とまらない とまらないよ つらい くるしい いたい あつい つめたい さむい ■天と地の狭間の英雄■        【唐紅に染まる】 「来ないんなら、あたしが遊んであげる。」 にっこり、と言えない笑みで冷笑したロマイラはジリジリとアレストを追い詰める。 決して速くない足取りだが、その歩き方が気味が悪いと感じる。 負傷した足を庇うようにゆったりと、時にもつれるようになりながらもしっかりとした足取りで 身を竦めるアレストの傍に寄る。 それだけならまだ良かった。 顔が、表情がさっきからピクリとも動いていない。 うっすら口を開け、ギラギラ光る瞳を逸らすことなくただ一点を、アレストを凝視してる。 気味が悪い。 「ひっ・・・!!」 折れそうなほど細い指が、土色の指が腕に触れそうになる。 いやいや、と頭を左右にふるけれど恐怖の主は歩みを止めなかった。 嫌だ。怖い。 気味が悪い。気持ち悪い。吐き気がする。寒い。 今まで襲った事のない恐怖感が全身を巡る。 さっきまであんなに意気揚々としていたのが嘘のように。 一秒たりともこの場所にいたくない。 今すぐにでもここから離れたい。あの気味の悪い瞳から逃げ出したい。 「大丈夫だよー、すぐには殺してあげないからさ〜。」 その言葉が終わる瞬間。そう、その時にロマイラの腕が素早く動いた。 腕を取られたアレストは驚きとあまりに強い力のせいで悲鳴にならない声で叫ぶ。 彼女らしくない異常さに驚きを隠せない仲間達は、唖然としながらも アレストが無事なのか確認する為に、まるで意味のないように名前を叫んだ。 「―――――アレストっ!!」 誰よりも先に叫んだのは空にいるシギだった。 頭を抱えて、懸命に振り払おうとしているがアレストの腕からロマイラの手は離れない。 最も近くにいたリュオイルがそれを引き剥がそうとするが、彼の腕力でさえもそれは叶わなかった。 大剣を手にかけ、無理にでも離れさせようとするが、 そうするとロマイラの凶器の爪がアレストを無惨に引き裂くだろう。 見せしめるかのように、さっきから尖ったそれをちらつかせている。 「貴様ぁっ!!」 「は〜い、それ以上近づいたらここ、掻きえぐるよ?」 リュオイルの怒りを待っていたかのように、ロマイラはその指をアレストの喉と心臓に向けた。 「くっ・・・!!」 「流石のリュオイルちゃんもこれじゃあ手出し出来ないもんね〜。」 「アレストっ!!」 一歩遅れて他の者も集まってきた。 顔面蒼白のシギは、叫ぶこともなく呆然と目の前に起きている現実を呑み込もうとしていた。 脂汗がじわりと額に浮ぶ。 集中しろ、焦るな。 何度も頭の中でそう言い聞かせるが、あの時と重なってしまって冷静でいられない。 あの悲劇をもう2度とさせないために、守ると決めた。 あいつの仇は必ずとるって、あの時に決めた。 この好機を逃せばきっともう2度とチャンスは来ない。 生きるか死ぬか、殺るか殺られるか。 だけど 今は・・・・ 「―――――アレストっ!!!」 その願いよりも優先させたい ついさっきまでは、復讐だけの念に駆られていたというのに 手を伸ばした先にあったものは 憎いあの悪魔の体ではなく、今襲われている仲間の1人 『 アレスト 』 「きゃあぁあぁあぁぁっ!!」 ありったけの聖気を全身に駆け巡らせる。 あの悪魔から逃れるためには、どんなに力を消耗しようともこれくらいの努力は必要だった。 アレストの腕を引いて、怪我がないか確認して、よろめくロマイラに背中を向けないように立ち位置を変えた。 大天使の聖気を甘くみてはいけない。 神やミカエルと比べれば何てことないが、それでも天敵である活力の源は魔族にとって毒以外にないのだ。 この聖気に耐えられるのは、ルシフェルとラクト、そして堕ちた人間達。 純粋な魔族であるロマイラやソピアはこの気が大嫌いだった。 今のソピアは魔族であるが魔族でない力を持っているため、本当の所はどうか知らない。 「大丈夫か!?」 シギの行動に心底驚かされているフェイル達だったが、そんな事を今考えている暇はないと判断したのか 全く気にした様子なく、アレストとシギの心配をしながら駆け寄ってきた。 