「いやあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁああああっ!!!!!!」 ■天と地の狭間の英雄■ 【シギ】〜彼の者に捧げる幾千の言葉〜 「コレガ、オ前ノ"トモ"カ・・・?」 襲いかかる痛みと抜け切るようなだるさと寒さにシギは身をよじらせる。 微かに息をする中、無理をして首を動かしたのはその声が聞き慣れた懐かしいものだったからだ。 「ウリ・・・エ・・・・ル。」 無造作に掴まれた髪を持ち上げられ、シギは成す術もなくされるがままの状態だった。 抵抗しないことをいい事に、それは、ウリエルの形をしたそれはシギの左肩関節を貫く。 小さく悲鳴を上げ、その衝撃に耐えられなかった体は後ろに反る。 余計な反動が加わったせいで腹部からの出血は更に増える。 左腕は痙攣を起こし一向に治まる気配はない。 "ウリエル”は笑みを浮かべたまま更にもう一撃、今度は左足関節を狙おうと、 人間とは考えられない鋭利な腕で、いや、触手で貫こうとする。 ―――――ザンッ!! 「やめろっ!!」 触手を切り裂いたのはイスカだった。 負傷する肩から腹部を庇いながら、それでもこれ以上傷つけさせまいと立ちはだかる。 その隣に、静かにリュオイルが立つ。 俯むき加減の頭を持ち上げると、そこには今までに見た事のない怒りが宿っていた。 表情は掻き消え、まるで操り人形のように真一文字に唇を噛み締めて"ウリエル"を見据える。 「シギ・・・シギ・・・・。」 へたりこむ形でアレストがシギの肩に触れる。 掌に付いた生温かい血を拭きもせず、ただ呆然とシギを見下ろしていた。 「亡きウリエル様の姿を形どるなどと、愚劣な奴めっ!!!」 肩で息をしながらも、懸命にイスカは吼えた。リュオイルは動かない。 「今すぐにその姿を消せっ!これ以上ウリエル様を穢すなっ!!!」 "ウリエル"は笑った。それは本当に綺麗に。 だがそれは"ロマイラ"だ。姿形は変わったが、あれは正真正銘のロマイラだ。 その証拠に、純白の翼が一対しか残っていない。 何故、ロマイラが生き続けられたのか、やっと分かった。 天使や悪魔特有の長寿だけではない。 ロマイラは敵味方関係なく、相手の血肉を喰い、その身を変性してきた。 彼女自身の姿を捨てて、そして今は天使の皮を被っている。 どんなに姿を変えてもロマイラだという証拠は消えない。 血が、恐ろしく生臭い血の臭いが、"ウリエル"から嗅ぎ取れる。 「"トモ"ニ殺サレルノナラ、本望ダロウ?」 「・・ふ、ざ・・・け・・ウリエ、ル・・・は、もう、この世、は、い・・・ない。」 広げられていた掌を強く握り締める。 爪が食い込み、その隙間から同じ色の液体がゆっくり伝いはじめる。 怒りに耐える姿を見かねてアレストはゆっくりその手を覆う。 一面にウリエルの顔が見えた途端、喜びと懐かしさが溢れた。 だがそれ以上に、怒りが沸々と湧きあがってくるのを感じる。 あの姿は、ウリエルだけのものだ。 あいつはあんな優しく微笑んだりしない。 いつも屈強で、力強い笑顔を浮かべていた。 大口を開けて、思い切り声に出して笑って、誰かと肩を組みながら共に笑いあっていた。 「っあかんシギ、そないな怪我で、立ったらあかんっ!!」 全身に神経を集中させる。 重たい体を持ち上げ、冷めた手先は既にかじかみかけているが、這うように、少しづつ体を起こしはじめる。 けれどアレストはそれを許さない。 出来るだけ彼の負担にならないように、出来るだけ患部を触らないように小さく肩を押す。 立ちつくしているフェイルに視線を送り、眦にうっすら涙を浮べて痛切に叫ぶ。 「フェイルっ!!」 びくりと反応したフェイルは強張った表情のまま、ゆっくり首を動かした。 