・・・何かが違った? 役目を果たしただけだ。恥じることも、後悔することもない ああ、それでも・・・何かが違う気がするの お前の存在は、ただ神としてあるのではない 絶対的な力を持つ者だからこそ、自然の摂理に反した行いは戒める必要がある 分かってるよ。でも、この世に正しい事なんて1つとしてない 勝手に正しいと思い込んでるだけで、他者から見ればずっと悪事を働いているかもしれない しかし、それでは埒が明かない。誰かが全てを統一し、管理する必要がある 歯向かう者がいれば、それを制裁しなければならない でもそれは、私じゃない。フェイル=アーテイトでもなければアブソリュートでもない それは肯定も出来るが、否定も出来る 今は天空を主とするゼウス神が天界を治めているが、それを覆すことは誰にだって出来る そう・・・お前も、我も、はたまた大天使ミカエルも 天空を主帝とする神が全てを統一するとは、限らない ■天と地の狭間の英雄■        【泣けない神】 血生臭い戦場のもとで、悲鳴にも似た少年の泣き声は暫く続いた。 恥じる様子もなく、ただ延々と。 大剣を振っていた姿が嘘のように、少年の姿は今とても小さい。 まだ、少年だ。青年になりきれていないせいか、その輪郭は幼かった。 かつての上司であったミカエルは、ゆっくりその背を撫でた。 一回りほどではないが、幾分か小さい彼をそっと包み込むように、優しく抱きしめる。 その動作はまるで子供をあやす母親のようだった。 「・・・・。」 フェイルはその光景をぼんやりと見ていた。時々自分の手を開けては閉じるを繰り返す。 彼女の目には覇気がない。心ここにあらず、といった感じだ。 そんなフェイルを不安に感じたのか、今まで唖然としていたリュオイルが彼女の傍に歩み寄った。 一命を取りとめたシリウスも、弓を下ろしたアスティアも、ゆっくり近づいて来る。 「フェイル?」 恐る恐る少女の名前を口に滑らせると、細い肩は異常なほどにまでびくりと震わせる。 ギギ、と音が鳴りそうなほど不自然に首を動かす。 やっとフェイルと視線が交わった時には、既に言葉を失い、形振り構わず少女を抱き寄せた。 手首を掴めば反動的に体が倒れてくる。 それをしっかり抱きとめたリュオイルは、フェイルの肩に顔をうずくませた。 「・・・痛いよ、リュオ君。」 痛いのは当然だろう。掻き抱くように抱きしめているリュオイルは、力を緩めていない。 ぽつり、と零れた声は笑ってはいるが大分疲れているようだった。 更に不安に感じた残りの2名は、もう少しだけ近づき、かろうじて見える少女の顔を覗き見た。 「痛いって。」 その間にも、抵抗の声が上がるがそれでも腕を離そうとしない。 少しだけ腕の中で動いたフェイルは、後ろにいる2人と視線が合った。 だから、笑った。笑った、つもりだった。 心配しないで、大丈夫だから。 そう言いたかった。 だけど、皆は笑ってくれない。 眉をひそめて、沈んだような、暗い表情をするばかり。 リュオ君もさっきからちっとも放してくれない。 泣いてるのかな、と思ってちらっと見たけど、違うみたい。 ・・・皆、どうしたの?これで、良かったんだよね? でも誰も何も言ってくれない。 これなら、非難されるほうがまだ良かった。誉められる行為じゃないから、せめて軽蔑してほしかった。 慰めなんていらない。同情なんていらない。 そんな事されたら、私は私じゃなくなるみたいで、怖い。 お願いリュオ君離して。リュオ君は、あったかすぎるよ。 ああ・・・惨めだ 「・・・っぅ・・・。」 服の上からでもリュオイルの体温は十分伝わってくる。 心地よすぎるその温もりは、フェイルの涙腺を弱めた。 泣きたかったわけじゃない。 今ここで、泣いていても仕方がない。 少しずつ、でも確かに魔族を倒している。多くの犠牲を出してでも、この戦に勝利しなくちゃいけない。 泣き言なんて許されない。 シギが虫の息だった時も、死んだと分かったときも泣いたけれど、これ以上泣く事なんて出来ない。 士気が、下がってしまう。 仮にも神で、一軍以上を任せられている身であるのだから、弱い部分を晒すわけにはいかない。 だから離してと言ったのに。この温もりに依存してしまいそうだったから。 「・・・ひっ、く・・・ぅ・・・・。」 「・・・しかた、なかったんだよ。」 彼女が泣くのを待っていたのか、ようやくリュオイルは腕の力を緩め、金の髪にそっと手を置いた。 もう抵抗の声はない。ただ嗚咽を漏らして泣く小さな少女にしかすぎない。 