後ろを見る事はなかったが、肩越しに見えるアレストを見ると、 放心しているもののどこにも怪我はない様子なのでホッと溜息を吐く。 呆然としていたアレストはそっと手を喉に当てる。 衣服で保護されていた部分と違い喉は完全に露出されている。 触れて見ると案の定、そこからは僅かにだが己の血が溢れていた。 先ほどまで爪を当てられていた感触がまだ鮮明に記憶されていて、気持ち悪い。 痛くはないのだが、怖かった。 「・・・・シ、ギ・・・・。」 あのままだったら死んでいたんだ。 そう思うと、無性に泣きたくなってきた。 だけど・・・泣けない。泣かない。 行き所のない不安をぶつけるためなのか、アレストはシギの服の袖を強く掴んだ。 それに反応したシギは視線を落として心配そうな顔をして笑った。 「大丈夫、俺が守る。」 普段なら、笑って誤魔化せる。 「絶対に殺させはしねぇよ。だから、安心しろよ。な?」 でもそうじゃないんだ。 死ぬんだって分かった瞬間、頭のてっぺんから足の先までがザッと冷えた。 あんなに恐怖したのは生まれて初めてだった。 「・・・・あたし、あんた嫌い。」 それはまるで唸る狼のような声だった。 抑揚のない、低く張りのない声が耳を過ぎる途端に空気がピン、と真っ直ぐになる。 「あんたが、あんたが、あんたが、あんたが・・・あんたが一番大嫌い。  何で生きているのよ。何で邪魔するのよ。何であたしの前にいるのよ。」 雰囲気がガラッと変わった。 完全に目が据わっている。 危険だと感じたシギは、未だ不安がるアレストを離しフェイルに預けた。 「ねえ、何であたしの計画通りに死んでくれなかったわけ?何であんたが今ものうのうと生きてるわけ?」 ふざけたような喋り方が一変して全く知らないロマイラが出てきた。 いや、この違和感は既に数回は経験しているはずだ。 彼女が何故シギを忌み嫌い、そして彼の前ではここまで口調と表情が崩れる理由は知らない。 だがそれは勿論こちらの側では決して良い状態ではないのは確か。 今のロマイラから放たれる邪気は良くも悪くもどの魔族よりも恐ろしく、且つ厳かである。 「俺が生きるのはお前を殺すためだ。それまで俺が死ぬことは許さない。  俺が死ぬ事が出来るのは、お前らがいなくなって平和になってからなんだよ。」 冷たい空気の中1人だけ勝ち誇ったような笑みを浮べて人差し指をずい、と指したシギは 指を数回ポキポキ鳴らして左足を前に出した。 万全の態勢とは言えないが、どんな事があってもこれ以上彼女達魔族をここから先に通すわけにはいかない。 「大人しく俺に倒されろ。」 彼の言葉にカッと目を剥いたロマイラは改めて強く鎌を握りしめると にたり、とした顔で彼等に微笑みかけた。 それを見た途端背筋は凍り、足は鉛がついてしまったのではないかと錯覚しそうになるくらい動かなかった。 一度あの爪に襲われたアレストは知らず知らずのうちにフェイルの服を恐ろしいほどの力で掴み まるで気を紛れさせるかのように数回深呼吸した。 その姿にフェイルが気付かないわけがなく、不安がるアレストの背をゆっくり撫でる。 時々その手を少し埃っぽくなっている髪に移動させながら、フェイルはアレストを無言のまま励まし続けた。 「ここにいる」と。「大丈夫だ」と。「生きてるよ」と。 「あたしに逆らおうってわけ?  ばっかみたい、あたしに逆らった奴は、残さず切り刻むんだよ。  ・・・そう、あんたの仲間だったウリエルって天使みたいにねっ!!」 凶器を振り回し始めたロマイラは人形めいた表情をそのままに、まずシギに襲いかかる。 だが先の言葉で何かの歯止めがきかなくなったのか、彼さえも恐ろしい形相をして 天使という肩書きはなくなり鬼のような殺意でロマイラと対峙する。 左手にうっすらと白い煙のようなものがたち昇っていた。 一度倒れた身なので、聖気がなくなればどうなるかは痛いほど分かっているはずだ。 それなのに、極限状態に陥る可能性が高いと言うのに彼は力を解放する。 捨て身の覚悟なのか、それとも他に勝算があるのか。 「その名を二度と口にするな、ウリエルの名が穢れる。」 