絶されてもいいから、嫌われても構わないから。 生きてくれれば、それでいいから・・・・。 「・・け・るか・・・・。」 泣きたくなる衝動を抑える。 叫びたくなる震えを止める。 「負ける、か・・・。」 こんな所で、まだ、こんな所で死ねない。 「負けて、たまるか・・・・っ!!」 ぐっと力を入れて立ち上がる。 硬い土を握り締めて、でも絶対に武器を捨てないで。 落ちたって何度も拾えるんだから。もっとしっかりしなくちゃ。 「そうよ、まだ死ぬには早いよラクト。」 膝を付いてやっと立ち上がったラクトの前に勇ましく出てきたのは、長い髪をなびかせたソピアだ。 今まで何の動きも示さなかった彼女が、まるでラクトを庇うかのように前に出てきた。 けれどそれは甘い考えなのか、彼女の口から出る言葉は相変わらず刺々しい。 「ソピア。」 「勘違いしないで。あんたは私の盾になるか、私に殺されるかでいい。」 「・・・うん。」 それで、いいんだ 《 赤き鮮血に宿りし鬼面の魂よ   願わくば身罷れし彼の者達へ最後の灯火を   空の皇帝の義憤に楯突くべく、鋼の意志を我の前に示せ 》 目覚めて。 本当にあの人の魂が私にあるというのなら。 焦がれても凍り付いてもいい。2度と目を覚まさなくてもいいから。 「来たれ、我が血筋に絶えし古の従属よ。」 たとえ何を失っても、それで構わないから。 《 迸るは迅速の一撃     大気に生まれし世の原則を今ここに表さん 》 ―――――――ガストレイ!!    無数の竜巻が散りじりになって四方を駆け巡る。 決して緩くない風が土埃を上げながら、それは人々の皮膚を、肉を切り裂く。 土色をした死体がごろごろと倒れる中、人々は必死に戦い抵抗していた。 戦いの中心地となってしまっていたのかは知らないが、他の場所と比べると 数倍以上の死骸が地面に張り付いている。 その僅かな隙間を、時には味方の亡骸を踏みつけながら必死に武器を振るう。 全ては生きる為に。勝つ為に。祖国を守る為に。 「頑張って!!絶対に、諦めないでーーーーーーーーっ!!!」 埋もれる人々の中から刹那に響き渡る1つの声。 精根共に力尽きた彼等は、その声にゆっくり振り返る。 山積みになった魔族の群れの隙間から蒼い閃光が迸った。 群がる魔族を蹴散らし、彼等の持つ翼には到底叶わないけれど、その華奢な体を上手く利用して 敵の攻撃を確実に避けている。 とは言ったものの、既にこの戦いから数時間経過しているわけで、彼女自身も随分ボロボロだ。 けれどそれでも先頭を突っ走って、どんなに傷ついても天使達に明るく声をかける。 決して諦めるな。最後まで戦い抜け、と。 崩れ落ちた兵の前にひざまずき、ゆっくり手を差し伸べる。 その時の笑顔が、言葉では表しきれないほど綺麗で優しくて、 「大丈夫だよ。」のたった一言に何故心から救われるのかが分からない。 でもその時の温もりも優しさも、全て嘘じゃない。 彼女が微笑んでくれるあの表情も、あの言葉も、決して偽善じゃないんだと・・。 「アブソリュート神に続けっ!!!」 「あの方を守れ!」 負傷した者たちがどんどん立ち上がる。 アブソリュートと呼ばれた少女は、一瞬だけ振り返ると柔らかく微笑んだ。 彼女のすぐ後ろから心配そうな表情をする少年が伺える。 リーチの長い槍は手入れされていたはずなのに、既に色がくすんでいる。 また、その槍と同じ様に彼の衣服も真っ赤だ。 湿った部分が風にさらされてどんどん凝縮していっている。 赤い色だったはずのそれが、今度は段々茶色に近い錆色になってきてしまった。 「フェイル、大丈夫か?」 形振り構っていられないこの状況だが、彼の全身は7割方赤に染まっている。 勿論彼、リュオイルの髪と元々の衣服の色のせいではあるのだが。 「平気平気。やっとここ一帯を終わらせれたんだから、今度は他の所に急がなくちゃ。  ・・・天使の指揮官は魔族に殺されて、神々はこの辺りにはいない。  だからこそ私が頑張らないと。