「殺さなくちゃ、君が殺されていたかもしれない。それが、戦場だ。」 リュオイルの声は硬かった。 それは、彼が今まで幾度も戦場で血を浴びてきたからかもしれない。 魔物だけでなく、人間の肉を斬ることだってしょっちゅうだ。 しかも前線部隊に配属されるから、フェイルのような魔法部隊よりずっと多くの殺しをしている。 血を浴びすぎて、嗅覚が鈍くなることだってある。 多くの断末魔を聞きすぎて、気が遠くなったことだってある。 ・・・慣れた この一言で全て片付いた。 最初は確かに怖くて、人殺しなんて出来なかったけれど、きっかけが出来ればすぐに慣れてしまう。 人間は恐ろしい。人殺しを嫌うくせに、一度、または二度殺しをすると慣れてしまう。 肉を裂く感触も音も、あの生臭い臭いも、時には生きようと必死にせがんでくるあの怯えた表情も・・・ 全て、戦場で学んだ。そして、知りたくなかった"慣れ"を知ってしまった。 でもこんな感情を、フェイルには知ってほしくない。本来なら必要のないことだ。 だけど、今彼女は戦場に立つ一人の神であり闘士である。 殺しが出来ないと、泣き言を言ってはいけない。言ってしまえば、リュオイル達から非難の声が出るだろう。 「人を殺すのって、辛いだろう?ソピアみたいな、本来戦う意思のない子供を殺すのって、苦しいだろう?」 本来なら泣き言が出るはずなのに、ああもう。 どうせなら言い訳を言ってくれるほうがずっと良かった。 1人じゃなかなか受け入れられない現実だ。正当化しようとしても無理はない。 だけど彼女はどうだ。 確かにソピアを倒すと固い決意を見せてはくれたが、決して本心からではないはずだ。 誰にだって抵抗がある。しかも事情がある者ならば尚更だ。 ソピアを自らの手で殺めて、泣き言を言うわけでも乱心するわけでもない。 ただ、ぼんやりとその光景を眺めていただけ。 悲しみに眉をひそめることもない。逆に晴れ晴れとした表情も見せる事もない。 その時に分かった。このまま殺しを続ければ、確実にフェイルは"慣れる" 無感情に、殺す意味があれば、迷わず息の根を止める。 「命を奪ったことに変わりはない。・・・重いんだ。たった一つでも、そこには確かに存在があったんだ。」 そんな事になってはいけない。そんな事になっては、神々たちの思う壺だ。 今までの経緯がどうであれ、アブソリュート神は「フェイル」という人間らしい感情を持った人格があることで その力を、そして存在を多くの者から高く評価されている。 その一方で、邪魔な感情が入った事を良しとしない者も中にはいる。 ゼウス神や、高位に就く神々達だ。 この戦いでフェイルがどう変わるか、それはまだ誰にも分からない。 ひとしきり泣いた。 今まで抱えていたものを全部吐き出すかのように、リュオイルの肩を借りて、みっともなかったけど、泣いた。 大声を張り上げる事はなかった。 でも、焼けるように喉が、胸の奥が熱い。 ようやく泣きやんだ時には、目元は腫れているし頭痛はするし、最悪な気分だった。 それでも崩れ落ちることなくいられたのは、リュオイルがずっと支えていてくれたからだろう。 今更ながら気恥ずかしくなったフェイルは少しだけ顔を赤くして俯いた。 それをまた泣き出してしまったのだろうか、と不安になったリュオイルだったが 少し強く目元を拭いたフェイルは気を取り直したかのように、少しだけ無理をして笑った。 少し首を上げなければリュオイルと視線が合わない。 心身共に疲れ果てていたが、それを表に出さないようにフェイルは懸命に努める。 「・・・行こう。」 これで終わりなわけじゃない。 戦いは続いている。ルシフェルを倒さない限り、この戦争に勝ったとは言えない。 「ルシフェルを討つために。」 少女の言葉はこれ以上にないくらい硬いものだった。 真っ直ぐ見上げる仕草はフェイルなのに、その瞳は決して自分達が知っているものではない。 ああ、そうか。 自嘲するかのように、リュオイルはゆっくり瞼を閉じる。 腕の中に彼女はいる。温もりもあるし、生きている証の心臓は動いている。 だけど、今の自分ではフェイルには手が届かない。 確かな温もりを感じているのに、それさえも偽りなのだと、彼女の瞳は訴えかけていた。 フェイルはフェイルであってフェイルじゃない。 この戦いが終われば、彼女はフェイルという存在を失ってしまうかもしれない。 それが怖かった。 だから今までずっと、赤子を守るように、甘やかして庇護していた。 