既に魂さえあの女の中に取り込まれているのだから穢れるも何もあったもんではないだろう。 けれど、ロマイラが親友の名を口にする度に虫唾が走っていたのは事実。 「だったらあんたも同じ様にしてあげるよ!あんたもあいつみたいに、あたしが喰い殺してあげるっ!!」 「シギッ!!!」 誰かの叫び声と同時に漆黒と純白の翼が羽ばたいた。 と言っても片方の翼は半分以上を赤で染色されているが、それでもこの光景は実に不思議なものだった。 ヒラヒラと二色の羽根が舞い下り、風に飛ばされる。 赤黒い鎌が目に見えぬ速さでシギの首を捉えようとする。 だがそれを予測していたかのように、シギはその一歩前に空を羽ばたいた。 急ブレーキしたロマイラはおもむろに舌打ちしたかと思うと、 獲物を急きょ変更し、目の前にいる女2人に目を向ける。 フェイルと、アレストだ。 「フェイルっ!」「アレスト!!」 リュオイルとシギの声が重なった。 その悲痛な声が聞こえなくなる前に、瞬時にフェイルはアレストを突き飛ばす。 何が何だか分からなかったアレストは、受身を取ることも忘れてそのまま地面に落ちた。 倒れる前、最後に見たのは、アレストを見て薄く微笑しているフェイルの姿。 「―――――――フェイルっ!!!」 一度目を閉じて、開けた時に見たものは血飛沫。 「ソピアが完成したんだから、フェイルちゃんもういらない。」 ―――――ビュッ 「もうあんた、邪魔。」 ――――――ビッ!!! 「ぅ、ぁ、ぁぁぁあああっ!!!」 右胸に食い込まれたロマイラの爪は尚も侵食する。 フェイルの絶叫に似た悲鳴が天界全体に響き渡る。 時が、止まったかのように思えた。 「フェイルっ!!!」「アブソリュート様!!」 リュオイルとイスカが先に動く。 イスカは、すっかり我を失っているようで「フェイル」から「アブソリュート」に変わっていた。 フェイルと約束をしたのに、人間での名前で呼ぶと約束したのに。 2人が駆けつけてきたのを待っていたのか、ロマイラは素早く爪を抜いた。 細かい血飛沫が飛び跳ねると同時にフェイルの身体が傾く。 それをギリギリの所で受け止めたリュオイルは真っ青な顔をしてフェイルの傷口を塞いだ。 だが、その努力も虚しく彼女の血が止まる事はなかった。 絶望だ。 「―――貴様ぁぁあっ!!」 イスカが激昂した。 その姿は今まで見てきたものとは違う。 完全に我を忘れたイスカは何の戸惑いもなくロマイラに斬りかかる。 「フェイル・・・フェイル・・・?」 「ぁ・・・・。」 「フェイルっ、しっかりするんだフェイル!!」 傷口はまだ強く脈打っている。 ドクドクと流れ出す血が、気持ち悪いほど濃い赤だ。 「へ、いき。・・・・ごめ・・・」 「何が、平気って。フェイル・・・あぁ、もうっ!」 押さえても押さえても血が止まる気配はない。 既に地面は血の海だ。 「貸せリュオイルっ!!」 強い力で肩を引っ張られた。 それがシギと分かって、ホッとする。 血相を抱えたシギは有無を言わせない力でフェイルをリュオイルから奪うと早口に呪文を唱え始めた。 左手を傷口にかざし、全身全霊の力を患部に注ぐ。 ここまで損傷が酷いと全力を出さない限り完治はしないだろう。 だがシギが出来るのは血の流れを止め、皮膚を応急処置で繋げるだけ。 それ以上の事は彼にも、そしてイスカにも不可能だ。 死んではいけない。 お前はアブソリュートとして、そしてフェイルとしてこれから先生き続けなければならない。 誰もお前の死を望まない。 俺もリュオイルもイスカも皆。 「こんなところで、くたばるな。・・・そうだろう、アブソリュート神?」 最後の言い方にかなりの含みを感じる。 静かにそれを聞いていたリュオイルは困惑した様子で2人を交互に見つめていたが、 耳元で聞こえた砂の音に我に返る。 そうだ、まだ戦闘は終わっていない。 「くそっ!あいつ・・・っ!!」 イスカが1人で対峙しているがまだ押され気味だ。 一瞬でも隙を見せれば間違いなく鎌の錆となるだろう。 その途端、イスカがロマイラの力に弾き飛ばされる。 短い悲鳴を上げながらも、流石ミカエルの護衛をしているだけあって反射神経が飛び抜けている。 