「・・・これは何だ。」
物資補給のため、先日からとある町に滞在していた旅の一行は、翌朝、世にも奇妙なものを見ることになる。
いや、世にも奇妙と言うのは失礼かもしれない。
しかしいるはずのないそれが目の前のちょこんと座っており、
さっきからいるはずの"彼ら"が先ほどから見当たらないことに気付く。
先に起きたシリウスとアレスト、そしてシギは頭を抱えたい衝動に駆られる。
しかし、その反面心の奥で暖かな感情が流れてくる。
「こんにちわー。」
「・・・・・」
小さな幼子は、満面の笑みを浮かべてシリウスを見上げた。
まだ成長しきっていない未熟な右手を上げて、元気良くご挨拶。
純粋無垢な少女は実に可愛らしかった。
ついつい表情が緩みそうになるが、何とかそれを堪えて威厳を保つ。
傍から見れば眉間にしわが寄っている怖いお兄さんとしか映っていないんだろう。
しかしそんな彼に臆するどころか懐き始めた幼い少女は、何を考えているのか、シリウスの足に抱きついた。
ぽふ。
軽い音をたてて小さく短い腕で一生懸命抱きつく姿は何とも言えず愛らしい。
シリウスの足よりずっと小さい少女は見た目はどう見ても4~5歳だ。
だがしかし、彼らにこの少女を知る者はいない。誰もこんな少女を見たことはない、はずだった。
「・・・金髪、エメラルドグリーンの瞳・・・」
そう言えば、いつも早起きの、旅のリーダーとも言える少女が未だ起きてこない。
「・・・民族的な青い衣装・・・」
まさか、まさか・・・。
そう思うたびに背中から嫌な汗が流れる。
シリウスの後ろの方で固まっているアレストやシギは、嫌な考えにたどり着いた。
そして未だ足に抱きつかれた状態のシリウスは、おもむろに少女を持ち上げた。
ぶらーんと、まるで猫のように扱われながらも幼子は泣くどころか相変わらずきゃっきゃ、と笑っている。
「・・・フェイル?」
「はーい!」
【 誰かさんの暇つぶし 前編 】
とある町のとある一角の宿屋で事件は発生した。
「な、な、何やてーーーーーーーーーー!?これがフェイル!?」
朝食を食べ始めていたアレストは、かじりかけのパンをポロリと落とす。
カシャン、とフォークを落としたのは言うまでもないがシギである。
こちらはアレストほど驚きは見せなかったが、いつもより半分ほど小さくなってしまっている、
幼子フェイルを穴が開かんばかりに凝視していた。
「・・・フェイル、なのか?」
「はーい!」
「そうか。」
元気良く返事が出来たので思わず小さな頭をなでなで。
無表情でこんなことをされてもはっきり言ってあんまり嬉しくないのだが、フェイルは強者だった。
僅かな表情の変化を察知したのか、撫でられながら、はにかんだ笑顔を見せてくれた。
(・・・可愛いなぁ。)
正直に言うと、こうである。
しかし普段からそんなことを言わないシリウスは、心の中で呟くだけで言葉にしようとしない。
まあそんなことを言えばリュオイル辺りから、からかいの声が飛ぶだろう。
「えーっと、今フェイルはいくつなんや?」
「んっと、んーと、4歳?」
「何でそこで疑問系やねん。」
つい癖で突っ込みを入れてしまったアレストは少し己を恥じた。
こんな小さい子にそんな事を言っても到底分かるはずがない。
ぐぅ、と小さくお腹を鳴らせたフェイルは物欲しそうな目でシギが持っているパンを見つめる。
言わずもがな、空腹のようだ。
じーっと、無垢な目で見られれば困る。
決して悪い事をしているわけではないのだが、背中がむず痒くなってしまう。
フェイルの視線に耐えかねたシギは、テーブルに置いてあるバスケットの中から
まだ温かい、出来たてのパンを彼女に渡した。
「こぼさないようにな。」
「ありがとーっ!」
満面の笑みでパンを受け取ったフェイルは、食欲旺盛に、ハムスターの頬袋のようにパンを口に入れる。
もごもごと口を動かす仕草は、小動物を思わせる。
ああ、触りたい。
両手をわきわきと、何度も閉じたり開いたりを繰り返しているアレストは1つの衝動に駆られていた。
パーティーの中で一番最年少のフェイルが、更に小さくなっている。
子供というレベルどころか、既に幼子だ。