指揮を執るのは本当はリュオ君が最適なんだろうけど、  でもここは私にやらせて。間違えそうになった時は迷わず全力で私を止めてね。」 サクサクと歩きながら、頬にある傷を拭ってフェイルは笑った。 元々ボンヤリとした性格のフェイルだから、こんなにしっかりとしているのは珍しいのかもしれない。 戦いの最中、確かに彼女は真剣だ。絶対に隙を見せない。 けれど今のフェイルは、今までのフェイルとは違う。 何か大きな自信を持ったような。 いや、本来この姿こそが彼女の真の姿なのかもしれない。 そう思うとどこか苦しく感じるけれど、その事に否定する事は出来なかった。 「分かった、任せて。」 苦しいと思う反面、嬉しいと思う。 信頼されているからこそ全力で止めてくれ、と頼んでいるのだろう。 そう思うと、戦争だと分かっていても自然に頬が緩む。 「よーし。・・・って言ってもどうすればいいかよく分かんないな。  とりあえず仲間を集めるか、神と合流するか。」 「神々が戦場に出ているか分からない以上、下手に動き回るよりは仲間と合流したほうがいい。  こっちの部隊は予想より人数が揃ってるから、特に癒しの天使は重宝だ。  死者を数える事は出来なかったけどそれなりに労費もしてるし節約すべきかもしれない。」 傍から聞けば随分冷たい言動だ。 けれどそれに誰も文句は言わない。リュオイルが言いたい事をちゃんと理解しているからだ。 この天使の中には彼と背中合わせで戦った者もいる。背を預けたものもいるだろう。 中にはリュオイルが地上で将軍をしている、と聞いて感心していた天使もいた。 出会った当初よりも、彼等天使達は人間を見る目を変えた。 もともと大して関心を抱いてはいなかったようだが、ここ最近は違う。 所詮庇われる側の非力な者達だと思い込んでいたのが裏目に出る。 時にはどの天使よりも早く戦場に立ち またあの日はイスカと共にアブソリュート神をタナトスから救うべく、たった3人で敵地に乗り込んだ。 それだけじゃない。 今もほら、手を取り合って共に歩いている。 だからこそだろうか、「彼等と共にいるのも悪くない。」と思えるのは。 少し前まではお互いに異種感を味わっていたはずなのに、本当に時とは不思議なものだ。 同時に、短い時間でも互いの事を解りあえるのだと痛感した。 「シギ君達が無事だといいんだけど。」 歯車は廻り、狂った。 「そうだな。それにミカエルのことも。  出来ればイスカとかアラリエルとか、シギ達がいれば文句無しなんだけどなぁ。」 彼等が連れて来た1人の人間が更に糸を絡ませようとしている。 それを知る者はまだ誰もいないけれど。 「・・・大丈夫、あの人は力だけじゃなくて心も強い。  大好きで大切な国だから、彼だって他の皆だって頑張ってくれてる。」 そしてその1人の人間も、決して人間ではないけれど・・・。 「国や世界が違うけど、でもそれは私達だって一緒だよ。  生まれた土地じゃなくても、隣にいるのが肉親や友達じゃなくても、私達が思い願うことは、違わないもんね。」 「・・・そうだね。」 ほら、そんな屈託のない笑顔で問われれば、少し戸惑ってしまう。 そうだと分かっている。確かにそう感じている。 でも戸惑う原因は、君がそんなに優しい笑顔でいるから。 天使の如く綺麗に笑うから、いつもいつも、僕は君から目が離せない。 不安に駆られて、また君が笑って、ホッとして、また不安になる。 そんな終わりのないどうしようもない渦が、ずっとずっと僕の中にある。 この戦争が終わって勝って 安定した秩序を取り戻すために、また天界は大忙しになる。 死者を弔う事も間々ならず、慌しい生活に戻っていくんだろう。 でもその時にフェイルは僕の傍でまたこんな風に笑ってくれる? この手を、ずっと繋いでくれる? それとも 君は 僕から離れてしまう? 「さ、もうひと頑張りだよ!」 欲しいのは「ただいま。」というたった1つの温かい言葉 いらないのは 「さよなら」という別れの言葉