一瞬体勢を崩し、その隙を狙ってロマイラが攻撃してくるが、間一髪でそれを避ける。 そんな危ない連鎖が何度も続いた。 だがそのたびに負傷しているイスカの身体は、致命傷とまでいかないが随分酷くなりつつある。 「シギ、フェイルとアレストを・・・。」 「・・・・あぁ、任せろ。」 珍しくシギの口数は少なかった。 それは慣れない治療に集中しているからなのか、額にはじっとりと脂汗が浮き出ている。 未だ放心してるアレストに近づき、リュオイルは彼女の肩を叩いた。 こんな離れている場所で1人でいるのは危険だと。 「アレスト、しっかりするんだ。」 「・・・リュオ、イル・・・。うち、うちが・・・。」 「フェイルは絶対に大丈夫だよ。シギが、今治してくれている。」 「せやかて、うちがフェイルを・・・。」 「フェイルが傷ついたのはアレストのせいじゃないから。」   彼女を慰める為に、少し無理して微笑んだ。きっと引き攣っているだろう。 正直言うと僕自身はもう頭の中が真っ白だ。 だけど、それ以上にアレストが混乱している。取り乱している。 軽くアレストの肩を叩くと、リュオイルは微笑から打って変わって殺意のこもった瞳でロマイラを睨み付ける。 「・・・これ以上フェイルを傷つけさせはしない。これ以上先に、行かせるものかっ!!!」 自分の士気を上げるかのように、リュオイルは槍を構える。 走り出した足は、人間界で戦っていた頃と何ら変わりはない。 だが確実に「何か」が成長している。 運動能力は勿論のこと、それ以外の何かが彼の中で新たに生まれている。 「・・・・くっ・・・。」 額に浮ぶ汗が頬を伝い、地面に落ちる。 かなりの体力を消耗している。これでは、満足に動くことが出来ないだろう。 けれどそんな事を言っている暇はない。甘えるわけにはいかない。 光りを失うな。生きろ。生きるんだアブソリュート。 (・・・何故、そこまでする?) ふと頭の中に声が聞こえた。これはフェイルの声だ、だがフェイルであってフェイルではない。 「・・・アブソリュート神。」 心身ともに疲れ果てているせいか、声は掠れている。 自分自身が聞こえるか聞こえないか、のボリュームだ。 (何故、助ける。) 「何故って・・・馬鹿っすねあんたも。フェイルが俺達の仲間だから、大事な存在だからに決まってるだろ。」 (大切、か。縁のない言葉だな。) 時間が経つにつれ、アブソリュートの声が良く聞こえる。 これはヤバイ。 「・・・っ!くそ、フェイルが・・・。」 アブソリュート神の気配が強くなってくる。 これでは、フェイルが呑まれてしまう。 意識を保つことなく精神が入れ替わればどうなるか、考えただけでも恐ろしい。 追い討ちをかけるように今フェイルは瀕死に近い重傷を負っている。 シギの治療が先に終わるか、それともアブソリュート神が覚醒してしまうか。 「よし・・。」 傷自体は完全に塞がった。 あとは、どれだけフェイルに体力が残っているかだ。 なるべく彼女に負担にならないよう、シギはフェイルの肩を軽く叩く。 それでも目を覚まさないので今度は頬を少し強めに叩いた。 「・・・シギ、くん。」 「目、覚めたか?」 ピクリと動いた瞼がゆっくり開く。 やはり体調は万全ではないようで起き上がるのがやっとのようだ。 鉛のように重い体を支えて、フェイルは思うように動かない足を叱咤する。 「動け」と、短く厳しく。 「ごめんね、ありがとう。」 「いや、助かって良かった。」 「・・・シギ君、アレストをお願い。」 「おま・・・その体で戦闘に出る気か?」 「出る気だよ。」 きっぱりと即答され反論するべきかどうしようか迷うが、頑固な少女は言う事を聞いてはくれないだろう。 少し、いやかなり不安な要素があるのだが確かに今は戦力を欠けさせるわけにはいかない。 ここは神の力を頼るしかない。 「分かった。」 厳重な面持ちで頷いたシギは立ったまま動かないアレストの傍に寄る。 慰め励ましてやりたいのは山々だが、先に言った通り今は戦力が重視される。 「アレスト。」 「・・・シギ。」 「あいつはもう大丈夫だ。  ちーっと危ないが、俺達がカバーすればいい。いつもの戦闘のように、俺達が支援するんだ。