一歩足を動かすが、そのまま微かに首を横に振る。 不可能だと、そう言いたげに。 「・・・・っ!!!」 フェイルが首を振った瞬間、アレストは力任せに彼女の腕を引っ張った。 一瞬痛みに耐えるように表情を歪ませたフェイルだったが1つも文句を言わずされるがまま、 血の海に倒れているシギのもとまで連れてこられる。 「まだ分からんやろ!?もしかすれば、きっと治るかもしれへんやろっ!?」 「アレ・・・ス、ト・・・。」 「なぁフェイル、治したって。シギ治したって。」 「・・やめ、ろアレス、ト・・・。」 「フェイル、頼むわ。・・・あんたしか頼れるもんおらへんねん。」 フェイルはいつも奇跡を起こしていた。 自分が瀕死状態になった時も、彼女は必ず助けてくれた。 どんな時でも、どんな状態になってもフェイルがいた。 だからきっと、この怪我も治せるはずだ。 否、そうでなければならない。そうでなければ、何の為に今まで戦ってきた。 「・・・やってみる。」 か細い声だった。 聞こえるか聞こえないか際どいが、確かにフェイルはそう言った。 何故この小さな声がウリエルに聞こえたかは分からないが、フェイルの言った言葉に突然笑い出す。 「クックック・・・。愚カナ、モウジキソレハ死ニ向カウトイウノニ。」 「ふざけるなっ!!シギ様は、こんな所で倒れたりはしない!!!」 嘲けるかのようにフェイルを見下すウリエルは微笑を浮かべたまま。 それが気持ち悪かった。 (・・・治るの?本当に。) フェイルに周りの声は聞こえていない。 頭の中で、何度も何度も同じ問いが繰り返される。 シギの腹部には肉の塊が根こそぎ持っていかれ、臓器はもうめちゃくちゃだ。 これを再生することは出来ない。不可能だ。 この重傷では止血をした所で命が助かる保証はどこにもない。 フェイルはちらりとアレストを盗み見た。 懇願するように、胸の前で手を合わせて祈っている。小さな希望の光りを信じている。 「・・・フェイル・・・。」 震える声。 「シギ、君。」 掠れ掠れに、だが1つ1つの言葉をしっかり紡ぎだす。 負傷者とは思えない真っ直ぐな眼差しにフェイルは息を呑んだ。 「・・た、のむ、」 残された時間は、もう少ない。 「一時的で、いい。」 だがその時間内で、やり遂げなければいけないんだ。 「おま、えの・・・力、か、して・・・くれ。」 時間はない。 シギの言葉にフェイルは、初めて表情を崩した。 アレストと同じ様に今にも泣きそうだ。 だが涙が零れ落ちる事はなく、懸命に堪えている。 その様子を見てシギはふと笑った。 動くことが可能な右腕をゆっくり持ち上げ、今にも涙が伝いそうなフェイルの頬に血で汚れた手で触れた。 温かかった。 「・・・しん、じてる。フェイ、ル・・・お前、が・・・すく、てくれ・・・るって・・・。」 「・・・ぁ・・・・。」 「俺は、へ・・いきだ。し、な・・・ねー・・・。」 「・・・・・・・。」 ぽた 「・・・・・うん。」 ぽた 「・・・・わかった。」 ぽた 涙を拭き、出来るだけフェイルは笑った。 傷口に触れるか触れないかの所で手を止め、神経を研ぎ澄ませる。 周囲の神気が強まり、強烈なほどの淡い光りがシギとフェイルを包む。 とんでもないほど広く細かな文字で刻まれている魔法陣の中心に横たわるシギに暖かな光りが差し込んだ。 「―――――天恵―――――」 「はあぁぁああっ!!!」 普段よりも鈍い動きで攻撃を仕掛けるイスカ。 勿論そんなものが当たるわけがなく簡単に返される。 けれどそれで諦めるイスカではなかった。 上手く下側に潜り込み、背後に回った途端敵の背を蹴り飛ばす。 その姿勢のまま今度は短い詠唱で吹雪を巻き起こす。 しかし吹雪を掻き分けるように突進してきたウリエルの一撃であっという間に吹き飛ばされた。 