■天と地の狭間の英雄■           【少年の決意】〜そこから一歩踏み出す勇気〜 シギの死を知らされて驚く神は誰一人としていなかった。 皆、知っていたのだ。 アスティアとシリウス以外の皆は。 「・・・嘘、でしょ?」 数回瞬きしたアスティアは、信じられないとでも言いたそうに首を振った。 後ろで繰り広げられる激しい戦闘を他所に、彼女は呆然としていた。 力強く握られていたはずの弓をだらりと落とし、沈んでいる3人を交互に見る。 ――――ガンッ!ギイィン!! 戦闘は激しさを増すばかり。 怒りに震えている彼がこの事実を知れば、魔族に対する怒りは更に増幅するかもしれない。 シギの最期を看取ったのかどうかは分からないが、3人は痛みを堪えようとはしていない。 ここにアレストがいないのは、シギの傍にいるからだと聞いた。 ならば、彼女が彼の最期を見届けたのだろうか。 「・・・倒さなくちゃいけないのなら、やっぱり私が行かなきゃ。」 「フェイル!?」 強い声でフェイルが呟いた。 それに驚きを隠せないリュオイルは、あからさまに怪訝そうな顔をして彼女の肩を掴む。 「フェイル、自分が何を言っているのか分かってる?」 「・・・分かってる。シリウス君を止めたい。でもそれは出来ないんだって、分かってる。」 「そうじゃなくて・・・」 「彼を説得出来ないと思う。平気な顔をして振舞ってたけど、確かにアスティアの言う通り復讐心は消えない、よね。」 シリウスだけではソピアを倒すことは到底出来ない。 たとえ彼がどんなに強くても、神に近い力と人間の剣技では差が見えすぎている。 「協力者」が必要だ。 それはたとえば無限を司る神のように。 それはたとえば敵を惑わせるような言葉を知っている者のように。 「"生きて勝て"・・・シギ君は私たちにそう言った。誰一人欠けちゃいけない。これ以上の犠牲は、もう・・・」 (お前の、信じる道を・・・・行け) 今この戦況の中で何を信じればいいのか、私には分からない。 この戦争自体が正しくも見える。正しくないようにも見える。 憎み合うことが自然なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。 だけど、貴方がこの世から消えて、何かを知った。 お兄ちゃんが死んだ時のような喪失感とはまた違う、何かが。 それは何だろうと自分の胸に問いかけても、これと言った答えが出てこない。 たくさんありすぎて、1つの答えに搾り出すことが出来ない。 貴方が傍にいたら、「答えが1つとは限らない」と言っていたかもしれないね。 "生きて勝て" ああ、もしかすれば、これが、本当の道なのかもしれない。 「ソピアを最終的に倒すのは、フェイルだ。・・・君に出来るのか?」 一度わざとらしい溜息を吐いたリュオイルは、真剣にフェイルの瞳を覗き込んだ。 この旅の中で、確かに多くの「イキモノ」を殺してきた。 魔獣だったり魔族だったり、時にそれは同じ人間だったり。 だが今回殺す相手はソピアだ。彼女の事は少なからず知っている。 幼く、あどけない笑顔を持つ優しい少女の事を知っている。 そして、今のソピアが本心の心ではないと言うことも知っている。 その命を絶つと言うことは、半端にならないほどの覚悟がいる。 リュオイルはそれが聞きたかった。 切羽詰ったような声で最初彼女を止めようとしたのも、その意味が含まれている。 誰も好んではいないが、仕事柄人を殺めることが何度もある彼にとっては、出来れば殺しなんてさせたくないと思っている。 真っ白な手が赤く染まる事を恐れいているのだ。 人殺しなんて、慣れるものではない。回数を重ねるごとに頭の中がおかしくなりそうなのだ。 そうならないのは、生きる意味を知っているから。 そして、支えてくれる人々が自分の傍にいたからだ。 「・・・怖いよ。」 聞き取るのが難しいほど小さな声にリュオイルは耳を寄せる。 だから気づかなかった、フェイルが涙を流している事に。 「本当はすごく怖い。逃げ出したいくらい、怖い。」 そう言って瞼を閉じる。 眦に溜まった涙がワッと零れ落ちた。 ―――――ギイィィィン!!! すぐ後ろで繰り広げられる戦闘はまるで聞こえない。 誰かの声が聞こえるが、それが誰なのかは分からない。 「逃げたいけど、逃げちゃだめなんだよ。  私が出来る事は、これ以上の犠牲を出さないこと。