ふわふわした髪の毛とか、すべすべの肌とか、本能的に触りたくなってきていた。
「・・・そう言えば、リュオイルは?」
己の欲望に負けたアレストは、未だパンをほおばるフェイルを抱き上げると
自分が座っていた場所に座り、膝に幼子を乗せた。
身長も体重も、うんと小さくなってしまったため、重さなんてちっとも感じられない。
ふわふわの髪の毛をわしゃわしゃと撫でると、幼子フェイルは不思議そうに首を傾げた。
と言っても、後ろまで首を動かせないので、頭だけを仰け反らせる。
大きな瞳とばっちり視線が合ったアレストは、だらしないほどの笑みを浮かべた。
そんな彼女を、シギは微笑ましそうに眺めていたが、いつも早起きの少年の姿がないことに気付く。
誰よりも早起きで鍛錬を欠かさないあのリュオイルが寝坊とは、珍しいこともあるものだ。
それを言えばもう一人、アスティアの姿がない。
彼女もリュオイルと同様、大変早起きなのだが今日はまだ見ていない。
フェイルが何故小さくなってしまったのか、とにかく全員を集めなければ。
よし、と意気込んだシギは手始めにリュオイルが休んでいる部屋に足を運ぶ。
2階の一番奥の、左部屋だったはずだ。
旅をしていて、しかも仲間が6人もいれば金はそれなりにかかる。
この町で格安の宿屋を見つけるのは少々難儀したが、人数分の部屋が空いていて助かった。
しかし、大貴族のリュオイルがこういう庶民の宿屋に泊まれるとは、大したものだ。
お世辞にもふかふかのベッドとは言えない寝床なので、育ちの良い貴族は
すぐにでも根を上げそうなものなのに、彼と旅を共にしてから、1つも不満がこぼれることはなかった。
所謂、「庶民派」というやつなのだろう。
彼の生い立ちは詳しくは聞いてはいないが、リュオイルには飾り気が全く感じられない。
若くして将軍の位に就いていたせいか少し大人びていて棘々としていた時期もあったが
最近は年相応の笑顔をよく見せるようになっていた。
コンコン
「おーい、リュオイルー?」
コンコン
「・・・あら?」
気配に敏感な彼が起きてこないなんて珍しい。
根気よく何度もドアを叩くが、やはり応答はなかった。
流石の彼も長旅に疲れたのだろうかと軽く首を傾げていた所に、ふと後ろから温かい何かが衝突してきた。
「ん?」
ぶつかった反動で転んでしまったのは、いつの間にかアレストからの拘束から抜け出した小さなフェイル。
あらら、と苦笑して小さな体躯を持ち上げたシギは、頬の筋肉を緩めて微笑んだ。
「わりぃわりぃ。どこも怪我してねえか?」
「・・・?」
「痛いとこはあるかってことだ。」
「ううん、ないよ?」
「そっか、そりゃ良かった。」
未だ宙吊りになりながらも、にぱっとシギが笑うとフェイルも笑った。
子供は無邪気で良い。真っ白だから、何をやってもにこにこ笑ってくれる。
「んじゃあ一緒に寝ぼすけを起こすか。」
「ねぼすけー。」
「そうそう。」
羽が生えたように軽い少女を肩車すると、ドアのノックを右に回した。
ギイ、と小さく擦れる音がして部屋の中が露になる。
カーテンを開けていないせいか室内は暗い。が、何も見えないわけではない。
ちらっとベッドの膨らみを一瞥したシギは、そのままカーテンに腕を伸ばした。
シャッと切れの良い音がすると同時に、目を細めてしまいそうなほどの朝日が差し込む。
思わず目の近くに手をかざしたシギは、満足そうに一呼吸置くと、未だ起きる気配のないベッドに近づく。
片手は肩にいるフェイルを支えるため、自由である左手で布団を掴んだ。
「起きろリュオイルっ!!」
バサッ
ひらりと布団が舞う。
それは、一瞬の事だった。
重力の関係で、浮き上がったとしても重みのあるものはすぐに下に落下する。
だがそれでも、まだ寝ている彼の布団を剥がす事は簡単だった。
「え・・・あ・・・え?」
布団を掴んだまま暫し呆然。
何度も瞬きをしたシギは、目の前に起こっている光景を受け入れる事が出来るか、少し不安だった。
何故なら、布団の中にいるのは17ほどの少年ではなく、フェイルと同じように小さい4・5歳の・・・子供。
(俺、部屋間違えた・・・?)