羽根は折れ、もう飛ぶ事が出来ない。 大剣を地面に突き刺してその反動で起き上がる。 何度も吐血を繰り返し、恐らく折れたとされるあばらの部分を押さえて必死に痛みを堪えた。 「ぐ・・・ぁ。」 「大人シク喰ワレルガイイ。コイツト同ジヨウニ、オ前モ私ガ喰ッテヤル。」 ウリエルはゆっくり歩き出した。 彼の脚部が段々溶けだしているのを見ると、どうやら新たな器が必要なのだと分かる。 一刻も早く生き物の肉を喰わなければ、恐らくこのまま消滅してしまうのだろう。 やはり天使と悪魔では相性が悪いのか、生成期間は限られる。 だが今は少しでも新たな器がいる。 人間でも天使でも神でもなんでもいい。とにかく器だ。次の皮を被る、力のある器。 のろのろと触手がイスカの髪を掴む。 もう動くことも困難なイスカは、相手を睨みつけるだけで何も出来ない。 「安心シロ、今度ハオ前ヲ、器ノ代用トシテ・・・。」 「ふざけるな。」 ウリエルの首に鋭い槍が突き付けられる。 驚くほど低い声に一度息を呑んだイスカは、ウリエルの後ろにいるリュオイルを凝視した。 「薄汚い手を離せ。」 持ち上げられた顔は驚くほど端整で、そして何より色がない。 不安、恐怖、怒り、悲しみ。 全ての感情が消え失せている。 あるのは闘心。 「もう一度だけ警告する。その手を離せ。」 腹の底から出るような声にイスカは身を震わせた。 もはや自分の知っているリュオイルはいない。 リュオイルの警告を聞いたのか聞いていないのか、ウリエルは首だけを180度回した。 一瞬目を剥いたイスカだったがそれは彼に知られる事はない。 そんな奇異的な現象が起こったのにも関わらず相変わらずリュオイルは静寂を守っている。 「オ前ノ方ガ、ウマソウダ。」 そう言い終えるとともにイスカの髪から触手は離れ、リュオイルの槍を拘束すかのように 黒く長い触手はずるずるとリュオイルの体に巻き付こうとする。 が、それは恐ろしいほどの力を持ったリュオイルの一振りで触手は千切れる。 黒い瘴気が切れ目から噴出し、その黒く濁った液体が彼の衣服や頬などにベットリとつく。 「俺に触れるな、下等生物が。」 そこでやっとリュオイルの両目がしっかりと開いた。 俊敏な身のこなしで敵の目の前まで進み、黒ずんだ槍を右胸に刺し込む。 グチュ、とやけに水分を含んだ音が聞こえたかと思えば、それを抜くわけではなく力の限り持ち上げて肉を裂く。 霧のような血が噴出し、薙ぎ捨てられたウリエルの体はそのまま横に吹っ飛ぶ。 その瞬間に槍を引き抜いたリュオイルは、飛ばされた胴体を駆け足で追う。 追いつく少し手前で高く跳躍し、槍の上の柄を両手で持ち直し、ウリエルの背中にそれを突き刺した。 リュオイルがウリエルの背中に落ちるのと、槍が背を貫くのはほぼ同時だった。 落ちた衝撃で背中の肉が抉れる。 が、今度槍を抜くのは早かった。 一瞬瞠目したリュオイルは何かに気付いたように背中から飛び退こうとするが その判断は僅かに遅かったらしく、リュオイルの足は再生した触手に捕らわれた。 「・・・・クックック、本当ニ、オ前ハウマソウダ。」 「触れるなと言ったはずだ。」 思いきり足を引っ張られ、バランスを崩し跪く形となったリュオイルだったが 少しも動揺することも、ましてや臆することもなくその体勢のまま静かにそう言い放った。 既にウリエルはほとんど原型を留めていなかった。 だが一対だけ残る翼は、変わらないその声はずっとそのままだ。 しかし、リュオイルは彼を知らない。「ウリエル」と言う存在は、物語の中でしか知らない。 「他者の肉を喰い生き長らえるその能力は確かに褒められることだろう。 だがロマイラ、お前は長く生き過ぎ、そして多くの者を喰いすぎた。」 立ち上がる足に力が入る。 