この戦争に勝つこと・・・そして・・・」 ソピアを、解放すること 「神の力には神でしか対抗することが出来ない今、私が怯えて隠れるわけにはいかない。」 「フェイル・・・。」 「皆、手伝ってくれる?」 涙を拭いて、薄く微笑したフェイルは皆を見た。 それぞれ複雑でやりきれない表情だが、彼女に反対する者はいなかった。 「誕生神ルキナ、あなたに聞きたい事があります。」 「何でしょうか、アブソリュート神。」 「ソピアの心臓にある私の魂の欠片を、戻すことは出来ますか?」 「・・・不可能ではありません。ですがそれには彼女を葬らねば方法は・・・。」 死者の魂、つまり管理下にある魂ならともかく、まだ生きている者の魂を移動する事は出来ない。 それは自然の摂理に反する行為だ。 禁忌と言えるその行為に手をつけたルシフェルは、何故このような恐ろしい行動を取ったのか彼女には分かりかねなかった。 「ありがとう。」 どの道、彼女は殺される運命だったのだろう。 欠片とは言え魂の欠片は絶大な力を生むことが出来る。 そして奪われた方も本調子ではない。 だからフェイルの、いや彼女の中に眠るアブソリュートは本来の力を取り戻していない。 ある意味強制的に覚醒させられた力は、だいぶ時間が経ってから扱うことが出来るようになったのだ。 無限を司るアブソリュートは、彼女の心次第でその力は幾つもの形に具現化できる。 しかし、無感情のアブソリュートでは名ばかりの神だった可能性が高い。 人として生き、生きる事の大切さや苦しさ、楽しさ、悲しさを知っているフェイルだからこそ 「無限」を具現化させることの出来る張本人なのかもしれない。 勿論その事にあまり気付いている人物はいない。 ゼウス神、旅の仲間、そしてフェイル自身も。 「・・・お手伝いします。」 ――――ミカエル以外は、皆知らない。 気付いていますか、フェイルさん。 もう貴女は1人ではないということに。 人間らしくも神らしくも見える、とても複雑な狭間の中にいるけれど、その中で一番光り輝いていることに。 そして、もう誰も手の届かない場所に立っているという事に。 「ならばこの場はお前に任せるぞ。」 抑揚の欠けた声が後ろから聞こえた。 それに反応したフェイルは、声を発したゼウスの顔を見てゆっくり頷く。 ソピア1人に神は何人も要らない。 ここで少なくともゼウス神、ヘラ神がこの場を去るということは重々承知していたつもりだ。 誕生神ルキナはどうなのかは分からないが、確かにこんな場所に何人もの神が滞在するわけにはいかないだろう。 「ルシフェルの動きも気になる。私もそろそろ掃除を始めるとしよう。」 「そうですね、被害が拡大している今、私たちも動かなければ。」 白を基調とした衣服を棚引かせ、ヘラはゆっくり辺りを見回した。 四方どこからも聞こえてくる悲鳴、そして轟音に端正な顔を少し歪ませる。 それを気遣うかのように、ゼウスが彼女の肩を抱いた。 優美な仕草に思わず見とれてしまいそうだが、今はそんな呑気な事を考えてられない。 「我々はルシフェルを追う。・・・頼んだぞ、アブソリュート。」 「はい。」 頷いた言葉は酷く緊張していた。 フェイルの様子を気付いていないのか、ゼウスはヘラを連れてこの空間から消える。 ルシフェルがどこにいるのか、馴染みのある彼らにはその気配が感じられたのだろうか。 しかしそれならばもっと馴染みのあるミカエルが気付くだろう。 けれど彼は少しも迷ったような素振りを見せない。 ただ単に感情を殺しているのか、本当にルシフェルの気配がないのかは誰も知らない。 「ラクト。」 彼らが去ったのを確認して、大天使は傷ついた堕天使のもとへ歩き出した。 妙に懐かしく暖かな声に、ラクトは思わず身を震わせた。 痛む腕を押さえ、もう起き上がる事の出来ない体に鞭打つように、恐る恐る顔を上げる。 そこには大天使がいた。 既に傷つき、綺麗な顔を濃く歪めている。 けれどその表情には穏やかな、母親が見せるような優しい笑みが僅かに浮かんでいる。 ああ、泣きそうだ 尊敬していたミカエル様が、僕の前にいらっしゃる。 まさかあんな形でここを離れると思わなかった。大好きな人達と離れると思わなかった。 「ミカ、エル・・・さま。」 だけどそうして僕はソピアに出会った。 僕がこの世から消える前にルシフェル様が助けてくれて、魔界で行き場を失っていた時にあの子はいた。 