な?」 出来る事をしよう。 そして今俺が出来る事は、彼女を立ち直らせるために一心に笑顔を浮べることだ。 「・・・了解や。」 少し引きつっていたが、ぎこちなく笑うアレストにシギも微笑み返した。 心身ともに限界が来ているのを承知の上で、動かない膝を持ち上げなければならない。 それは過酷、と言う以外他にないだろう。 けれどたった一言で救われるものもいる。 微笑むだけで、疲れを忘れる者もいる。 「さ、行くぜ。」 差し出された大きな手を強く握り返す。 その暖かな温度が、心地良い。 『 大地よ 母に護られし鼓動よ              怒りの影は我が想い                      震える想いを解き放て 』 ―――――――アースクウェイク!! 地面が割れ、ロマイラの所にだけ強い地震が発生する。 ちょうど下り立った瞬間を狙ったのか、思わずロマイラは磁石のように地面にへばりついた。 轟音は地上界にまで聞こえそうなほど低く、唸るように長く響いた。 イスカと、途中参戦してきたリュオイルはその壮大な魔法に一瞬目を剥く。 けれど警戒心はすぐに解け、変わりに安堵と歓喜の表情で満ち溢れる。 「「フェイル(さん)!!」」 見事に異口同音。 彼等の後ろから小走りで走ってきた少女は少々顔色が悪く、所々服は裂けているが、 あれだけまだ動き回る事が出来るのなら、多少の無理は大丈夫だろう。 けれど長期戦には持っていけない。あのままでは必ず倒れる。 「・・・っ、なーんだ。もう起きちゃったの?」 予想以上に長かった揺れに少し焦りながら、ロマイラは揺れの余韻の残る足を叱咤させて立ち上がる。 先ほど死にかけた人物を目にするが、臆することなくちゃんと前を見据えている。 少し前とは大違いだ。 これが、神なのか? 「ロマイラ、これ以上の殺生は許さない。」 「許さない?許さないって、だからあんたに何が出来るわけ?」 「・・・あなたを、殺します。」 「殺す」 そう自分で言った瞬間、少なからず震えた自分の肩に手を置いた。 魔物を倒すのとはまた違う。人を、殺す。 勿論、魔物ならば良いという問題ではない。 頭で分かっていても震えが止まらない自分を叱咤する。 「ふ〜ん、面白いじゃん。  フェイルちゃんがあたしを殺せるか、それとも先にあたしがフェイルちゃんを殺すか。」 「そんなこと、誰がさせるものかっ!!」 俺が守る、とでも言わんばかりにイスカはフェイルを庇うようにして前に出た。 それに少し遅れてリュオイルも前に出る。 「私だってそう簡単に倒されるわけにはいかないよっ!!  あなた達がこれ以上の犠牲を出そうとするのなら、私は躊躇いなく武器を握る。」 ギュッと杖を握り直す。 手の内は既に汗ばんでいるが緊張している事を敵に感付かれるわけにはいかない。 あんな大事を言ったが、心臓の鼓動は速くなるばかりでちっとも静まらない。 その速さと共に体中から何らかの力を感じる。 熱い、でも時々急に冷える。・・・その繰り返し。 嫌な汗が額から頬に、またそれが地面に落ちる。 ロマイラの表情を恐れていたのかもしれない。 下唇についている血を己の舌で舐め上げ、ニタリと笑う。 どれを恰好の獲物にしようか品定めしている瞳は、まずフェイルに向く。 その次にリュオイル、そしてイスカ。 ・・・その順に行くはずだった。 《 風伯の吐息 》 「な、にっ――――っ!!」 突如舞い起こった風に皆が自身を庇う。 けれどそれはフェイル達に向かうことなく、ただ1人ロマイラを目掛けて 微風から竜巻へ変化しながら加速してきた。 引きつった顔になりながらも、ロマイラはそれを避けようと翼を羽ばたかせる。 が、先ほど痛めたせいで上手く動かすことが出来ない。 背中に走る激痛に顔をしかめながら、ロマイラは避け切れないと判断したのか両手を前に出す。 「こ、のぉぉおおっ!!」 怒りとも言える感情を隠すことなく露にしたロマイラは恐ろしいほどの破壊力を持つ、 風の魔法を何とか跳ね返す。 咄嗟に出した魔法壁がなかったら、きっと木っ端微塵だったに違いない。 「・・・・・さーいあく。折角フェイルちゃんと一緒に遊べると思ったのにぃ。」 