背筋に嫌な汗が流れているのが分かった。
非常に気まずい。
この部屋にいるのは、自分と小さいフェイルと、布団の中ですやすや眠っている4・5歳くらいの子供。
しかし、その髪は見事なまでの真紅。血の色ではなく、炎のように強い意思を持った鮮やかな色だ。
こんな目立つ髪を持つのは、捜してる人物以外この近辺にはいないはずだ。
ただでさえリュオイルは目立つ容姿なのに、真紅の髪となれば、彼しか思い浮かばないだろう。
それに、この宿は小さい。部屋を間違えたかと頭に浮かんだ考えを振り払う。
昨日確かに、リュオイルがこの奥の部屋に入って就寝したのを見た。他の仲間も目撃している。
「・・・。」
嫌な予感がする。いや、予感じゃない、もう頭の中で結論が出ている。
「あら、どうやら実験は成功のようね。」
「アスティアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
小さな宿屋の一室に、耳を塞がりたくなるような怒号が響く。
「・・・で、事の発端はお前と。」
あの後何事か、と駆けつけてきたアレストとシリウスが今日2回目の衝撃を受ける事となった。
シギの怒鳴り声に流石に起きた少年は、目を擦りながらぼんやりとした面持ちで辺りを見回した。
「ちちうえ・・・?」
開口一番。まだ舌足らずな声で呼んだ名前は、シギでもなければフェイルでもない。
たった一人の、彼の父親だ。
「最近黒魔術に、はまったのよ。」
「く、くろまじゅつぅ~?そんないかにも怪しいもん、どうやって会得したんや。」
「古本屋で見つけたの、ほら。」
辞典並みに厚く重い本をテーブルに出され、一同は息を呑んでそれを凝視した。
濃い紫紺の柄に書かれたタイトルは・・・読めない。どうやら古代文字なのだろう。
一体しかし、アスティアはどうやってこれを解読したのか。
「エルフの文字と似ているのよ、ちょっと頭を捻らないと解読出来ないのもあるけど。」
淡々とそう述べているが、反省の色はない。
「黒魔術は、置いといて。・・・何で2人が小さくなる?」
盛大に溜息を吐いたシリウスは、胡散臭そうな視線をアスティアに送った。
それでも気分を害した様子のないアスティアは、懐から小さな瓶を取り出す。
薄紫に輝く液体の中には、きらきら光る光沢の物も含まれている。
・・・どう見ても毒にしか見えないのは、錯覚だろうか。
「精神退化、成長退化を備え持った薬品よ。その名も『なんちゃって若返り薬』」
「いや、どこをどう見ても『なんちゃって』じゃないだろ。」
「だって永遠じゃないもの。薬は1日で切れるわ。」
それでも、効力は抜群だ。
しかも素人同然のアスティアが調合したのだから、もしかしたら1日だけでなく1週間、1ヶ月続いてもおかしくはない。
「観察しがいあるじゃない、この2人。」
そう言ってアスティアは爆弾発言をしながら2人を指差した。
その先には朝食を取り直しているフェイルと、さっきからずっと大人しくしてるリュオイルの姿がある。
もとの大きさならありえない光景だ。
・・・沈黙、一向に喋る気配がない。
人見知りや警戒心が強かったリュオイルならまだ分かるが、今回はフェイルの方も口を開こうとしない。
まるで喧嘩をしているようにも見えるが、精神退化もしているので実際の所2人は初対面だ。
子供というより幼児なのだから、何かしら好奇心が沸くだろう。
にもかかわらず、あのフェイルが一番興味を示していない。
「・・・観察、というか。」
「・・・長期戦じゃねえの、これ。」
アレストやシギ達が接すればにこにこと笑っていたフェイルだが、何故だろう、リュオイルの前では無反応だ。
見かねたシリウスが2人のもとに近づくと、案の定少女の方がにぱっと笑う。
一方のリュオイルはというと、肩身が狭いのかただぼんやりとしているだけだ。
そんな2人に珍しく苦笑したシリウスは、両方の頭に軽く手を置いた。
ゆっくり撫でられれば気持ちよくなったのか、フェイルは目を瞑って幸せそうな顔をしている。
頭に重みを感じたリュオイルはと言うと、ぽかんとして動かない。
だが撫でられていると認識すると、不器用にだが薄く微笑んだ。
フェイルとは違う、大人のするような、でも純粋無垢な色はそのまま。
「仲良く出来るか?」
2人を交互に見ながら、シリウスは薄く微笑んだ。
その声にフェイルもリュオイルもきょとんとしていたが、すぐに頷いた。
「おー、意外なところみっけ。」
真っ先に子供に嫌われそうなシリウスが、2人に好かれている。
声に出して言わないが、アレストもシギも腹の中ではそう呟いていた。
しかし流石妹がいたとあって、彼の年下の接し方はアレストを越すほど上手い。