でもそれは間違いなんだと今更気付く。 どれだけ僕達が守っても、フェイルはそれを良しとしない。待ってはくれない。 ああ、君は・・・ どこまで僕達を置いて行ってしまうのだろう 「フェイル。」 情けない。こんな時に声が震える。 瞼を閉じたまま、フェイルの肩に手を置く力が増す。 きっと痛いはずだ。下手をすれば痣になってしまうかもしれない。 「僕は、僕達は・・・」 それでもフェイルは抵抗しなかった。 まっすぐリュオイルを見上げ、次の言葉を待っている。 その優しさに、1つ、涙が零れる。 「――――――ずっと、一緒だよ。」 瞼を持ち上げればそこには当然のようにフェイルがいて 当然のように生きているんだと感じられる温かさがある。 シギが死んで、たくさんの天使が死んで、魔族が死んで、ソピアが死んで・・・。 反吐が出そうなほどの殺戮をしてきた。 誰も望んでいたことじゃなかった。誰もが、平和に生きたかった。 だけど生きている限り争いと言う言葉は、動作は消えない。 人類が滅亡し、神も魔族も全て消え失せて、やっと与えられる真の平和。 その世界は決して争いはないだろう。何故なら、"いきもの"がいないのだから。 どんなに時を刻んでも衝突しあうものはない。 つまらないほどの平和が訪れ、恐怖と言う言葉さえ失うだろう。 しかし、自分たちは生きている。今ここに、確かに生きている。 それぞれの思いや意思が違えば、生きる術も価値も違う。 一人一人が違うからこそ"今"が成立していて、過去があり未来がある。 リュオイルもシリウスもアレストもアスティアも、その中の1人に過ぎない。 小さくて非力で虚しい存在かもしれないが、誰一人として必要のない者はいない。 それは・・・神も魔族も人間も、鳥や魚、この世に生きる全てのものに対して。 だから忘れないで欲しい。神も、その中の1人なのだと。 「・・・・・。」 リュオイルの言葉に、フェイルだけでなくシリウス達も黙り込んだ。 彼の意見に反対しているわけではない。言葉をかけなくても、思いは一緒だと言うことだ。 けれどそれがフェイルに伝わったかどうかは分からない。 驚いたように瞠目し、そのまま硬直している。 「・・・・・。」 やっと僅かに首を動かし、恐る恐る、肩にあるリュオイルの手を掴む。 どの動作も弱々しくて今にも壊れてしまいそうだったけれど、リュオイルは何も言わなかった。 「そうだね。」 薄く微笑んだフェイルは、一言そう言ってリュオイルの手を肩から離した。 「・・・変なの。リュオ君、一緒にいてくれるって言ったでしょ?」 くすくすと控えめに笑う仕草は少し大人びていた。 そして同時に、不自然な笑顔だと感じた。 こんな状況で笑えるとは思えないけど、違和感を感じる。 確かに戦が始まる直前に、「傍にいる」「ずっと一緒にいる」と言った。 それはフェイルから言ってきた事だったのだが、今は立場が逆だ。 ずっと一緒だ、と言っておきながら、それは懇願の意味もあるようにとれる。 「でも・・・。」 可笑しそうに小さく首を振ると、フェイルは一歩下がった。 それを拒絶と勘違いしたリュオイルの表情は明らかに傷ついている。 目を伏せたままの俯き加減だったので、フェイルにリュオイルの表情は見えない。 「嬉しい。」 気分が沈みそうになっていたリュオイルの表情がゆっくり変わる。 地面に向いていた視線は上がり、彼の青い瞳をしっかり見据えている。 相変わらずうそ臭い笑顔を見せてはいるが、彼女なりに気遣っているのだろうと黙認した。 だがその笑みも長くは続かなかった。 すっと笑顔が消えると、踵を返し歩き始めた。 一歩遅れてリュオイルもフェイルの後を追う。 しかし、隣を歩く事はなかった。今、どんな顔をして向かい合ったらいいのか分からない。 無理に笑う必要もない。かと言ってずっと泣いている時間もない。 苦しくても、辛くても、前に進まなければ終わらないのだ。 戦争は中途半端では終わらない。まして神々の戦いなのだ、勝敗がつくまで延々と続くだろう。 「ラクト。」 泣き止んではいるのだろうが、疲れきった表情でミカエルの胸の中にいる。 ミカエルも気にした様子がなく、寧ろ安心させるかのように彼の頭をゆっくり撫でている。 その姿を見て一瞬躊躇ったフェイルだったが、意を決して重い口を開いた。 ミカエルとフェイルはばっちり視線が合ったが、抱きこまれるような形でいるラクトにはフェイルは見えない。 それでも、声は届くはずだ。 「・・・恨んでいるのなら、私を殺しても構わない。」 