これもまた露骨に嫌そうな顔。 しかも今度はげっそりとしたように、本当に嫌気がさしているらしい。 偶然にあんな風が起こるだなんて勿論ありえない。 それに、呪文を唱えるあの声はこの場にいるメンバーは全員知っている。 「シギ様っ!!」 「さて、これで全員揃ったわけだ。フェアじゃねえ戦闘だが、悪く思うなよロマイラ。」 「アレスト!!」 現れたのはシギだけではない。アレストも、しっかりと歩いている。 「皆ごめんな、もう大丈夫やで。」 笑顔はなかったが、先ほどよりも随分顔色が良くなっている。 愛用のガントレットを数回撫で、キッとロマイラを睨み付ける。 「さぁ、年貢の納め時やっ!!」 その声が戦闘再開の合図となる。 ロマイラは表情を変えずに、まず計画通りフェイルに襲いかかろうとする。 長く鋭利な鎌は一瞬フェイルの首を捉えたかのように思えたが、いざ力を入れてみると、 全く手ごたえがなく、変わりに空気を切る音だけが虚しく耳を過ぎる。 軽く舌打ちをした後、標的を掻っ攫った人物を睨み付ける。 どうでもいいが少し驚いた事は、それがリュオイルでなくイスカだったということだ。 面白くない事にどんなに睨み付けても彼等はもう動揺しない。 涼しげな顔をして、逃げ惑い、飛び交うロマイラを追いかける。 「畳み掛けるで、リュオイルっ!!」 「分かったっ!!」 一瞬の隙を逃さず、見事なコンビネーションでロマイラを追い詰めるのはアレストとリュオイル。 それを鬱陶しげに薙ぎ払い、次に来る攻撃を大きな鎌で受け止める。 だが休む暇なく来る攻撃に段々イラついてきたのかその動作も徐々に雑になってくる。 それを狙っていたかのように追い討ちをかけるのがシギとフェイル。 『 清浄なる御神の意志          故 打ち砕き冒涜なる愚者どもに                      苦しむべく制裁を下そう         御神による万力は其の命の炎          悪しき者に浄化の光を捧げん                      滅せよ 濃く唸る雷鳴と地獄の共鳴 』 ―――――ファイニンググラッシャー!! 《 豹変なる聖火 》 2人の立つ場所に幾つもの魔法陣が練成される。 青々と光るものもあれば赤々と光るものまで多種多様だ。 魔法が発動すると同時にその光りは絶頂に光り輝き、すぐに消える。 横殴りの風が暴れ、立っているのがやっとのメンバーは一瞬臆したものの、それでも足を動かす。 「―――――っく!!」 体重の軽いロマイラは腕を顔全体にかざし、巻き起こる炎を素早くかわす。 けれど2重の火柱が逃げ惑うロマイラを、まるで意志があるかのように追いかけまわす。 「ぁ、ぐっ!!」 逃げ惑う彼女を知ってか知らずか、炎は全身を取り込む事はなかったが、 魔族の象徴ともされる漆黒の翼が燃え始める。いつそれに点火したのかは分からない。 漆黒だけがゴウゴウ、と勢いよく燃える変わりに純白の翼は、決して燃える事はなかった。 何度も擦れているはずなのに、天使の翼は燃えることも、焦げる事もない。 己の翼が燃え、幾分か恐怖を感じ取ったロマイラは咄嗟に炎を消そうと何度も羽根を叩く。 けれど痛みと熱が伝わるだけで、火は少しも衰える事はない。 寧ろ勢いを増すだけでロマイラの行為は無駄だとさえ言えるだろう。 「ぐ、・・あ、熱い・・っ!!ァ、アツイっ!!!」 少女特有の甲高い声に濁声が混じる。 苛立ち、恐怖、苦痛。 全てを入り混じったような、表現できない叫び声が木霊する。 その「イキモノ」と思えない声に全員が息を呑む。 だが誰も硬直する事はなかった。重苦しい空気を遮り、鉛のように重い足に叱咤する。 「よし、いいぞ!」 「ロマイラを押している・・・。」 驚嘆しているイスカを遮るかのようにリュオイルとアレストが我先にと飛び出す。 繰り広げられる技の数々に衰えた様子はなく、寧ろ威力が増してきたようにも見える。 それに習うかのようにイスカも駆け出した。 恐れがないわけではない。 だが今は、たとえ恐れていても戦わなければならない。 燃え盛る炎を見にまといながらロマイラは熱さと苦しみに喘いでいた。 