アレストの場合はスキンシップが第一で、元気でやんちゃな子供ならタックルをかます勢いだ。
彼女の町の子供はそれを当然と思い、いつも遊んでくれるアレストを大変好んでいる。
嫌味がなくさっぱり、そして爽やかなので当然子供は自然と寄ってくる。
それとは対照的に、シリウスの場合は全ての子供が寄ってくるわけではない。
やんちゃ系の子供なら、静かにしている彼よりも、同じようにやんちゃになってくれるアレストの方が断然良い。
彼の場合は常に平静さを持つこと。
よほどの事がなければ大声も上げず、ただ静かに見守っている。
良い事をすれば誉めるし、悪い事をすれば叱る。子供の躾に最も必要な二か条だ。
幸いにもシリウスのようなタイプを2人は気に入ってくれている。
それはフェイルよりも、リュオイルがそうかもしれない。
もとのリュオイルは大分砕けてきたが、今のリュオイルはと言うと挙動不審で辺りを警戒している。
無駄に彼の許容範囲に触れてくるようなアレストは願い下げだろう。
それと比べれば、必要以上に侵入してこないシリウスの傍は落ち着く。
ほとんどが沈黙になってしまうが、リュオイルは煩いより静かなほうを好んでいる。
「わたしフェイルー!きみは~?」
「・・・え、ぼく・・・?」
「うん、おなまえは?」
「・・・リュオイル=セイフィリス=ウィスト。」
「・・・?」
あのような年でも自分の名をはっきり言える事はすばらしい事と言えよう。
しかもリュオイルの名は貴族に属しているため、平民より長くややこしい。
公の場では最後に来る名を呼ぶことが当然とされているが、ここは館でもなければ城でもない。町の宿屋だ。
聞き慣れない言葉に首を傾げたフェイルは、どれが彼の名前なのか全く分かっていない。
さっき言ってくれた名前を復唱しようと頑張っているが、まだ舌足らずな分があるせいか噛んでしまう。
「リュオイルだ。」
それまでの光景を黙って見ていたシリウスだったが、ついに助け舟を出す。
そうしなければ、フェイルは何時まで経っても名前を覚えないし、
リュオイルはというと、こういった場面にまだ慣れていないせいかしどろもどろになっている。
「リュ・・・?」
「リュオイル。」
上から降ってきた言葉に思わず首を持ち上げる。
相変わらず長い金髪はだらんとなびいた。
「・・・リューくん?」
「まあ、あながち間違いではない、か。」
リュオ君にリュー君。・・・大して変わらない。
小さくなればなるほど、どんどん名前が略されていくのだろうか。
「リューくん?」
「え・・・。」
今度はリュオイルに首を傾げた。
「合っている?」ということなのだろうが、いきなり話を振られたリュオイルは一瞬びくりとして瞬きしている。
どうすればいいか分からず、顔面蒼白になっていく少年は助けを呼ぼうにも、周りにいるのは知らない人達だけ。
大好きな両親もいなければ、ずっと共に過ごしてきた弟の姿もない。
それにもう1つ。ここがフィンウェルでない事は確かだ。
こんな庶民的な場所は知らない。
「合ってるな。」
う、だの、あ、だの言っているうちに、シリウスはリュオイルの目線に合うように腰を下ろした。
急に目の前に現れたアメジストの瞳にびっくりしたリュオイルは瞠目したが、ゆっくり頷いた。
貴族の社交辞令のような関係はあっても、年の近い友達がいなかったせいでどう反応していいか分からない。
しかし、隣でじっと見つめてくる少女は先ほどと比べると友好的だ。
名前を略される事なんて今までなかったが、分からないほどではないので気にはしない。
何も言わなかったが、素直に頷いたのでそれに満足したのか、シリウスはまた頭を撫でた。
大きくてすこしごつごつした手は、父親のそれと似ている。
ぽん、と頭に手が被さった時は目を瞑ってしまったが、撫でられている今は嬉しそうに微笑んでいる。
普段とは間逆の彼だが、シリウスはまるで動揺していない。
それどころかありのままの彼を受け入れている。
もし初めて出会ったときリュオイルが意地っ張りでなかったり負けず嫌いでなければ、
明らかにもう少しは仲が良かっただろう。
ギュ
微笑ましい光景が続いたのも束の間、シリウスは自分の服が掴まれているという違和感を知る。
思わず振り返ると、そこには頬を膨らましているフェイルがいた。
ムスッとして、下を向いたまま何も喋らない。
「おんや?」
それまでずっと傍観していたアレストは目を瞠った。
珍しい。この反応は・・・
「わたしも。」
拗ねてる。
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