だが触手は足から上へ段々上がってくる。 けれども、それに気付いているにも関わらず、リュオイルは真っ直ぐウリエルを見据える。 イスカが叫ぶ声がした。「逃げろ」と、確かにそう叫んでいる。 「どれだけの悲鳴を聞き、どれだけの血を吸い、どれだけの肉を喰らった。」 触手がリュオイルの首に届いた。 髪に、頬に、目に、近づく。 「や、め・・・・逃げろ、逃げてくれリュオイルっ!!!」 見たくない。このまま、リュオイルが喰われるだなんて。 「ゃ、やめろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」 ぴくりとリュオイルの指が動く。 触手に完全に呑み込まれそうになった瞬間、伏せていた瞼を見開き、腕が、槍が、大きく上に上げられる。 ―――――――ザンッ 再び触手が切られた。 飛び散る黒い液体が満遍なくリュオイルに襲いかかる。 しかし、リュオイルの手は上で止まっていた。 少し驚いたような顔をして、その姿勢で固まっていた。 ゆっくり腕を下ろし、拘束がなくなった自由な体を起こし、後ろを振り返る。 自分の周りをよく見れば、少し大きな影が出来ていた。 「なぜ・・・?」 驚いた声が微かに含まれていた。 「なぜ、立つ。」 立ち上がる力は、もうないだろうに。 「ば、か・・・言ってんじゃねぇよ。 こんな格好悪い倒れ方して、美味しいと、こ・・・奪わ、れて、たまるかってんだ。」 腹部に穴を開けたまま、でも何故か出血が止まっている。 ずっと横になっていたはずのシギが、リュオイルの真後ろに立っていた。 肩で息をして、額には嫌な汗が流れている。コバルトブルーの瞳がくすみ、焦点は定まっていない。 けれども彼の笑みは、今まで見てきた以上に深かった。 「こいつは、俺が葬る。それがウリエルに対し、ての・・最後の手向けだ!」 致命傷をくらったようには全く見えない足取りでシギは突進した。 まるで命を投げ捨てるかのように。 今、シギの体内は魔力で溢れかえり、使い道によっては恐ろしいほどの威力を持つものだ。 だが彼は知っているのだろうか、その力は決して誰にでも使えるものではないと。 それ故に力を利用するものにとってどれだけの負担がかかるのかを。 それが何なのか。 理解したイスカは顔色を変えて、届くはずのない腕を遠く離れた場所にいるシギに伸ばした。 その距離がもどかしくて、叫んでも無駄だと言うのにどうしても大声で叫ぶ。 「いけません、シギ様ぁぁぁああっ!!!」 その声にはっとしたアレストが目を剥いた。 「シギっ!!!」 熱い。何かが強く脈打つ。 声が頭に響く。割れそうなくらい、頭が痛い。 「―――――――っ!!!!」 「あぁぁあぁぁぁあああっ!!!!!」 ウリエルの、ロマイラの声にならない声が木霊する。 シギの爆発的な力で魔力が奪われ、突進してくるシギを回避しよにも翼が一対足りない。 ウリエルの瞳が大きく揺れた。 初めて見る恐怖。そして、焦燥。 回避不可能。 「還ってこい。・・・・ウリエル。」 「・・・・シ・・・・・」 瞠目したウリエルはそのまま停止する。 「シギ」 そう、呟こうとした瞬間、シギがウリエルを抱きしめる。 光りが溢れ、眩い閃光が広がりウリエルの中にある瘴気を浄化していく。 ウリエルは目を見開けたまま、口を開いたり閉じたりして何かを必死に紡ごうとしていた。 だが体内で暴れるロマイラが苦しめば彼も苦しみ、喘ぎよろめく。 声にならない声を発し、血走る眼をシギに向ける。 「ァ、・・・ギ・・・ガ・・・・・・シ・・・・ギ・・・・・。」 「・・・もっと、はや、く、言えよな。・・・ウリ、エ・・・・」 うっすら微笑を浮かべたまま、シギは目の前がどんどんかすんでいくのを理解した。 