既に漆黒の翼は原型を留めておらず、焦げ付いたそれはボタボタと地面に落ちる。 しかし、純白の翼は何ともない。 火傷を負った背中の痛さよりも、目の端にちらつく白い翼が腹ただしい。 カッとなったロマイラは、焼け焦がれた翼の残骸を神経もろとも引きちぎる。 ゴキ、と鈍い音がとても耳障りだった。 それを見て目を剥く者、驚愕する者、震えあがる者。 だけどそれより先に聞こえたのは、ロマイラとは考えられない絶叫と言う名の悲鳴。 「が、ァアァアアアァアッ!!!」 翼は飾りものではない。 隅々までに神経が通っており、勿論折れば激痛が走る。 人間が決して知る事のない痛みを今ロマイラが切に感じ取っている。 それも、己の種族の証を半ばもぎ取った形で。 酷い形相だった。 とても、「いきもの」とは考えられないほどの。 でも確かに「人」と言う形をとっていた。 だが彼女が「人」なのかと問われると、うまく返答は出来ない。 「怯むなっ!!今しかない、今がチャンスだっ!!!」 緊迫した中で1つの声が、シギの声のみが響く。 だがそれには焦りさえも感じられた。 ・・・何故? 『天空から鳴る大いなる怒り          汝、古の扉を今ここに開ける事を願わん                    悪しきものを浄化すべく神の雷<いかずち>を喰らえ』 ――――――ボルトクラッシュ!!! 虚空から稲妻が現れ、一瞬の雷光がロマイラを襲う。 それに舌打ちをしながらも彼女はフェイルの攻撃を避けた。 だが背中からの出血が思っていたよりも酷く、動くごとに脈を打つように血が流れる。 血を失うにつれ体温も下がっていく。 指が痺れ、しまいには眩暈がするほど。 「あ、たしは・・・・。」 足に力を入れ立ち上がる。よろめきながらも、確実に。 どんなに傷ついても、どんなに血を失っても、決して鎌を手離すことはなかった。 それを握る力が増し、血を伝いながら彼女の鮮血で鎌が彩る。 「し、なない・・・・。」 ゆったりと首を動かす。 その動作がやけに遅くて、そして気持ち悪い。 その小さな声を捉えながらもリュオイルは彼女の身にまとう炎を掻い潜り一気に間合いを詰めた。 彼の裏で、シギが1つも表情を変えることなく淡々と次の魔法の呪文を詠唱している。 「俺の炎ならまだしも、天敵の神の業火にあぶられたんじゃ動けねえよな、ロマイラ。」 驚くほど冷めた声にシギは自分自身に驚いた。 口元が緩んでいるのが分かる。 もうすぐ勝利が見えるからだ。 「お前に殺された連中も、ウリエルも・・・お前よりずっと苦しんで死んでいったんだよ。」 思い出される。 思い出してしまう。 「な、に・・・言ってる、わけ?は、は・・・馬鹿、みたい。」 「・・・何だと?」 次の言葉を待つ前に、リュオイルの槍がロマイラの脇腹の肉を貫いた。 瞠目し、吐血しながら彼女は声にならない悲鳴をあげた。 槍を引き抜く際に血飛沫が飛び散り、リュオイルの服にベットリとつく。 後ろにつんのめったロマイラの体は驚くほど軽く、そして華奢だ。 槍についた血を吹き飛ばし、リュオイルは一歩一歩ゆっくり下がる。 それに続いてアレストが、そしてイスカがロマイラを追い詰める。 アレストがロマイラの体を空に放り投げ、イスカが空中で技を繰り出す。 意地と根性はまだ残っていたのか、そう簡単にやられはしない。 血が抜け切ったせいか体力は衰え、素早さも落ちてるが攻撃を受け止める事は出来る。 「ぐっ!!」 上から重なる重みと重力で地面に落ちるスピードが加速する。 再び襲いかかる痛みにロマイラは露骨に顔歪めた。 その一瞬。 1秒あるかどうかの隙を見つけたイスカは、剣で鎌を振り払いその先端を心臓へ落とす。 「あぁぁああああっ!!!」 その声はイスカのものだった。 数センチ、あと少しで心臓を貫いていた剣はいつの間にか跳ね返され、 変わりに鎌がイスカの肩から脇腹にかけて抉るように裂かれる。 唯一安堵するべき点は臓器が壊されていないことだった。 「「イスカっ!!!」」 アレストとシギの声が重なる。 バランスを崩した小さな体が傾き、ロマイラより先に地面に落下してくる。 「くそっ!!」 