純白の翼を目の当たりにしても、彼女だけは笑って言ってくれたんだ。 "友達"だと。そう、強く、優しく、微笑んで。 一回り小さい、純血の魔族の少女が、一生懸命に。 他でもないあの子が、ソピアが・・・僕に光を与えてくれた。 「ソピアを、助けてあげましょう。」 ああ、泣きそうだ。泣きたいけど、泣いてはいけないんだ。 「本当のソピアを、解放しましょう。」 「あ・・・・あ・・・・・」 声にならない震えた声を出して、ラクトはすぐ傍で繰り広がる光景を目にした。 成人した男女の姿が交戦している。 だけどあの姿のソピアは知らない。彼女だって、望んでいなかった。 戦争を嫌い、誰かが死ぬ事を嫌い、自分が魔族であることを嫌った彼女が、こんな事をするはずがない。 ――――ザアァァァァ 風が吹く。 この場に似つかわしくない穏やかな風が、ラクトの前に下りた。 「・・・アル、フィス・・・?」 姿を現した人物にラクトは驚愕した。 だって彼は、魔界で待機していろと、ルシフェルに命じられたはずだ。 彼もそれを承知していた。戦争に直接参加しないと、言っていたはずだ。 青銀の髪を風に遊ばせて、アルフィスはゆっくりラクトの前に屈んだ。 傷だらけの彼を見て、そしてラクトは初めてアルフィスの痛そうな顔を見る。 驚いた、としか表現出来ない。 常に無表情で、どんな事があってもそれを崩すことはなかった。 魔族の中では、ジャスティの次に、でも一番信頼できるラクトとソピアの相談相手だった。 人間であったにもかかわらず、魔族に魂を売り、この級階にまで上りつめた人物だ。 「すまないラクト。」 突然降ってきた言葉は、短い謝罪。 「俺は、ソピアがこうなる事を前から知っていた。」 「俺では、あいつを止めることが出来なかった。」 「お前たちを、こんな辛い世界に引きずり込むつもりは、なかった。」 数々の真実が彼の口から短く、だが重く伝わる。 それを怒ればいいのか泣けばいいのか喚けばいいのか、ラクトには分からなかった。 ただ1つだけ、アルフィスは自分よりもずっとずっと、深く傷ついていたのだと、分かった。 「元のソピアに戻すのは、お前しかいない。」 だがその瞬間にルキナが力を発動し、心臓に刻まれたアブソリュートの魂は速やかに抜き取られるだろう。 神の力を魔族が扱うことは出来ない。 その禁忌に触れた者は、永遠の痛みを約束して死の世界に流される。 ましてや魔族は死しても成仏する事なんて出来ない。 彼らは、天使たちとは違う世界へ引きずり落ちる。 「せめてお前の手で、あの子を戻してやってくれ。」 「アルフィス・・・。」 ラクトは知っている。彼が、どれだけ自分達の事を心配していたのかを。 ソピアの次にラクトを受け入れてくれたのは、彼だった事を、今でも鮮明に覚えてる。 近づきすぎず、遠すぎず、彼はラクトとソピアを暖かく見守っていた。 今の彼の姿は、まるでこれから死ぬ娘に対して、最後の願いを込めるかのような姿だった。 「行きましょう、ラクト。」 優しく笑みを深めているミカエルが、そっとラクトの肩に手を置いた。 その瞬間淡い光がミカエルの手を通してラクトに注ぎ込まれる。 回復魔法だと気付くのにそう時間はかからなかった。 呆然として、アルフィスと同じように足を屈ませているミカエルを見る。 天界から追放される前と変わらない笑顔がそこにあった。 全てを受け入れ、許す微笑みが、すぐ傍に。 その光景を見てたフェイルは、未だ治療中の彼の元へ歩き出した。 乱れのない真っ直ぐな行進はどこか勇ましい。 長い金の髪は一歩歩くごとに遊ばれているかのように揺れ動く。 「あなたの力を、貸してくれますか?」 これが最後の問いだ。 日が差しているわけでもないのに、眩しいものを見るかのようにラクトは顔を上げた。 そこに佇むのは、今まで散々追い掛け回し、時には傷つけ、最終的に捕らえた少女の姿。 目覚めて間もない、と言う事は自分よりもずっと幼いはずだ。 けれど、彼女の瞳には自分にはない何かが強く刻み込まれている。 前に踏み出す勇気なのかもしれない。 皆を安心させる笑顔なのかもしれない。 全てを統一させる力なのかもしれない。 僕には、眩しすぎる。 「・・・・・・」 だけど、それでも 「・・・ソピ、アを・・・」 眩しくても、届く範囲にいるのなら 「ソピアを、助けてください・・・。」 僕は、貴女の手を掴む