体は横に崩れ、倒れる鈍い音がした途端に光はあっという間に消えた。 そのままウリエルも倒れる。 酷く静かだった。 恐ろしいほど静かだった。 この場所だけ静寂で、辺りの騒音なんてこれっぽっちも聞こえない。 ただ震え上がる声が、泣き声が、耳を過ぎる。 声のする方に目を向ければ、信じられないとでも言いたげに頭を押さえ、横に首を振るもの。 涙を流してゆっくり近づくもの。 表情を、言葉を失い呆然と立ちつくすもの。 「シ、ギ・・・・?」 よろよろと歩き出すアレストの頬には涙が伝っていた。 それを追うようにフェイルが、リュオイルが、イスカが歩みだす。 倒れた両者とも反応がなかった。 静かすぎる。 「シギ・・・?」 膝を折り、恐る恐るシギに手を伸ばした。 「な、ぁ・・・シギ。」 「ぁ・・・・・れす・・・。」 アレストの声にピクリと、僅かにだがシギの指が動いた。 何かに手を伸ばそうとするその冷たい手を、アレストはギュッと握り締める。 零れた雫がシギの頬に落ちた。 冷たくて、でもまだ生温かいそれにシギはうっすら目を開ける。 「シギ、シギっ!!」 握り締めた手を、シギは僅かに力を入れて握り返した。 それでも泣き出すアレストにシギは微笑んだ。だがそれはとても弱い笑みだ。 「な、くなよ・・・。て、かさ・・なん、で、泣いて・・・・」 「あ、あんたがそんな怪我するからやろっ!?」 「は、は・・・わ、りぃ・・・。」 アレストの膝に生温かいものが流れてきた。 それを恐る恐る見ると、止まっていたはずの血が、更に流れ出しているのだと悟る。 流れる量が、半端ではない。 ザッと血の気が引くのを感じた。 ぽろぽろと零れる涙は止まる事を知らないのか、一向に静まる気配はない。 「泣くな、って・・・・。」 もう1つの腕がアレストの頬に伸ばされた。 指で涙を優しく拭き取り、少し無理をして笑う。 それほど儚い笑顔は見た事がなかった。 「お、れ・・・、お前、に泣かれる、とさ・・・まじ、で・・・困る。」 「困らせてるんは、あんたやろ・・?」 「だ、から・・・わりぃっ、て・・・。」 そしてまたむせ返る。 何度も吐血し、体力が削ぎ落とされる。 正気に戻ったリュオイルは、愕然としていた。 傍にいるフェイルもイスカも皆同じだ。 何とか立ち上がったイスカはよろめきながらアレストとは反対側に回り、膝を折りシギを凝視する。 「シギ様・・・。」 「ぁあ、イスカ・・・、ぶ、じか?」 「はい、俺は、大丈夫です。」 「そ・・か・・・。良かった・・・。」 「・・・・シギ様・・・。」 少しだけ首を動かすのも一苦労なシギだったが、今度は佇んでいるフェイルとリュオイルに視線を送る。 なるべく彼の負担をかけないように、まずリュオイルが先に動いた。 少し腰を低くして、目線を合わせやすいようにする。 その気遣いにふっと笑いながら、シギは両者をしっかりと見据えた。 「・・ミカエルを、皆を・・・・たの、む。」 「・・・・ああ。」 「それと、怪我・・・すんじゃ、ね、ぞ・・・。」 「分かってる。」 「・・・ぜった、い・・・全員、い・・生きて・・か、てよ・・・この、戦争・・・・。」 「うん、絶対に、皆生きて、勝つよ。」 口元を押さえて泣き出したフェイルを見て、シギは優しく微笑む。 「泣くな、って・・・フェイル。」 「シギ君、シギ、くん・・・。」 「俺は、だいじょ、ぶ・・・。へ、いきだって・・・・」 座り込むフェイルの頭を、少し血で汚れた手でゆっくり撫でる。 その動作が優しくて、でも力強くて、涙腺を更に弱らせるにはかなり効果的だったことにシギは気付かない。 まるで妹をなだめるかのように、シギは何度もフェイルの頭を撫でる。 極めつけは、とびきりの笑顔。 「こ、こは・・もう、いい。