落ちてくるであろう場所でリュオイルが槍を一旦しまい、両手を広げて構える。 タイミングよく彼の腕に落ちてきたイスカを抱え直し、リュオイルはフェイルに叫ぶ。 「フェイルっ!!」 治療を。 強く頷いたフェイルは杖を置き、イスカの患部を覗く。 酷く抉られたそこから臓器が露出していた。 だがギリギリの所で損傷はない。 大きく息を吸ったフェイルは神経を集中させ、アブソリュートの力を解放する。 ここまで酷く負傷したのでは、フェイル自体の力では太刀打ち出来ない。 「頑張って、イスカ君。」 冷や汗が流れるイスカの額をゆっくり撫でた。 治療は順調だ。暖かな光りが淡く輝き、ゆっくりと確実に傷を癒していく。 だが流れた血が戻る事はない。 失った分は、魔法では取り戻すことは不可能だ。 「ロマイラ、貴様・・・・っ!!」 怒りを露にしたシギは奥歯を噛み締めロマイラを睨み付けた。 ここから先は通さない、と言わんばかりにシギとアレストがイスカ達の前に立ちはだかる。 その反応を楽しむかのように、全身が傷だらけになりながらも彼女は口元を緩ませた。 「いい加減に観念せぇやロマイラっ!!」 「観念?・・・なに、観念って。  あたしは、あたしはどいつよりも強いの。あたしが、あんた、達に・・・負けるわけない。」 「ここで終わりなんだよ、お前も魔族も。」 いや、終わらせる。 躊躇する必要はない。迷うな。勝利は、目前だ。 ふと後ろの方から小さくだが安堵の声がワッと聞こえた。 どうやら治療は成功したらしい。 フェイルとリュオイル、そして微かにだがイスカの声も混じっている。 何とか一命を取り留めたことに、シギは心の中で喜びの溜息を吐く。 「終わらせる。」 やけに重い一言だった。 最後の一撃に込める力は半端ではない。 数々の仲間が、こいつに殺されてきた。 その無念を今やっと、晴らす事が出来る。 「・・・・・・あたしは、死なない。」 空気が変わる。 酷く冷たく、そして重々しく、全身を刺すような痛みさえ感じられる。 この空間で何かが変わった。 ロマイラの笑みが変わる。 その瞳には既に光りが失われ、虚ろで狂気的なものが宿っていた。 誰もが初めて見たそれに息を呑み、背筋を凍らせる。 何かが危険を警告していた。 心の中で近づくなと命令していた。 「グガ、ェア・・・・ガ・・・・ガァァァアアアアッ!!!!!!」 変化したロマイラの体。 その原状を留めることなく皮膚は溶け、真っ先に目玉が呑みこまれる。 黒くどろりとした固体が、数秒で彼女の全てを呑みこむ。 それは「人」ではない。「イキモノ」とは言えない、全く別のもの。 「ロマイラ」だったそれがふと目の前から姿を消す。 ただ1人の神を残して、僅かな悪魔の変化を見破る事が出来ず、地に根がはったように動かなくなる。 「―――――――シギ君っ!!!!!」 虚空に響く甲高い声。 今までにない焦り。そして恐怖。 そして、何かを裂く鈍い音。 神の声が空を切る。 鼓膜が破れてしまいそうなほどの、絶叫に近い叫びが消えるかどうかの瞬間、白い翼が数枚、空に舞う。 揺れ動くそれは、ひらひらとゆっくり落下し、地面に落ちるはずだった。 ―――――ピチャ・・ 「ぁ・・・ああ・・・・。」 震え上がる声が、今にも泣き叫びそうなほど顔を歪めたアレストは肩を震わせ、両手で口元を覆った。 イスカにリュオイルも、驚愕し瞠目している。 顔から表情が一切消えるリュオイル。 負傷し顔色が悪いイスカは、顔面を蒼白させる。 誰もが言葉を失う。誰もが、時間が止まったかのように思えた。 「ぁ・・・・が・・・・」 よろめき動くことは出来なかった。 瞠目し、吐血し、目の前にいる「ロマイラ」の固体を掴み、何とか立っている。 あるはずのないものが腹部を貫通し、滴り落ちる鮮血はとめどなく流れ衣服を伝い落ちる。 味わった事のない激痛が腹部を襲う。 視界がぼやけて呼吸が困難になってきた。 しだいに手先が痺れ、頭痛で頭がくらくらする。 「シギっ!!!」 リュオイルが叫んだ瞬間、勢いよく貫通されていたものが抜き出された。 そのせいで臓器がまた傷つき、出血は減るどころか増すばかり。 そのまま、崩れ落ちた。