「フェイルっ!」 彼女の言葉を咎めるような強い口調でシリウスとアスティアが叫んだ。 少し後ろにいたリュオイル、そしてイスカは驚きで声が出なかったらしい。 両者瞠目して、信じられない、と言いたそうにフェイルを凝視している。 だが、ミカエルは何も崩さなかった。 厳しい表情をしているが、フェイルを責めるような視線は送ってこない。 まるで、最初からこうなることを分かっていたかのように。 「でも、今は駄目なの。」 強く言い張った声が、段々沈む。 仲間の声なんてまるで聞こえていない。彼女に見えているのはラクトだけだ。 こんなにはっきりと強く言えるのは、かろうじて彼が背を向けているからだろう。 視線が交じり合えば、ただただ謝るか泣き崩れてしまうかもしれない。 「戦が終わらない限りは絶対に死ねない。戦が終わった後なら、いつでも待ってる。」 だからごめんね。 「・・・違う。」 悪いと思いながらも、衝動には勝てなかった。 ミカエルの服をしわが出来るほど強く掴み、うっすら目を開けたラクトは自分でも驚くほど低い声を発した。 小さく紡がれた声は、至近距離にいるミカエルにしか聞こえない。 「私は逃げないし、抵抗もしない。だから・・・」 「―――――違うっ!!」 大きく振りかえったラクトは勢いのまま立ち上がった。 真っ赤になった目を隠すことなく、自分より小さいフェイルのもとにずかずかと歩みだす。 その瞳は怒りとも、悲しみとも、絶望とも、落胆ともとれた。 それでもその大半は怒りなのだろう。声も荒々しく、少しも抑えようとはしていない。 己の意のままに、隠すことなくさらけ出す。 今にも掴みかかってきそうな態度の彼に、リュオイルは一瞬警戒する。 理由があったとはいえ彼は敵なのだ。 今回の件に関して協力してくれた事はありがたいが、真に信用する相手ではない。 それはシリウスとアスティアも同じようだった。 構える事はなくても、いつでも隊形をとれるように己の武器に手を当てている。 そんな彼らにフェイルは目配せをした。 厳しい面持ちで、言葉はなかったが大丈夫だ、と語りかけている。 それでも心配だった。何せ、命をやると公言してしまったのだ。油断は出来ない。 「憎くないの?」 宥めるような優しい声で問いかければ、少年の肩はびくりと震える。 何度も口を開いたり閉じたりして、自信なさげに俯いた。 「・・・憎くないわけじゃ、ない。」 やっと搾り出した声は掠れていた。 さっきまでの威勢はどこにいったのか、今は目を合わせようともしない。 「憎いかと聞かれれば、もちろん憎い。あの子を殺したのは貴方だ。」 ぐっと握り締めた拳は震えている。しまいにはうっすら血が滲み出るほど。 それでも気付いていないのか、力を弱めることはなかった。 「だけど、そんな貴方に助けてくれって言ったのは僕だ!  直接的に殺したのが貴方でも、間接的に殺したのは僕自身。だから・・・全て貴方が悪いんじゃない。」 数回首を振って、ラクトは真っ直ぐフェイルを見下ろした。 茶と草原の色の瞳がぶつかり合う。 呆気に取られたのはフェイルの方だ。 まさか、こんな返答が返ってくるとは思いもしなかった。 驚きのあまり言葉を失ったフェイルは、唖然とした様子でラクトを見据える。 大切なものを失ったばかりなのに、必死に言葉を紡ぐラクトの姿は痛々しい。 「だけど、"死ぬ"なんて逃げるような台詞を言うなっ!  貴方に罪の意識があるのなら、生きてソピアのために償え!!」 憤然と佇む姿に息を呑む。 これで彼の武器が大きく構えられていたら、一歩も動くことが出来なかっただろう。 そんな中、フェイルは己が言った言葉を頭の中で復唱していた。 どうしてここまで彼が憤慨するか分からなかった。 だけど・・・ ああ、やっぱり私はバカだなぁ。 「たとえ僕が貴方を殺したとしてもソピアは生き返らないし・・・喜ぶはずがない。」 分かっていたつもりだったのに、自分の心を過信していた。 結局あの言葉は格好付けであり、逃げの言葉だったのだ。 苦しみから解放される最も簡単な手段。それは死すること。 だけどそれは決してやってはいけない。死ぬことは逃げること、要するに負けを認めたも同然だ。 それなのに、どうして私は当たり前のことを忘れてしまっていたんだろう。 死ぬ、と発言した時の仲間たちの気持ちを、どうして深く考えることが出来なかったんだろう。 ああ私は本当にバカだ。愚か者だ。 「・・・うん。」 弱々しく頷いたフェイルに、ラクトは少しだけ満足そうな顔をした。