お前、らは・・・はや、く・・・ミカエ、ルたちの、所、に・・・」 「だけど、だけどシギっ!!」 「心配、すんなって・・・。か、なら・・・ず、後で、行く。」 「・・・・シギ。」 「ほら、リュ、オ、・・ル、フェイル。そ、れに・・・イスカ、も。」 「・・・・・・分かりました。」 「ぁ、あ。頼んだ、ぜ。」 「はい。」 語尾は震えていた。 1つの単語を紡ぎだすのが精一杯で、とてもじゃないがたくさんの言葉は言えない。 シギの命令だから、シギの願いだから。 本当はここを離れたくはないけれど、彼は自分の事よりも、世界を、そして仲間を想っている。 現に、彼の体内にある魔力はもう皆無と言っていいほど失われている。 ウリエル、いや、ロマイラを消滅させるために全ての力を使ったのだ。 喋ることも困難なはずなのに、彼は決して口を閉じようとしない。 「行け・・・。」 その一言が、とても重く感じる。 任されたのだ、今ここで。 彼に、最後の望みを託された。 「・・・行くぞ、2人とも。」 歯を食いしばり、グッと拳を握り締めて、リュオイルが立ち上がり踵を返した。 その足取りは、心なしか速い。 「フェイル。」 シギの声にフェイルは振り向いた。 また涙が流れたが、そんな事は気にしない。 「お前の、信じる道を・・・・行け。」 笑みを深める。 「・・・・わ、るぃ、な・・・。アレス、ト・・・。」 「・・・・謝らへんでええって。」 「は・・は。・・・・まじ、ごめん。」 約束、守れそうにねぇや 守るって言ったのに 絶対に、お前を守るって誓ったのに 「・・・せ、や。あんたがこんな所でくたばっとるで、うちを守れへんのやっ!! もっとしゃきっとせんかっ、シギ=ウィズザケット=エイフィスっ!!!」 どこまでも木霊しそうなほど大きな声でアレストは喚いた。 言っている内容はもうぐちゃぐちゃだが、その思いははっきりとシギに伝わった。 すまなさそうな顔をして、出来る限り笑顔を保っている。 かと言ってその笑顔に嘘偽りがあるわけではない。心の底から、美しく微笑している。 ただ1ついつもと違うのは、声に出して大笑い出来ないことだ。 そして何より悔しいのは、泣いている彼女の頬に触れられないこと。 腕が重くて、ちょっとやそっとじゃ、持ち上げる事が出来ない。 「なん、か・・すげー、うれし、な・・・。」 「嬉しい?何が、や。」 「俺って、ば・・・ほんと、に・・罪な、男・・・」 「・・・・・ほんまやな。シギは、相変わらず罪作りなやっちゃ。」 「は・・は・・。だ、から、さ、すげ、・・うれしい。」 期待するな、ほんと。 本当はこのまま、淡い心は沈んでいくべきなのに。 決して叶わない願い。 《 ・・・・何か、結婚指輪みたいや。 》 《 んじゃあ戦争が終わったら結婚する? 》 ノリで言っていたわけじゃない。 本心だ。ずっとずっと、想い続けていたんだ。 誰よりも、何よりも。 国よりも、朋よりも。 地位よりも、名誉よりも。 あぁ、俺があげた指輪、まだ付けていてくれたんだな。 ほら、そんなことするから、止めていたこの想いが今にも溢れそうになる。 歯止めがきかなくなる。 愛しすぎて、儚すぎて、脆すぎて。 人間と天使なんて、決して幸せになんてなれっこないんだけれど。 「す、・・・きだった・・・。」 シチュエーションは最悪。 しかも俺は今にも死にそうで、愛しい女を泣き止ますことも出来ない。 「ずっと・・・・おま、えを・・・・アレス、トを・・・・。」 愛していた、心から。 「・・・・もう、うちは嫌い?」 一滴、温かな水がぽたりと落ちる。 ふと目を開けると、泣いているのに強張りながらも破顔一笑しているアレストの姿が映った。 「だった、なんて、過去形にせんといてや。」 「うち・・・うち・・・・。うちやって・・・・。」 「今も昔もこれからもずっとずっと、あんたが好きやっ。」 ぽた 「せやから、だった、だなんて言わんといてぇな。」 ぽた 「うちは、シギが、好きや。」 初めて見る笑顔だった。 少女のように無邪気に笑うのではなく 年上ぶってにんまりと笑うのではなく 不意を突かれて大笑いをするのではなく まるで母に抱かれているような、優しくて暖かな笑みだった。 時を忘れそうなほど見惚れていたシギは、まるで眩しいものを見るようにスッと目を細め 重たかったはずの両腕をシギの視界いっぱいにいるアレストに伸ばした。 少し傷があるものの、女性特有の柔らかさと暖かさに思わず笑みがこぼれる。 決して届くはずのないこの手が、やっと届いたんだと実感する。 言葉では言い表せることが出来ないほどの喜びが溢れてくる。 ぽっかり空いた心に何かが満たされて、思わず頬を緩ませた。 これ以上緩む事なんかないのに、それ以上に微笑んでしまう。 「大好きやで、シギ。」 ぽた 頬に、首に落ちる透明な水はいつまでも流れ続ける。 それでも良かった。 こうしていれば、俺の目の前から彼女が消える事はない。 ずっと、この愛しい者を、目に焼き写す事が出来る。 ちぎれた鎖は、今やっと1つに繋がった。 「・・・・・・・・・ァ"・・・・・・・・・」 「――――――――――っ!!!」 アレストの後ろに、小さな影がピクリと起き上がる。 間違いなくアレストに静かに近づいてきたそれに、シギは一瞬息を呑み瞠目した。 抜け切ったはずの血なのに、体内に残っている僅かのものが逆流し、熱を生む。 脳が先に命令を出す。 手足が、関節が、力を取り戻す。 最後の力だった。 これが、最後の賭けだった。 「―――――――――アレストっ!!!!」 ―――――ドンッ 「・・・・・え?」 突き飛ばされたのだと理解したのは、その瞬間肩に感じた小さな温もり。 横切る金の短髪の見慣れた顔が目の前を過ぎた時。 さっきまで弱々しかった瞳は一変して、生気を取り戻し真っ直ぐ何かを捉えていた。 けれどほんの僅か。彼が、こちらを振り向く。 唇が、小さく、動き出す。 《 あ い し て る 》 ―――――――グシャっ!! 原型を留めていないウリエルが、いや、ロマイラが、シギの肩を喰らう。 どんどんそれは侵食し、肩から腹へ、腹から足へ。 肉を引き千切る音が、血液を舐める音が。 そして、左胸に。 「いやあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁああああっ!!!!!!」 走った。とにかく走った。 瞠目し、呼吸は完全に乱れている。 ロマイラの牙がシギの左胸に食い込むぎりぎり前で、アレストは渾身の力を込めて吹き飛ばした。 もう「形」といっていいほど「形」がなかったロマイラは、奇声を発して粉々に散る。 黒い瘴液が噴水のように吹き散り、辺りは真っ黒、いや、今度こそ紅に染まった。 「シギッ!シギ!!!」 左胸は、心臓は貫かれなかった。 けれどもうシギは、シギの体は半分近く失われていた。 湖のような血液が出来上がり、まだ生温かいそれに浸りながらアレストは己が血で汚れるのも構わず彼を抱き起こした。 裂け目から見えるのは、人間の肉と白い骨。 右腕右足、右腹部を失った彼は、既に「人」としての原型が存在しなかった。 「シギ!シギっ!!!!!」 何度呼びかけても 何度叫んでも 幾つも涙を零しても シギの瞼が開かれることはない 「な、んで・・・。何で、やぁ。」 冷たくなりはじめている彼の体を掻き抱き、アレストは涙を流した。 「何で、うちを庇うんよぉ。」 反則だ、卑怯だ。 最後に、あの時に、「あいしてる」だなんて。 何であの時に笑った。どうしてもっと自分の事を考えてくれなかった。 《 俺もだけど、死ぬなよな。 》 嘘つき 《 大丈夫、俺が守る。 》 うそつき 《 この通り、全然問題なしだぜ。 》 ウソツキ 「・・・ぁ・・あ・・・・。」 嗚咽を漏らし、もう枯れ果てているというのに涙はどこからともなく溢れだす。 シギの頬に1つ、また1つ零れ落ちる。 段々土色になってくる肌に、アレストはそっと、壊れ物を扱うかのように優しく触れた。 「目、あけてぇな。」 もう一度、笑って 「声、きかして。」 もう一度話して 「もう一度、愛してるって、言って。」 《 俺の名前はシギ=ウィズザケット=エイフィス、だ。その耳かっぽじって頭に叩きこんでおけよ。 》 シギ 《 何意外そうな顔してんだ。俺を舐めてもらっちゃ困るぜ? 》 シギ 《 『絶体絶命の中、突如現われた勇敢なる無敵で素敵な素晴らしい神族のお兄さん』って呼んでくれ。 》 シギ 《 まぁアレスト嬢ちゃんは優しい心がちゃ〜んとあるってこった。きっと生まれ変わったら天界で天使になれるぜ〜? 》 シギ 《 はっはっは、わりぃな。獲物は俺が貰ったぜ? 》 シギ 《 全部嘘じゃねえよ。 》 「・・・なぁお願いや。目、覚まして。」 擦り寄るように冷たくなっている彼を抱きしめた。 体温が徐々に失われ、唇は青白く染まりつつある。 大好きなコバルトブルーの瞳が開かれない。 低音だが、柔らかな声が聞こえない。 誰よりも輝いていた笑顔が見えない。 大きな手が、頭を撫でて安心させてくれない。 「や・・・。」 《 無理するな。 》 「い、やや。」 《 大丈夫か? 》 「いやや・・・。シギ、シギ・・・・。」 《 ん?誰か俺を呼んだか? 》 「おいて、いかんといて・・・。」 《 いんや。何でもないさ。 》 「いかん、といて。1人に、せんといて。」 《 アレスト 》 いかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないで いかないでシギ。 傍にいて。 もう一度、目を開けて。 約束したのに、帰るって。ミカエルとも、そしてうちとも。 「起きて、シギ。」 魔族を倒すんだと。世界を救うんだと。 あんたが幸せになるところを見な、うちは心配で心配でたまらへん。 「そんなとこおったら風邪引く・・・だから、起きて?」 なぁ、返事してや。答えてや。 さっきまで握り返してくれたやろ、うちの手。 付き離されても構わへん。せやから、これで最後でいいからもう一度握って。 もう一度、シギの温もりを感じさせて。 「・・・・シ、ギぃ・・・・・。」 シギ シギ=ウィズザケット=エイフィス 「シギ、シギ、シギ、シギ・・・・。」 ぽた ぽた ぽた 力の限り彼の手を握り締めても、もう温もりは感じられない。 肌の血色は衰え、土色と化した。 レモン色の彼の髪は土で汚れて、いつものような透き通った色合いは失われている。 血が、止まった。彼の体内に流れる血が、完全に止まった。 彼女の足元にあるおびただしいほどの血の海は、既に冷え切っていて氷水のように冷たい。 風が2人の頬を撫でる。 ボサボサになった髪がされるがままに舞い、涙の痕を作り出す。 涙で顔が火照って、頭が痛い。 苦しい、痛い、辛い、悲しい、重たい、気持ち悪い。 完全に閉ざされた瞳に口付けを落とす。 彼の瞼に一滴、透明な涙が落ちる。 そしてもう一雫。 「ぁ・・・あぁ・・・・ぁぁあっ。」 なぁシギ。 あんたは幸せやった? うちに出会って、たくさんの仲間と出会って。 うちの事好きでいてくれて、たくさんの思い出をうちにくれて。 「あぁ・・・あ・・・・。」 あんたは 自由になれた? 「いやぁああぁあぁぁあぁあぁぁぁぁああああっ!!!!!!」 あんたは、幸せやった?